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妹を求めて三千里(覚悟)

Ⅰ. 


 ――前後の記憶が定かではないが。

 彼女がこれは現実ではないと察するのは容易だった。


 ぱちりと開いた薄氷色アイスブルーの瞳を燦々と輝く太陽の光が刺激する。眩しさに思わず目を瞑ってしまうが、それでも手を翳して影を作りながら、再び瞼を押し上げた。

 先程よりマシになった視界には吸い込まれるように青い空が広がっている。視界の端ではぽつぽつりと浮かぶ白い雲がゆっくりと流れていく。

 ざあぁ、と風が吹き、長い暗灰色の髪が頬を撫で、左腰から伸びる歪な片翼の羽毛が左腕を擽る。

 青臭い匂いに混ざって、何処からか微かに甘い匂いが鼻孔を擽った。


「……ぁ、」


 掠れるように小さな声が喉を震わせる。

 視界の端を流れていた雲が何処かへと消える頃になって、少女は漸く上体を起こした。

 そのまま正面を見て、右を見て、左を見る。

 草原、だろうか。そう自問して、何故、と問いを重ねる。

 霞がかった思考が徐々に晴れていく。

 霧が晴れ、鮮明になった思考は先の問いへの解答ではなく、有り得ないという回答を訴える。

 見慣れた光景だ。少女はこの光景を、景色を知っている。よくよく見れば細部に差異を覚えるが、今この状況に対しては些事でしかない。

 少女はこの景色を知っている。見慣れているどころではない。彼女にとって此処は現実以上の場所だ。一日の大半を過ごしている場所なのだから。


『閃律のスペクトラム』


 そう銘打たれたVRMMORPGの中央塔バベルから伸びる草原フィールド。自分が今そこに居るのだとはっきりと確信する。

 この光景は勿論、視界にちらつく暗灰色の長い髪が、動かそうと思えば自由に、思い通りに動く身体が如実にそう告げている。

 だからこそ、有り得ない。

『スペクトラム』は原則として最後にダイブアウトした場所が何処であろうとも、次回ダイブイン時は必ず最後に訪れた街のゲートと決まっている。「冥界」や特定のダンジョンならばその限りではないが、少なくともフィールドへの直接インなど出来ない筈だ。

 いやそれよりもなによりも、


「私は、何時インしたの……?」


 左手を顔に当て、思い出そうとするもののはっきりと思い出せない。

 何時ものようにダイブして、時間一杯まで堪能して、アウトして――。そういう記憶はきちんとある。けれど、今思い出している記憶が何時のものなのかがわからない。

 ぐるぐると回る思考は、やがて視界を侵食する。

 ぐるぐる。ぐるぐるぐるぐる。

 酷い頭痛と眩暈に吐き気さえしてくる。

 

「ーーやめ。いいわ、別に。思い出せないならそれで。かまわないもの」


 大きく深呼吸をして、一切の思考を切り上げ放り捨てる。

 なんであれ、ここが『スペクトラム』であるならばやることは変わらない。

 何時も通り、何時ものように。この世界を楽しむだけだ。

 立ち上がり、メニューを呼び出――せない。

 二度三度とメニューをコールして、


「ああ、そういう」


 ごく自然に、けれど不自然な説得力と共に納得を得た。

 ここは、違うのだな、と。

 

 彼女にとっての現実は残酷だ。

 残り少ない命。決して出ることを許されない白い部屋。

 親も、兄弟も、友達もいない。

 彼女の世界に登場するキャストは片手で足りる。

 叔父だという男性医師と、毎日決まった回数訪れる二人の看護士。

 ああ、なんてことだ。片手でなお余ってしまった。

 ともあれ、少女の世界はかつてこれだけの、少女を含めたこれだけのキャストで回っていた――。

 

 だから、だろう。

 異世界トリップ。

 脱出不可能なデスゲーム。

 なんでも良い。

 ――此処がそうだというなら、私はそれを歓迎する。


 だって、もうあそこにもどらなくてよいのだから。




 あらゆる疑問を放り捨てて、まず何が出来て何が出来ないのかの理解に努めた。

 メニュー画面は呼び出せない。自分で設定したコールアクションも、デフォルトのコールアクションも無反応。

 正直これはとても痛い事実だ。

 メニューを呼び出せないとアイテムボックスを開けない。ステータスが見れない。マップが開けない。フレンドリストが開けない。ギルドホームへの転移も出来ない。およそメニュー画面に依存する全てのアクションが封印されてしまったのだ。

 

 少女には二人のファミリア――自己学習型AI搭載のNPC――が居た。彼女らを呼び出すのもメニュー画面の召喚機能を使わなければならないのだ。少女にはこれが一番堪えた。


 寂しい少女にとって二人は妹のようなものだった。いや、事実妹だったのだ。そのように設定し、少女もそう接してきたし、二人もまた少女を姉として慕っていたのだから。

 その二人を呼び出せない。会えない。何より、ここがゲーム世界なのか、ゲームを土台とした異世界なのか、何れにしても安否がわからない。それが少女をひどく不安にさせた。

 故に、少女の最初の目標は決まる。

 まずは二人を探す。全てはその後だ。


 少女は改めて自分の装備を確認する。リボンと、ドレスと、グリーブと一体のブーツ。そして腕輪。最上位プレイヤーだった少女の本気の装備には程遠い魅せ装備だが、高位の装備であることに違いはない。

 

「――解放〈リリース〉」


 少女のコマンドワードに従い、腕輪の機能が解放される。

 コールリング。通称腕輪。ステータスの補整等といった基本的な機能はない上に、武器分類の籠手以外の腕部装備を装備できないというデメリットもあるが、十二個の武器をストックし必要に応じてノータイムで出し入れし装備変更できるショートカットアイテムだ。

 

 腕輪が一瞬強い輝きを放つと、少女の手には一本の槍が握られていた。

 青い柄と、金色に輝く三ツ又の穂先をしたそれは、三叉戟と呼ばれる武器だ。

 銘を【神器:トリシューラ】。

 少女が所持している武器の中でも最高のレア度と、破格の性能を備えた装備品である。


「何があるかわからないし、念には念を、ね」


 呟き、槍を担ぐと、折り畳んだ片翼を一度打ち鳴らしてから草原を駆け出す。

 宛てなんてない。それでも、進んでいればいづれ何処かへは辿り着く。

 それは度々迷子になる少女が得た教訓であり、およそ絶対の真理である。



 どれほどの距離を走っただろうか。

 気付けば草原地帯を抜け、何故か森の中を進んでいた。

 途中で少なくないモンスターとエンカウントもしたが、少女のカンストした二五五というレベルに変化は無く、加えてモンスターのレベルも既知のそれと大差はなく全てを鎧袖一触に蹴散らすことが出来た。


 暫く進んでいると、何処からか音が聞こえてきた。

 またモンスターかとうんざりしながらも、近づくにつれそれが幾つかの異音を含む戦闘音であることに気付く。

 汚ならしいモンスターの鳴き声。

 爆発音に、金属音。

 ――誰かがモンスターと戦っている。

 少女はとりあえずの目的地を聞こえてくる音の方向へと定め、駆ける足を速めた。


「エリナ、そちちへ二体行きましたぞ!」

「くっ、了解! くそ、数が多い!」

「ええ、どうやら近くに巣があるのでしょうな。運の悪いことに」

「ええまったくね! 近道を提案した誰かさんのせいだわ!」


 声が聞こえてきた。距離はそこまで離れていないようだと察した少女は、事態の早期把握に努めるべく魔眼を発動する。


 魔眼とは、“見ること”で発動するタイプのスキルの総称であり、『スペクトラム』では効果毎に色で識別されていた。少女が使ったのは【魔眼:蒼】。効果は透過千里眼である。


 淡く蒼い輝きを放つ少女の右目に映ったのは、緑色の肌に子供のような矮躯のモンスター、ゴブリンとそれに包囲された二人の人間と擱座した馬車だった。ゴブリンの数は十や二十では利かないような数が見える。


 ゴブリン。大抵のゲームでは雑魚の代名詞トップ3に君臨するようなモンスターだが、『スペクトラム』では厄介なモンスターである。常に群れで行動し、戦闘が始まると仲間を呼び、時間が経てば経つほどに増えていくのである。慢心したプレイヤーが数で圧殺されることも珍しくない嫌らしいモンスターだ。


 渦中の二人がどれほどのレベルかは知らないが、既にゴブリンの数は並みの者たちならパーティを組んでいても捌くのが難しい量に達している。逆説的に、並み以上ならば既に現状を打破している筈だ。つまり、


「まずいわね」


 呟き、繰る脚を止めること無く担いだ槍を構え、穂先で文字を描く。

 それは文字を描き、時に組み合わせることで効果を持つ魔法スキルの一つ、ルーン魔術だ。

 描くのは三つ。速力向上のラド、力のシゲル、加護のティール。


 道中の戦闘でゲームと同じように動けることは既に確認済みである。しかし、それらは獣や虫のようなものばかりであった。たとえモンスターと言えど二足歩行するヒト型を殺すことで動揺する可能性がゼロとは言えない。そして、命のやりとりをする場所で、そんな隙を晒すことはできない。

 故に、ただでさえ高いステータスをブーストし、一気に片を付ける。

 向上した速力のままに、包囲の中に意識が向いて背中を晒している間抜けなゴブリンをまとめて凪ぎ払う!


「な、なに!?」


 突然の乱入者に驚愕する女性の声を無視し、包囲の中、前衛職だろうフルプレートの人物の真横でターン。回転の力を利用して、背後から今まさに襲いかかろうとしていたゴブリンを切り払う。

 勢いを殺さぬように軸足を曲げ、弾丸のように包囲の一角へと突進する。威嚇か、ギャーギャーと煩くわめき立てるのに構わず、突きを連続して繰り出す。【トリシューラ】“の”パッシブスキル【ピナーカ】が発動し、刺突が不可視の矢となり槍の射程から外れている直線上のゴブリンを諸共に射殺いころしていく。


 およそ半数を処理したところでようやく危機を悟ったのか、それともヘイトが溜まったか、フルプレートと女性の二人を無視して残りのゴブリン達が少女に殺到する。

 が、それは遅い。遅すぎる上に、ここでの正答は反撃ではない。

 少女はバックステップの要領で跳躍。飛び上がった彼女にとって眼下で蠢くゴブリンは一塊の的でしかない。


「サウザンドピアース!」


 穂先がブレ、繰り出される一の刺突につき遅れて百が追随する。それを十繰り返せば、そこには千の刺突と、刺突によって放たれた見えぬ千の矢が豪雨となって降り注ぐ。

 数によって他を圧殺するゴブリンを、それを上回る質と更なる数で蹂躙する。必然、逃げられる道理はない。

 少女が地に足を着ける頃には、既に生きているゴブリンは一体もいなかった。


「ふぅ。大丈夫ですか?」


 一つ息を吐き、女性とフルプレートへと声を投げる。

 

「あ、ああ」


 フルプレート――声から男性だろう――が上ずった声で答える。一方、女性は呆然自失と言った有り様だ。

 無理もない。

 自分たちが散々手こずったゴブリンの群れを、突然現れたと思ったら瞬く間に殲滅してしまったのだから。

 しかもそれが、まだ十代中頃のような少女なのだから尚更だ。

 加えてーー


「あ、んっんん。いや、助かった。ありがとう。ところで、質問いいか?」

「はい、なんでしょう」

「君は、有翼種なのか?」


 少女の背には翼があった。正確には腰のあたりから、鳥のような翼が。しかしそれは些か歪だ。本来なら対である筈が、左片翼しか無く、その灰色の翼には葉脈や血管のような赤い筋が幾重にも走っているのだから。


「はい、そうですよ」


 しかし少女はその事実に頓着しない。他者からどう見られようとも、それは彼女の力と強さの証明なのだから。


「あ、申し遅れました。私はセラフィム。セラフィム・ソルフェージュ。迷子の旅人です」


 ニッコリと。つい今しがた凄惨かつ圧倒的な虐殺劇を行った者とは思えないような笑顔で少女はそう名乗った。



次は一週間以内に。

ところで行間空けってこんなもんで良いのかしら?

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