勇者と魔王は脅迫中です。
「我は力を求めし者」
「求めてなんてないけどねー」
「幾人もの犠牲を与えてでも叶えたい願いがある」
「犠牲なんて与える気もさっきなくなったけどねー」
「我の願いを元に出現せよ」
「何か真顔でそんな事いっているライアってば面白いー」
「来たれ、大悪魔メフィスト!」
「こんなんで本当にメフィスト召喚出来るのかなぁ?」
いつもの森の中、直径三メートルほどの召喚陣の外側に立つ二人。
ライアは陣に手を触れながら、メフィスト召喚の言葉を口にしていた。対してリトは召喚の言葉を聞きながらも茶化していた。
――メフィスト召喚とは、一般的に考えて犠牲を払わなければならない悪魔の契約なのだ。
それをこんな風に行うという時点で、ライアとリトは一般的に見て大きくずれている。普通はもっと緊迫した雰囲気で、切羽詰まった様子で、何を犠牲に払ってでも叶えるという意気込みを胸に行うはずのもの。
だというのに、ライアとリトの表情にはそういったものは一切なかった。
二人は笑みを浮かべてる。
メフィストを呼び出す呪文を唱え、成功したのならば実際にその驚異的な存在が姿を現すというのにそこには緊張感の欠片もなかった。
のんびりと二人が会話を交わしている内に、召喚陣が黒い、不気味な光を放ち始めた。
何か不吉なものが現れるその兆候。
それがあるというのに、ライアも、リトも一切その表情に陰りを見せない。
万が一の可能性を思えば、もしかしたら自分達の方が死んでしまうかもしれない事ぐらい二人は理解している。
だけれども、それでもいいと思っているのだ。
行動しないで飼い殺されるよりも、行動して唯一の親友と共に命を散らした方がマシなのだ。彼らにとってみれば。
「来るみたいだね、ライア」
「そうだな。リト」
その黒い光を真っすぐに見据えて、笑みを零して会話を交わす。
光が収まれば、そこには一つの生物が居る。
人に似た姿をしながらも、それは明らかに人とは異なっていた。
それは黒い。真っ黒だった。
黒の顔に白い目が光っているのが余計不気味さを引き立てる。
むき出しになった上半身だけでも、ライアやリトの体の三倍はある。
何よりも特徴的なのは、その邪悪な魔力である。
肌に感じとっただけでも、並みの人ならば倒れるほどの力がそれにはあった。
普通魔力と言うものは視覚的には見えないものだ。だが、それの周りには黒い魔力が充満していた。
気管に入れるだけでも毒。
肌に触れるだけでも有害。
それはそういうものだった。
―――だからこそ、それは禁術。
《悪魔第17位メフィスト》―――偉大なる大悪魔。
それは自身を呼び出した存在達へと視線を向ける。
ぎょろりと動いた白い目は、人によっては嫌悪感を持つような何かがあった。
それは、人の恐怖に歪む顔が好きだった。
そして自身が人に恐怖を与えるには充分な存在だと理解していた。
現れた自身を見て、恐怖に戦いている事を想像した。
だが、そこに居たのは、
「うわ、メフィストって流石悪魔って言われるだけあって不気味だねー」
「すげぇ、魔力。これは禁術になるのも納得だな。ま、俺には平気だけど」
「うん。僕も全然平気」
仲良く会話を交わすまだ若い男女の二人組だった。
そこには、現れたメフィストに対する恐怖は一切なかった。
絶望も、何もない。ライアとリトにあるのは絶望でなく、寧ろ―――希望だった。
『我を呼び出したのは、貴様らか』
「わぁ、喋ったよ! ライア!」
「悪魔って言語理解できる知能あるんだなぁ」
威圧感を与えるような声に対してもライアとリトは通常運転だった。
メフィストは、二人に視線を向けたままただ不思議だった。というのも、メフィストを召喚する者と言えば、基本的に絶望や憎悪、貪欲さといった感情を持ち合わせている存在ばかりだったのだ。
生贄をささげてでも叶えたい者があるという絶望、憎悪、貪欲さ。
それがあるからこそ危険を晒してでも自身を呼び出す――、それが主だった。だけど、だけれども目の前の二人にはそれがなかった。
目の前の二人は只、笑ってる。
楽しげにほほ笑んでいる。
一切、絶望はなく、悲哀はなく。
ただ、笑っている。
『貴様ら、願いがあるのだろう。我に願いを叶えさせたくば贄を与え―――』
「あ、ごめん。ない。それ却下ね!」
「そうそう。ないんだよなー」
メフィストの言葉はそんな軽い拒否の言葉で遮られた。
メフィスト、長い人生の中で初めての経験である。一瞬その軽い拒絶と言われた言葉に一瞬固まる。
「あ、固まったよ。ライア」
「おお。悪魔も固まる事あるんだな」
「だねー。何かこんな巨大な体してても僕らと一緒で親近感湧いたかもー」
「だなー。悪魔っていっても俺らと変わらないんだなぁ」
「てかこんな巨体でいかにも禍々しいオーラ満載って悪魔が固まるとかおもしろーい」
「だな。本当なんか笑いそうになる」
メフィストが固まっているからと二人は言い放題である。
「固まってる隙に悪戯しちゃうー?」
「悪戯? 悪戯って何すんの?」
「んー。顔に落書きとか?」
他人が聞いてれば突っ込みどころ満載な事をさらっとリトが言った。
人が畏怖すべき対象である大悪魔に向かって落書きしようなどとどうしてそんな発想に行くのか常人にはわからない事だろう。
「あ、それ俺がリトに昔された奴だな」
「うん。本にね。悪戯として挙げられてたからやりたくなってやっちゃったんだー。あの時はごめんねー、落書きして」
「別に俺は気にしてないから謝る必要ないって。てか落書きって悪魔に出来るのか? 悪魔の皮膚ってインクで落書き可能?」
「さぁ? 悪魔の本見ても悪魔の皮膚にインクで落書き出来るかは書いてなかったしなぁ」
「だよな。何で悪魔の事書いてある本には悪魔への畏怖とか、どれだけ恐ろしいかとかしか書いてないんだろうな」
「うんうん。悪魔に落書き出来るかとかいう豆知識も書いてほしいよねー。これで落書きして羽ペンが使えなくなるのも何かやだしー」
メフィストが固まっている間にその顔に落書きをするか否か相談し始める召喚者二人。なんとも変な光景である。
そんな中でメフィストがようやく正気を取り戻す。
『…貴様ら、生贄もなしに願いを叶えてもらおうなぞなんたる侮辱。その魂を持って償ってもらうぞ!』
「え。やだ」
「やだし。つか、リトの魂食うとか絶対させねーよ、バーカ」
「うん。僕も自分のはともかくライアの魂食われるのはやだ」
「だよなー。てことで却下」
ばっさりとリトとライアは言い放った。
メフィストが怒ろうが、二人は通常運転である。
にこにこと二人で顔を見合わせて、リトとライアは笑いあう。
メフィストは何かおかしいぞと思い始めていた。
そもそもたった二人の魔力でメフィストを召喚出来た事――それからしておかしいのだ。
今までメフィストを召喚してきたものたちは、犠牲を払いメフィストを召喚した。そして生贄を与え願いを叶えてもらった。
しかしライアとリトは違った。
犠牲を払わずにメフィスト召喚を成し遂げ、生贄を与えずに願いを叶えようとしている。
それは人が聞けば、無謀と言うのにふさわしい行為。事実、メフィスト自身もそれを実行しようとしている目の前の二人が信じられなかった。
『拒否権など貴様らにはないっ』
メフィストは違和感を振りほどくかのように頭を振るとそう言い放つ。そしてそのまま、その巨体をリトの方へと向けた。リトの外見は可愛らしい少女である。背も低く、その外見からはとてもじゃないけど彼女が強い事など測れない。
メフィストはリトへと襲いかかった。
それに対してリトは笑みを浮かべて、行動しようとした。
だけどそれよりもはやくライアが動いた。
ライアはその巨体からは考えられないほどのスピードでリトに迫るメフィストを横から蹴り飛ばした。
その蹴りによって、メフィストの巨体が浮いた。
召喚陣の下に埋まったままであった下半身さえもメフィストはさらけ出させられていた。
『―――っ』
メフィストの表情が驚愕に歪む。
自身の体が、有に五メートル近くもある巨体が宙に浮いている事実。それが信じられなかった。
ドスンッという大きな音と共にメフィストは落下する。
それに驚いているのは当の本人だけである。
「もー。ライアってば…。僕に突っかかってきたんだから僕がぶっ飛ばそうと思ったのにー」
リトは地面に落下したメフィストを横目にライアに向かって文句を飛ばす。
自分に向かってきたメフィストを自分の手でどうにかしたかったらしく、その顔は不機嫌そうに歪んでいる。そんなリトの言葉にライアは苦笑を浮かべて口を開く。
「ごめんって、リト。リトにこいつが飛びかかるのみたらつい体が動いちゃってさ」
「僕はこんなのに簡単に殺されるほど弱くはないよー?」
「知ってるけど、もしリトに何かあったらと思うと思わず…」
「うーん。ま、僕もライアにメフィストが突っかかったら動いちゃうかもしれないし、気持ちわかるから許すよー」
メフィストを蹴り飛ばしておきながら通常運転なリトとライアであった。
『……き、貴様ら』
蹴飛ばされるなど初体験なメフィストは地面から体を起こすと屈辱にその真っ黒な顔を歪める。メフィストが怒っている事など誰の目で見ても一目瞭然である。
メフィストの声に二人はそちらへと視線を向けた。
その目はいつもの様子が信じられないほどに冷たい輝きを持っていた。
「リトに手を出すなら許さないから」
「僕だってライアに何かするなら許さないよ」
目を細めてメフィストを睨みつけながら、二人はほぼ同時にそう口にした。
言うなれば二人は互いが大切で、大事で仕方がなかった。この世界でたった一人わかりあえる親友――二人は互いをそう思っていた。
『勇者』と『魔王』。
そんな対の位置に二人は身を置きながらも似ていた。
圧倒的な力を持つ歴代最強と呼ばれ、しかし権力などにもさっぱり興味がなかった。もし互いが親友にならなければ、二人は拒否し続ける事に疲れて殺し合いをしたかもしれない。殺せば、鬱陶しい事を言われずに済むというそれだけの理由で。
だけれども彼らは出会ってしまった。
それでいて親友なんてものになってしまった。
たった一人の大切な人。
世界でたった一人対等で居られる存在。
一緒に居て落ち着くと初めて思った存在。
そんな存在と殺し合うなんて二人は嫌だった。だからこそ、必死に現実に抗ってる。
殺し合いを強要される事のない世界へ二人で飛び出そうとしている。
『貴様らふざけるな』
メフィストは声を上げた。
声を上げると同時にメフィストの周りを黒い何かが蠢いた。それはメフィストの持つ魔力が形をなした姿だった。それは、不気味に蠢く。見る者に恐怖を与えるような何かがそれにはあった。
黒い靄。
メフィストの持つ魔力はそのような形で顕現していた。
力を持つそれが、メフィストの意志によって二人に襲いかかる。
それに包まれた人はその魂をメフィストに喰われるという末路をたどる。
「うわー、気持ち悪い」
「なんかヤバそうだな」
メフィストの魔力を目で見て、リトとライアの言い放ったのはそんな感想であった。
そして迫りくるそれを二人は――、自身の魔力で吹き飛ばした。
そう、ただ自身の中にある魔力を彼らは解放した。そしてその力を持ってメフィストの解き放った魔力を拡散させた。
『―――っ』
メフィストが目を見開いた。
メフィストは大悪魔と呼ばれる存在である。その命は永遠とも言えるほどに永い時の中を生きてきた。
故にメフィストは自覚があった。
自身の魔力がどれだけ人と呼ばれる存在にとって有害なのかという自覚が。
その魔力量が人をどれだけ凌駕しているかという自覚が。
だというのに、目の前の二人はメフィストの魔力を拡散――いや、消滅させた。
只拡散させただけならば、メフィストの魔力を浴びた森は命を失う。木々も全て枯れ果ててしまう。それだけの悪影響をメフィストの本気の魔力は世界に与える。
「あはっ、いけそうだね。ライア」
「ああ。どうにかなりそうだな」
信じられない者を見つめるように二人を凝視するメフィストを見て、二人は笑った。
二人もメフィストをどうにかできる自信はあったものの、もしかしたら自身の力が通じないかもしれないという不安もあった。
しかしだ、現実を見てみれば充分通じている。
その事実に二人は安心していた。
これならば、どうにかなると笑っていた。
メフィストからすれば、この状況で笑っている二人はかなりアレである。実際にこにこと顔を見合わせて笑いだした二人にメフィストはぞっとした。
目の前に居る二人が理解出来なかった。
そして理解出来ない事は恐ろしい事だった。
メフィストは恐怖に体を固くさせた。
二人はそんなメフィストへと近づいていく。
笑みを浮かべたまま近づく二人とそれに対して怯えた様子を見せるメフィスト。
それはなんとも異様な光景であった。
「ねぇ、ライアどうしようか」
「そうだな、リトどうするか」
「とりあえず殺さない程度にやっちゃおうか」
「ああ、そうだな。やるか」
さらっと恐ろしい事を口にして、二人は互いに顔を見合わせて笑った。
「じゃ、僕からやるね」
そういったかと思えば、リトは魔力を行使した。
そこに呪文はない。そんなもの、ライアやリトレベルの実力者には必要なかった。すぐに魔法は展開される。
現れたのは黒い球体。
一瞬で現れた魔力の凝縮されたそれは、目にもとまらぬ速さでメフィストへと向かっていった。
それは驚愕するメフィストとぶつかり、破裂した。
リトの魔力を一心にメフィストは浴びる。
微々の魔力は人には決して害はない。だけれども強すぎるそれは、毒となる。
リトの魔力は濃い。
『魔王』であるリトのそれは、浴びすぎると死に至るほどの毒である。
人は少なからず魔力を垂れ流しにして生きている。リトやライアは魔力制御をしなければ垂れ流している魔力だけで人を殺してしまう。それほどに、二人は強い魔力を持っている。
魔力だけでそうなのだ。
それが形をなした魔法はもっと恐ろしい。
それ故に二人は恐れられた。
存在そのものに人は恐怖した。そして心を通わそうとさえもしない。化け物を見るような目で見られた。
『勇者』と『魔王』は、自分たちとは別の存在。
人間と言う括りから外れた化け物である『勇者』と魔族という括りから外れた化け物である『魔王』。
そういう認識がこの世界では当たり前。
リトのその強烈な魔力は幾らメフィストだろうとも耐えられるものではなかった。
メフィストは吹き飛んだ。
そう、文字通り体がはじけた。
そして肢体がバラバラに飛び散っていく。
でも死んではいない。ピクピクとバラバラになった体の一部が動いている。
真っ黒なそれが、ただ不気味に震えてる。
リトは自分が魔法を放った結果を見て困ったような表情を浮かべていた。
「えっと……、メフィストってもしかして雑魚?」
困ったように不思議そうに疑問を口にした。
大悪魔、人を畏怖させ続けてきた悪魔――それを表して雑魚などと口にする。
リトは大悪魔メフィストと呼ばれるほどの存在なのだから、そこまで手加減はいらないだろうと思って魔法を行使した。様子見のつもりで、だけれども手加減を少し緩めて。
その結果がこれでリトは驚いていた。
「確かに…、メフィストの体ってこの程度で吹き飛ぶのか」
「だよねー…。僕、びっくり」
ライアの言葉にリトは頷く。
この二人、互いとしか深く接してこないような生活を送っていた事もあって常識と言うものはあまり知らない。本気で力を放ったら大変な事になると二人の力を恐れた人々に何度も言いきかせられ、いつも力を使う時は手加減していた。
それ故に、二人は理解していない。
自分達の力が正確にはどれほどのものであるかを。
メフィストを圧倒するその力がどれだけ異常なのかを。
言うなれば二人は普通を知らない。普通なんてものは本で読んだ知識とかしかないのである。
「ま、俺らの方がメフィストより強いのはいい事だろ」
「だね。じゃ、早速予定通り行こうかー」
二人は微笑みあい、メフィストへと近づいた。
バラバラに散らばったメフィストの思考は恐怖で一杯になっていた。
このまま自分は殺されるのではないか――という生まれてから一度も感じた事のない感情を抱いていたほどだった。
しかしそれは杞憂だった。
二人は殺すためにメフィストを呼んだわけではない。異世界逃亡のために呼んだのである。
「なぁ、メフィスト。俺達どうしてもやりたい事があるんだ」
「そうなんだー。だから、協力して?」
「協力しないならそうだな…。死んだ方がいいって苦痛を味あわせ続けるってことで」
「うんうん。そんな感じでしちゃうよー。だから、大人しく協力して?」
「俺達もあんまり暴力とか好きじゃないからやりたくないからなぁ」
「そうそう。僕ら平和主義だし」
メフィストの破片に近づきながら二人は言った。
その会話をメフィストは聞いた。そしてその様に余計恐怖した。
圧倒的な力を持って居ながら彼らは無邪気で、余計それが怖かった。
――結果として言えばメフィストは懇願した。何でも手伝うから殺さないでくれと。
それは大悪魔という名のメフィストとは思えない姿であった。
―――『勇者』と『魔王』は脅迫中です。
(『勇者』と『魔王』はその力を持って大悪魔を服従させた)