パラライザー”麻痺” 9
しかし彼女のほほえましい態度とは裏腹に、彼女と不良生徒たちの対立は深刻なレベルに達していた。件の事件の後、彼らの関係はこじれにこじれていた。元々学年で幅を利かせてきた連中である。女子にぶちのめされていい気分がしているわけがない。早く夏子を襲ってもとの地位を手に入れたいというのが本音だった。それが叶わなかったのは、皮肉なことに猫殺しのおかげだった。
猫殺しの凶行が発覚したのは、彼らの事件があってすぐのことだった。不良たちはすぐに夏子をなんとかしたかったが、状況がそれを許さなかった。PTAの発案で、有志の人間が集まって見廻り隊が結成されていたためだった。通学路から歓楽街まではっきりとでもそれとなくでも学生を気にする人が増加し、これによって生徒たちは遅くまでの外出などができなくなり、襲撃などはまったく自殺行為になっていた。
学校が夏季休業でなければ暴力行為まではいかなくとも、恫喝ぐらいはできて、それがガス抜きになっていたのかもしれない。しかし学校はやっていない。夏子の家を知っている者もいなかったから、そちらへ行くこともできない。
八月八日。ようやく彼らは夏期講習に出向いていた仲間の一人を迎えに行ったさいに夏子を見つけ、今日の午後に近くの公園に来いと言った。そこは誰も来ない公園だった。近くに団地があったが、団地のすぐ近くに大きな公園があったため、平日も休日も散歩する老人ぐらいしか見かけなかった。
夏子もよせばいいのにのこのこと公園まで出向き、殴り合いになった。多対一の殴り合いだったが、結果が出る前に、近くを通りがかった警察官に止められてしまった。
優勢劣勢もわからなかったが、彼らはこれに手ごたえを感じたらしい。しばらくするとまた夏子を呼び出した。今度は邪魔の入らない場所で。
警察は二十日ほど裏山に滞在していたが、それ以降は警察署に帰って、時折新しい発見がないか見に来るだけになっていた。裏山のフェンスの前には進入禁止のテープが張られていたが、あちらへ行ってはいけないようにしているというよりも、向こう側からなにかがこないようせき止めているようにも見えた。
教師はたまたまその様子を見た。裏山から下山した教師はフェンス際まで来たところで人影を認め、藪に隠れて様子を窺った。
「これだけいればなんとかなんべ」
彼らの一人が言った。
「あいつ遅えな。来ないつもりじゃないだろうな」
と、別の一人が言った。
「くるだろ。前だってきたんだから」
とまた別の一人が返した。
彼らは六人ほどいた。三人は教師の知っている顔だった。夏子と諍いになったグループの子たちだ。しかし残りの三人は知らなかった。学ラン姿で、明らかに他の子たちよりも大きく、顔も大人びていた。
と、言うよりも、実際に大人なのだ。彼らは地元の高校生だった。彼らは中学生たちのうしろで三人で固まっていた。一人はロングヘア―でガタイがよく、なにか格闘技でもやっているようだった。一人は細身で、卑屈そうな顔をしていて、最後の一人はソフトモヒカンの強面だが、背は低かった。
地元では札付きの不良として名の通っている三人組だった。夏枯にいる貧相なやくざとも親交があって、三人とも下っ端になることがあらかじめ決まっていた。三人はやくざが半グレをうまくつかっているのと同じで、中学生どもを従えて、とりかえしのつかない悪さをさせるのが好きだった。彼らは夏子のことを知っていた。中学生たちから聞いて、味を見てもいいと考えていた。
「まじで美人なんだろうな」
高校生のうち一人が言った。
「えっと、はい」一方で彼らは高校生たちを喧嘩を助けてくれるお兄さんぐらいにしか思っていなかった。重大な齟齬だったが、中学生たちは気づいていなかった。
「美人て言っても12だか13だかのガキだろ? やべえ、俺らロリコンじゃね?」
ひょろい不良が言った。
「発育がよけりゃ関係ねーよ芳光。だってお前、タッパの低い女子大生なら興奮してもロリコンじゃねーかっていったら、そりゃ違うだろ」
強面の不良が言って、不良たち三にんはくつくつと笑った。
――こいつら、あの子を襲うつもりだ。喧嘩だなんて考えちゃいないんだ。
教師は思った。どうしよう、ここから出て、あの子たちを止めないといけない。教師は迷っていた。すべきこともやりかたもわかっていたが、そうできなかった。その勇気がなかった。タガが外れていることの羨ましさを思った。
川瀬夏子は、校門のほうから歩いてやってきた。手に金属バットを持ち、不機嫌そうな顔をしていた。服装は前に見たときと似ていて、薄緑色のパーカーを羽織って、幾何学模様の柄のはいったシャツを中に着ていた。うごきやすいように下はナイキのジャージだった。
中学生たちは遠くから彼女の姿を確認して、高校生たちに、「来ました」「じゃあそこに隠れててください」と言った。金属バットを持って登場した川瀬夏子に、少し不安な気持ちを持っている様子だった。
喧嘩に作法などというものはない。開始の合図も、なにもない。然るべきときに、然るべき場所にいるのならそれですべては整っている。今回もそうだった。三人と相対して、夏子は逆手に持っていたバットを持ち替えた。
夏子も、はじめのうちは頑張っていた。
ロン毛の不良が後ろからバットを奪おうとするのを、夏子は体を捻って避けた。これだってそうそうできることじゃない。けれど次の蹴りは避けられなかった。夏子は腰の上の辺りに蹴りをいれられ、地面に倒れた。もともと夏子は体格こそ大きかったが、体が成長についていけておらず、体自体は虚弱な方だったのだ。近寄ってきたロン毛のあげた足へ、攻撃と悟られないよう足を出した。「おっと……ぉ」足の表が夏子の足に引っかかり、ロン毛の動きが止めた。そこを夏子は金属バットを振り回した。これは、腿の裏で受け止められ、少しも効かなかった。ロン毛は笑っていた。夏子はロン毛にくるぶしを踏みにじられた。ジャージの布ぐらいじゃまったく防げない衝撃が足に伝わってきて夏子は顔をしかめた。前から近づいてきていた中学生たちが夏子につかみかかった。夏子は中学生たちにも対処しないといけなかった。
複数人を相手にするときは、絶対に囲まれてはいけない。人数差を覆すのが難しいのは誰だってわかっていることだし、手や足を背中の方向に動かすのがどんなに不可能かも誰だって知っている。
夏子もはじめのうちは頑張っていた。服や手首をつかもうとしてくるのを、指を捻り上げたりひっかいたりして防ぎ、短いストロークで骨の出っ張った部分をたたき、できるだけダメージを与えようとした。でもダメだった。力の差のあるせいで無理やり手をほどいたりするのが難しいので、一度抑え込まれればそこから逃れることはできず、そう何本もの手や足を相手にすることはできなかった。
まずバットが奪われた。グリップに布が貼られているため持ち手の方が圧倒的に力で有利なのであるが、それでも奪われた。ロン毛は夏子からバットを奪うと、一歩下がってあとは仲間たちにやらせた。夏子はこのときは掴まれていた腕をねじり、脱出して中学生の一人を殴りつけた。しかしがむしゃらで動作に勢いが足りず、あまり効果はなかった。
夏子は今度は高校生に腕をつかまれ、がら空きになった腹や肩をなんども殴られた。唾を吐きかけると、目の上を殴られた。目の上を殴られたとき、眉の下の皮膚が破れ、夏子の頭の中に星が舞った。「おい!」とロン毛が言った。「顔はやめろよ……萎えるだろ」はじめは遠慮がちで、夏子に恐れのようなものを抱いていた中学生たちも、夏子が高校生にまったく歯が立たないとみるや、喜々として暴力に参加し始めた。
高校生たちにとって、これは喧嘩などではなかった。ただ弱い動物を狩っている……そんな風にさえいえないような、ただの娯楽だった。
掌を蹴りに差し出したとき、人差し指が蹴りぬかれ、手の甲まで無理やり曲げられた。「ぐ……」と夏子が呻いた。これはチャンスだった。夏子はこういうチャンスを逃すほど愚かではなかった。相手は思わぬ成果に驚き、重心が傾いていた。夏子は中指を突き出した拳で相手の脛を打った。相手は痛がった。痛がってはいたが、それ以上ではなかった。夏子は鼻を蹴られ、後頭部を地面へしたたかに打ち、昏倒した。
教師はそれをすべて見ていた。夏子が殴られ、殴り返せず、その動きが鈍くなるうちに、教師の呼吸はひどく乱れていった。
ロン毛がにやつきながら夏子の腹の上に乗り、その頬を撫ぜた。ロン毛は夏子のパーカーのジッパーをしめた。尻をほんの少しうかせ、すこしずつ。そして同じ要領でパーカーとシャツをまくり上げた。
「な」と中学生が言った。夏子はこのとき高校生たちに見下ろされる形になり、その一歩離れた位置に中学生たちがいた。「なにするんですか?」
「いいことだよ」ロン毛が振り返って言った。「お前たちもやるか? 早めに体験しておいた方がいいぞ」
ちょうどいいじゃねえか、いまやっちまえよ、と残り二人も口を揃えて言った。
中学生たちはまたの下で指をもじもじとさせた。
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