春嵐
ギィィイと、重たい扉が開く。
扉に鍵はかかっていなかった。抵抗するのは、扉の重みだけ。だがそれも、私とみつが一緒に押す事で、問題無く開いた。
扉の隙間が広がる。みつが、するりと中に入った。私も続いて入る。ちらりと後ろを振り返ると、嶺川がにこやかに手を振っていた。他人事だと思って……他人事か。
中に入ると、そこは異様な空間だった。
まず、部屋は先程の廊下より薄暗く、薄暗いというより、仄明るいと言ったほうが良い。天井付近にあるはずの照明器具は無く、壁に窓は無く、四隅の灯篭と百数十の蝋燭の明りだけが揺らめいている。
その蝋燭の中心に座するのは、白い巫女装束を着た、少女。髪を下ろし、眼鏡無く俯いているが、間違い無い、あれは、ののかだ。
ののかは、部屋の中心に拵えられた一段高い壇の上で、ぼんやり座っていた。その段の四方には丸く細い柱が伸び、部屋の中だというのに屋根がありその屋根から幕が垂れ、一種の社のようになっていた。その社を取り囲むように、蝋燭の頼りない明りが揺らめいている。
異様な空間に、眩暈がした。
そして、先程から気になっている、低い男性の聞き取れない何かを読みあげる声は、何なのだろうか。意識をそちらに向けると、読経の声の主は社の中央に座すののかの横に座り、一心に何かを唱えていた。
禿頭の男だが、神主が祈祷の時に着るような、ふんわりした着物を着ている。寺なのか神社なのか解らない。真っ白の地にテカテカと何かの模様が浮かび上がっている。
あれが、あの男が、教主。ののかを攫い、これまでの狐の被害を出し、フジさんの家を襲撃した、頭目。
その異様な雰囲気にのまれ、私は声が出ない。
みつは先程から険しい顔をして、男を無視しののかの頭の上のほうを睨みつけていた。私には見えない、あの狐が、いるのだろうか。
「ののか。何で、その狐が祭られている」
みつが、呼びかける。その声は、険しい。
みつの声に、ようやく男は侵入者の存在に気づいたらしい。読経の声をハッとやめ、後ろを振り返る。
「何者か! 神聖なこの場に立ち入るなどと無礼者が!」
男が読経の声を止めたので、真ん中のののかも何事かと顔を上げた。其の顔は、虚ろ。ぼんやりと焦点も定まっていない。
何が、あった。
「こんな場所が神聖だって? はっ、笑わせる。何もかもがごちゃごちゃのこんな場所で、そんな狐を祭り上げて、何が神聖よ。馬っ鹿じゃないの」
みつは両手を広げて首をすくめ、わかりやすく馬鹿にする。男はカッとなって立ち上がったが、一瞬で落ち着きを取り戻したのは、教主としてのプライドだろうか。
「何を言う! この有難くも神聖なる御狐様をその目で視ながら、その価値がわからぬとは! さては貴様、自称霊能力者であろう! 無礼者が天罰を食らわすぞ!」
思わずみつが吹き出した。そのまま笑い出す。私も、ちょっと頬の内側を噛んでしまった。
「て、天罰っ。天罰って。それあなた達が食らうものでしょう。山住神社の神使は、そう判断なさったよ」
可笑しさで声が震え、笑い続けるみつ。そんな話し方でちゃんと相手に意味が通じるのだろうか。通じなかったようだ。
「そんな邪道な神社など知らぬ! ええい、埒があかぬ! オン バザラ ダーキニ……」
男は手で何か複雑な形を組むと、みつが唱えるような意味のわからない音を唱え始めた。みつはその音を途中まで聞くと、嫌そうな顔をした。
「下種が」
そう吐き捨てるように言うと、手に持った例の短刀を両手で掲げ、ゆっくり引き抜いていく。短刀は、薄く光っている。
「縁によりて この場に汝を召喚する 吾が名は不破。汝其の名は 玉葉!」
朗々としたみつの宣言するような声が、男の音を掻き消す。
鞘から引き抜かれる刀身は白く輝き、薄暗い部屋に光が満ち溢れ光は霧になり、次の瞬間。
「うわ! げほっげほっ」
誰もいなかったはずの空間から、声がした。その声は、聞き覚えのある声で。
「無理やりすぎるよ不破さん! びっくりしたっ」
玉葉だった。いや、玉葉であるはずだった。だが、声がした空間には、白い靄しか見えなかった。
見えない、のか。
その、突然の若い男の声に、向こうも驚いたようだ。
「我が真言を阻止するとは、何奴!」
さっきからちょっと思ってたんだけど、やけに時代がかった喋り方するよね、このオジサン。
などと、少し余裕の考え事をしていたら、みつが男を無視して、玉葉であろう白い霧に話しかけていた。
「玉葉、あれがキミが捜してた狐?」
みつが、ののかの上に向かって指差した。何をやっているかはわからないが、みつの行動と声で、なんとなくわかる、気がする。
「……時雨。キミってヤツは、どこまで堕ちるつもりなんだ」
玉葉の声は、明らかに落胆し、憤っていた。
私には何も見えない、ののかの上の空間から、咆哮が響いた。そう、獣の咆哮だけだ。見えない狐と狐が動いた、気がした。
「お、御狐様!」
先程まで一段高い所でふんぞり返っていた男が、とたんに慌てふためいた。あの男も、視えるのか。私には視えないが、蝋燭の揺らめきや社の布、空気が動く気配で、何かが争って暴れているように感じられた。それも、激しい獣同士の争い。
男は、視えてしまう為か、いちいちビクッと身を竦ませ、あちらこちらへたたらを踏むように足をもつれさせ、何かを避けようとしていた。みつとののかは、ぼんやり宙を見ている。視えてないのは、私だけか。
それに気づいたみつが、私を振り向いた。
「今、玉葉と玉葉の捜していた狐が、戦ってるんだよ。かおちゃんには、見せてあげられないんだ。ごめんね」
申し訳なさそうな顔をするが、それがみつが決めた事なら、従うのみだ。それよりも。
「そう、なの。それより、なんだからわからないけど、玉葉くんが戦ってくれてるなら、ののかちゃんに今狐は憑いてないのよね? 今の内に助け出しましょう」
男は、もう段の上から逃げ出している。あそこが、一番激しいようだ。だが、ののかは傷ついていない。と言う事は、あそこはまだ安全なハズだ。
私の提案に驚いたようだが、みつは苦笑して、頷いた。スタスタと、何も気にしていないようにののかの所に行く。私もその後に続く。視えないものを気にしても仕方が無い。
ののかの前に来ても、ののかは焦点の合わない顔を宙に向けていた。
「ののかちゃん! 助けにきたのよ! 帰りましょう」
震える声帯を一生懸命励まし、呼びかける。ふと、ののかが顔を下げた。
「助けなんて、嘘。わたしから、お狐様を、とりあげる、つもりなんでしょう」
ののかの声はどこか茫洋としていて、表情も虚ろだ。まだ、目の焦点が合ってない。
「どうしちゃったの、ののかちゃん」
「巫女! その者たちの言葉に惑わされてはいけません! その者たちは、あなたから御狐様を取り上げようとしているのです!」
男が、まだたたらを踏みながら、ののかに声をかけた。ののかは、その声にはすぐに反応して、男を見た。男は、威厳なんてすべて無くしてしまったような格好で逃げ惑っているのに、まだその言葉はののかに届くのか。
「そう、そうよ。私には、此処しかない。此処にしか居場所が無いの!!」
ののかは、今度は取り乱したようにそう叫んだ。と、同時に見えない狐の咆哮が更に響く。そうだ、事務所に来た時もそうだった。ののかの感情が高まると、それに呼応するように狐が咆哮をあげる。
「うわっ!」
玉葉くんの、切羽詰ったような声がどこからかする。と、同時に何かが壁にぶつかる音がした。みつがふっと向いている方向に居るのだろうか。気にはなるが、今は視えないし、ののかの事に集中しなければ。私の、できる事を、しなければ。
「ののかちゃん、それ本気で言ってるの。あなたのご両親は、あなたの為になけなしの足跡をたどって、私達の事務所まで来たのよ!」
両親、の言葉にののかの肩がビクッとする。通じ、たのか。
「だから、ね。ここから出て、ご両親に会いに行きましょう。あなたの事、とっても心配してたわ」
私の言葉に、とたんに首を振って拒絶反応を示す。
「い、いやっ。嫌! もうイジメられるのはいや! ここが安全なの、ここでずっとずっとお狐様に守ってもらうの!」
パァンッと、音が響いた。
やって、しまった。ののかの頬を、引っぱたいてしまった。でも。
「馬鹿な事言わないで! あなたを待ってる、ご両親はどうなるの! 狐だって、悪い事して欲しくないってどうにかしてほしいってうちに来たんでしょ! 逃げないで!」
ののかは呆然とひっぱたかれた頬に手を当てていたが、キッと私を睨み返してきた。その目は、私を見ている。
「私の辛さなんて、知らないくせに!」
ののかの怒りに呼応するように、獣の咆哮が轟く。怖い。でも、でも今引きさがっては、いけない。言葉が、ようやく通じるようになった。
「言わないなら、知るわけないでしょ! あんなに優しいご両親に、なんで何も言わなかったの! わかって欲しいなら、言いなさい! 自分の言葉で!」
知ってる。言えない事があるぐらい。それが、大事な人だからこそ言えない事ぐらい。でも、言わないと、わからないのだ。大事な人だからこそ、わかってもらわないと、いけないのだ。
ののかは、ハッとしたように私を見た。ゆらゆら揺れる黒い瞳が、ののかの動揺と混乱を物語っている。あと、一押しできれば、きっとののかはわかってくれる。
「ご両親は一緒に問題を解決したいって、言っていたわ。だから、ね、帰りましょう。一緒に帰って、話しを……」
だがそこで、私の意識は途切れた。
最期の一瞬見たのは、目を見開く、みつの顔だった。
ああ、泣いたら、嫌だな……。
奉られてたのは哀れな狐と哀れな子供




