弐
「私っ、私その子を怪我させて欲しいなんて望んでなかったの! ただ、私に構うのを止めて欲しかっただけなの!!」
思い出してしまったのか、ついに、ののかの目から涙がこぼれ落ちた。瞬間、
ドンドンドンドン!!!
いきなり、事務所の扉が勢い良く叩かれる音が鳴り響いた。
私とののか、同時に扉の方をバッと見た。
ののかが叫ぶ。
「違う、違うの! ごめんなさい! お狐様もう止めて! 私、私!!」
半狂乱になりながら扉に向かって叫ぶののか、その声にますます激しくなる扉を叩く音。
ドンドンドン!と、扉が壊れてしまうのではないか、と思われるほどの烈しい殴打音に、恐ろしさを覚えた。でも、私は、比較的冷静でいれた。
みつが、ソファーから動こうとしないからだ。ジッと扉を見て何かを伺っているが、動く気配はない。
それにもう一つ。扉につけている鐘が、鳴らないからだ。あれだけ烈しく扉が叩かれていれば、連動して扉に取り付けている鐘もカランコロンと音を立てるハズ。それがしないという事は、実際には物理的に扉は叩かれていないという事、イコール、扉は壊れずこの中は安全だという事だ。
とりあえず、顔を覆い半狂乱に泣き叫ぶののかを落ち着かせるために、ののかの隣に移動した。
「ね、落ち着いて小野さん。アレはここには入れないし、あなたに危害も加えられないわ、大丈夫」
背中をさすりながら優しく言うと、ののかは顔を覆っていた両手を外し、バッと私を見上げた。
「ちがう! 危ないのは私じゃなくて、お姉さん達なの! お狐様は強いから、みんなみんな殺されちゃう!」
ののかは私に縋りつくようにして、泣いた。私も困ってしまって、みつを見た。
「見くびられたもんだねえ」
みつは、大儀そうにソファーから立ち上がると、人差し指と中指を唇に当て、ボソボソと何かを呟き、ののかの後頭部にその指をフッと当てた、とたん。
「あっ」
と一言だけ発し、ののかは崩れ落ちた。
慌てて、くったりと横になるののかの首筋に手を当てる。良かった、眠っているだけのようだ。
キッと、非難するようにみつを見ると、みつは決まり悪そうな顔をして、私と目を合わせないようにしていた。
「みつ、びっくりするじゃない!」
「ごめ~ん。だって、どっちも五月蝿かったんだも~ん」
だも~ん、て。だも~んて。良い大人が発する言葉か?
だが、まあ確かに、ののかが気絶するのと同時に、ドアを叩く音がピタリと止んだ。あの状況では、仕方のない対応だったのかもしれない。けど、驚いたは驚いたので、小言だけはきっちり言っておいた。
「さて」
ののかをソファーに横たわらせ、安静にする。
「あのお狐様というのは、まだ扉の外にいるの?」
みつに聞く。みつはもう元のソファーに座り、右手を頬に当てなにやら考え事をしていた。
「ん? んー、多分ね」
「多分?」
「気配が薄いんだよねえ。あのののかって子に、危害が加わるとか危ない時にだけ、起きてるみたい」
「起きる? じゃあ、普段は寝てるの?」
私の問いに、みつが困ったように笑った。
「わかんない」
みつにも、わからない事があるんだな、と思ったが、考えてみたら、何も詳しい事はわかってないし、調べてもいない。わかるわけないか。みつに聞けば何でもわかると思っていた自分を、ちょっと反省した。
「そうよね、ごめんなさい。で、どうするの? この子の依頼、受けるの?」
私の言葉に、みつは何やら思案下に首を傾げた。
「この子、獣ってより狐臭いから、憑いてるのは狐で間違いないと思うんだぁ。でも、こっくりをやって出てくるような狐でも無さそうなんだよねえ。パパッと終わるなら受けても良いんだけど~、面倒くさいから、他にまわそうかなーって」
最期の方には、にこっと笑っていた。今、面倒くさいからって聞こえたよ?
「フジさんにも久しぶりに会いたいしー、かおちゃんにも紹介するね、フジさんの事」
さっきとはうって変わって、何だか楽しそうにしていた。
ののかが起きたのは、それからしばらくしてからだった。
日も落ち、雨も止んだ。
目覚めたののかは落ち着いていて、先程のようには取り乱していなかった。いや、取り乱していた事すら忘れていた。うちに依頼に来たのだけは覚えていたようだが。一体、みつが何をしたのか、怖くて聞けなかった。
さっきとは違い、細心の注意を払い、先程聞いた話をまたののかにさせる。話した事を忘れているのに、私達が知っていたらおかしいものね。
まあ、冷静に話しを聞いたところで、うちの先生は受ける気が無いのだが……。全く。
「……まあ、大体の事情はわかったヨ。でも、それはうちの仕事じゃないねぇ。私は、祓う事しかできないから。だから、良い所紹介するヨ。ここ」
みつがサラサラと紙にどこかの住所を書いた。その紙片をののかに渡す。ののかは、わけもわからずその紙片を受けとった。どうしたら良いのかわからない、と顔に書いてあった。
「そこの住職は、私も信頼してる人でね。キミの相談にも乗ってくれると思うヨ、大丈夫」
うさんくさい笑顔で大丈夫を連呼するみつの勢いに、気弱なののかは押された。わけもわからないまま紙片を両手で持ち、コクコクと頷いた。
「あのオキツネサマとやらは、キミに憑いているんだろう? 今、私達が一緒に出てしまっては、キミが言うようにオキツネサマに危害を加えられてしまうかもしれない。だから、そこにはキミ一人で行かなきゃあ、ならない。此処まで一人で来れたんだし、大丈夫だヨ、いけるいける」
ののかは、申し訳なさそうな顔をして頷いた。違う、違うわののかちゃん。この探偵先生は、危害を加えられる、かも、しれないと言ってるように、自分が負けるとは考えてないのよ、ただ面倒くさいだけなのよ! とは言えず(みつが他にまわすと決めてしまった以上)、心配そうなののかを励ますように頷く事しか出来なかった。
「気をつけてネー」
不安そうな顔で振り返るののかに、みつは胡散臭さ全開の笑顔でヒラヒラと手を振っていた。私はその横で、みつをうわぁ、という顔で見る事しか出来なかった。
外では、止んでいたはずの雨が、また降り出していた。
「……狐は、憑いて行ったようだねぇ」
ののかが事務所を出て少しした時、みつがいつものくだらない雑誌を読みながら、呟いた。
「そうなの? じゃあ、ののかちゃんが言ってたお狐様は、本当にののかちゃんに憑いてしまっているのね」
私の言葉に、みつは面倒くさそうな顔になった。しかし、何も言ってはくれなかった。みつの中でもまとまっていないか、話すと良くない事か、どちらだろう。
そもそも、人に憑いた霊というのは、面倒くさいらしいのだ。存在を消してしまえば終わり、とはいかないようだ。ようだ、というのはみつから聞いた伝聞だからだ。私には見えない、わからない世界。
「まあ、フジさんなら親切にあの、ののかって子を助けてくれると思うんだあ。折を見て、経過を確認しに顔を出しに行こう~。その時に、かおちゃんにフジさんの事紹介するね」
みつは、嬉しそうに私を見ていた。
フジさん、に対する絶対的な信頼と好感度は凄いが、面倒ごとを押し付けるのは良いのだろうか。紹介してもらうのはありがたいが、それがが投げ出した依頼のついでというのは、どうなんだ。
「あー、寒い寒い。明日は晴れると良いなー」
みつは暗くなった空を見上げ、呟いた。
私も外を見た。夜の雨は、見えなくとも降り続いているようだった。
春時雨弐
触るものみな傷つけるお年頃




