ひと騒ぎ
「ようこそ、いらしてくれた。当主のアルヴィン・ゴールディングである。堅苦しくせずとも良い。今宵はごく内輪の集まりゆえ、気楽に過ごして欲しい。」
ゴールディング大公家の王都の屋敷は、ランバート家の数倍はある白亜の御殿である。
訪れを告げて玄関ホールで案内を待っていると、なんと大公本人が現れた。
ゴールディング大公は40代後半の、いかにも王族的な美しい男性だった。短めの金髪に空色の瞳、堂々たる体つきに皺すらも美しい壮年の大公を目の前にし、じっと見つめられては誰もが平静ではいられまい。
ユーイン達が挨拶した後、アルヴィンはすっと目を細めて、クレアを見た。
「君が、クレア・ファインズ伯爵令嬢か。ご両親の事は残念だった。わたしが呼び寄せたばかりに巻き込んでしまった。」
まさか、大公から謝罪を聞くとは思わなかったクレアは内心の動揺を隠して答えた。
「大公閣下にお目にかかれた上、温かいお言葉をかけていただきまして、身に余る光栄でございます。亡き両親もさぞかし喜んでいる事かと。父に代わりましてお礼申し上げます。」
「うむ。クレア嬢はご結婚は?」
「…お恥ずかしながら未だ独り身でございます。」
「そうか。我が家にも独身の息子が2人いるのだがな。」
返答に困ったクレアに、アルヴィンは鷹揚に笑う。
「しかし、貴女の隣には心配を隠そうともしない騎士が怖い顔をして立っているから、近付くのは容易ではなさそうだ。
レスター、そう睨むな。今夜のお前は休暇中なのだから、こちらの事は心配要らぬ。お前の姫を守りなさい。」
そう言うと大公は、後ほどまた、と去って行った。
*
大公家のホールには既に人が集まっている。天井を飾るガラスのシャンデリア、紳士淑女の艶やかな衣装、騒めき、グラスを乗せた盆を手に歩き回る給仕達、そこはまるで別世界だ。
無骨だが距離の近い辺境の人々の中にあって、貴族らしい駆け引きや言葉の応酬といった物とは無縁だったクレアとマリアンは、緊張からか、心なしか顔が青ざめている。
「ユーイン・ランバート辺境伯閣下、マリアン夫人、レスター・エヴァンズ伯爵子息、クレア・ファインズ伯爵令嬢がいらっしゃいました。」
従僕の声に、中の人々がこちらを振り向く。レスターの腕に手をかけるクレアの指に力が入った。
「大丈夫だ。」レスターは落ち着かせるかのようにクレアの手を軽くさすった。
(いよいよ、始まったわ。ゴールディング大公がわたしに何を望んでいるのか、皆目見当もつかないけど、ユーイン様やマリアン様のご迷惑にならないように気をつけなくちゃ。)
やがて主催の大公家一家が姿を表すと、感嘆の声やため息が聞こえてきた。美しい一家の登場である。
当主のアルヴィンの隣りには元隣国の王女である夫人、そして両脇にはゴールディング大公家の嫡男と次男が立っていた。
大公の挨拶があり、乾杯の後は楽団の演奏に合わせてまずは大公夫妻が流麗なダンスを披露した。
続いて宰相夫妻、公爵家と、この国の高位貴族達がホールに繰り出してきた。レスターもクレアの手を取った。
「俺たちも踊ろうか?」
クレアにとって初めての夜会、初めてのダンスである。
緊張しながらもレスターにリードされて、なんとか踊りきったクレアは安堵のため息をこぼした。
「レスター様、ありがとうございます。リードがお上手だから、足を踏む事なくちゃんと踊り切りましたわ!」
「君とこうやって踊れる日がくるなんて思っても見なかったから、俺は嬉しくて感動しているよ。」
「今日は特別ですよ。わたしには最初で最後の夜会です。明日からは侍女に戻りますから。ですので………」
「何だ?」
「もう一曲、踊っていただけますか?」
思いがけないお願いに、レスターは柄にもなく照れたが、喜んで!と、クレアの手を取りホールの中央へと向かった。
人々の視線が痛い。
(あの方はどなた?見た事のないお顔ね。)
(なんでも事故死したファインズ伯爵家のご令嬢らしいが、ほぼ平民だと聞いたぞ。)
(まあ!その様な方が何故、大公家の夜会にいらっしゃってるの?身の程知らずも甚だしいわね。)
(大公がクレア嬢に来て欲しいと請われたとか。)
(漆黒の……に関係あるらしい。)
(元婚約者同士らしいけど、捨てられた女が今更?)
(エヴァンズ様と踊るなんて、何なの、あの女!)
密やかとは言えない囁きが、耳に入ってくる。
貴族と言えども高尚で高潔な考えを持つものはいないのか、他人の噂と不幸が大好物な、実に下世話な人間たちがここには集まっているようだ。
大公家の私的な夜会といっても、この程度なのだなと、レスターは思った。クレアが気にしなければ良いのだが。
2曲踊った後、飲み物のグラスを手にしたレスターに、声をかけてくる男がいた。
「レスター、久しぶりだな。」
「兄上……、どうしてここに?」
「失礼だな、招待されたのだよ。」
「レスター様、そちらのお嬢さんはどなたかしら?」
レスターに声を掛けてきたのは、兄マイケルと、その妻セリーナであった。
*
レスターは兄夫妻をクレアに紹介した。
「まあ、貴女が、もう婚約者でもないのに、レスター様にしつこく付き纏っているというクレアさんなのね。」
セリーナはにやにやと嫌な笑みを浮かべてクレアに言い放った。レスターはとっさにクレアの前に立ち、殺気を込めてセリーナに向き合う。
「義姉上、違う。俺がクレアに付き纏っているのだ。勘違いしないでいただきたい。」
「おお、怖いこと。」
「セリーナ!お前は黙りなさい。
クレア嬢、失礼な発言をお許し願えるだろうか。セリーナは身体の不調から気がたっているのだ。」
「それが何だと言うんだ?言っていい事と悪い事がある。義姉上殿は、俺たちの何を知っていると言うのだ。失礼だろう!謝っていただきたい。」
レスターはこの義姉が大嫌いだった。
兄の婚約者でありながら、レスターに色目を使い、マイケルより貴方が好きよと言い寄ってくるセリーナに対して嫌悪感しかなかった。兄にこの女の素顔を暴露してやろうと、何度思ったことか。
しかし、兄はセリーナを愛しているし、兄弟は友好的な良い関係を築いている。何事に対しても厳しい父もセリーナを受け入れているように見えた。
波風を立てる事を避けたいので、セリーナを無視する事にしたのだが、まさかこんな所で遭遇するとは……、レスターは込み上げる怒りを抑えきれなかったのだった。
「あの、わたしなら大丈夫ですから。」
クレアはレスターに、大事にするなと目で訴えた。
「身の程を弁えているじゃないの。でもいただけないわね、そのドレスとアクセサリーは。まるでレスター様のお色じゃない事?
貴女ねぇ、どういうおつもりなの?」
セリーナが更なる暴言を吐いたとき、背後から声を掛けてきた人物がいた。
「マイケル・エヴァンズ殿。父が貴殿に話があるそうだ。急ぎ向かうように。
ご夫人は、父大公が直々に呼んだクレア嬢に対して含むところがあるようだね。
ああ、体調不良だとか?もうお帰りになった方が良いのではないかね?」
「申し訳ございません。ステファン様。
セリーナ、お前はもう帰りなさい。ここに居ると迷惑がかかる。」
「マイケル様!あんまりですわ。わたくしはこの女に注意を、、、」
「五月蝿い人だな。それ以上言うと、強制的に御退場願うことになるよ。
エヴァンズ夫人がお帰りになられるそうだ。馬車まで送って差し上げなさい。」
ステファンと呼ばれた男、ゴールディング大公家の嫡男は、側に控えていた侍従に命じた。
その時になって漸くセリーナは自分がおかした失敗に気がついたようである。大公家に睨まれるという事は、夫マイケルの昇進にも関わってくる。それに、大公家の一声で離縁される可能性もあった。
青い顔をして助けを求めるように夫を見たが、マイケルは視線を外して、そのままゴールディング大公の元へと向かっていった。
「確か、細君の実家は男爵家だったね。実家の借金返済は全て終わったのだったかな?」
ステファンの青い目がセリーナを射抜き、セリーナは背筋が寒くなった。
慌ててカーテシーをしてゴールディング家の侍従に連れられホールを去っていくその時に、クレアを忌々しげに睨みつけることは忘れなかった。
「何とも下品な女だったな。君の兄は何故あんな女を妻に迎えたのだろうな。」
ステファンはクレアとレスターににっこりと笑いかけた。
「やあ、クレア嬢。はじめましてだね。噂の君に会えるのを楽しみにしていたよ。」
徐にクレアの手を取り、指先に唇を寄せるその様子が、あまりにも自然な所作だったので、レスターは止める事が出来なかった。
「ゴールディング大公ご子息様、クレア・ファインズでございます。」
慌ててカーテシーをするクレアを手で制すると、ステファンと呼んで欲しいなと、ウィンクをした。
その様子を遠目に見守っていた女性たちから悲鳴が上がる。
「僕は君が気に入った。踊ってくれるかい?」
お読みいただきありがとうございました。
レスターの兄夫妻と、大公一家(父と嫡男)登場です。
外見などの細かい設定は必要に応じて、今後ぼちぼち出てくる予定です。




