18話 たとえ宇宙が広くても
「ねえ、今から星、見に行かない?」
理解ができなかった。ただ不思議だった。何を言っているんだろう?と純粋に疑問を持った。
たった今留年が決まったばかりで、俺の心の中はぐちゃぐちゃで、それは日向もきっと同じはずだ。それなのにこいつは星を見に行こうと言い放った。
真冬の23時。凍てつく風に、強まる雪。空だって曇ってて星なんて見えるはずもないだろうに。
長い自省と卑屈で淀んだ俺の心と対照的に日向の笑顔はどこまでも透き通っていた。今の彼女の眼であればあるいは星も見えるのかもしれない、そんな風にさえ思えた。星を見ることに何か意味があるとはとても思えないけれど。
俺の心もようやく落ち着いてきた。留年したという大事件でさえ俺の感情を長く揺さぶることはなかったようだ。
「いいよ。行こうか。」
今ここで何をしようと、何もしなかろうと変わることなんて一つもない。であるなら星を見に行くのも悪くないか、と思った。
「でも見に行くって言っても、どこに行くつもり?」
「いい場所知ってるんだ。歩いて行けるところだよ」
そんなやり取りをしながらしっかりと防寒具を着込む。マフラー、手袋、完全装備だ。この辺りは都心部からそれほど離れてはいないものの、大学が多い文教地区であることもあり閑静な街並みだ。そのため夜になると、結構な暗さで空も開けているため意外と星がきれいに見えたりする。
「ほら、早く!ほかの人に場所取られちゃうよ!」
日向が急かしてくる。こんな雪の降る極寒の日に好きこのんで天体観測に興じるのは俺たちくらいなものだろう。とはいえ俺も日向の楽しそうな姿を見ているとさっきまでの陰鬱とした気持ちは薄まり、少しワクワクしてきた。
「急ぐのは良いけど、日向もちゃんと上着の前閉めないと風邪ひくぞ」
「はーい。閉めまーす。じゃあ出発!」
適当な返事が返ってくるが、一応前は閉じたようだからよしとする。
家を出た日向は大学のある方へ向かっていく。俺はその後を寒さに震えながらついていく。
「いい場所って、大学にあるのか?」
「うん。大学の農学部棟の方って山になってるでしょ?あそこの一番上に今は使われていない古い合宿所があってそこならきれいに見えるかなって、」
「かなって、行ったことないのか?」
「まあね!でも大丈夫だよきっと。私たちが星を探してるのと同じように、きっと星も私たちを探してるから」
なんか胸を張って誇らしげに言ってる。
「いやちょっと意味が分からないです。『私たち→星』は成立しても、『星→私たち』は成り立たないだろ。同値な訳がない。ほんとに理系か?だから単位落とすんじゃないか?青チャート買ってやろうか?」
「ひどい…!一応これでも理系だよ!確かに、微積分も、数値解析も、確率論も全部落としたけど…。」
俺も同じ単位全部落としてた。
「ごめん…。俺が間違ってた。これから星を見に行くってのに、理系とか文系とかそんなちっぽけな話じゃないよな。俺たちはみんな太陽系だ…!。」
「壮大だ…。」
そんなくだらない話をしているうちに俺たちは目的地に到着する。大学構内とはいえそれなりに登ってきたため、周辺は開けていて空がとても広い。
気づけば雪はやんで、雲もなくなったようだ。飲み込まれそうになるくらいに暗く深い空に、燦然と輝くいくつもの星々。
「「……」」
合宿所の入り口の階段に座り込んで、俺たちは何も言わずに空を見ていた。息をのむほどに星がきれいだったとか、言葉を失ってしまったとか、そういうことではない。ただ、今この瞬間、この空間に言葉はいらないとそう判断しただけだった。
寒さで耳は真っ赤になって、指先は感覚を失うくらい冷たくなっていても。暗闇があって、星がきれいで、言葉はなくて、でも隣には君がいて。それだけでいいと思った。
感傷に浸っている自分の青臭さや、ほんの少しの気恥ずかしさを自覚はしていた。でも今ぐらいはそんな気持ちの悪い自分を許してやってもいいか、なんて。
「あの星の光は何十億年も前の光で、こんなにおおきな地球は宇宙に無数にある星の一つにすぎなくって、あんなに輝いてる月もいつかはなくなるのかもしれない。そう考えるとさ、私たちってどれだけちっぽけな存在なんだろうね」
日向にしては落ち着いた声だと思った。
「俺たちだけじゃなくて、この社会とか、大学とか、日本とか、それこそ俺の部屋とかも含めて、全部宇宙からしたら誤差みたいなもんなんだろうな」
「そんな、誤差みたいな社会の中でさ、1年や2年の留年なんてあまりにも些細な問題だと思わない?」
そう言って日向は俺に笑いかけてくる。
「確かにそうかもしれないな。でも、俺たちはそんな些細な問題で悩んでしまうくらいにちっぽけな存在な訳だ。」
「ふふっ、それもそうだね」
無為な会話につい笑みがこぼれる。




