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妄想怪談お伽話  作者: 狐道まひる
7/9

来る女の怪 【下】

 いざ、右手には食塩の瓶を。左手はドアノブに手を掛けて、俺は弟くんの部屋の前に仁王立ちしていた。


「俺だけに押しつけるとか許さんお前らも後ろから付いてくるだけでいいから来い」とノンブレスで言い放ち、青葉兄弟も無理やり連れて来た。二人は俺の斜め後ろでビクビクしながら待機している。

 青葉はともかく。弟くんよ、君は今朝までこの部屋で寝起きしていたんじゃないのか?


 中から爪で引っ掻いているような音は今でも続いている。気安めに扉に塩をかけてみた。特に変わりはない。

 そもそも、効果があるのはきちんと清められた清め塩であって、食塩ではない。胡椒と混じったタイプなど言語道断。

 手に持った食塩瓶のラベルを見る。胡椒が混じっていた。許さない。


『うん、とりあえず落ち着け?あちらさんは逃げないから』


 マサに溜息をつかれた。


 ……緊張のあまり、取り乱していたことは認めよう。俺は霊らしきものは極力無視する生活なので、自分から突っ込んで行くのは慣れていないのだ。兄ちゃん達との心霊スポット巡りは除く。


 息をゆっくり吐いて、ドアノブを握る手に力を込める。

 そっと押して開いたが、特に妙な重さ……向こうにいる誰かを押すような感覚はなかった。その代わり、吐き気がするような強烈な生臭さを一瞬感じる。マサが険しい表情で俺の半歩前に立った。


 これは、本格的にヤバい。


 霊がいると匂いを感じる場合がある、と言われている。

 線香の匂いなら、亡くなってすぐの霊や格の高い動物霊といったあまり害のない者。清浄な匂いというか、空気の場合は良い霊。

 生臭さや、何かしらが腐ったような匂いは、たちの悪い悪霊。刺激臭が強烈である程、危険な霊になる。


 俺自身としては刺激臭自体よりも、マサが俺を庇うように前に出たことに危機感を抱いた。


 イマジナリーフレンドは基本的に、保有者に友好的な存在だ。時には保有者を支え、楽しませ、何かあれば守るように、励ますように行動してくれる。

 そんなイマジナリーフレンドが庇うように動いた。その時点で俺に危険が迫っていると、俺自身の本能が警告したようなものだ。


 急いで部屋に入る。指輪の位置は聞いていた。机の一番上の引き出し、そこに無造作に入れたと。

 引き出しを開けて、すぐに銀色の指輪を見つける。下手に奥へ転がっていなくて助かった。一粒の大きなダイヤらしき石の付いた……これはたぶん、結婚指輪だ。


 彼女の、結婚指輪だったんだろうか。結婚するはずの女性だったんだろうか。可哀想に……なんて可哀想なんだろう裏切られて川に落とされて苦しくて悲しくてどうしてあのひとはわたしをねぇどうしてわたしを


『政幸、同情するな!すぐ家出るぞ!』


 マサが叫ぶ。一瞬で意識が引き戻された。危ない、引き込まれかけていた。

 指輪を引っ掴み、踵を返す。何かが視界の端に写ったが、無視する。そうだ、いつも通りにやればいい。

 部屋の外で心配そうに待っていた青葉兄弟を連れて、家の外へ出た。


「青葉、一番近い寺か神社は?ちゃんと神職の方がいる場所じゃないと駄目だぞ」

「えっと、駅を少し通り過ぎた所の寺が良いと思う。あそこは住職さんなりお弟子さんがいつも居るみたいだし」

「よし、そこにしよう。ちょっと急ぐぞ」


 青葉兄弟がきちんと付いてきていることを確認して歩き出す。途中から青葉が隣に並んで、道案内をしてくれた。


 と、俺と青葉兄弟の足が同時に止まった。

 青葉の誘導してくれたルートは寺への最短ルートだったのか。早く寺に着くことを優先し過ぎて失念していたらしい。


 目の前に、橋があった。


 後ろで弟くんが戸惑っているおかげで、ここが件の橋なのがわかる。それ以前に、俺の目には橋の上に異質な女が立っているのが視えているのだが。


 若い女性だ。二十代半ばくらいか。派手すぎない程度に染めたセミロングの髪はぐっしょりと濡れ、スーツのスカートから水が滴っている。小柄な彼女はゆっくりと伏せていた顔を上げ、血走った目がこちらを捉えた。


 来る?


 背筋が粟立った。数メートル先に立っているはずの彼女の声は、耳元で囁くように鼓膜を揺らした。


 ねぇ、来る?


 青葉兄弟の様子からしておそらく、視えているのは俺だけだ。二人は単純に、問題の橋を渡りたくないだけで立ち止まったんだろう。

 視えない人間にあれの側を通らせてはいけない気がする。何かされても青葉達は気がつけない可能性がある。迂回すべきだ。


「青葉、この橋を渡らずに寺まで行ける?」

「行ける。少し戻って、商店街を抜けるルートをとればいいだけだから」


 にたり。

 女が笑う。気持ち悪い。


「だったら、その商店街ルートで行こう。ここは渡ったら……」

『駄目だ』

「マサ?」


 思わず声を出してしまった。青葉が不思議そうにこちらを見る。なんでもない、と首を振っておいた。


 なんで?あれの横を通る方が危険だろ?

『あの女の本体は、お前が持ってる指輪だ。事実、彼女は弟くんの部屋にいた。なのになんで、弟くんに直接危害は加えず家族から攻めていった?まるで外堀を埋めるように。誘導するみたいに。家の中に入り込んでるくせに、家に近づく夢を見せて』

 ……誘導?

『獲物を誘導して追い詰めるタイプの奴が、最後は待ち伏せなんて違和感がある。俺なら最後まで追いかけ回して、逃げ惑うのを楽しむ。というか、本体である指輪が俺たちの元にあるのに襲ってもこない辺り、自力では俺たちを襲えないんじゃないか?あと、これは完全に勘なんだけど……』

 何?

『……商店街の方は、今日は行くべきじゃない』


 女を睨んだまま、マサは押し黙った。身動きしない俺に、青葉がどうするかと尋ねてくる。

 明らかに危険な相手の横を通り過ぎるなんて、普通に考えれば得策じゃない。回れ右して逃げるべきだ。もしも他の人間に言われたのなら、俺は商店街を抜ける方を選ぶ。


 そう、意見したのがマサでなければ。


「……こっちの方が近いなら、橋を通る。一応、俺の後ろをついてくる形で歩いて」


 そう答えれば、弟くんはあからさまに嫌がったが、青葉が無理やり手を引いて歩かせた。

 三人で一列になって、橋を渡る。女との距離が縮まる。彼女は動かない。血走った目はこちらに向けられたまま。


 隣を抜ける。水と、生物が腐った匂いが混じり合ったような刺激臭。微動だにしない濡れそぼった身体。

 女の声が、鼓膜をくすぐった。




 なんで、こっち側に来ないのよ。










 無事に寺まで辿り着き、俺たち……特に弟くんは年配の住職さんにこってりと怒られた。


 どうやら昔、あの橋では婚約者に裏切られた挙句、川に突き落とされて殺された、哀れな女性がいたらしい。その事件は新聞にも載り、犯人である婚約者の男も捕まって事件は収束した。俺たちが物心つく前辺りに起こった事件だそうで、当時はかなり騒がれていたのだとか。


 学生だから特別に、と住職さんは無料でお祓いもしてくれた。何故か青葉兄弟より俺へのお祓いが長かった事は解せない。

 住職さんは更に御守りまで持たせてくれて、寺の門前にある長い階段まで見送りに来てくれた。


 俺、今後なにかあったら、あの寺と住職さんのお世話になろう。絶対あの人を頼ろう。


 問題の指輪も住職さんに預けたし、青葉宅で少し休ませてもらおうと、商店街と件の橋の両方を避ける遠回りな道で帰っていると、後ろから車にクラクションを鳴らされた。

 邪魔になっていたかと慌てて振り向く。俺の家の車だった。母さんが窓から顔を出す。


「政幸ちゃん!無事で良かったぁー!お友達もお家まで送って行くから、皆乗って行ってー」

「どうしたの母さん?無事でって、何かあったの?」

「あらやだ。政幸ちゃんったら、どこで遊んでたの?さっき凄い騒ぎになってたのよー?」


 母さんは、悲しそうな顔をしてこう言った。




「商店街で、通り魔があったのよー。三人ほど亡くなったみたい……。怖いわねー」






 やはりこの世で一番信頼できるのはイマジナリーフレンドである、と痛感した一日であった。






       来る女の怪 終幕



 来る?って言われて、はい行きますって『あの世側』に行く奴なんて、居るかってーの。


        by マサ

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