狐と河とカラス
瀬尾の居る河は、前来た時と同じように澄んでいた。
「綺麗な河だね。いっぱいいる」
玉葉くんが、みつの頭の上で尻尾を揺らしながらご機嫌で言った。玉葉くんはここに来るまで、私の鞄の中に隠されていたから、外に出られて嬉しいようだ。仕方ないんだもの、駅に普通に狐は連れていけないんだもの。ケージとかも持ってなかったから、鞄の中身を事務所に置いて玉葉くんに入ってもらうしかなかったんだもの。
しかし、玉葉くんは中型犬ぐらいの大きさだったはずだが、私のA4書類が入るものよりさらに少し大きめの鞄でも入ったし、重くもなかった。変化ってやつかしら。便利だわ。
「玉葉、アレは食べちゃダメだよ。たしにもならないから」
「はぁい」
みつと玉葉くんが、何もない川辺を見ながら会話している。私には見えないから、まあ、そういう会話なのだろう。
そんな感じでぷらぷら瀬尾の居る橋に来た。
前に来た時と、全く変わらない。まあ、橋などの公共物が数年で変わっても困るは困るか。
「瀬尾ー、いるー?」
みつが、頭の上に玉葉くんを乗せたまま(案外二人とも気に入っているのだろうか)瀬尾を呼んだ。
「はい、不破様。お呼びですか」
少しもしないうちに、背後から懐かしい声が聞こえた。鈴の鳴るような声。久しぶりの不意打ちに、ビクッと振り返ってしまった。みつは悠々と振り返る。
「久しぶり~。今日はちょっと聞きたい事があってね~」
「お久しぶり、ですわね。不破様、助手様。それに、新顔がお一人」
ころころと、手を口に当て控えめに笑う瀬尾。うーん、綺麗な外見と姫力は未だ健在だ。
「よく言うよ。久しぶりなんて思うほど、瀬尾には経ってないでしょ」
「まあ、不破様。わたくし、これでも年に一度、主神様方にご挨拶に行きますのよ、時の経過ぐらいわかりますわ」
怒ったような言葉を言うが、瀬尾はあくまで笑っている。みつも、それ以上はイジるつもりも無いらしく、肩を竦めた。と、瀬尾がみつの頭の上にいる玉葉くんに気づいた。いや、気づいていたが言い出すタイミングを見計らっていたのだろうか。
「そのお子は、不破様達の新しいお友達ですか?」
瀬尾は、玉葉くんが何かわかっているのだろうか。みつは、自分の頭の上にいる玉葉君を見るように、目だけ上を向けて、
「友達じゃないよ。従業員。でも、私の使役でも式でも眷属でも無いよ。だってこの子、稲荷になるからね」
「まあ、左様でございましたか。お稲荷様なのですね」
「いつかはね。今はまだ、ただの気狐だよ。玉葉、ほら挨拶しな。河姫の瀬尾だよ」
みつは、自分の頭の上にいる玉葉くんを無造作に両手で持ち上げ、瀬尾の目線の高さに降ろした。
「こんにちは、瀬尾さん。玉葉です」
「こんにちは、玉葉様。瀬尾です、よしなに」
しゃなりと丁寧にお辞儀をする瀬尾の仕草は、本当に見てて美しい。玉葉くんもそれにあわせて深くお辞儀した。そして、瀬尾をじっと見た後口を開いた。
「河姫って、河にいる妖? それにしては、あなたは」
玉葉くんがそこで言葉を切った。瀬尾は驚いた顔をした後、ころころと笑った。
「まあ。お稲荷様にはわかってしまうのですね。一度不浄を溜め込んだこの存在が」
「不浄かどうかはわからないけど、あなたはとても水に縁のある神に愛されているね。水の神気が凄く濃いよ」
瀬尾は自虐するように目を伏せて微笑んでいたが、玉葉くんはそれを無邪気に否定して、にっこり笑った。そんな玉葉くんにまたしても驚いたようだったが、瀬尾は困ったように笑った。
「そう、でしょうか」
「わかるよ。僕も、うか様のご機嫌が良い時はそれぐらい気を纏えたから」
「まあ」
二人にしかわからない会話のようで、私と、みつですら置いてけぼりだ。肩を竦めて、みつは急に玉葉くんを持ち上げ、また自分の頭の上に乗せた。
「はいはい、愛され自慢はそこまで。瀬尾、今日は聞きたい事があって来たんだぁ」
「まあ、左様でしたか。わたくしにわかる事であれば、何なりと」
瀬尾は、いつものペースを取り戻したように、優雅に会釈した。みつは頷いて口を開いた。
「あそこに、加賀士山ってあるよね。ここにも水が注ぎ込んでいると思うんだけど。あそこに、人喰いは、いる?」
あの山に鹿は居る? と聞いているような自然さで、不自然な言葉を平然とみつは口にした。
瀬尾は驚いたようだったが、それは、その言葉に驚いたという風ではなかった。まあ、という言葉とともに控えめに口に添えられた手の優雅さ、唇の端の上がり具合から動揺しているのでは無いと知れた。
「久しぶりに聞く言葉ですわね。懐かしい。そのように勢いのある妖の話しを、最近はとんと聞きませんわ。夜の闇が照らされ、空に線が張り巡らされ、地を鉄の乗り物が走るようになってからは、とんと」
うふふ、と笑う瀬尾は、確かに美しい女性なのだが、既に人では無いのだと再確認して、少し背筋が冷えた。ふとみつを見る。みつも平然と言葉を発した時のまま、瀬尾の言葉を聞いている。
「そうだよねえ。そんな奴いたら、みつも話しを聞くと思ったんだぁ。じゃあ、瀬尾が知る限りでは、あの山ではそういったモノはいないんだね?」
みつの言葉に、瀬尾はこくりと頷いた。人差し指を顎に当て、みつはさらに瀬尾に聞いた。
「そっか~。じゃあ、あの山の主を知ってる? さすがに、主に黙って人の子は攫えないでしょ」
「まあ、人の子が攫われたのですか。大変ですわね」
始めて、瀬尾が本当の動揺をみせた。驚いたように手を口に当てている。
「全く、おかげで余計な手間だよ。で、あの山に主はいるの? もういない?」
みつがふんと鼻を鳴らして、腰に手を当てた。瀬尾はみつの言葉に、考えるように首を傾げた後、頷いた。
「あそこには、まだ、いたハズです。昔は、人に盛大に祭られ、豊かな恵みがあったようですが、最近はあまり……」
「ふぅん」
瀬尾が目を伏せ、少し悲しげに言った。そんな瀬尾に全く興味なさそうに、みつは生返事をした。目は、あの山の方に向かっている。
「主って、なあに?」
と、みつの頭の上からのんきな声がした。尻尾をぷらぷらさせている、玉葉くんだ。可愛い。みつは山に向けていた目を、見えないだろうが自分の真上にいる玉葉くんに向けた。
「主ってのは、その土地に根ざし、その土地を見守り管理する存在、って感じかな。大体は、年経た生き物がなるようだね。稲荷もそうだろう?」
「そうなのかなあ、僕にはまだわからないよ。あちらでは、うか様が全てだから」
「はいはい、うか様うか様」
みつと玉葉くんの会話に、瀬尾がふふっと声を上げて笑った。思わず瀬尾の方を見ると、声を立てたことに気づかれたのに恥ずかしそうに、眉を下げていた。恥ずかしさをごまかすように、玉葉に話しかけた。
「うか様、というのは宇迦之御魂神の事ですね。そのような高天原の神と比べてしまっては箸にもかからないような存在ですよ、主という存在は」
「そうなの? その地を管理しているんでしょう? だったらそこの地の神と同義ではないの?」
玉葉くんのきょとんとした質問に、瀬尾は少し寂しそうに首を振った。
「カミ、と呼んでしまえば、カミにもなりましょう。カミはその辺の木や水や地に、全てに宿っているといっても過言ではありません。ただ、そのカミにも神位、位の貴賎はあります。最上位が、高天原におわす神。あなたの主神の宇迦之御魂神などですね。ついで、国津神。この地にまします土着の神々です。そして最後に、神に近しい存在に成ったモノ。祭り敬い尊敬と感謝と畏怖を集めたモノが、カミと呼ばれる事があります。だから、そうやって信仰し祭った人々が居なくなると、弱まってしまう。それが、ここの主。あの山に参拝に行く者は、もうそうはいないでしょう」
瀬尾の言葉に、玉葉くんが心配そうにキューンと鳴いた。私の心がきゅーんとした。
「それじゃあ、その主っていうのが居なくなったら、あの山はどうなるの? 山は死んじゃうの?」
山が死ぬ、という発想は無かった。玉葉くんを見ると、いたく真面目に言っているようで、小さな子を見ているようだった。可愛い。瀬尾はその言葉を笑い飛ばすことなく、小さく首を振って、優しい目で玉葉くんを見た。
「主、が死んでも、あの地はこの世に従うだけですわ。すぐ共に死ぬ事はありません。水が上から下に流れ、太陽が昇り沈み、四季が廻る。そいういったこの世の理のようなものに従うだけです。主は居ずとも、草木は萌たち、鳥獣は生まれて死にます。ですが、確実に山の恵みは衰えるでしょう。主が保っていた平衡は大きな流れに従い、もはや細やかな調停の及ばぬ地になる。それもまた仕方のない事なのでしょう」
瀬尾の話は私には難しかったが、だが、主が居ないと少し不都合があるようだ、というのだけはわかった。だが、不都合があるだけで、周りと同じになるだけなのだと瀬尾は言う。それは死ぬ事ではない。玉葉くんも、それとなくは理解したようだった。
だが、もし、その主とやらが山に、自分の地に対して何か干渉できるというのなら、あの山だけ一足先に紅葉したのも頷ける話だ。あの山の紅葉はいまだ進み、あの山だけがもう三分の一も紅葉している。周りの山々は、ようやく山頂付近が赤く色づき始めたぐらいなのに。それが、どういう事を意味しているのか、私にはわからない。が、みつがずっと黙ってあの山を見ているのが、少しだけ嫌な予感がした。
と、思った次の瞬間には、違う方向から予感が向かってきていた。
※なんちゃって解説回。カラスは結局出てきませんでしたw




