めぐりおわりて
救われたのは
あの忌わしい指環が消え、やえかの家から戻ってきて、三日経った。
探偵先生は、あの二日間の早起きが信じられないくらい遅く出社し、今日なんか13時過ぎに事務所に来た。のに、もう自分の机で寝そべっている。寝すぎだ。さすがに黙っていたが、明日からはもう少し早く事務所に来てもらわないと、私が腑に落ちない。色々と。そう決意した時、小さくガリガリと扉が削られる音がした。
なっ、なんだ。
おどおどしながら、音の正体を探ろうと、扉に近づく。音は、私の膝したよりもさらに下の方で鳴っているようだ。何だろういったい。
勇気を出して、事務所の扉をちょっと開けて、外を見た。……何も居ない?
「にゃー」
不意に、猫の鳴き声がした。ハッと下を見ると、可愛らしい小さめの茶色のトラ猫が、事務所の扉を爪で引っかいていたようだ。ん? どっかで見たような…?
「あっ、猫ちゃん。だめよ、ここで爪研ぎしちゃ」
言葉が通じるとは思ってなかったが、小さな茶トラ猫は私の開けた扉の隙間から、スルリと中に入ってしまった。
「あ、こら」
慌てて振り返ると、そこには、
「爪研ぎじゃないにゃーん! マルは、不破センセーに伝言を預かってきたのにゃ!」
マルちゃんだった。見間違うはずない。茶色のセミロングの髪、まん丸で大きな瞳、そして猫耳と二つの尻尾! 憤ったように右手を元気いっぱいに上げているのも可愛らしい。
「マルちゃん! 今日来るって言ってくれれば、色々用意したのに。あ、みつよね。みつ起きて! マルちゃんが来てくれたのよ!」
いそいそとみつの机に近づく。嬉しさのあまり、当社比で1.2倍ほど強くみつを叩き起こしてしまった。みつが何事かと飛び起きる。
「なっ、なに?」
「あ、不破センセー。せのおから伝言にゃ。くるま、とやら見つかった、って」
私の後ろからついてきたマルちゃんが、元気いっぱいにみつに言った。まだ寝ぼけていたようだが、その言葉を聞いて、一瞬で目が覚めたようだった。
「ホント?!」
「せのおが、すぐ来て欲しいって言ってたにゃ」
「それを早く言ってよ! ああ、アレ持っていかなきゃ。ええと」
みつが、マルちゃんの言葉を聞いて慌てて準備し始めた。瀬尾のところに行くのか。じゃあ私も準備しよう、と、したところで、
「あっ、かおちゃんは留守番お願い。ちょっと今回のは面倒くさそうだから。連れて行けなくてごめんね」
それだけ言うと、準備が終わったらしいみつは、慌てて外に駆け出して行った。
仕方ない。
みつがああいう風に言うときは、多分本当に危ないか、私に見せたくない何かがある時だ。大人しく、
「行ってらっしゃーい」
と手を振ってみつを送り出した。仕方ないが、事の顛末を自分で知れるのは、ここまでらしい。
「どうしたにゃ? 元気ないにゃ?」
みつが出て行くのを興味深そうに見ていたマルちゃんが、ひょこっと私を覗き込んだ。そのまっすぐな視線に、苦笑した。
「そんな事ないわ。そうね、私の知らないところで色々終わるんだろうなあ、ってちょっと残念に思っただけ」
「残念にゃ?」
「まあ、そうね。でも、みつがそう決めた事だから」
「ふぅん?」
マルちゃんは、良くわからないと言った風に鼻を鳴らした。
「そういえば、シロ君は元気にしてる?」
マルちゃんをソファーに座らせて、ホットミルクを出した。……あっ、猫に人間の牛乳って大丈夫なんだろうか。猫又だけど、どうだろう。
「あにうえ? あにうえはいつも通りにゃー。でも、シオリさんが元気になったから、嬉しそうにゃ。マルも嬉しいにゃ」
マルちゃんはホットミルクに鼻を近づけスンスン匂っていたが、結局口をつけなかった。そうか。次は、モン○チを用意しておこう。そう決意した。
結局、その日みつは事務所に戻らず、私は、マルちゃんに頼みこんで充分猫姿のマルちゃんをモフモフモフモフし放題だった。幸せだった。正直色んな事がどうでもよくなるような、素晴らしい毛並だった。
そして次の日は、みつから連絡があってお休みがもらえた。こういう事は、ここで働き出すようになって偶にある事だった。みつが手こずっているとは思えないが、何か面倒な事になっているのだな、というぐらいは私でもわかる。なので、素直に臨時休暇をもらい、猫カフェに入り浸った。何故か猫にモテた。めちゃくちゃ嬉しかった。
翌日。みつが事務所に来たのは昼をすぎてからだった。
「おかえりなさい。お疲れ様、みつ」
事務所に戻って来たという事は、終わったという事だろう。みつの前に茶を出し、労わりの言葉をかける。みつは少し疲れたようにふにゃりと笑うと、
「うん~、ありがとー」
そう言って、茶を美味しそうにすすった。私の煎れる茶を、みつは美味しそうに飲む。みつは、茶やコーヒーの煎れ方が下手なのだ。
「結局、あの女の子に悪い事を吹き込んだ人は、どうなったの?」
のんびり茶を飲んでいるみつに、聞いてみた。
「ん~? きっちり懲らしめてきたよぉ。他にも色々恨みをかってたみたいでねぇ。瀬尾が手伝ってくれたんだあ。あ、もちろん、瀬尾が手伝いたいって言ったんだよっ」
ちょっと慌てたようにみつは弁解した。
「瀬尾さん……鬼の、力?」
「まあ、そうだねえ。本人が望んでね。橋までおびき寄せるのに時間が掛かっちゃってね~」
みつは、また何でもないように茶をすすった。きっと、色々あったんだろうが、その色々を私はわからないし、みつも教えてくれないだろう。
それより、ちょっとだけ気になる事があった。
「ねえ、瀬尾さん、大丈夫そうだった?」
「うん? うーん、多分」
「そう……」
「かおちゃん? なにが、そんなに気になるのかわかんないけど、瀬尾には今日、あるモノを持ってきてもらうように言ってあるから、本人に直接聞いてみたら?」
みつが何でもないことのように言ってのけた。あれか、依頼料と迷惑料ってやつか。しかし、今日来るのか。心の準備が、まだ……
カラン、コロン
なんでこうもちょうど良く訪れてしまうのか。心の準備なんて少しもする暇なく、噂の人物が姿を現した。風呂敷包みを丁寧に抱えている。
「こんにちは。不破様、お約束の物持ってまいりました」
瀬尾は、いつものように優雅に扉を開け、閉めると私達の前でお辞儀した。
「こ、こんにちは、瀬尾さん」
「助手様。ご無沙汰しておりました」
そつが無い。さすがである。瀬尾にソファーをすすめ、私は茶を煎れるためにその場を離れた。みつと瀬尾が、なにやら話している声が聞えるが、私のわかる内容では無さそうだった。
少し時間を置いて、みつと瀬尾のもとにもどり、茶を置いた。
「ありがとうございます」
「ありがとー。そうだ、かおちゃん。瀬尾の事なんか気にしてなかった?」
いきなりみつに話題をふられて、動揺してしまった。美人に不思議そうにジッと見つめられ、逃げ場が無い事を悟る。
私は、しぶしぶみつの横に座って、瀬尾を見た。
「いや、あの、気になるというか……なんだかあの日、辛そうだったから」
私の言葉に、瀬尾は考えるような仕草をした後、ああ、と頷いた。
「あの、人の子のもとに行ったときですね。その節は、聞き苦しいものをお聞かせしてしまって、申し訳ありませんでした」
「あっ、いえ、私のほうこそ、勝手に聞いてしまって……その、ごめんなさい」
私の言葉に、瀬尾は驚いたように目を開き、ついでみつを見た。みつは面白くなさそうに、
「かおちゃんは優しいんだよ。なんに対してもね」
とちょっと拗ねたように言った。私の何が優しかったのだろう。だが、そのみつの言葉に瀬尾はゆっくり頷いた。
「そう、ですね。あの浅ましい私の過去の想いを聞いても、なおそのように言っていただけるとは。私は、今でこそこんな風にしておりますが、一皮向ければ浅ましい鬼の本性が表れるモノ。そのようにお気遣いなさらないでくださいませ」
あの時、あの哀しい独白を聞いてから、ずっとひっかかっていた、瀬尾の、浅ましい、という自己評価。だから瀬尾は、自身を美しいと綺麗だと言れても、こんなもの、と否定し続けていたのだろうか。それは、それこそ哀しい事なのではないのだろうか。自分を否定し続けるのは、辛い事なのではないのだろうか。
「私はそれでも、瀬尾さんの事、綺麗だと思います」
「いいえ」
私の言葉に、瀬尾は即刻否定した。瞳を伏せ、首を振る。
「いいえ、貴女は、わたくしの浅ましさ、愚かさを本当には知らぬだけなのです。この身なりの容だけが、わたくしの浅ましさを隠している、ただそれだけなのです」
「それでも、わたしはあなたの事、綺麗だと思います。かたちだけじゃなくて、仲間を心配したり、鬼になろうとしたあの女の子を引っぱたいた瀬尾さんの心こそが、綺麗なんだと、わたしは思います。なんで、瀬尾さんがそうなったのか、わたしには想像もつかないし、きっと聞いても同じ気持ちにはなれない。だから、わたしは外から見る事しかできないけど、とにかく、瀬尾さんは、今の瀬尾さんは綺麗だと思います」
もう、自分でもめちゃくちゃな事を言っているなというのはわかっていた。でも、この美しい人にわかって欲しかったのだ。あなたは、私にとってはあなたが言うような人じゃない、って事を。
この人はきっと、絶望を希望と取り違えてしまった。希望だと思っていたモノは、実はおぞましい呪いだったと気づいても、それでもなお、ソレに縋りつくことしかできなかった、哀しい人。
恐ろしい鬼なんかじゃない、ただただ哀しさに泣いている、独りの女性。
私には、そう見える。
一生懸命まとまらない言葉で伝えたが、瀬尾に少しでも伝わっただろうか。
あの女の子だけじゃなく、あなたも救われて良いのではないかと、伝わっただろうか。
瀬尾は、私のまとまらない言葉を、ただただ静かに聞いていた。
そして、深くゆっくり目を閉じると、一粒、涙をこぼした。真っ白な肌に水の跡が残る。
「……助手様。わたくしは、昔むかし、たくさんの人を殺めました。幾人も幾人も、心の赴くままに。それは、いくら許しを請おうと、許されない事。お二神様に拾われ鬼の角を折られてからも、それは背負ってゆかねばならぬ、わたくしの罪業。
でも、助手様がそう、お心をかけてくださる事が、人に、認めてもらえる事がこんなにも……こんなにも」
瀬尾の瞳からは、次々と静かに涙がこぼれおちていた。綺麗な、涙。
「救いになるとは。……あの人の子に言っておきながら、わたくし自身が、許されたがっていたのかもしれませんね。助手様。ありがとう、ございます」
瀬尾はそう言うと、深く長いお辞儀をした。
「そ、そんな、わたしはそんな大層なことは」
どもりながらも、私もお辞儀を返す。
顔をあげると、みつが呆れたような顔をして私を見ていた。なんだろう。
「やっぱすごいね、かおちゃん」
私にはできないや、と続けて、あとは苦笑していた。
瀬尾が顔をあげる。
その顔は、なんだか心なしか、晴れやかに見えた。もう、泣いているようには見えない。と、ふと時計を見てハッとした顔をした。
「あら、長居してしまいましたね、申し訳ありません。わたくしは、このへんでお暇いたしますね」
そう言って、ソファーから立ち上がった。私とみつも立ち上がる。
「不破様。助手様。今回の事、誠に感謝の念、たえません。ここまでしていただき、本当に、本当にありがとうございました。わたくしのようなものにまで、気をかけていただいて」
「本当だよ。アレもらえなかったら、赤字だったよ」
礼儀正しく頭を下げている瀬尾に、みつが茶化すように声をかけた。その言葉に、瀬尾はなんとも言えないような顔をした。困っているような、笑っているような。
「あれは、くれぐれも取り扱いに気をつけてくださいませね」
「わかってるよ。なんたって、ねえ」
みつはにやっと笑い、自分の額を人差し指でトントンと叩いた。そんなみつを困ったような含み笑いで見ていた瀬尾だが、またきっちりと両手を合わせて深いお辞儀をした。
「本当に、ありがとうございました。何かありましたら、わたくしも微力ながらお手伝いいたしますので、お気軽にお呼びくださいませね。それでは、失礼いたします」
私も、お辞儀をかえす。みつは右手をひらひらと振っていた。もうっ、一応依頼人だったのだから、ちゃんとしてよね。最期までしまらない探偵先生だ。
カラン、コロン、と軽やかに鐘が鳴る。
晴れやかな、美しい依頼人を祝い送り出すように。
終わり
これにて指環の話しは終わりです。黒幕が全く出てこなくてすみませんでした!ここまで読んでくださって、ありがとうございました!




