男爵
ⅩⅡ.
◆◆◆
彼処は、いや、彼の地は既に天使さまがお護り為さる土地だ。聖地と言っても良いかもしれない。
また彼処に行けって? 今度は国軍に参加して?
……冗談じゃないっ! オタクらが行くのは勝手にしろよ! けどな、俺はもう御免だ!
……俺は改心したんだ。貴族の私兵は実入りが良いし、デカい顔が出来る。けどさ、わかっちまったんだよ。そんな自分のちっぽけさにさ。
――なぁ、おい。確かこの国は、住む場所変えても特に申請とか要らなかったよな? ……だよな、よしよし。
……あ? なんでって……、決まってンだろ。引っ越すんだよあの村に。天使さまがお護りしてるっても四六時中じゃあお疲れになるだろうからよ、お手伝いにいくのさ。これでもレイジボアくらいまでなら何とかなるしな。
――天魔事変、生存者の調書より抜粋。
◆◆◆
その声がセラフィムの耳に届いたのは、彼女が一人悩みだしてどれだけの時間が経った頃だろうか。
ともあれ、村全体に響くような大音声で繰り返し発せられる号令に、セラフィムは自分が時間を浪費していたことに気付いた。
未だ上手い考えは浮かんでこない。それでも、これからは動く時間だ。
セラフィムは腰かけていた椅子を蹴倒すように立ち上がると、小走りに広場へと駆けて行った。
「この地を新たに治める新領主、リガルド・フォン・ベールヤード男爵様がお着きである! 男爵様は慈悲深くも貴様らを慰めに御出だ! さぁ、村民は皆広場に集まるように!」
兵士たちが声高にそんなことを宣っている。
そこはただ傲慢さだけが見て取れる。言葉の通りの意味などどこにも無いと、そう理解させるには十分な居丈高さだ。
村民たちは不快感を押し隠して命令に従っている。ここで逆らってはどうなるかわからない。苦虫を噛み潰したような者、諦めに俯く者、それぞれが雑然と広場へと集まっていく。
セラフィムが広場に辿り着くと、そこには既に村民があらかた集まっていたようで、多少のざわめきを見せていた。
件の男爵はまだ来ていないらしいが、もう間も無く来るということだろう。
セラフィムが周囲にざっと目を走らせると、兵士たちが村民を逃がさず、また有事の際に即座に動けるようま位置取りで囲いを築いていることに気付く。
先触れの兵士は八人。先触れだけでこの人数ということは、護衛も含めそれなりの大人数で動いているようだ。
セラフィムは自然と頭の中で対多数用の戦術を反芻し、並列して現在使用可能な武器の選別も行っていた。
ローブに隠れた腕輪を自然と撫で付けていたことに気付いて、セラフィムは思考を打ち切った。
セラフィムと双子の妹たちの姿は非常に目立つ。その容姿は勿論、服装からしてこの長閑な村には似つかわしくない。
セラフィムの赤いドレスは色彩からして嫌でも目につき、動き易さを確保するために脇やスカート部等、所々にスリッドが入っており見ようによっては扇情的でもある。
双子の妹たちに至ってはお揃いのモノトーンのゴシックドレスである。場違い感がすごい。
そんな三人であるから、道具屋のおばさんが気を利かせて買い手が着かずにあった厚手のローブを用立ててくれたのだ。
その厚意をありがたく頂戴したお陰もあり、今はまだ兵士たちの目についても居ないようであった。
そうして暫くすると、複数の馬の蹄の音と共に馬車のガラゴロという音が聞こえてきた。
村民たちの影からコソっと音の方を見れば、軽装の馬に跨がり揃いの鎧を着た兵士たちに囲まれて、見ただけで成金趣味だと段じれるような趣も何もないただ豪勢なだけの大きな馬車が見えた。立派な馬が四頭で引いていることからも、その馬車の大きさがわかろうというものだ。
セラフィムがそれに呆れ、少し離れた場所で血気盛んな若者が飛び出さないように見張っていた妹たちも趣味の悪さに眉を寄せていた。
だが、それも一瞬のこと。
その馬車の後ろにはもう一台馬車が引かれていた。大きいだけのそれには幌のようなものもなく、ただ野晒しの荷台が有り。
そこに、十数人程の若い娘たちが手枷と首枷で繋がれて乗せられていた。
セラフィムたちが気付いたのに遅れてそれを目にした村民たちが、俄にざわめきを増した。
「静まれっ! 静まれーいっ! リガルド・フォン・ベールヤード男爵様のお成りである!」
囲いを築いていた兵士たちが、手にしていた槍を地面に打ち鳴らしながら威圧する。
それによって多少は静まるものの、しかし完全には収まらない。
それに激した兵士の一人が槍を構えるが、それを制する声が上がった。
「よいよい。下々の者どもに礼など期待しておらん」
覇気も張りもない声だ。それでも、その声は不快な音律で人々の鼓膜を震わせた。
武器を構えていた兵士はその声に応え直立体勢に戻る。
集まった村民たちの前で馬車が止まる。
すると、即座に護衛兵たちの何人かが馬から降り、場所の脇に並んだ。
屈強な兵士たちを護りとして布陣した趣味の悪い馬車の扉が開く。
テカテカと光る撫で付けられた金髪。上質な布で仕立てられたのだろうスーツには幾つもの勲章や装飾品がこれ見よがしに付けられている。ステッキをカツン、と鳴らしながら出てきたこの男こそが、リガルド男爵。
セラフィムは当初この男爵をオークみたいに太った醜い男だと予想していたのだが、その予想に反し男爵は屈強とは言えないまでも、長身で背筋を伸ばした紳士然とした容姿をしていた。顔も殊更醜いという事もなく、口周りを覆う髭も整えられている。
だが。その目は、印象の全てを最悪だと決定付けるに足るものだった。
濁っていた。これ以上ないと言うくらいに、酷く濁りきっていた。まるで、絵の具を全てかき混ぜたような汚い瞳だ。ずっと見ていると足元が覚束無くなりそうな。
馬車から降りた男爵は二、三歩ほど歩いた所でステッキをカツン、と鳴らして立ち止まった。
汚泥めいた眼光が周囲を見渡す。
「――……そこの、長い茶髪の女。そっちの、短い金髪の女。それと、ふむ、そうだな…………栗毛の女」
男爵はおもむろにそれぞれ指を指しながら淡々と声を発し、それで用は済んだと言わんばかりに踵を返す。
「さぁ、こい!」
それを合図にか、兵士たちが指差された女たちの腕を掴む。
強引に、無理矢理に、荒々しい突然の扱いに悲鳴と抗議の声があがる。
「ええい、黙れ!」
「男爵様は女たち三人を差し出すことで、三年分の税を免除してくださるとのことだ!」
「貴様らは幸運なのだぞ。たった三人の女を差し出すだけで、向こう三年重い税に苦しむことが無くなるのだからな!」
口々に宣う兵士たちに、愕然とする村民たち。
しかしそれも一瞬だ。
「ふ、ふざけるな! 女たちを生け贄に捧げろっていうのか!」
「今まで放っておいた癖に何様の心算だ!」
怒りに声を上げる若者たちがやにわに殺気立つ。
それを反抗と受け取った兵士たちが剣を抜き、槍を構えるより早く。
「……貴族様だ、間抜け」
馬車の中へと足を進めていた男爵が顔だけ振り向かせ、後ろ手にステッキを振るう。
轟っ! と。空気を喰らい疾る音が哭いた。