9 ブンカの、スイタイ?
お母さんから言われたことはともかく、僕はシンイチと会いたかったし、シンイチと遊びたかった。
数日間考えた末、シンイチと遊べる日、美桜がレッスンをお願いして、シンイチがOKしたらレッスンしてもらうつもりで、お母さんに相談した。
勇気を出して電話するとシンイチが出た。約束は明日になった。美桜のレッスンをお願いできるかも聞いてみたら、
「僕もまた聴きたいと思ってた」
という返事が返ってきた。側で聞いていた美桜の喜びときたら……。
美桜はその後また練習をしに行った。お母さんが喜ぶのがわかる。お昼は早めに家で食べてから来ると言っていた。
翌日、一時すぎにチャイムが鳴った。
シンイチの私服は、いつかのコンサートで感じたように、中学生のように大人っぽく感じた。シンイチは学年一背が高いのは間違いない。また伸びたみたいだ。
「何センチになった?」
「わからない。膝とか肘とか、あちこちいたいよ」
「あ~わかる。どうぞ」
「お邪魔します。これ、母からです。どうぞ」
シンイチは、紙袋をお母さんに渡した。
「まあまあ、すみません。美桜のことも、ありがとうございます。シンイチくんのおかげで、頑張っているんですよ」
「僕も楽しみにしていました。早速聴かせていただいても?」
美桜は緊張していた。お母さんはビデオ係、僕もシンイチのレッスンを聴かせてもらうことにした。
「美桜ちゃん、皆に頑張ってるって言われるってすごいね。美桜ちゃんは、自分でできることが増えたと感じる?どんな曲が弾きたいとか、こういうふうになりたいとかある?」
「うん、すごく練習が楽しくなった!すぐにはできないんだけど、その分、できた時が楽しいっていうか!」
シンイチは優しく頷いた。
「あとね、音符は下から数えないとわからなかったのが、いちいち数えなくても何となくわかるようになったの!」
「すごいね!大進歩だ!」
シンイチは心から嬉しそうだった。
「クラシックの有名な曲とか、スゴーイ!って言われるような曲とか、弾けるようになりたい!」
シンイチは頷きながら考えていた。
「自分の考えていることが言えていいことだね。じゃあさ……」
シンイチはピアノの椅子に座って、何かの曲を弾いた。聴いたことがある。すごく有名な曲だ。でも、なんだかバラバラで、煩くて、いやな感じがした。
「この曲は、聴いたことある?」
「ある!でも題名は知らない」
「知らなくてもいいよ。じゃ、さっきの曲、いい演奏だったかな?」
シンイチは意地悪そうに聞いた。
「え……」
美桜は困っていた。
「正直に言って?」
「あの、なんか、下手、かも?」
「じゃあ、これは?」
シンイチは、さっきと同じ曲をもう一度弾いた。今度は間違いなく上手い!美桜も顔を輝かせた。
「すごく上手!」
「ありがとう。同じ曲だけど、何が違うのかな?」
「え~、全然ちがう。ちがいすぎる。私も上手に弾きたい」
「それ。こう弾きたい、という気持ちを持ってね。それから、僕が言うことを聞いて真似するだけでなく、何が違うのか、どうしたらそうなるのか、考えて。だんだん質問は難しくしていくからね」
「はい!」
すごい。甘ったれでワガママな美桜が、素直にシンイチの言うことを聞いている。
「今はどの曲?次のレッスンはいつ?」
「バイエル60、61、62です!次のレッスンまで、あと4日です!」
「わかった。ヘ音記号はわかる?」
「ヘ音記号が出てくる、っていうのは聞きました。読み方も教えてもらいました。でもまだ、すぐに読めません」
「正直に教えてくれてありがとう。今日はヘ音記号を中心に頑張ろう」
「はい!」
美桜とお母さんが頑張っているとはいえ、毎日喧嘩しながら練習していることに辟易していたから、僕はとても気分が良かった。僕は自分の勉強道具を持ってきて、リビングのテーブルで進めた。
「まず61番ね。見ながら聞いてて」
シンイチは、楽譜の音符を差しながら、ゆっくりと歌った。最後まで終わり、今度は少し速いスピードで歌った。
「右手にスラーがついているね。このスラーが一息に歌えるような速さで弾くんだよ?」
「そんなに速く弾けないよ?」
「まだ弾けなくてもいい。でも、本当はどんな速さの曲なのかをわかったうえで、ゆっくり練習して、慣れたらだんだん速く弾けるようにするんだよ」
「ふうん?」
「でも、すぐに弾けると思うよ。手を置いてごらん?」
「姿勢もいい。手の形もいい。よく練習しているんだね。前回より安定している。覚えててくれたの?」
美桜はとても気分が良さそうだった。そして、実際にすぐに弾けるようになった。
60番は、右手も左手もすらすら歌えるようにして、シンイチが右手を歌い、美桜が左手を歌う。美桜が右手を歌い、シンイチが左手を歌う、ということをしていた。これは、相当苦戦していたが、ついに歌うことができた。
「お疲れ様。後は夕方、帰る前にもう一度見るから、休憩したり遊んだりして」
「はい!」
「ありがとうございました」
お母さんが言った。僕も、
「ありがとう。シンイチのレッスン聴くの、楽しい」
と言った。
「こちらこそ。僕も楽しいよ」
シンイチと一緒に二階の僕の部屋に行って、読んだ本の話をしたり、ボードゲームをして遊んだ。美桜は、少ししてからまた練習をしていた。
「美桜ちゃん、すごく進んだね」
「絶対シンイチのおかげだよ。普段のレッスンは30分だし、何年間も習ってたのに、この3ヶ月がすごすぎるよ」
「僕のおかげなんて……弾くのは本人だから……」
「シンイチは、お母さんに教えてもらってるって、そんなに上手いのに、何を教わるの?」
「お母さんは……指導者よりも生徒が上手になるように育てるんだって。そうでなければ、文化が衰退するからって。お母さんの子供の頃より、今の僕の方が上手いって言ってくれるけど、それはあたりまえだって。お母さんが良いと思った教育をしているからだし、僕が素直に吸収する時期に基礎は身につけさせたからって。だから、もうすぐお母さんじゃない人に教えてもらうかもしれない。お母さん、普段は煩いんだけど、お母さんとのピアノの時間は好きなのにな……」
想像以上の話だった。
文化の、衰退……。
シンイチが大人っぽい理由がわかったような気がした。




