狐と河とカラス 2
カァー! カァー! カァー!!
カラスの、けたたましい鳴き声がした。
驚いて頭上を見上げると、一匹のカラスが私達のちょうど真上で旋回していた。普段ならうるさいなあ、で終わっただろうが、今はちょっと事情が違う。みつを見ると、ごそごそと自分のポケットを探っていた。やがて、目当ての物が見つかったのか、皺一つ無い紙切れを取り出した。そう、あの事務所の窓にぶつかったカラスがなった変な形の紙だ。
みつはその紙を人差し指と中指で挟んだかと思うと、おもむろに唇にあて、なにやら呟いた。そして、ふっと吐き出した息とともにその紙を投げると、なんとその紙は唐突に黒い烏になった。あの時烏から紙になったのより、より瞬間的に変わり、みつの広げた掌の上に羽を畳んでたたずんでいた。もう、驚いて声もでない。
「何かわかった?」
みつは、さも当然という風に、自分の手のひらの上にたたずむ烏に話しかけた。烏はパカッとくちばしを開いたかと思うと、
「ちょっとォ! アタシのカラスちゃん食べられちゃったんだけどォ?!」
あの、オネエの人の声が聞こえた。まるでスピーカーのように唐突に声が聞こえて、ビックリして声も出ない。オネエの人の声がするカラス、はまだわめきたてている。
「アンタわかっててやったわねェ! あそこに、あんな化け物が居るって!」
「ああ、食べられたんだね。何だった?」
わめきたてるカラスに対し、みつはニヤアと笑った。それは、私が普段見る事がない、まさに性悪なみつの笑みだった。
みつの平然とした酷い質問に、カラスはなおもわめく。
「何に?! 何にって蛇によ! おっきな蛇よ! 何なのあれ!!」
「蛇、そっかぁ、蛇かぁ。ああ。だから、かがち、なのか」
みつが、わめくカラスをよそに、独りごちる。と、思い出したようにカラスに話しかけた。
「ねえ、子供は見つけた?」
「はぁ?! アタシのカラスちゃんが食べられちゃたのよォ! あんた本当に性悪ね! 子供はおシショーさまがまだ探してるわよ!」
「あっそ、ありがと。じゃ、引き続きよろしくね」
そう言うと、みつはまだ何か言葉を発しようとしているカラスを唇まで近づけ、フッと、息を吹きかけた。すると、カラスはまた唐突に消え、みつの手の平には紙切れだけが残った。
唐突に訪れる静寂。
「……瀬尾」
「はい」
「あの加賀士山の、主。あれは、おろち? みづち? かがちならおろちかな」
「詳しくはわかりかねますが、みづちではありません。主神様方の眷属ではありえません。おろち、というのも少し違う気が致します。大蛇ではあるでしょうが、アレは、主。あの山に居り人々に奉られた、あの山の主。それ以外の何者でもない、というのが私の総評です」
「そっか」
みつと瀬尾の、わからないやりとり。玉葉くんは我関せずという風に尻尾をぷらぷらさせている。
「本来なら、子供を攫う、などという性質のものでは無いと思います。ですから、そこがなにやら不思議です。あそこの主は……ああ、そいういえば」
瀬尾が、何かを思い出したように、ふとみつを見た。みつも、何事かと瀬尾を見る。
「先程の人喰いの話し。そのモノが望んでいたのか望まざるものだったのかは、知る由もないのですが。あの山の主には昔、」
「まって」
瀬尾が説明しようとするのを、みつがハッと遮った。唐突に、突然に、まるで次の言葉を知っているように。瀬尾はその様子に疑問をもったようだったが、ふと私を見て、得心したように頷いた。な、何?二人の間で何の共有が起こったの?
「なるほど。昔の悪習だ。胸糞悪い」
みつが、苦々しげに吐き捨てた。こんな風に口悪く罵るのは、珍しい。
と、ふと、唐突に気づいてしまった。
人喰い。結果的。山の主。みつの悪態。確信は無いが予想はつく。そういった話は昔から、いや昔だからこそあったのだろう。……人身御供。生きた人をその存在に捧げ、怒りを納めたり、祝福を貰ったりする、悪習。もしその山の主、とやらがそれを受け、受け容れたのなら。ならば、それは。
「あっ」
早くなる鼓動と共に、思わず声を出してしまった。口に手を当てて押さえるが、遅かった。みつと瀬尾が、何だと振り返った。瞬間、みつが眉を寄せて私を心配そうに覗き込んだ。
「かおちゃん。顔色が悪いよ、大丈夫?」
「あ、だ、いじょうぶ」
自分でも、何でこんなに声が震えるのか、わからない。怖い。その事実が。それが行われたという山が、人が、怖い。何で、こんなに身につまされるのだろう。わからない。
そんな私を、瀬尾は優しい目をして見ていた。
「もう、遠い遠い昔の話しです。わたくしがこの橋に座した時ですら、既に昔の話だと聞きました。本当かどうかすら、もう知る由はありません。どうか、御伽噺と、お聞き流しくださいませ」
瀬尾の柔らかい落ち着いた言葉に、動悸が治まっていくのがわかった。みつと玉葉くんは、まだ私を心配そうに見ている。大丈夫、と少し微笑んで見せると、ちょっとだけ安心してくれたようだ。
「神凪さん、はい尻尾」
玉葉くんが、気を利かせて私に尻尾をさしだす。そのふわふわでさらさらで温かい、最高にモフモフできそうな、尻尾を。ああ、良い子だなあ。私はその言葉に甘え、みつの横に回って、みつの頭の上にいる玉葉くんの尻尾を撫でた。この尻尾を撫でていると動悸なんか飛んでいくわ……なんて現金なんだ、私。さすがに、自分自身にちょっと引いた。でもこの尻尾はそれぐらい魅力的なのだと力説したい。
「まあ、あんまりはっきりとはわかんなかったけどぉ、とりあえずあの子とその山の主が無関係じゃなさそう、っていうのがわかっただけで、良しとしようか」
みつが、尻尾をモフり続ける私を横目で見ながら、苦笑して言った。瀬尾も微笑んでいる。いや、触ったらわかるから、この毛並みの良さ。
「今日はありがとね、瀬尾」
「いえ、これぐらいの事であれば、お安い御用ですわ」
「そういえば、いつものちっこいうるさいのは今日居ないんだね。居たら聞き込みでも押し付けようと思ったのに」
未だ尻尾に夢中の私を差し置いて、みつと瀬尾が話している。みつの言葉に、瀬尾はきょとんとしていたが、ハッと思い当たったのだろう、困ったように笑っていた。
「マルの事ですわね。なにやら、シロがびょういん? に行って大変なようで、しばらく来れないと言っておりましたわ」
「シロくんに何かあったんですか!」
突然大声を上げた私に、驚いたように視線が集まった。しまった。だけど、シロくんの事心配なんだもの。瀬尾は安心させるように柔らかく微笑んだ。
「今はもう、シオリさんの所に戻っているので、大丈夫なようです。ですが、元気が無いようで…。だから、色々頑張っているようですわ」
「そうなんですか。まあ、病院に行ったなら大丈夫だろうし、また元気に遊びに来てくれたら、聞いてみます」
「ええ。わたくしからもそちらに伺うように、話しておきますね」
「はい」
とりあえず、瀬尾から言ってくれるようだし、またマルちゃんやシロくんが遊びに来るのを待とうと思う。
「じゃ、私達は帰ろう。またね、瀬尾」
「はい、またいつなりと。ごきげんよう」
「さようなら」
みつが、さっさと手を上げて歩き出した。私も、瀬尾にペコリと頭を下げみつの後に続く。瀬尾は私達に向かって、綺麗なお辞儀をしていた。少し歩いて振り向くと、もうそこに瀬尾の姿は無かった。
帰り道。
「あっ、そういえば。前のお正月の時にもらった、あの丸薬みたいなものの正体、聞きそびれちゃったわね」
突然思い出した。あの時シロくん経由でもらった、謎の薬。今はみつの机の一番上に、色んなアレコレと一緒に保管されているハズだ。私が持っててもしょうがないし。みつも、あー、と声を上げた。
「そういえば、忘れてたねー。まあ、また今度聞こう」
その今度、がいつ来るのかわからないけど。瀬尾は変わらずあそこに居るだろうし、また何かの機会に聞けば良いか。もしかしたら、お肌ツヤツヤになる秘伝の薬かもしれないし、聞けるなら聞いておきたいよね。
空は日が傾き、茜色の柔らかい光が差していた。
結構話しこ込んでいたようだ。夕方にもなると、少し肌寒くなってくる。
遠く、茜の日差しに照らされ紅く色づくあの山を見る。今ごろ、悠斗は大丈夫だろうか。そして、鷹也も。
あの山は、何も語らず、ただそこで朱色に輝いていた。
カラス、を通してオネエ参上。式をケータイがわりに使うというまさかの展開w




