前哨戦/防衛
ⅩⅢ.
人の頭の倍はあるような火球が、若者の一人を今まさに呑み込もうとする寸前で。
「……ほう」
セラフィムが何時の間に取り出したのか、人の身の丈よりも巨大な大剣の腹でそれを遮ったのだった。
疾風のような速さで迫る火球を、それよりもなお速い動きで防いだ事実に、興味を惹かれた男爵が改めて振り返る。
「お前、この人を殺そうとしたな」
「したが? 馬鹿は言っても効かん。ならば、殺すのが早い。さすれば否が応にも他の馬鹿も理解できよう?」
ドロドロとした眼差し、不快な音律。一言喋る度に不愉快さが増していくのをセラフィムは感じて、胸がムカつくのを堪えるのも一苦労だ。
「それよりも、貴様はなんだ? 我が決定を遮り、あまつさえ問いを発する。誰がそれを善しとした」
言いながら、再度をステッキを振るう。
振りかざされたステッキの頭を起点に魔法陣が描かれ、そこから幾つもの火線が迸った。
それらはのたうつような軌道で、まるで蛇が獲物を仕留めるようにセラフィムへと迫る。
だが、その程度でどうにかなるセラフィムではない。
セラフィムはそれらを横向きに構えた大剣の、半弧を描く一振りで難なく打ち払った。
これには周囲の村民たちは勿論、身構えていた兵士たちも驚愕を露にした。
『スペクトラム』に於いて【切り払い】という技術は有効である。
武器の強度が高く、両者の実力差が高く、魔法のレベルと威力よりも高いSTR値とDEX値、AGI値を備え、尚且つ的確な見切りを持っていれば、という前提はあるが。
そうでなくとも剣士系のジョブには【切り払い】のスキルも在るが、こちらは初級スキルであり上位プレイヤーはまず使わない。否、使えない死にスキルである。
ともあれ、カンストハイエンド前衛プレイヤーのセラフィムにとって切り払い自体は大した技術ではない。
だが、それはセラフィムの視点での話である。
決して遅くはない蛇のような乱軌道で迫る複数の炎の魔法を、大剣の一振りで凪ぎ払う。それが出来る者がどれほど存在するというのか。
少なくとも、此処に居る兵士たちには不可能な芸当だ。そうと理解しているからこそ、兵士たちは驚きを隠せない。
――こんな者が居るとは聞いていない、と。
ましてや、周囲に気を配ってか振り抜いてもいないのである。
つまり、十分な余力を残してさえいるのだ。
村人たちにしては言うまでもない。
片手間でモンスターたちを倒せる双子たちの慕う人物だ。弱いわけがないとはわかってはいたが、これほど強いとも思っていなかったのである。
「ほほ。中々やるようだ。よろしい。久方ぶりの運動だ。少し付き合いたまえよ」
けれど男爵はそうではないらしい。
濁った瞳に喜色という新たな色を垂らし、声にも楽しげな調子が滲んでいる。
男爵はステッキをクルリと回すと、頭上で二度、三度と円を象るように振り回す。
その動きに呼応して、広場の上空に橙色の二重円が刻まれる。次いで内側の円の内部に三角形と四角形が重なり、外縁部と内縁部の円の中を気学的な紋様が走り出す。
「そ、総員退避ーーーーっ!!」
それを見た兵士の一人、おそらくは隊長格だろう者の号令が轟く。
声はやや上擦り、喉が張り裂けるのではないかという程に必死な様相を呈していた。
兵士たちが囲いや女たちを無視して我先にと広場から、正確には上空の巨大な魔法陣の範囲から出ようと走り出す。
蜘蛛の子を散らすように三々五々に隊列もくそもなく逃げ出す様に、村人たちも危険を感じ逃げ出そうとするが。
「大丈夫ですわ。ね、ケレス」
「うんっ! まーかせて!」
慌てふためき騒ぐ彼らの中にあってもよく通る、鈴の転がるような声が村人たちの行動を押し止めた。
何がなんだかわからないがどう見ても危険な状況であるにも関わらず、意にも介さない冷静な声で。
逃げなければ死ぬような場面なのに、それを忘れてしまうように元気付けられる声で。
今日まで彼らを守ってくれていた幼い双子。彼女らが言うのだ。大丈夫だと。任せろと。
ならば、任せても大丈夫なのだ。
村人たちはごく自然にそう信じていた。
それは今日までに培われた信頼であり、あるいは絶望の中で、そうあって欲しいと願う信仰だ。
「『虚空より四の源たる二の正体を招かん。
我は汝の真実を識るものなり。
我らは真実の信奉者なり。
故に汝が徒たる我は請い願う。
災いを退ける加護を我らに。
我らは守護されるべき者であるが故に』」
何処からか取り出したのか、長杖を祈るように握りしめたケレスの口から、普段の明るく元気な彼女とは別人であるかのような厳かで玲瓏な詠唱が紡がれる。
その一小節毎に、無力な村人たちですらそうと解る程の力強い何かが満ちていく。
力強く、暖かい何か。まるで父の背中を思わせ、母の腕を思わせるそれ。
だが、村人たちがそれに満たされている最中に、空に描かれた魔法陣が完成してしまう。
そこに在ったのはまるで赤熱した蓋だ。
橙色だった光はいまや紅蓮に染まりきっている。
太陽が落ちてきた。
そう形容するに足るだけの熱が、火焔が堕ちてくる。
「『トゥルーブレス・オブリージュ』」
しかし、火焔の墜落よりも速く完成した魔法によって村全体が覆われた。
それは無色に煌めく光のベールだ。
その力強さ巨大さとは裏腹に、見るものに一切の圧迫感を与えることなく、ただ安心感だけをもたらす光の天幕。
堕天する紅蓮は、光の天幕に触れる先から何かを間違えたかのように痕跡の一切を残さずただただ消えていく。
ケレスが使用したのは魔法レベルを上げて、長杖のキャストタイム短縮の効果があってなおそれなりに長いキャストタイムを要する防御系最上位魔法である。効果は敵対者の攻撃の無害化及び無効化。攻撃を受けている最中では不発するが、その前に発動すればレベル差等すら無視して確実に一撃を凌げるというもの。しかも、参照先が“敵対者の攻撃”なので発動中に受けている攻撃が終わるまで持続するのである。但しMP消費が高い上にリキャストタイムではなく、戦時使用回数制限が定められており、一戦で一回しか使えないのだが。
数分か、数十分だったのか。あるいは数秒だったのか。
幻想的な一幕が終わりを向かえた。
空を見上げ、先ほどまでの光景に見惚れていた村人たちがはっと我に返る。
信じられない面持ちで互いを見、周囲を見渡して、普段と変わらない隣人の、村の様子に。
歓声が沸いた。