クレアと辺境騎士団
よろしくお願いします。
チチチと、鳥の鳴き声がする。まだ肌寒い朝の空気に身が引き締まる。
クレアは素早くメイド服に着替えると、寮の自室から厨房へと向かった。
朝日がようやく登り始める頃、調理人が厨房の竈門に火をつけ、クレアは野菜を洗って下準備を始める。
そろそろ厨房担当のメイド達もやってくる頃だ。
「クレア、そっちが終わったら、産みたて卵を取ってきてくれ。」
「はあい。」
クレアは機嫌良く返事をして鶏小屋へと向かった。柔らかな金色の巻き毛が朝日に煌めく。慌ててやってきた寮付きメイド仲間のソフィに、すれ違い様に声を掛けた。
「そんなに走ったら転ぶわよ。」
「クレアさんじゃないんだから、大丈夫よっ!それよりクレアさんこそ卵ごと転んで割るんじゃないわよ。」
18歳になったばかりのソフィは、この辺境の地の男爵家の三女の働き者で、背が高くてすっきりと伸びた手足を持て余し気味の、体も頑丈な娘だ。そのソフィは、メイド仲間で年上のクレアを、放っておけないお嬢様扱いをする。
「もう、わたしを何だと思ってるのかしらね。ここで働き始めてから8年のベテランメイドなのに。」
*
クレアは辺境の騎士団付きのメイドである。16の歳からここで働きだして、かれこれ8年になる。
元々貴族令嬢だったが、15歳で両親を事故で亡くし天涯孤独の身となった。
事故後に遠縁と名乗る者たちがやったきて、あれこれと口を出してきて家を乗っ取られそうになった時、クレアは伝手を頼って爵位と領地を返上することにした。
そしてクレアはあっさりと貴族令嬢の身分を捨て、平民となった。
住み慣れた屋敷と使用人達に別れを告げたクレアは、心配して連絡をくれた乳母夫婦の家で厄介になり、平民として生活していく為に必要な家事と知恵を学ぶことにした。
市井の生活に早く慣れなければいけないし、仕事を見つける必要もあった。
乳母夫婦は、わたし共の養女にならないかと声をかけてくれたが、この家には同じ年頃の子がいる、それだけでも大変だろうと思い、クレアは断った。
(その気持ちが嬉しい。それだけで十分です。)
クレアは乳母夫婦への感謝を忘れぬ様にしようと、心に誓った。
やがてひと通り身の回りの事が出来るようになった頃に、辺境騎士団がメイドを募集している事を知った。乳母が心配して止めるのも聞かずに応募したところ、運良く採用になり、クレアは意気揚々と辺境へと旅立ったのである。
乳母達の住む王都からは馬車で2週間もかかるため、乳母夫婦は青ざめたが、「ここを実家と思っていつでも帰ってきてくだされば良いのですよ。」と、別れ際に涙交じりにそう言った。
「ありがとう、マーサ!わたし、頑張るわ。ひと通りなんでも出来ますもの。それにあちらで見初められるかもしれないでしょう?」
「お嬢様っ!やはり一緒に暮らしましょう!お嬢様お一人くらい、なんとでもなりますから。」
涙で顔がくしゃくしゃになった乳母のマーサに、クレアはにっこり微笑んだ。
「素敵な旦那様と可愛い子どもを連れて、いつか里帰りするのを楽しみにしていてちょうだい。」
そう言ったものの、実はまだ里帰りどころか、結婚も実現していないクレアである。
涙の別れから8年。未だに結婚もせず行き遅れと言われる年齢に差し掛かってきたが、クレアはそんな事は全く気にせず、今も騎士団のメイドを務めている。
クレアは、この辺境の地での暮らしが案外気に入っているのだ。
*
辺境騎士団は荒くれ者が多いと聞いていた。
生きるか死ぬかの瀬戸際にいる騎士達にとって、清潔で安心して眠れる寝床と、美味しい食事は何よりの生きる糧になる。だからそれらが満たされないと、彼らは苛立って怒鳴ったりする事もあるが、実際に仕事をしてみると意外と居心地が良いことに、クレアは気がついた。
勤め始めた頃は、若くて世間知らずで、何をするにも手間取り気が利かないクレアは、先輩メイド達から叱られてばかりだったが、そういう時に優しく声をかけてくれるのは年配の騎士達だった。
「まだ子どもなのに、クレアはよくやってるよ。泣くなよ。」と頭を撫でて菓子をくれる騎士に
(本当は成人しているのだけど)とも言えず、素直に受け取った。
亡き両親を思い出してひとりで泣いた夜も数え切れないが、クレアには目的があるのでなんとか頑張ってきた。
そして、ようやく騎士団が自分の居場所だと胸を張れるようになったのである。
騎士団員達は24歳になり行き遅れた自分を、揶揄ったり蔑む事なくその仕事ぶりを評価して「仲間」だと認めてくれている。必要以上にクレアの事情に構ってこないのもありがたい。
このままこの場所で、老後の余生のような人生を過ごすのも悪くないと思っているクレアは、結婚はとうに諦めていた。
家が没落する前には、クレアにも人並みに婚約者がいた。
両親の事故死のあと、婚約者の父に爵位や領地の相談をしたところ、親身になって手続きをしてくれた。ところがその後すぐに、話し合いもなく一方的に婚約解消を告げられたのである。
悲しいとか悔しいとか感じる前に、クレアは生きていくことを考えねばならなかったので、正直なところ婚約者のことはどうでも良かった。結局、貴族では無くなったことで、婚約するメリットも無くなったのだなと理解した。
貴族社会ではそれは仕方ない事、と納得する分別を持っていたクレアは、婚約者への未練はさらさら無かったのである。
今はもう顔すら思い出せない。
そもそも、婚約期間中だって顔を合わせたのは子どもの頃の数回だけなのだから、顔を思い出せなくても当然かもしれない。
「さあ、今日もいい天気ね。良い一日になりますように。」
クレアは鶏小屋から産みたての卵を拾いカゴに入れ、足取り軽く厨房に向かった。
*
寝起きの騎士達がゾロゾロと食堂に集まってくる。
それぞれ配膳口からトレイを受け取ると、適当な席に座って食べ始める。
「おはよう、クレア。」
副団長のショーンがクレアに声をかけた。
ショーンは28歳の堂々たる体躯の男で、髭面のせいもあってクレアと並ぶと熊のように見える。彼は独身なので寮住まい、食事を何より楽しみにしている。
「ショーン様、おはようございます。今日はショーン様のお好きなベーコンがたっぷり入ったスクランブルエッグですよ。」
「お!やった。大好物だよ。
ところでクレア、食堂が一段落したら、団長室へ来てくれ。団長から連絡事項がある。」
「承知いたしました。ソフィも連れて行った方がよろしいでしょうか?」
「いや、一人で来てくれ。大事な話だからな。」
(ソフィには聞かせられないという事ね。一体どういった話なのかしら。)
そんな事より食堂は大賑わい、クレアは騎士の朝食という前線に復帰することにした。
お読みいただきありがとうございます。
一話を、さくさく読める長さになるよう(どうしても長くなりがちなので)心掛けます。