東風(こち)
次の日。
雨こそ降らなかったが、肌寒さは続き、空は灰色の雲に覆われていた。風は吹いているのに、どこまでも続く重苦しい雲が途切れることはないようだった。
昨日の、ののかは大丈夫だっただろうか。無事に家に帰り、みつの言うフジさんのところまで独りで行けるだろうか。
みつのいない事務所で、一人物思いにふけっていると、
カラン、コロン
控えめに、鐘が鳴った。
驚いた、二日連続で依頼人が来るなんて。しかも午前中に。
「ようこそ、不破探偵事務所へ……あら」
扉まで出迎えに行くと、そこには意外な顔があった。
「あ、こんにちは、神凪さん。お正月以来ですね」
控えめに笑う狐目の少年、玉葉がそこにいた。
確かに、正月に挨拶に来てくれて、後日みつ同伴で私お勧めの油揚げをお年玉として買ってあげた以来か。なんだか久しぶりに思える。
「こんにちは、玉葉くん。久しぶりね、今日はどうしたの?」
寒いだろうと、事務所の中に招きいれるように扉を開けた状態で抑える。
少し逡巡した後、玉葉は思い切ったように、事務所の中に足を踏み入れた。
「で、何かあったの? みつを叩き起こすから、少し待っててね」
玉葉くんを来客用のソファーに座らせ、お茶を出し、一息ついてから、おもむろに事務所にある固定電話の方へ向かった。この固定電話の子機は、事務所の上にあるみつの自宅内にあり、近くに置くようにキツく言ってある。こういう、みつが起きる前に来る客もいるので、仕方ないのだ。探偵先生がおきてこないのが悪い。
固定電話から子機へ内線をかける。
プルルルル、プルルルルと軽やかな音が鳴る。
呼び出している間、チラリと玉葉くんを見ると、玉葉くんはしょんぼりしたようにソファーに座っていた。どうしたのだろう。控えめな子だが、あんな風にしょんぼりした顔は見た事が無い。
二十回目のコールで、ようやくみつが出た。みつを起こすのはしつこくかけ続けるのがコツだ。根気の勝負ね。
「ぁい…」
ようやく出たみつは、やっぱり寝起きのようで起動できてなかった。
「みつ、お客さんよ。玉葉くん。早く降りてきて!」
「あ~、かおちゃん……うん、頑張るぅ」
みつは電話口で大きな欠伸をしていた。心配だが、一応今までもちゃんと降りて来ていたし、まあ、待とう。
その間、聞けることだけでも聞こうと、玉葉くんの正面に座った。
「今日はどうしたの、玉葉くん。みつに用事なんでしょう?」
玉葉くんは、私の顔をちらりと見て小さく頷いた。でも、言いにくそうに、湯のみをもてあそぶ。
どうしたのだろう。今日は本当に様子が違う。と言っても、私が見た玉葉くんは、お姉さんの狐の奥さんと嬉しそうに話しているところか、控えめにシロくんマルちゃん達とお話しているところだ。が、つねに控えめにしていたが、しょんぼりはしてなかったと思う。
「そうだ。シロくんとマルちゃんには会った? またうちの事務所に一緒に遊びに来てくれるみたいだから、玉葉くんも一緒にどう?」
この間、またマルちゃんがこの事務所に遊びにきて、そう約束してくれたのだ。うんうん、マルちゃんもシロくんも可愛いから大歓迎だわ。猫缶も買いだめしたし。そこに玉葉くんも加わってくれるととっても嬉しい。
私の言葉に、玉葉くんは控えめに笑った。
「是非に……と言いたいところだけど、ごめんなさい。今、ちょっと立て込んでて。それが終わったら、是非」
ちょっと困っているようだが、嫌がっていはいないらしい。良かった。
「そうなの。じゃあ、終わったらまたウチに来てね」
私が笑うと、玉葉くんはまた曖昧に笑った。どうしたのだろう。今日は本当に色々変だ。
と、その時、外、廊下の方からたいぎそうに歩く足音が聞こえた。
無造作に扉を開け、鐘が鳴る、
みつだ。
「優雅なお着きですね、先生」
ソファーから立ち上がり、みつを出迎える。
みつは、また大きな欠伸をして、嫌味を言った私を見てへらりと笑った。
「おはよ~、かおちゃん」
「はいはい、おはようございます」
みつの起動率は、半分ぐらいか。まあ、嫌味に気づかれないのはいつもの事だし、話しを聞く事ぐらいはできるだろう。
しかし、いつも感心するのだが、今日もポニーテルをきっちり作っていた。みつのサラフワな髪ならむしろ下ろしていた方が綺麗だろうに。私の知らない理由があるようで、聞いた事はないが、いつも不思議だった。
「玉葉くんがお待ちですよ」
みつを来客用のソファーに誘導する。みつはフラフラとした足取りで、素直に来客用のソファーに座った。
「んー? 珍しいねぇ。どしたの?」
また、大欠伸を一つ。そんな様子の探偵先生に、玉葉くんは苦笑していた。
「不破さんは、朝弱いんだね」
「そーだねー、得意では無いねー。んで、今日はどうしたの~。何か、不具合でもでたぁ?」
みつは、眠たそうな半目を玉葉くんに向けた。玉葉くんは苦笑しながら、首を振った。
「この身体は、すこぶる順調だよ。ありがとう。今日は、ちょっと……違う用事で来たんだ」
そう言って、玉葉くんは私を見た。困ったように。
みつはその視線を受けて、何か察したようだ。
「かおちゃん、ちょっと席外してもらえるかなあ」
申し訳なさそうに、玉葉くんも私を見て頷いた。あら、仲間はずれ?とは思ったが、素直に、
「わかりました。では、そうですね、三十分後に戻ってきますね」
そう、腕時計を見て言った。たまにある事だった。みつが私に聞かせたくない内容の時は、こうして外される。一体どんな依頼だったのか知らないが、帰って見たみつのグロッキーな顔から、聞かなくて良かった内容なのだろうと推察できるのだ。
そう言う依頼の間、私はこのビルの一階にある喫茶店で時間を潰すようにしている。落ち着いた雰囲気で、なかなか良い喫茶店で気に入っているから苦ではない。
「ごめんなさい、神凪さん」
「いいのよ。じゃあ、玉葉くんゆっくりしていってね」
申し訳なさそうな玉葉くんにもう一度微笑みかけると、私はバックを持って一階に向かった。
閉めた扉の向こうからは、何となくピリッとした雰囲気が感じられた。珍しい。
だが、今回私は仲間はずれのようだから、大人しく決着を待つしかなさそうだ。
私は喫茶店の扉を開け、なじみになってしまったマスターに軽く会釈をし、コーヒーを頼んだ。
東風→春に東から吹く風のこと。
玉葉が独りで事務所に訪れるのは何気に初めてだから緊張してたわけじゃないんだからねっ www




