涙雨
「かおちゃんっ、かおちゃん」
急いで駆け寄ったみつが抱え起こすと、薫はすぅすぅと、寝息のように安らかな呼吸をしていた。
安堵で、どっと出ていた汗が引く。そして気づく。先程まで出ていたわき腹からの血が、止まっている事に。そして、痛みすらない事に。バッと薫を見るが、薫は安らかに目を閉じているだけだ。みつは、複雑そうな顔をして、薫をギュッと抱きしめた。
「時雨、なんで、キミはこんな事に……」
一方、玉葉は青年の横にかがみこんで、眉を寄せていた。泣いてしまいそうなその耐える顔は、ののかの耐える顔と似ている。
玉葉の呼びかけに、青年はうっすら目を開いた。そして、痛みに呻き体を揺する。青年は目を開けると同時に、ここがどこかわからないように辺りを見回した。
「な、んだ、ここは」
「時雨、キミ覚えてないの……」
玉葉の声と姿を認めると同時に、ハッとし、玉葉から距離をとろうと身体を揺すった。が、身体は言う事を聞かず、数センチも動く事は叶わなかった。
そのあからさまな拒絶に、玉葉は悲しそうな顔をした。だが心優しい玉葉は、彼の望み通り、彼から少し離れた。その様を見て、青年、時雨は苛っとした顔をした。
と、同時に、玉葉の向こうに、少女の姿を見つけた。白い巫女装束の、ののかだ。だが、ののかは一連の現実離れした出来事についてこれず、呆然と青年と玉葉を見ていた。
瞬間、嬉しそうな顔をした時雨だったが、そのののかの顔を見て、一瞬で悲しそうな顔になった。
そんな時雨の表情の動きに気づき、玉葉もののかを振り返る。
「あの子は、覚えてる?」
驚き、戸惑い動揺している少女を、玉葉は憐れに思った。何があったか知らないが、あの状態の時雨と同調してしまうなんて、と。
「の、のか。俺を、此方に繋ぎとめた、人間」
「そう、ののかちゃんというんだね」
「俺は、あいつを、助けたかった、だけなのに」
時雨はグッと眉を寄せると、苦しそうな顔で、ののかを見た。ののかは時雨に見らると、今度はビクッと身を竦めた。それを見て、今度は時雨が泣きそうに顔を歪める。
「なにを、間違ったんだろう……どこからかも、もう、わからないんだ」
ふいっと、ののかから、玉葉からも顔を背ける時雨。玉葉は少し悲しそうな顔をしたまま、
「僕も、どこから間違えたのかわからないんだ……。キミと、友達になりたかった」
そう言った。
そんな玉葉の顔を見て、時雨は怒ったような苛立ったような声を上げた。
「俺は、友達なんて要らない! お前なんて嫌いだ!」
その言葉に、玉葉は傷ついたような、でも受け容れるような顔をした。その言葉に一番傷ついた顔をしていたのは、なんと、ののかであった。ののかにも、二人の会話は聞こえていた。意味も、経緯もわからないが、二人が同じような服を着て、同じように狐耳と尻尾を生やしているところから、近しいものとは思っていた。戦ってはいたが、二人はどこか苦しそうだったから。
でも、今の、お狐様の言葉は、深く深くののかの心に刺さった。
ぼんやりしていたこの数日で久しぶりに自分の心が、痛い。
その痛みで、身体を動かすことを思い出したかのように、ののかは、ふらりと立ち上がり、おぼつかない足取りで二人に、時雨に近づいた。
「お、きつね、様」
ののかが近づいて来たことに、時雨は驚いたような顔をした後、顔をくしゃっと歪めた。
「ののか、まだ、俺をそう呼んでくれるのか」
その声には嬉しさが混じっていた。だが、ののかは眉を寄せ、泣きそうになった。
「わた、私は、お狐様と、友達に、なりたかった。友達になって欲しかった」
そう、唇と声を震わせて、お狐様、時雨に言った。初めて、ののかが口にした希望。それは、時雨には伝わっていなかった。口にしないと、伝わらないもの。
ののかは玉葉と同じようにしゃがみ、時雨を見た。
「そ、れは、俺は、お前を助けたくて」
時雨は、ののかの言葉に動揺したように言葉が揺れる。
ののかは、ごめんなさい、と言うと泣き出した。ぽろぽろと涙を流しながら。
「わたし、私が、お狐様を頼ったから、私が、願ったから、お狐様はああなっちゃったんだよね。あのお姉さん達が言ってたこと、わかってた。でも、でも、認めたくなかった。本当に、ごめんなさい」
震える声で、でも一生懸命、時雨に思いを伝えようと、ののかは泣きながらも時雨をちゃんと見て、言った。時雨はそんなののかを、これまた泣きそうな顔をこらえ見ていた。
玉葉は静かに二人を見守っている。
「ごめんなさい。私、お狐様に、悪い事して欲しくなかったのに、私が願いを間違っちゃったから、お狐様は変わっちゃったんだよね。どうしたら良いのかわからなくなってた。でも、でも、今なら、お狐様も、私の言葉が通じる今なら」
ののかはそこで、ぐっと着物の袖で涙をぬぐうと、しっかりと時雨を見た。
「今度こそ、お友達になろう、お狐さ……。あ」
ののかは、しまった、という顔をした。助けを求めるように左右を見る。玉葉が気づいたように、優しく言った。
「時雨。彼の本当の名前は、時雨だよ」
優しそうな玉葉の雰囲気に安心したのか、ののかは頷いて、また時雨を見た。友達になろうとする人の名前すら知らなかったなんて、本当に、伝えないと伝わらないんだ。ののかは、改めて、気づいた。
「友達に、なってください。時雨、さん」
そう言って、泣きそうな顔でにっこり、笑った。
その瞬間、時雨はまだ有る右手で顔を覆った。覆って、泣いた。震える肩。震える声。
「俺は、俺はお前を不幸にしか、できなかったのにっ。そんな顔して、俺と、俺とっ」
それから、言葉が出て来ないようで、押し殺したような嗚咽が続く。
何で、そんなに泣かせてしまったのか。ののかはわからないようにオロオロしていた。そんな二人を見て、玉葉がののかに優しく話しかけた。
「ののかちゃん、だね」
突然話しかけられてびっくりしたが、一回信用しているので素直にののかは頷いて、玉葉を見た。
「僕は、玉葉。彼と同じところから来た、って言ったら、信じてくれる?」
ののかは、玉葉の狐耳と尻尾を見て、頷いた。その素直さに、玉葉はまたにこりと微笑んだ。
「ありがとう。……色々と向こうも複雑でね。そんな中でも、僕は彼と近しいものを感じてたし、友達になりたかった。だけど、嫌われちゃって」
そう言って、寂しそうに微笑む玉葉に、ののかはどう言葉を返していいのかわからないようだった。でも、ゆっくり頷いた。
「私も、友達になりたかった人から、嫌われたの。その気持ち、少し、わかる」
ののかはそう言って、目を伏せた。
「何で嫌われたのか、わからないの。ある日突然、無視されて。それから、イジメられてた。そんな時に、お狐様に会ったの。嬉しかった。でも、お狐様は、私と、友達にはなってくれなかった」
「そんなこと……」
「そんな事ない!」
ののかの言葉を否定しようとする玉葉の声に勢いよくかぶったのは、時雨の声だった。目は真っ赤にはれているが、もう、落ち着いたようだ。
「俺は、お前を助けたくてっ、それだけでっ」
「お狐様がいてくれる、お話してくれるだけで、私はずっと助けられてたよ」
必死に言い募ろうとする時雨に、ののかはまた泣きそうな笑顔を向けた。そして、
「だって、やっぱり、独りは悲しいもん」
そう言って、ちょっと潤んだ瞳を、着物でごしごし拭いた。そして、微笑んだ。
その、ののかの言葉に、時雨はグッと詰まった顔をした。が、ののかの視線に耐えられないように、顔を背けた。
「おれ、は、独りで良い、んだ」
「まだお父さんの言葉を気にしているの」
吐き出すように呟く時雨に、玉葉は痛ましそうにそう声をかけた。とたん、ギッと玉葉を睨む時雨。
「違う! 父上は関係ない! 俺は俺だ!」
「そうは思えないけど」
「出来損ないはお前達姉弟だ! 俺は違う!!」
時雨の言葉に、玉葉は痛そうな顔をした。だが、
「出来損いなんて、居ないんだよ。うか様もそう仰ってただろう。もう、その言葉の呪縛から、解き放たれても良いんじゃないかな」
玉葉は悲しそうだがあくまで穏やかに、そう言った。時雨はそんな玉葉に、激昂した。
「何で! 何でお前ばっかり優しくされるんだよ! なんで、お前は俺を責めないんだよ! 哀れんでるのか!」
怒鳴る時雨に、玉葉は驚いたような顔をした後、どうしていいのかわからないように眉を下げた。
「そんな、つもりは」
「知ってるさ! この怒りが八つ当たりである事ぐらい! 何でお前は、そうやっていつもいつも」
怒鳴り、興奮する時雨の頭を、そっと包む両手があった。ののかだ。そのまま頭を抱え、正座している自分の膝の上に乗せる。
「お狐様、ううん、時雨さんは、玉葉さんの事が怖かったんだね」
ののかの言葉に、ののかと言えど睨み上げる時雨を、ののかはあくまで優しく見つめていた。
「他人から差し出される手は、怖い。優しくされるのは、裏があるんじゃないかって、裏切られるんじゃないかって疑ってしまう。世界に独りだと思うと、他人が、怖い。優しい人が、怖い」
それは、ののかが思ったことなのだろうか。時雨は睨むのを止め、何とも言えない顔でののかを見上げていた。
「だから、お狐様……時雨さんが私の所に来てくれたとき、とっても、とっても嬉しかった。だって、怖い他人じゃないから。私の為に居てくれるって言ってくれたから。その嬉しさを返せなかったの、ずっと気にしてたの」
「そんな、俺、の方が、ずっと助けられた」
「ううん。私の方が、もっとずっと助けられた。でも、お狐様がどんどん歪んで行くの、止められなかった。だって、止めたら、私の所から居なくなるんじゃないかって、もう側に居てくれなくなるんじゃないかって怖かったから。でも、今なら大丈夫。今なら、時雨さんは私の言葉を聴いてくれる、わかってくれる。だから、ねえ」
お友達に、なってください。
ののかの言葉が、優しく響く。
頑なだった時雨の心に、深く、柔らかく。
友達。
今まで忌まわしく恐ろしかった、その言葉が、今はなんだかとても優しいもののように聞こえる。
そうか、もう、良いのかもしれない。
独りで立たなくてはいけないと、ずっと思っていたけど。
もう、そんな風に考えなくても、良いのかもしれない。
もう、優しい他人の手に怯えなくても、良いのかもしれない。
友達という言葉が、今は、この子のように、優しい言葉のように聞こえる。
みんな泣いてる




