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おいしい

Ⅶ. 


 二人――と言うかエリスから話を聞いて一段落したところで、セラフィムは用意された紅茶に口を付けた。

 仄かに湯気を上げるそれは少しだけ温くなっていたものの、とても美味しく感じられた。


「……おいしい」


 だから、その感情が言葉として漏れ出たのは無意識で、必然だ。

 セラフィムとしての、ではない。彼女自身の身体は脆弱だ。物心が付いた時には既に清潔で白いだけの部屋に一人ぼっち。

 たまに訪れる看護師は言うに及ばず、叔父だという医師も、どれだけ取り繕おうともこちらへの態度が透けて見える。

 外へ出ることはおろか、ベッドから出ることも難しい彼女が口に出来るのは薄く味気のない少量の病院食と、水か、スポーツ飲料水のようなものだけ。それだって不味くは無いが美味しくもないものだ。

 

 電脳法には幾つかの禁止事項があり、同様に電脳技術には今を持って越えられない壁があった。

 それが、味覚と嗅覚への干渉だ。

 この二つに関しては法と技術力の二つの壁に隔てられいる。

 故に、彼女が心から「美味しい」という感想を抱くのはこれが初めてだった。

 ――だから、だろう。


「――っ! 大丈夫、お姉さま?」

「ふぇ? あれ、やだ、なんで……涙が……?」


 紅茶の入った暖かいティーカップを大事そうに右手で持ったまま、セラフィムの瞳からはぽろぽろと涙の粒が流れ落ちていた。

 突然に涙を流すお姉さまの姿に慌てるエリスを他所に、なぜ自分が泣いているのかわからないセラフィム。

 流れ、伝い落ちた滴がセラフィムの胸に寄りかかって、いつの間にか眠りに落ちていたケレスの頭に当たって弾ける。

 その感触にむずがるようにするケレスを見て、横であたふたとテンパっているエリスを見て。


(嗚呼。嬉しくても涙が出るって、本当なんだ……)


 そんな当たり前のことを当たり前と知らず、けれどそれをこれからは当たり前のように二人の妹共有できるのだろうと希望を抱いて、セラフィムは自然と笑みを浮かべていた。


「エリスの淹れたお茶が美味しくて、感動しちゃった。ごめんね」

「ほ、本当ですの? 不味すぎたとか、どこか痛いとかじゃありませんのね?」


 オロオロと心配するエリスの様子が嬉しくて、ついつい笑みが深まる。

 妹の頭を撫でようとして、しかしエリスの手に絡まったままだと気付く。


「大丈夫、ね? また、淹れてくれる?」


 どうしようかと思いつつ、絡めた手をそのまま己に頬に持っていき、涙を拭った。

 暖かな涙の感触にエリスの小さな手がびくっ、と震え、次いで強く握ってくる。

 それに答えるように優しく握り返すと、エリスはやっと落ち着いた。


「……ええ。何時でもお淹れしますわ。今回は安物でしたので、王都まで脚を伸ばしましょう? ブラド叔父様の言では紅茶は王国、コーヒーは帝国、お酒は連合が美味しいそうですわよ」

「いいね。じゃあ全部周ってみよう。これからはずっと一緒だし、姉妹旅行と洒落込もうか」


 花開くような笑顔でこれからの明るい未来の、一先ずの目標を語る二人。

 そうやって談笑していると、セラフィムの胸元の眠り姫が煩いと抗議するようにもぞもぞと動き出した。


「っと。このままじゃ身体痛めちゃうかな。ゴメンねエリス、ちょっと手を離してもらって良い?」

「ええ。……まったく、お話の最中に眠るなんて、ケレスってば」


 責めるような言葉とは裏腹に、しょうがないなぁ、という風に苦笑するエリス。

 だが、ここで本日で何度目かの策士ケレスの策に瞠目することになる。


「よい、しょ」

「――なっ!」


 背中の中程に手を回し、膝裏へと腕を通して横向きに抱き抱える。

 そう、お姫様抱っこである。

 お姫様抱っこである。

 ケレスがこれを狙ったのかどうかは兎も角、エリスがそんな羨ましい状況を見させられるのは本日だけで既に何度目か。

 普段は子供っぽいくせに妙な所で驚くような策士っぷりを発揮する半身に、エリスの対抗意識が否が応にも燃え盛る。

 これ以上のアドバンテージを半身に取られないためにも、ここで一つ一発逆転の策を練らなければならぬとエリスは黙考する。

 そして、彼女は閃いた。一石で二鳥どころか、上手くいけば更に望める策を。

 ケレスを座っていたソファの向かい側に横たえ、来ているゴシックドレス調の服がシワにならないように整える。気持ち良さそうな寝顔を見せるケレスに、自然とセラフィムは優しく慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 何時までも眺めていられる、と胸裡で確信していると突然エリスに手を捕まれる。


「わ、っと。どうしたのエリス」

「…………」


 問うも、エリスは俯いたまま無言。

 そのまま手を引かれたセラフィムは元の位置まで戻されると、そのままエリスに押し倒された。


「うぇ!? え、なに、どうしたのエリス?」


 全くの無防備なところ奇襲めいた所作で無理矢理押し倒され、セラフィムが困惑しながら問う。

 そんなセラフィムの目には、左右で色の違う瞳を怪しく煌めかせ、頬を上気させたエリスの姿が。


「……お姉さまがいけないのよ? ケレスばかりに良い思いをさせて」


 はぁはぁ、と熱い吐息を溢しながら薄く瞳を細める。

 エリスはケレスが言うように、時々セラフィムに似る。それは唐突にへたれるところもそうだが、キレるとノンブレーキな所が特に。

 今回は、“ソレ”を意識したことで理性の糸が切れたのだが。

 どちらにしろもう止まらない。

 倒れたセラフィムはエリスの奇行に硬直してしまっている。そうでなくても、無理矢理に起き上がってエリスを傷つけたらと考えてしまって動けない。

 そんなことまで織り込み済みなのか、反応がないことに構わず、むしろ幸いとエリスは自分の身体をセラフィムの上に倒し、そっと耳元で囁く。


「……わたしたちね、ずぅっと、誰の血も飲まずに我慢していたの。はじめては、お姉さまが良いから」


 熱っぽくコケティッシュな声色に、セラフィムがびくんと震える。

 怖々とした表情で自分を見るセラフィムに、心外だと、堪らないと、我慢が出来ないと、様々な思いを渦巻かせたエリスは恍惚の表情を浮かべる。

 

「いたいのは、さいしょだけ……。すぐに気持ち良くして、あ・げ・る」


 呟きが耳に届いた刹那、痺れるような快感がセラフィムを襲った。



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