第26話 授けられた得物
シノアがカウンターに辿り着くと20代前半といったところの女性の受付がにこやかに微笑みかけてきた。
「いらっしゃいませ。ようこそ冒険者ギルドへ。依頼の作成ですか?」
「いえ…冒険者登録をしたいんですが…」
「ぼ、冒険者登録ですか?」
シノアの言葉に目を見開き驚く受付嬢。戦闘能力など皆無に見える、か弱い少女じみた少年が常に命の危機に晒される冒険者になるなど、正気の沙汰ではないと思ってしまうのも仕方ないかもしれない。
「だ、代理の方でしょうか?冒険者登録は代理の方では行えないことになっておりますので…」
「い、いえ!僕が登録します、本人です!」
その言葉にますます困惑する受付嬢。未成年と断りたかったが、先程男達に酒を勧められていたことを考慮し成人であると判断済みだ。
どうしようか迷っていると食堂のおばちゃん感溢れる女性が助け舟を出した。
「どうしたんだい?なにか困り事かい?」
「あ、先輩!実はこちらの方が冒険者登録したいと…」
「冒険者?登録してやったらいいじゃないかい」
「いえ…その…お世辞にも強そうに見えないので」
耳元で呟いているつもりなのだろうがその声はシノアの耳に完璧に届いている。
思わず苦笑いを浮かべるシノア。
「おや?あんた昨日の坊やじゃないかい!」
「え?あ、どうも…昨日はお騒がせしました…」
自分の先輩とシノアが知り合いだったことに驚く受付嬢。
「え?あの、お知り合いですか?」
「あぁ、あんたは昨日休みだったからね。この子はねえ強いんだよ?」
「い、いえ…そんな…」
貫禄のあるおばちゃん受付嬢の言葉に頬をかくシノア。
そんなシノアに訝しんだ視線を送る受付嬢。だが、先輩の知り合いとあっては断ることは出来ない。渋々ながら登録を進める。
「…では、登録の手順を説明させていただきます。まず、手帳をお渡しします」
受付嬢から冒険者の証である手帳を受け取り感無量になるシノア。
そんなシノアを諌める受付嬢。
「それ自体は今のままでは何の証明書にもなりません。別室にてステータスをチェックさせていただき、問題がなければランクを刻印しますので」
「あの、ランクが上がったらどうなるんでしょうか?」
冒険者になりかけだというのにもうランクを上げることを考えているシノアに若干呆れた視線を送る受付嬢だが、質問には答えなければいけないため答える。
「ランクは魔法で刻印されます。ランク昇格試験に合格した際に再び刻印して貰えますので」
「なるほど…ありがとうございます」
納得した様子のシノアの腕をおばちゃん受付嬢が掴む。
「さて、手帳を手に入れたならこっちにおいで。ステータスチェックするよ!」
「あ、は、はい!わかりました」
おばちゃん受付嬢に連行されていくシノア。そんな彼を酒場にいる男達は手を振り見送る。
(どうしてこんなに知り合いが多いの?私が知らないだけで有名な人…?)
シノアの人気ぶりに思わずそんなことを思う受付嬢。だが、その思考が煮詰まる前にシノアとおばちゃん受付嬢は戻ってきた。
「あ、おかえりなさい。どうでした?」
「あぁ、ばっちりだったよ。ゾイルを軽く捻るだけのことはあるよ」
「お、お恥ずかしい限りです…」
おばちゃん受付嬢の言葉に少し縮こまるシノア。
「ってことは合格ってことですか?」
「あぁ、もちろんさ。ランクの刻印してやっておくれ」
その言葉に受付嬢は頷き、カウンターの下から羽根ペンのようなものを取り出した。
「あの…これは?」
「刻印用の魔導具です。血を一滴頂いてもいいですか?」
筆ペンのような魔導具を握った受付嬢にされるがままになるシノア。
指先に少し痛みを感じたと思った次の瞬間、魔導具が光りを放ちシノアの手帳へと飛んでいく。
魔導具はさらさらと何かを書き上げると再び受付嬢の手に戻り、大人しくなった。
「どうぞ、冒険者手帳です。登録おめでとうございます」
受付嬢から手渡された手帳には
冒険者登録ギルド:アルゴネア
冒険者名:シノア
ランク:F
ステータス:不明
と簡素なものが表示されていた。
「あの…このステータス不明というのは…?」
「あぁ、先輩からステータスは載せなくていいと言われたので」
受付嬢の言葉にシノアがおばちゃん受付嬢の方を見るとにこやかな笑顔でサムズアップしていた。
「ランクが低いのにあんなステータスだと怪しまれるからね。ランクが上がったら載せたらいいさ」
その言葉に気を利かせてくれたのだと悟るシノア。
「それでは依頼の受け方について説明しますね」
シノアが納得したことを確認すると依頼について説明をはじめる受付嬢。
「まず、依頼は基本的に自分のランクと同じものしか受けることが出来ま─」
「待て」
受付嬢の言葉をカウンターの奥から響いたハスキーボイスが遮る。
聞き覚えのある声にシノアが声を上げる。
「その声はヴァルハザクさんですか?」
「うむ。そうだ」
問いかけを肯定しながら姿を現したのは昨日シノアと剣戟を交わした男、ヴァルハザクだ。このギルドのマスターであり、現役のハンターでもある。
「ようやく冒険者として踏み出せたようだな」
「はい!ありがとうございます。ギルドの方々が優しく教えてくださったので助かりました」
「まぁそれは当然のこと。強者に従うのは冒険者の基本というものだ」
「強者だなんてそんな…」
ヴァルハザクとシノアが親しそうに言葉を交わしているのを訝しむように見る受付嬢。
そして近くのおばちゃん受付嬢に仔細を尋ねる。
「あの、先輩…ギルマスとあの人って知り合いなんですか?」
「だから言ったじゃないか!昨日ここで暴れたんだよ。あの二人は」
先輩の言葉に信じられないといった表情を浮かべる受付嬢。
ギルドの受付嬢である以上、ある程度有名な冒険者については知識を持っている。
その中でもヴァルハザクは一際異彩を放つ存在だ。
何せ冒険者の最高峰、Sというランクを持っているのだ。その名は知れ渡っており、冒険者ならば言わずもがな、冒険者でなくとも一度は耳にした事があるほど有名である。
勿論実力も折り紙付きであり、並の冒険者では立ち会いもまともに行えないだろう。
そんな存在と暴れた、などと俄には信じ難い。だが、ヴァルハザクと親しげに話していることや厳つい冒険者達がシノアには謙っていたことを考えるともしかしたら…と思えてしまう。
そんな受付嬢の心情を他所にヴァルハザクとシノアの会話は盛り上がっていた。
そこで思い出したようにヴァルハザクが告げる。
「そうそう、依頼を受ける前にお前さんにこれをやろう」
そう言うと腰に差していた刀を納刀したままシノアに差し出した。
その刀は昨日シノアが使用したものであり、ヴァルハザクの嘗ての愛刀だ。
「そ、そんな貴重なもの頂けません!」
「そう言うな。冒険者をやめてハンターに衣替えして久しいが…使う機会がないのだ」
そういうとヴァルハザクは刀を少し抜く。
10センチほど抜かれた刀身はまるで鏡のようで、ヴァルハザクの顔を映していた。
「使い手のいない得物ほど哀れなものはない」
そう告げたヴァルハザクの周りはギルド内の喧騒を他所に静寂を作り出している。
「ただ私の元で腐っていくよりは、新進気鋭の若者に託す方がこの子も喜ぶだろう」
そして、再びシノアへ刀を差し出す。
「受け取るがいい。お前さんなら使いこなせるだろう」
ヴァルハザクの持論に一応納得したのか、シノアは渋々といった様子だが恭しく受け取る。
「…ありがとうございます。この武器を使いこなせるように精進します」
「その年でそれだけの腕前ならすぐに俺など超えられるだろうがな」
シノアが受け取ったのを見て上機嫌になるヴァルハザク。そして受付嬢にさらりと、とんでもないことを言い出す。
「おっと、忘れるところだったわ。受付嬢、シノアが受けられる依頼は本来ならFランクのみだな?」
「?はい。ギルドの決まりですから」
何を当然のことを、といった様子で答える受付嬢だったがヴァルハザクから発せられた次の言葉を聞いた瞬間狼狽する。
「そこをBランクまでの依頼を許可してやってくれ」
「はい?!」
受付嬢の同様も無理はないだろうBランクは冒険者の中でも一流と認められる者達だ。その分依頼の難易度は高く命の危険も伴う。そんな危険な依頼を冒険者なりたてのFランクにやらせるなど飢えた狼の群れに全裸で飛び込み、生還しようとするのと同じくらい馬鹿げていると想える。通常ならば。
「そう驚くな。お前さんの目の前にいる弱っちそうな小僧はとんでもなく強いぞ?ワシと闘えるほどにな」
「し、しかし…」
「ギルドマスターの推薦なんだから許可して構わないよ」
ヴァルハザクの言葉に逡巡していた受付嬢だったが、先輩受付嬢の言葉に渋々自分を納得させ、許可することにした。もうど~にでもなれ~、といった心境だったが。
「わかりました…では、お好きな依頼をどうぞ」
依頼がまとめられている台帳を取り出そうとした受付嬢だったがヴァルハザクから待ったの声が掛かる。
「まぁ待て。シノアはひよっこでどれを受けたらいいのかなど分からないだろう」
そのひよっこにベテランの依頼を受ける許可を与えたのはあんただろうとジト目でヴァルハザクを見る受付嬢。
「だから、ワシが選ぼうと思ってな。シノアにちょうどいい依頼をいくつかな」
「は、はぁ…」
ヴァルハザクの言葉になぜか悪寒を覚える受付嬢。とんでもなく嫌な予感が脳裏に押し寄せてくる。
ヴァルハザクは受付嬢から台帳を受け取りパラパラとめくりながら悩む素振りを見せる。
「シノア、手帳を貸せ」
「え?あ、はい」
ヴァルハザクに言われるがまま手帳を渡すシノア。
ヴァルハザクはシノアから手帳を受け取るとさらさらと手帳に何かを書きあげていった。
書き終わると受付嬢に台帳とシノアの手帳を渡す。
「こんなものだろう。承認してやってくれ」
シノアの手帳を受け取った受付嬢はまたもや絶句することとなる。
受注させようとしている内容があまりにえげつないものだったからだ。
Dランク、C-ランク、C+ランク、B-ランクの討伐が19件、採取が4件とどう考えても一日でこなせる量ではなかった。そして内容もなかなかにハードだ。
「…あのギルドマスターってこの子を殺したいわけではないんですよね?」
「ワシが若い頃はこんなもん2.3時間で終わったものだ」
「あなたと普通の人間を一緒にしないでください!」
あまりの無茶っぷりに憤慨する受付嬢だったがギルドマスター自らの命令では逆らえない。渋々シノアに手帳を返し、くれぐれも無茶をしないようにと忠告する。
「そう心配するな。シノアはワシの弟弟子のようなものだ。この程度では傷一つつかんさ」
呑気に言い放つヴァルハザクを横目で睨み、シノアに再度注意する。
「いいですか?絶対に無茶はしないでください。B以上の討伐依頼は本当に危険なんです。死者だって少なからず出ているので…」
「ありがとうございます。慎重に、無茶はしないようにします」
シノアの言葉に受付嬢は頷き、ヴァルハザクに再度確認を取る。
「本当にいいんですか?あんな無茶な依頼ばかり…」
「案ずるな。シノアなら大丈夫だ」
力強く首肯したヴァルハザクはシノアを言葉と共に送り出す。
「たしかに無茶な依頼ばかりだがお前さんならやれるだろう。しっかりやってこいよ」
「はい!ありがとうございます。それでは…」
ヴァルハザクと受付嬢に頭を下げ、シノアはギルドを出て行った。
生まれて初めての一人きりの冒険の始まりだ。




