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THEM-正体不明-  作者: 柏木祥子
8/11

パラライザー”麻痺” 8

 七月三十日になった。この日はこの時期としてもあり得ないほど日が照っていて、八月の真っ盛りとそう変わらないという話だった。路上から蒸発した水によってそこらじゅうに靄がかかり、まるで悪夢を歩くようだった。その日教師は、補習授業のために、朝早くから隣町の高校へ足を運んでいた。中学校周辺はどうにも安心して授業を受けてもらえる環境がつくれそうにないので、どこかなるべく近く安心できそうなところで授業ができるよう探した結果だった。


――私の生徒にはもったいない気もするけれど


 その学校は当時としては最新設備を投入した、有名私立高校だった。床は全面リノリウムで、廊下にはモニタが張り出してあった。モニタを見れば、いつでも誰かが特別授業をやっているのがわかった。下駄箱から正面に、かつてミッションスクールだった名残りのマリア像が置かれていた。裏にチェーンのかかった階段があったので、どこに続いているのか聞いてみると、時計塔につながっているということだった。

 明らかにつりあってないな、というのは、プラスティックでつくられた、椅子と机が一緒になった席を見ただけでそう思った。生徒たちはみんな品があって、廊下を歩いているだけで声をかけられ、励ましの言葉までもらってしまった。受け持ちの生徒たちは、物珍しさにはしゃいでるぐらいの感じで、席をわざわざしゃがんで確かめたりしていた。リノリウムの床が珍しいのか、廊下を走り回り、悪戯しようとするのをとめなければならなかった。


 惨めな気分になって、教師はもしかすると、自分はこの高校が嫌いかもしれない、と考えた。こんなもの自分が働いてる立場じゃなければ意味がないんだ。


 教師の授業は、成績が不振だったもの向けで、生徒は十五人ほどだった。自分が教えたことのない生徒も混じっていたが、進行は同じぐらいだったのでそこは問題なかった。問題は全員が成績不振であることぐらいだった。真面目に聞いているのは三分の一もいない。あとは全員、私語をしたりノートになにか書いていたり寝ていたりするだけだ。


 わざわざ一番前に座って、目の前でどうどうと私語をする生徒がいた。

 彼らは都市伝説やなにかについてのトンデモ系雑誌を片手に持って、猫殺しの話をしていた。教師もその号を持っていた。猫殺しの殺しの手段について書いていた。


   どうやって殺すにせよ、それが電撃によってであることは明らかだ。体は内部  から破裂し

  ている。体内に爆弾をいれて爆破したという説は、そこに火薬の痕跡が見られなかったことから

  あり得ないと推測される。また中で頑丈な風船を膨らませたというのも、やけどの跡などから否

  定される。

   ではどうやって殺したのかとすれば、やはり電撃なのである。強烈な電気は熱を生み、体内の

  水分を蒸発させる。コンクリートの柱が熱せられると、なかの気泡が膨らんで破裂するのと同じ

  原理だ。しかし、コンクリートが”破裂”すると言っているように、それは爆発ではない。特に

  あの猫の死体は背中を垂直に爆裂している。この現象は、そんじょそこらの電撃では不可能だ。

  雷よりも強い威力の電気を数秒間継続して流す必要がある。

   そんなことがどうやって可能だろうか? 筆者はじっさいにその犯人が出入りしたという裏山

  のフェンスを遠くから捉えて見たが、フェンスの入り口は人一人分の大きさしかない。仮に猫を

  一瞬で爆裂させられるほどの電気を発生させられるとしても、それはかなりのサイズになるはず

  だ。だがそのような装置を発見したという情報はない。裏山には電柱どころか電波塔の一本もな

  いから、それを利用することもできない。アカマツに血が飛び散っていることから、外から死体

  を持ってきた可能性も薄い。

   あり得るとすれば、電撃を発生させた装置はまだ山の中にあり、それは隠されている。もう一

  つは、犯人は毎回装置を持ち帰っている。後者の説を採用するとすると、一つの犯人像が浮かび

  上がる。


 その後その記事のライターは犯人について、なんらかの電気装置を開発している業者に勤める人物なのではとし、あのフェンスの入り口を通せるほど小型の電力装置を発明し、その試運転をしているのではないかと書いていた。他にも何人かのライターがこれに続く形でいくつかの説を出していたが、やれ美術学部の学生がふざけてやっただとか、地元の不良がトラックのバッテリーにつないだだとか、くだらないことばかり書いてあったのを憶えている。

 興味深いことも書いてあった。

 その雑誌は動機の考察も行っていて、こちらもいろいろな記者が思い思いの考察をしていた。そのほとんどがやはり他愛もない、誰でも想像のつくようなことばかりだったが、こちらのほうが教師の目を引いた。特に一つ、最後の一つの説が。


   猫殺しは監視者を殺すことを意味している。猫はひそやかにこちらを見ている。人が来れば隠

  れ、死ぬときはどこかへふらりと姿を消す。自意識過剰で人の目を気にする手合いの人間は、じ

  っさいにこちらを見ているわけではない人の目に対し、真実こちらを窺う目として、猫にその役

  割を転嫁するのである。猫を殺すものは秘密を持っている。その秘密は、猫を殺しさえすれば内

  側にとどめておくことができるのである。あれは猫の廃棄場であると同時に秘密の墓場なのだ。


「存在しない誰かの目を猫に転嫁する……ね」


 しかし生徒たちはその説……というより、動機自体にさほどの興味がないのか、そのあたりのことよりも、猫を殺した方法について話していた。


 話は飛び飛びで、なぜなら教師自身ちゃんと聞こうとしていたわけではないからだが、生徒たちは、おおむね記事の中の説を反復することで会話していた。電気を生み出す装置はどうやってあそこまで運んだのか、電気はどうやって作られたのか、フェンスを越えて運ぶことは可能か、そもそも電撃で本当に猫を爆裂させられるのか。


「《《科学的にあり得ない》》」と一人の生徒が言ったのが、教師に強い印象を与えた。《《科学的、に? 科学的に、だって?》》 教師はその発言になぜだかひどくいらだった。科学なんて、どうせほとんど興味ないくせに、理科の補習に来ているくせに。こういうときにだけ将来科学者になりたいんですみたいな顔して話しているのだ。教師は今、あの日理科室で紙を投げ、ノートを引きちぎった夏子も気持ちがよくわかる気がした。自分の居場所はここじゃないという、強烈な違和感。狭い箱に押し込められる窮屈さ。肥溜めに漬かる肌の痛痒。


 それはシンパシーだけの問題ではなかった。高校の校門に、肩掛けの鞄を持った私服の夏子が、実際に立っていた。


 夏子は普段はそのまま流している黒い髪を、後ろで一まとめにしていた。流石に少し幼顔ではあるものの、校門を出入りする高校生たちのなかにあって、違和感がない存在。夏子はローリングストーンズのTシャツに、ミント色の夏用パーカーを羽織っていた。ダボッとしたベージュのカーゴパンツを履いていても、足が長さがわかった。

 でも、なんというか、その……。

――びっくりするぐらい、中学生っぽいな……。

 とはいっても、本当に中学生なのだが、しかし、好きなものだけを着ているような、着られているようなあの感じは、同級生の中にあって大人びたあの少女の風貌としては、特異なほど中学生だった。

――あの子、本当に中学生なんだな……。

 教師は漠然とそう考えた。教師が教科書の説明をしているうちに、夏子はこちらに向かって歩き、校舎の死角に入ってしまった。教師は微生物の説明をどうやってするか考えながら、自分の中にあるもやの一部が晴れていくような感覚に襲われた。が、それはふと入ってきた強い日光によって、元に戻されてしまった。それでも教師の中にはその記憶が残った。

――それにしても、なぜあの子はあそこにいたのかしらん?

 教師の記憶によれば、川瀬夏子は特に補習を受けなければいけないような点数は取っていなかった。それどころか、英語や国語と言った語学系は学年でも屈指の成績で、彼女の担任や担当教員が驚いていたのを憶えている。ならよりうえのクラスの授業を受けに来たのだろうか。午後からの講習はあのときまだだったし、中学校は夏期講習中は私服での通学を認めている。

 いや、違うかな。教師は考えた。もしそうなら、話題に出ているのではないかな。


 教師は教材を片付け、講習の終わり際に再び窓の外を見た。教室に最後まで残っていた生徒からプリントを受け取ると、また明日ねと声をかけ、生徒に続いて教室を出た。教室の鍵を返却し、昇降口の前に来ると、パーカーの前を閉めた川瀬夏子に遭遇した。


 教師はなにか話しかけようとして、言葉に詰まった。夏子もまたなにか思うところがあるのか、黙って教師を見ていた。


「夏期講習、受けに来たの?」


「違います」と夏子はいった。「講習はまだなかでやってます。私はここの図書館に来ました」

「図書館?」


 夏子はこの高校の図書館は一般開放されていて、申請すればだれでも入れるのだと説明した。


「ふうん」教師は気持ちなく言った。「地区センターでは駄目だったの?」


「本がなかったので」夏子はなぜか俯きがちになって言った。「ここにはありました」


 照れてる? もしかして? 教師は思わず、彼女が借りた本が入っているであろう肩掛けの鞄を注視した。その視線に気づいてか、夏子は鞄を肩にかけなおした。「別に、隠しているわけではありませんけど」夏子は言った。「ごめんなさい。さようなら」


 夏子はやや早足になって校門へかけていった。教師はその背中を見送りながら、今度は本のタイトルを聞いてみよう、と考えた。


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