白魚の指
エメラルドグリーンに光る海からさよならして、また灰色の多い日常に戻ってきた。
ここ、不破探偵事務所も通常営業に戻ったが、すぐに依頼がくるわけもなく、今日も探偵先生はダラダラしていた。
あの時仕事をしたみたいだからと何も言わずにいたが、そろそろはっぱをかけるべきだろうか。私も仕事が無さすぎて暇に暇している。閑古鳥も鳴き飽きただろう。
「先生、そろそろ仕事を……」
カラン コロン
いつも通り、自分の大きな机に顔をつけて眠っているのかいないのかわからないみつに小言を言おうとした、瞬間、来客を告げる鐘の音がした。
「あ、ようこそ、不破探偵事務所へ」
みつへ小言を言うために机に近寄っていた為、衝立の向こうにいるはずの依頼人が見えなかったが、とりあえず挨拶をした。鐘が鳴ったという事は、誰かが扉を開けたはずだから。
衝立の向こうに見える人影は、ほっそりした女性のようだった。急いで衝立の向こう側に回る。みつは……まあいいや、あとで引っ張り出そう。
「いらっしゃいませ、そちらのソファーへどうぞおかけください」
扉の前に所在無さげに立っていたのは、やはりほっそりとした、白い女性だった。病的なまでにと言っていいかもしれない。服も淡い水色のワンピースにベージュのカーディガンなので、より儚げな印象を与える。背中まである艶やかな黒髪と深く黒い瞳が、なんだか浮いていると思った。
女性は、私の言葉に頷いて事務所に入り、しゃなりとソファーに座った。
いまどき、こんな大和撫子が生存していたのかと感心しながら、私は茶を煎れ女性のもとに戻った。みつは、やっぱりまで机でごろごろしている。しかたない。茶を客人の前に出し、とりあえず用件を伺うことにした。
「私、ここで助手をやっております、神凪と申します。お名前と依頼内容をお聞かせねがえますか」
少し上品に話しかけてみた。女性は、私の煎れた茶を少しすすり、そっと机に戻すと私を見た。初めて女性をまともに見たが、なんだろう、みつとはまた違った美人だった。白い、とにかく直接日光を浴びた事が無いんじゃないかと思うぐらい、白かった。
「わたくし、瀬尾と申します。本日は、こちらの指輪の持ち主を探していただきたくて参りました」
そう言って、持っていた小物入れからその白魚のような手でひとつの指輪を出した。
それは、細い細工が施されている、女性にいかにも好まれそうな形だった。そんな、デパートにでも行けば手に入りそうな指輪が、なんだか、とっても、すごく、すごく………欲しい
「かおちゃん、ダメ!」
パッと、私の視界から指輪が消えた。と、同時にハッとした。私、いったい何を考えていた……? 自分でもびっくりするぐらい、指輪が自分のものではないのが残念に思えた。が、指輪が視界から消えると同時に、なぜそこまで心を動かされたのか、自分でも不思議だった。
「ダメっ。かおちゃんは、この指輪見るの禁止!」
はっとして声のする方を見ると、みつが指輪を取り上げてその手の中に隠しているところだった。ぷぅっと頬を膨らませて、迫力はないが、怒り顔をこちらに向けていた。が、みつはすっと目を細めると、瀬尾という女性を見た。
「あなた、ヒトじゃないね。何で此処に来たの」
まあ、と言って白い女性は肯定も否定もせずころころと笑った。余裕だ。と、いうか人じゃなかったのか。あんまりにも自然なので、全くわからなかった。まあ、わかるわけないんだけど。
「先ほども言いましたとおり、依頼に来ました。その指輪の持ち主を探していただきたいのです」
「なんで」
「わたくし達も、その指輪には迷惑しておりますの」
そう言って、瀬尾はまた茶を少しすすった。うーん、飲む姿まで様になっている。
みつは、何か諦めたのだろうか鼻をふんっとならし、大人しく私の横に座った。ふてくされているようで、ちょっと斜に座っていたが。
「で」
「はい?」
「この指輪の情報は?」
みつはそう言って、瀬尾に向けて拳を握ったままぐいっと手を突き出した。瀬尾はその意図に気づいたのか、みつの拳の下で水を受けるように両手のひらを上に向けた。みつはそのまま握りこぶしを開き、女性の手に指輪を落とした。女性は指輪をそっと両手で包むと、もとの小物入れに戻した。
不機嫌にしてはいるが、話を聞いてあげるのか。ちょっとみつを見直した。
「わたくし達がこの指輪を見つけたのは、そうですね、一週間ほど前になります。仲間が、ある日この指輪を見つけまして。その日のうちに仲間の半分がおかしくなり、この指輪をめぐって争いだしたのです。普段は、隠れているだけの大人しい仲間まで加わり、これはおかしいと思ったときには、わたくしにはもうこの指輪を捨てる事しかできませんでした。ですが……」
そう言って、瀬尾はついっと自分がしまいこんだ指輪のほうを見た。
「戻ってきた」
みつは組んだ足に右ひじをのせ、その右手に頬を預けていた。全く、いつまでたっても態度がなおらない。
「はい。困り果て、友に相談しましたら、こちらの探偵さんが相談を聞いてくれるかもしれないと」
「はぁ?! 誰に聞いたの」
みつが瀬尾の言葉に素っ頓狂な声をあげた。正直、私もみつと同じ気分だ。ヒトでないものを除霊してくれとかどうにかしてくれという依頼なら今までもあったが、ヒトでないものから依頼が来たのは初めて……いや、間接的にはあの狐の奥さんがいたか。いや、それにしても、驚いた。
「わたくしは猫又に聞きました」
「猫又がいるんですか!」
おっと、うっかり口を挟んでしまった。……何を隠そう、私は無類の猫好きで、いつか猫又に会えるかもしれないという事をひそかな楽しみにしているぐらいなのだ。ああ、にゃんことお話したい。あ、みつが眉を下げて私を見ている。なんですか。
「え、ええ。今度ご紹介しましょうか」
「あ、いえ、ダイジョウブデス」
いけない、いけない。変な厄介ごとを抱えてみつに負担をかけるような事をしてはいけない。
「で、なんで猫又がウチの事を知っているの」
「はあ、なんでも猫は情報が早いのだとか。以前、野狐を助けられたそうですね。それで、もしかしたら、と」
「あー、あの狐の奥さんか……まじか」
みつは頭を振った。案外、あの件は色んな界隈に広まってしまってるらしい。
「まあいいや。で、指輪の事は何もわからないんだ。どこで拾ったって?」
瀬尾は県境にある、広い河川の名を口にした。確かに、あのへんは田舎というか開発が進んでないところだったはず。まだ自然が残っているのでハイキングに行く人がいるぐらいだ。
「そ、そんなところに、いるのですね」
「もう、だいぶ数も減りましたが、いる事はいるのですよ。だから、そんな数少ない仲間が争うのが、とても痛ましくて」
つと目を伏せる彼女は、女の私でも見惚れるような仕草だった。なにこのヒト凄い。と、みつが横から私の肩をつついた。なんだと見ると、また頬を膨らませて迫力のない怒り顔をしてた。だから、なんだ。
そんな私達を見て、瀬尾はくすりと笑った。と、同時に立ち上がった。
「申し訳ありません、ご迷惑でしたね」
瀬尾はぺこりと頭を下げ、出て行こうとした。珍しい事に、みつがすっと立ち上がり瀬尾の後ろを追った。あっと思ったときには、みつは扉を閉めて出ていった。
何の話をしているのだろうか。廊下からひそやかに声がする。
まあ、私には関係無いだろうし、湯のみを片付けよう。
カラン、コロン、とみつが扉を開けて戻ってきたのは、数分後だった。みつの顔は、明らかに面倒くさそうだった。
「おかえりなさい。どうしたの?」
「ん~?うーん、ちょっとねえ~」
一直線に衝立を寄け自分の机に戻り、みつは寝そべった。と、思ったら顔をあげて私を見た。
「かおちゃん。明日、もし、あの指輪を見かけたら、なるべく見ないようにして何かに入れてここまで持ってきてね」
「えっ?」
「もしね、もし」
それだけ言うと、みつはにこっと私を安心させるように笑って、また寝そべった。
いったい、何であの依頼人が持っていた指輪が私のところに来るというのだろう。まあ、いいや。みつの言った事が本当になったらそうしよう。
その日もあの依頼人以外は訪れず、さっさと帰る事が出来た。
帰り際に、みつがもう一度あの事を言うので、何かあるのかとちょっと不安になった。みつはまた笑って、もしね、もし、と言うだけだった。
新しい依頼人はヒトじゃなかった事を素直に受け入れている薫の成長っぷり




