6 机の中の世界
嵐山ミミが管理するシェアハウスに、身内の同居人が増えてから3日後、まじめに授業を受けていたミミではなく、隣のクラスで騒動が起きた。
ミミが授業をまじめに受けていたというのは誇張ではない。中断されることなくただ授業に出席しているだけで、周囲からは珍しいと目されるミミなのだ。
したがって、この場合にミミが授業の内容を理解しているかどうかは別問題である。
突如隣の教室から悲鳴にも似た学生たちの声が上がり、何人かの生徒が廊下に飛び出していた。
「ドルイドのモンスターか?」
最近の騒ぎの大半を占める怪異現象だろうと検討をつけたのは、ミミのカバンにぬいぐるみとしてぶら下がっているウィスプだった。人目のある場所ではあるが、誰が声を発したかわからないほど、隣の教室が騒がしかったのだ。
ミミたちに向かって授業をしていた英語の先生が廊下に出て行く。他にも何人か、ミミのクラスの生徒たちが動こうとしているが、ミミは机から動かなかった。
「なんでもかんでも、ドルイドの仕業だと思うのはよくないよ。わたしの身内だって、あんなだし……」
ミミは、自分の祖父の首から上がロバだと知って以来、何事にも動じなくなりつつあった。いずれ遺伝で自分の顔もロバになるかもしれない。それに比べたら、何が起きようが大騒ぎするほどの問題ではない。
「カエルや象よりはいいだろ」
もう一人のぬいぐるみ、セルキーが慰める。慰めるつもりがあるのかどうかは不明である。事実、ミミはそれで気持ちが晴れたりはしなかった。
「まあ……カエルさんと象さんが、孫たちを探しに行かずに、おじいちゃんと一緒にいるってのは……自分たちがロバより酷いって自覚があるんでしょうけどね……」
同じくシェアハウスに住み始めたカエル男と象男は、ロバ男が祖父だと知ったミミの反応を恐れて、孫に会うに行くことを遠慮していた。
できれば、ロバ男も同じ遠慮をして欲しかったと思うところだが、ミミの知っている同じくタイターニアの孫娘だという友達たちがどんな反応を示すかを想像すると、ロバ男が最初でよかったと思わなくない。
しばらくして英語の教員が教室に戻ってきた。
「チカちゃんが寝ぼけたみたいだ。机の中から手が出てきて、チカちゃんの腕を掴んだから、悲鳴をあげたんだって。もう……そんなことはいいから、授業を再開するよ」
先生が言った『チカちゃん』は、先生たちから愛称で呼ばれる優等生だ。五歳の時からなんでも知っていたという評価もある。
授業中に居眠りをするミミのような生徒ではない。
「チカちゃんはどうしたんですか?」
誰かが声をあげた。実はミミのカバンにストラップとして結ばれているぬいぐるみから声が出ているとは気づかず、先生は背中を向けて黒板に板書をしながら答えた。
「一応、保健室に行ったよ。何人か大騒ぎしたのは……チカちゃんの腕を掴んだ腕が、机から伸びているのをはっきり見たからみたいだね。ただの見間違いだよ。同時に何人かが見るなんて、珍しいけどそんなこともあるんだね」
先生は落ち着いた振りを装っていたが、その後の授業内容は散々だった。もちろん、ミミは授業内容が散々であることには気づかなかった。
「ドルイドのモンスター以外に、お化けっていると思う?」
授業が終わり、休憩中にミミは独り言のように呟いた。
「妖精の立場から言わせて貰えば、ミミたちの普通の世界の裏側を支配しているのが妖精の女王タイターニアと、魔王となったオーベロンだ。その中間ってのは、いないはずだ」
ミミが独り言を言うのは、通常ぬいぐるみたちに問いかける時だ。クラスメイトは知ってか知らずか、何も言わなかった。ウィスプが答える。反論があれば、セルキーもプーカも黙っていないはずだ。
「つまり……ドルイドがいるのね。狙われたのって、チカちゃんなのかな?」
「会いに行きなよ。保健室にいるってさ」
プーカが言った。
「そうだね」
「もう次の授業がはじまるぞ」
「先生に、またかって思われちゃうね」
ミミが授業に出ていなくとも『またか』で済む程度には、ミミは経験豊富だった。