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事務所の新しい日常

前話(短)ふまえて始まり始まり~







 雨が降りしきる梅雨の晴れ間に、不破探偵事務所に従業員が増えた。


 そのこは、高校生ぐらいのまだあどけなさが少し残る青年で、耳と尻尾が生えるのだ! もちろん、フェイクとか作り物とかそんなちゃちなモノじゃぁない。ある意味本物であり、ある意味存在しないものである、らしい。らしいというのは、それが伝え聞いたものだからだ。

 誰からか。

 もちろん、この探偵事務所唯一の探偵にして事務所のオーナー、みつである。

 みつは安易に賭けて、その賭けに負けて不本意ながら従業員を雇う事になった。

 誰か。


「玉葉くん、これを棚の上に上げてくれないかしら」

「いいよ」


 そう、あの怖いお姉さんをどうやってか説得し、うちで働く許可をもらった、玉葉くんだ。

 私よりも背が高いので、棚の上にしばらく使わないファイルを上げてもらう。


「かおちゃんお茶ぁ~」


 全く働かない探偵先生を振り返り、ひとつため息をつき返事をする。


「はいはい、少々お待ちください。玉葉くんも座っててね」

「あ、僕手伝うよ」

「まあ! ありがとう、じゃあ、お願いするわね」

「うん」


 玉葉くんがあまりに良い子なので、感動することしきりだ。ああ、でも、比較対象がみつしか居ないので、余計そう思うのかもしれない。

 玉葉くんは、人の暮らしが物珍しいようで、結構進んで手伝いをしてくれるし、色々聞いてくる。中にはビックリするような、お金って何とか、決まった時間に動くのは何でとか、当たり前だと思ってた事を物珍しそうに聞いてくるので、考えさせられてしまう。でもそれはそれで、私にとっても刺激になって面白いと思う。

 今日は、お茶を煎れる、というのを珍しそうに見ていた。電気ケトルでお湯が沸く原理を知らないので聞かれたらどうしようと危惧していたが、どうやら興味は違ったようだ。


「ねえ、神凪さん。お茶は、何で熱い水で作るの?」


 たまに、玉葉くんはエキサイト翻訳のような言葉になる。多分、単語を知らないのだろう。


「熱い水は、お湯って言うのよ。お湯でお茶を煎れるのは、お茶の葉にある美味しい成分が、お湯で出てくるから、だと思う」

「ふぅん?」


 玉葉くんは、まだまだ勉強中だ。


 みつのためにいつも通りお茶を煎れ運ぼうとしたら、玉葉くんがまた手伝いを申し出てくれた。運んでくれるらしい。お礼を言い、お盆に入れて持たせてあげる。ああ、一生懸命で可愛いなあ。お小遣いあげたいなあ。でも、それは、みつから禁止されている。


「はい、不破さん。どうぞ」


 みつの所にお茶が運ばれた時には、体積が半分ぐらいになっていた。おぼんに入れておいてよかった。

 みつは複雑な顔をしながらも、怒らないでそれを受け取った。しぶしぶながらも、礼を言う。もちろん、私がプレッシャーをかけたからだけど。

 玉葉くんは一仕事終え、満足そうに私も座る来客用のソファーの方に来て、対面に腰掛けた。


「……かおちゃん。玉葉にお茶あげてないよね」

「ええ、言いつけどおりに」


 玉葉くんが座ったのを確認して、机に顔をつけ溶けているみつが声をかけた。

 私とみつの前にはお茶があるが、玉葉くんの前には無い。これは、決してみつの意地悪ではないのだ。もちろん、意味がある。私には良くわからない世界での、意味が。


「食べちゃダメ、飲んじゃダメ、買っちゃダメ、でしょう。僕ちゃんと覚えてるよ」


 玉葉くんは、手持ち無沙汰に足をプラプラさせながら歌うように言った。


 あの日、玉葉くんが狐の奥さんから許可を貰って事務所に帰ってきた日、みつが初めて玉葉くんにかけた言葉が、先程の言葉だった。





 

『いい、玉葉。うちで働くなら、この世界にしばらくとどまるというのなら、食べちゃダメ、飲んじゃダメ、買っちゃダメ。良いね』

『なんで?』

『……きみは別の層から、言うなれば天界から此方こちらに降りてきている。此方は言わば、きみにとっての黄泉よみだ。此方での飲食は、黄泉戸喫よもつへぐいにあたると思う。きみの姉のように此方で終わるというならそれでも良いけど、きみは違うでしょう。ウカノミタマに仕える為に還らなければならない。ならば、こちらに属する事やけがれをためる事はなるべくしないほうが良い。還れなくなる』

『……』

『どうしたの?』

『いや…。不破さんが、僕の事そんなに心配してくれてたなんて、知らなかったよ。ありがとう』

『別に』


 そう言ってそっぽ向いたみつは、ツンデレってやつだと思う。

 とにもかくにも、話している内容は良くわからなかったが、みつは玉葉くんの入社を認め、なおかつ玉葉くんを心配しているという事だけはわかったので、良しとしようと思う。


 それからみつに、玉葉くんには、食べ物を与えてはダメ、飲み物もダメ、お金を渡しそれで買い物をさせるのもダメ、というお達しを受けた。玉葉くんが此方で使う身体いれものはみつが作ったモノなので、飲食などの代謝は必要無いらしい。お腹減らないって良いなあ。そして買い物をさせてはいけないというのは、貨幣を使い売買をするという行為、商売というのは、あまり神聖とはされない行為なので、させない方が良いという。理屈は納得できないが、みつが言う事を破ってまでお小遣いをあげたいわけではないし、何かを玉葉くんにあげるというのはセーフらしく、買い与えたら良いだけなので、特に反発はしなかった。


「もうお手伝いする事、なぁい?」


 玉葉くんが、足をぷらぷらさせたまま、私に聞いた。しばらく考えるが、お願いできそうな簡単な事は、もう思いつかない。


「ごめんなさいね、今の所は大丈夫よ」


 もともと、私ですら暇になる事が多い仕事量なのだ。なんとか玉葉くんに役割を与えてあげたいんだけど、なかなか思いつかない。

 ちなみに、玉葉くんが来て、今日で三日目。

 初日はすぐに私の定時が来てその後の事を知らないし、二日目は朝から夕まで質問攻めにされた。姉は、必要最低限と生活まわりの事だけしか教えてないらしい。

 そして迎えた今日三日目。何も、やる事が、無い! 声を大きくする事じゃないけど、本当に無いのだ。やる事がなくて悲しそうな顔をする玉葉くんに、私も心が痛む。せっかく、この事務所に人が増えたというのに。

 そんな私達のようすを、机の上に肘をついてとけているみつが見て、言った。


新従業員の玉葉ともども、宜しくお願いしますw


黄泉戸喫→よもつへぐい。黄泉、あの世の食べ物をこの世のものが食べると、あの世から帰れなくなるという。

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