化けの皮
ⅩⅣ.
小さな――薄い――平たい――……そう、慎ましい胸を張ってふんす、と得意顔なケレス。
村人たちのケレスを讃える声がなおのこと彼女を調子つかせるが、その横ではエリスが額に手を当てて呆れたような吐息を溢していた。その表情も眉間にシワの寄ったなんとも言えないものだ。
エリスがチラリとセラフィムの方に視線を向ければ、彼女もまたエリスと同じ感想を抱いていたようで苦笑を返してくる。だが、表情はそのままに唇に人差し指を当てたのを見てエリスも肩を竦めるに止めた。
この村に来るまでの道中、結局ケレスにはあまり活躍の機会がなかった。そのことにやや不満げだったのを知っているだけにエリスも小言を口には出さず、愛しいお姉さまに倣い今回は胸にしまっておくことにした。
「……くっ、くははっ。――くはははははははっ!」
愕然とする兵士。
歓声を上げる村人たち。
得意になっているケレスと、呆れつつも苦笑する姉妹二人。
そんな中に、唐突に音が割れたかのような笑い声が響く。
見れば、己の魔法を防がれた筈の男爵が、腹に手を当て腰を折り曲げて喝采を上げていた。
その顔は喜悦によって歪みに歪み、その音割れした笑い声と合間って酷い嫌悪感を押し付けてくる。
「なんて品の無い笑い方。それでも貴族なのかしら?」
不愉快さに堪らずエリスが吐き捨てるが、男爵は口をより深く弧に曲げ、目を細めるだけだ。
「笑いたいなら他所で思う存分に笑っていれば良いわ。けれど、その前にその馬車の女性たちを解放してからね」
経験から、直感的にまだ何かあると察したセラフィムが大剣を突きつける。
セラフィムは男爵のあの顔を、表情を知っていた。
あれは己の魔法が防がれ戦闘意欲を刺激されたとか、そういう正しい感情のものではない。ましてや、驚愕したとか、驚異を感じたとか、そういう類いのものであるはずもない。
それは喜悦だ。諦めていたものが、探していたものが、求めていたものが、思いもよらぬ場所で、ことで見付かったという歓喜。感情が振り切れ、それを何がなんでも為すという決意によるもの。
知っている。知っているとも。セラフィムはそう言うキ◯ガイを幾度か相手にしたことがあるのだから。
「まさか、マサカ真逆! こんな、こんな所で出逢えるとはっ!」
そう言って己の顔を鷲掴むように左手で覆うと、手指が食い込む程にそのまま顔を握り込む。
グチグチ――、と。人の顔から発せられる筈の無い音が男爵が掴んでいる自身の顔から鳴っている。
何事かと困惑している己の兵たちなど既に意識の外なのだろう。そこには先ほどまで僅かに感じられたヒトらしさはない。
それを察しているからなのか、兵士たちも困惑し動揺しながらも声を発せられない。
そして。
「礼ヲ失しテいた非礼ヲ詫びヨウ。デバッカー……イいや、プレイヤーの方ガ通リが良いカ?」
引き千切るように毟り取られた男爵の顔の皮の下から、ツルリとした楕円系に赤銅色の顔が現れた。
そこには顔と形容するに足る部品が尽く欠けていた。
目も、鼻も、口もない。綺麗に磨いた石を乗せているだけのような、無機質な無貌。
それは凡そ生物とは言い難い異形である。
村人は勿論、彼の護衛だった筈の兵士たちからすら悲鳴が上がる。
それは単に恐ろしいものを見た、という程度のものではない。絶望と恐怖が深い純度でかき混ぜられた、心を鷲掴まれた者の悲観に染まった慟哭だ。
「使徒……しかも第三位階種」
セラフィムが舌打ちする。
多くのゲームがそうであるように、『閃律のスペクトラム』にもグランドクエスト、ストーリークエストと呼ばれるものは存在する。
――世界を創った神は、ヒトが知恵を着けるに従いその世界を失敗だと断じた。
しかし、己を全知全能だと自負する神はその失敗を認めることが出来なかった。
故に、神はその世界を滅ぼすことで無かったことにしようとした。
だがそれに否を唱える者が在った。
それが天使と呼ばれる神の眷属たちだ。
一部の眷属たちは神と、神の意のままに世界を滅ぼそうとする従順な眷属たちとで争うことになった。
けれど戦力差は明らか。反逆した天使たちは地上に降り立ち、ヒト々に共に戦うことを持ちかける。
そうして世界に住まうヒト々と反逆した天使たちは共に神と戦い、世界の存続を勝ち取った。
それでも平穏は一時的なものだ。
神は不滅の存在。死は永続的なものではなく、時と共に薄れる眠りでしかない。
その上、神が一時的にでも不在になったことによって神に従順な眷属たちは機能不全に陥り
、ただただ混沌を膿むだけのものに成り下がった。
それだけに止まらず、神の悪意は夢見るように世界にこびれつき、モンスターという害悪を際限無く生じさせる機能を世界に付与していた。まるで呪いのように。
このストーリーを下敷きに、プレイヤーは神の側――コスモスサイドと、反逆者の側――カオスサイドとに別れてストーリークエストをクリアしていき、世界のリセットと存続を競うのが『閃律のスペクトラム』の基本的なグランドクエストである。
コンセプトは永遠に遊べるゲームだと豪語する運営は、これを一年周期で行い、その結果に合わせて世界観を毎回アップデートし続けていた。
使徒とは神に従順な眷属たちの通称であり、偽ディオニュシオスに倣って九つの位階に分けられている。
赤銅色は上から三番目。ゲームではイベントボスとして登場することが多かった存在である。プレイヤー側への推奨レベルは一八〇以上であり、パーティで挑むことが前提の設定になっている。
レベルだけを見るならば、カンストプレイヤーであるセラフィムと二百レベル超えの双子の側に圧倒的な利がある。
だが『閃律のスペクトラム』ではパーティの最大人数は六人。パーティ戦前提の設定とは、プレイヤー六人での臨機応変な戦闘が求められるという意味だ。
そして最大の難点が、『スペクトラム』の運営がキ◯ガイであるということだろう。
ある超高難度レイドイベントが発表された時に記載された運営コメントにこういうものがあった。
『デバッカーチームが七十二時間プレイし続けて倒しきれなかった会心のボスです。期待してください!』
当初プレイヤーたちは“ふかし”だと笑った。
だが、その後は阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
コミュニティやSNSでは連日のように運営に対する罵詈雑言が書き込まれ続けた。
苦情が殺到したために超高難度イベントではボス戦に限りデスペナルティが廃され、これによって幾つものレイドがゾンビアタックを仕掛けるも、結局一月にも及ぶイベント期間中にこのボスを倒しきれたレイドは僅か二十組のみ。そのプレイ時間も平均九十三時間程というもの。
この時のレイドボスは使徒第一位階【黄金の法焔】というセラフィムたちが今まさに対峙している存在の最上位種のネームドだった。
当時セラフィムもこれにギルドメンバーと挑み、フレンドたちと挑み、何度と無く挑戦したものの、結局クリアには至らなかった。
そんな存在の二つ下。レベル差があるからと油断して良い道理はどこにもない。寧ろ、警戒してし過ぎることはないだろう。
「お姉さま……」
ケレスが不安げにセラフィムを見つめる。
泣きそうなその顔は、敵の強大さに怯えているのではなく、敵を侮り切り札の一つを早期に切った浅慮を悔いているのだとセラフィムには理解できた。
だから、セラフィムは赤銅色の使徒から注意を逸らさないままに、けれどしっかりとケレスを意識して微笑みと共に優しく声を投げる。
「大丈夫。あの程度の敵は、何度も倒してきたでしょ?」
それは確かな事実である。
推奨レベル一八〇どころか、推奨レベル二百超えのモンスターとですら三人だけで戦い勝利を納めてきたのだ。
だが、それがケレスを気遣ってのものだと、強がりだと知っている。
通常のモンスターとボスモンスターは異なる。
そして、それ以上に、より大きな隔たりをもって使徒とそれ以外はカテゴリーが違う。
決して同列には扱えないのだ。
ましてや、セラフィムは第四位階以上の使徒を妹たちと倒した経験がないのだ。
それでも、ケレスはセラフィムの微笑みと優しさによって不安を己の内から霧散させる。
(お姉さまとエリスと一緒なら、勝てない相手はいないっ!)
その想いはエリスも一緒だ。だから、ケレスへと目配せをして柔らかく笑みを見せた。
そんな二人の様子に、もう大丈夫だ、と確信を抱いたセラフィムは改めて敵に集中する。
「フむ。もう良イのカネ? 別れノ抱擁を交ワス暇くライは許すガ?」
「あら紳士的。けれどお生憎様。貴方と抱擁を交わす気はなくてよ、ジェントルメン?」
「……諧謔にシてもつまらンな。コノ期に及ンデも誰が死二誰ガ殺すノか理解出来てイナいとハ……」
「ふン。そうね、そこが理解ってないから……死ぬのよ!」
気合い一閃!
自然体のままに肉薄し、振り抜かれた大剣が唸りを上げた!