第73話 姫君
よ、ようやくメインヒロインが…
フィリアはヒロインじゃないのって意見を頂くこともありますが、彼女はまぁ母親(?)てきなポジションということで…
「千年樹の葉から抽出したお茶でございます」
「ど、どうもお構いなく」
言葉と共にテーブルに置かれた薄緑色の液体から放たれる緑茶を思わせる馨しい香りがシノアの鼻をくすぐった。
口をつけると日本茶を思わせる優しい味が、少しだけ気まずい空気を和らげる。
現在シノアは先ほど助けたエルフの家族の家にやってきていた。
命を救ってもらったのだからせめてお茶だけでもと誘われたため、こうしてテーブルに大人しく座り、お茶をすすっているわけだが…
部屋には凛とした態度で佇むメイドとシノアのみ。
助けた家族は隣の部屋で何やら話し込んでいるようだった。
(なんか話し込んでるなぁ…まずいことしちゃったのかな…)
(別に気にすることないわよ。坊やはいつも通り人助けをしただけ。それをどう受け取るかは助けられた側の問題よ)
シノアが困っている人を見かけたらどうしても助けてしまうという、自身のお人よしな面について反省していると、紅桜が慰め?始めた。
シノアと紅桜はあの決戦の後、魂の契約と呼ばれる特殊な主従関係を結び、魂の一部をお互いで共有し合っている。
この契約のおかげである程度近くにいれば念話で会話することが可能になり、シノアの血で穢れた魂の負担も少しは軽くなる。
(うーん…それはそうなんですけどね…あ、戻ってきましたよ)
直接言葉では表されていないが、言外にシノアを気遣う紅桜。
あの決戦以来、特訓以外ではとてもとてもシノアに優しい紅桜に、その優しさを特訓の時も発揮してほしいな…なんてことをシノアが思っていると、助けたエルフの家族が戻ってきた。
正確にはエルフの家族の娘一人だけが。
「お待たせしました。では、改めて自己紹介をさせていただきます。私はリリィ・メレスギル・アグラエル・アリエルです。助けてくださってありがとうございます」
「い、いえいえそんな。えっと…僕はシノアといいます」
とても丁寧でかしこまった様子のエルフ─リリィに倣うように、慣れない挨拶を交わすシノア。
なにせ人里まで下りてくるのも久方ぶりなのだ。人間との会話など何を話したらいいのかわからなくて当然というものだ。
「ありがとうございます。それでシノアさんはどうしてこの森に?」
「えーっと…」
なぜか、かなり警戒した様子のリリィに、そんなに自分の風体は怪しいのだろうかと少し傷付きながらもここに来た事情を話す。
「蘇りの力…?そんなものがこの森に?いえ、ともかくあなたは失った大切な方にもう一度会うためにこの森に来たのですね?」
「はい、嘘偽りなくすべて真実です」
シノアの真剣な目に少しだけ考え込むリリィ。しかし、次の瞬間には曇り空だった顔を快晴に変え、シノアにその微笑みを向けた。
「よかったあぁ…お父様たちがエルフを奴隷にするために雇われたゴロツキだなんて言うからとても警戒してしまいました…」
「ご、ゴロツキ?」
先ほどまでの警戒が嘘のように緩んだ顔をするリリィに戸惑うシノア。
散々警戒された挙句、突然警戒を解かれたかと思いきや、ゴロツキだと思っていたなんて言われれば、誰しも戸惑うだろう。
ちなみにお父様とは獣に襲われたときにリリィを止めようとしていた美丈夫のことだ。
どこからどう見ても20なりたてにしか見えないのだが、エルフは恋をした瞬間から成長が止まる。母親の見た目も同じような感じだ。
「えっと…その、すみません。最近エルフ狩りをしている人間がいるとのことで里全体が緊張状態だったので…それに森を守護していたはずの聖獣たちが、突然里の者を襲い始めたり…とにかくここ数年の森はどこかおかしいので、いつも以上に外から来たものには警戒をしていたので失礼な対応になってしまいました」
リリィ曰く、人間がエルフを奴隷や娯楽目的で狩っていることが、命を救われたとはいえ一見するとただの人間であるシノアを警戒する理由だったという。
この世界にはシノアが暮らしていた世界とは異なり、一部の国を除いて奴隷が当たり前のように承認されている。
労働力としてはもちろんのこと、愛玩奴隷として扱われるケースもざらにある。
そして、奴隷の中でも最も人気が高いのがエルフである。
魔法に対して人間よりも優れた適性を持ち、なによりその整った顔立ちは愛玩奴隷として不動の人気を誇っている。
しかし、基本的にエルフの奴隷はあり得ない─いや、あり得てはならないのだ。
なぜならば亜人族と人間族との相互不可侵条約、絶対的安全保障条約などいくつもの条約が二つの種族間で結ばれており、エルフは亜人族の中で最も地位が高いとされているからだ。
条約締結の代表としても選ばれるエルフ─森人族が人間の奴隷になるケースは絶対にあってはならないとされている。
つまるところ、エルフの奴隷とは犯罪奴隷のことである。
バカな国の人間が目の前の利益を優先してエルフを狩り、奴隷として売買する。
それが一体どんな結果をもたらすかも知らずに。
(奴隷か…この世界に来てからあまり見る機会はなかったけど、本当にいるんだな…)
そんなことを思いながら目の前に座る美少女─リリィを注視した。
肩まで伸ばした上品な金髪に新緑を思わせる美しい緑玉色の瞳。
まぎれもなく人外の美というにふさわしい外見である。
元の世界の創作物に登場するエルフのように耳も長くなく、限りなく人に近い見た目だが、身に纏うオーラとその外見は人間族にはあり得ないものだ。
こんな自分と歳も変わらぬ少女が奴隷として売られ、人間の欲望のままに弄ばれる。
その場面を想像しただけでシノアの中に黒いモノが湧き出てくる。
「と、ところであなたたちを襲っていたあの獣って…」
「はい、あれが聖獣と呼ばれ、かつては世界樹の守護霊としてあがめられていたのですが─」
シノアは、内面を侵食しようとしていた黒いモノを誤魔化すように、三人を襲っていた獣に
ついて、リリィに問い掛けた。
そしてリリィから聞かされた話はこうである。
聖獣とは常に世界樹と共に生き、世界樹を守護する存在だった。
時には人語を介し人々に知恵を与え、世界樹に連なる種族である森人族の守り神であると同時に崇拝の対象でもあった。
そんな崇高な存在が変化したのはおよそ3年ほど前である。
突然見た目が変化したかと思った次の瞬間には周りの人々を襲い始め、その惨劇により100人近い森人族が命を落とした。
それから聖獣たちはまるで血に飢えた獣のように森を徘徊しては人々を襲うようになった。
かつての叡智を感じさせる瞳には、今はもう獣としての本能しか見受けられない。
どうして突然変化したのか、なぜ3年前に変化は訪れたのか、森人族たちの間で様々な憶測が飛び交う中で、ただ一つだけ確かなことがあった。
このままでは森人族は絶滅してしまうということだ。
リリィから語られる聖獣たちの過去にシノアは何も言えず、ただ静かに耳を傾けることしかできなかった。
長い間人々を守り続けた聖獣の突然の変化の理由など、事情を知らないシノアには予測すらできなかった。
この時彼は知らなかった。聖獣の変化が神々によって行われたことなど。
まして、それが自分自身のせいなどとは微塵も思っていなかった。
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