その、まさか!です
貴族令嬢の腰掛け侍女については寛大なお心でお読みいただけますとありがたいです。
あくまで箔をつけるためのもので、お茶を出したり、手紙や書類の管理といった簡単なお仕事です。
「おう、来たな。」
団長室に一礼をして入ると、そこには辺境騎士団団長ユーイン・ランバート、副団長ショーン・ブレナーと共に、見知らぬ若い男が立っていた。
クレアはお辞儀をすると、団長を見た。
「回りくどいことは嫌いだから、単刀直入に言う。俺は実家の辺境伯家を正式に継ぐ事になったので、今後は辺境騎士団総長となる。
新たにショーン・ブレナーを団長とし、副団長にはここにいるレスター・アトキンズが着任する。
アトキンズは第二騎士団からの移動だ。」
クレアは、何故そのような重要な話を一介のメイドである自分に告げるのだろう?と思ったが
「かしこまりました。それでわたくしは何をすれば宜しいのでしょうか?」と質問をした。
「話が早くて助かる。クレアには、アトキンズが騎士団に慣れるまで、身の回りの世話を頼みたい。」
「そういう事でしたら、下働きのメイドよりも事務方を手伝われる侍女様が相応しいかと。」
今、辺境騎士団には調理や洗濯専門の使用人と、クレアのような寮付きのメイドと、それから団長達の秘書的立場の侍女が2名がいる。
侍女は貴族令嬢と決まっていて、結婚前に箔をつける為にほんの短い間だけ辺境騎士団付き侍女として滞在している。
この部屋にも団長室付きの侍女がいて、先程から団長達にお茶を出したりしている。
ちなみにクレアにもお茶を出してくれたので、クレアはちゃっかりと頂いた。何しろ団長の好みの茶葉は高級品なので、庶民は滅多に口にできない代物なのだ。
クレアは団長付きの侍女にそっと目配せをして、(貴女様がお引き受けるべきです。)と訴えてみたが、目を逸らされてしまった。
「アトキンズが君を希望しているのだ。」
クレアは平伏したまま
「わたくしは平民でございますし、下働きとしてこちらに奉職しておりますので、分不相応でございます。」と抵抗を試みた。
「アトキンズは独身ゆえ、貴族令嬢が側付きになることに危惧しているんだ。前の騎士団でも、その、夜這いだとかまあ色々とあったそうでな。」
(それで平民を望むと。何か問題があっても立場的に切り捨てる事が簡単な平民メイドに責任を押し付ける、そういうつもりなのね。)
クレアはその時初めて、団長の隣に座る若い男の顔をまじまじと見つめた。
レスター・アトキンズという名の騎士もまた、クレアをじっと見返している。
(どこかでお見かけした事があったかしら?)
クレアは記憶をたぐり寄せ考えてみたが、貴族学院へ入学出来なかったクレアに、貴族子息の知り合いなどいない。
ユーイン団長がクレアに確認する。
「クレアはアトキンズ殿に見覚えは?」
「申し訳ございません。初めてお目にかかります。」
その言葉を聞いたアトキンズは目に見えてがっかりした様子だったが、団長はお構いなしに話を続ける。
「世話係と言っても、辺境の騎士は何でも自分で出来るから、心配いらんぞ。寮での生活の指導、いわば私生活に於ける留意点を教えてやる程度だな。
我々はクレアの働き振りを正しく理解しているつもりだ。そろそろメイドから格上げして、副団長付き侍女はどうだろうかと考えていたので問題ない。」
「団長閣下、わたくしは平民ですよ?それに既に侍女様達がいらっしゃいます。」
「ああ、ご令嬢達は結婚が決まって退団するのだよ。」
今思い出した、という軽い感じでユーインは言った。
「それで、我々も思うところがあってな、今までの様に貴族のご令嬢の腰掛け侍女よりも、長く勤務して内部事情もよくわかる人間を育て、大切にしようという事になったんだ。」
ユーインは有能な人材はたとえメイドであっても、身分に関係なく正しく評価されるべきだと考える人間だった。
貴族社会の柵で、腰掛けで箔をつけるためにやってくるご令嬢は、もう要らない。有事が起きた際、真っ先に狙われ且つ命を賭して戦わねばならないのはこの騎士団だ。
そんなところに貴族令嬢を置いておくわけにはいかないのだ。
「なかなか嫁を見つけられない騎士団幹部の為に、婚約者のいないご令嬢を侍女として付けるのは俺の代で終わらせる事にした。
もっとも俺も彼女を娶るのだから、確かに良い考えではあると言える。」
驚いたクレアが団長付き侍女のマリアン嬢を見ると、マリアンは恥ずかしげに頬を赤らめた。
「まあ、それは。おめでとうございます。」
「クレア、騎士団で人を雇う時は、その人物の背景を徹底的に調べるんだ。万が一でも間者がいたらいかんからな。
お前が元伯爵令嬢だと言う事を我々は知っているぞ。」
クレアは黙り込んだ。
「その上で、アトキンズの世話を頼んでいる。」
「そう仰られましても。通常業務に差し支えが出るようであれば困ります。」
その時、黙っていたアトキンズが堪らず声を上げた。
「自分で何でも出来るから手を煩わせることはないだろう。
ちょっとした補佐をしてもらえれば、それで良いのだが。」
「メイドの仕事は多岐に渡っておりまして、アトキンズ様の補佐も難しいかと思います。どなたか新たに採用されるというのはいかがでしょうか?」
クレアは名案を出したつもりでいたが、アトキンズはみるみる不機嫌な顔になっていた。
(一体何なのかしら?何を怒ってらっしゃるのかしら。)
「随分探して遠回りしたが、やっと見つけたというのに。」
「はい?」
「本当に覚えていないのか?俺は君の婚約者だったレスター、旧姓エヴァンズだ。」
クレアは目を見開いてレスターを見つめ、たっぷり5秒は止まってしまった。
「え!レスター・エヴァンズ様?まさか、、、」
「今は、レスター・アトキンズ。アトキンズ伯爵家へ養子へ行ったんだ。」
(まさか、まさか、元婚約者だったレスター様だったなんて。そう言えば髪の色も黒で同じじゃないの。)
クレアはレスターと再会した事より、彼の顔を全く覚えていなかった事に衝撃を受けていた。
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