騒霊
夜。
いつものように、広い部屋でふかふかの布団に入って、眠りに落ちようとしていた。一人で。
夕食後、みつは女将さんに呼ばれてどこかに行ったきり戻ってきていない。何かあったのだろうか。何かあったとしても、私は結局足手まといなので、ここで大人しくしていた方がいいだろう。
みつはちゃんと風呂に入るだろうか。そんなどうでもいい事を考えながら眠りに落ちようとした、その時。
パキッ
どこからか何かの音がした。枝が折れるような、それとも廊下の床を誰かが踏んだような。その音は次第に大きくなり、連続的に鳴り出した。ここで、ようやく私の脳が異常を感じ始めた。
おかしい。
何だろう、この音。人が近づいてくるような音じゃないし、それならばこの音を出しているのは、なんだ。
パキッ パキッ という音はもはや部屋のすぐ外から聞こえてくるようだった。
と、思った瞬間。
ヒュッ
私の顔の上を何かがかすめた。暗くてよくわからなかったが、アレは、部屋に備え付けの湯のみじゃなかったか。
ようやく明らかな異常だと気づいて、部屋の電気を点けるために立ち上がった。と、また何かが横切った。思い切って部屋の明りをつける。
パッと照らし出された部屋の中は、異常な光景になっていた。
湯のみどころか、電気ポットまで浮いている。あの中は空だが、わりと重いのに。外からは異音と共に人々の悲鳴も聞こえ始めた。外も同じ状況なのだ。
みつ!
とっさに助けを求めようとしたが、みつは未だに戻らない。
湯のみやポット、さらには座布団なども浮きはじめ、勝手に動き回っている。こちらに向かってくるものすらある。呆然としてしまった。
これは、これは、ポルターガイストだ。
私でもわかる。だって、あの時---
ガラッ! と扉が開く音がし、そちらを振り返ろうとしたところで、私の頭に何か重たい物が当たって、記憶が途絶えてしまった。
みつは夕食後、女将に呼び出されとある広間で、女将と面倒くさそうに話をしていた。女将だけではない。壮年の男性が数人と、さらに年老いた人が数人。
みつは知らないがいずれもこの土地の有力者達だ。
「不破さんとやら。あんたが御神体を狙ってないと何故言える」
「だから何回も説明したじゃないですか。興味がない。そもそも、本物はちゃんと鵜戸神社にあるんだから、ここのは有態に言えばニセモノでしょう? 興味あるはずないじゃないですか」
「そこまでわかっていて、何故調べていた」
「それについては、私が……。うちのつかさが、ドッペルゲンガーだなんだと言ってゆかりさんを気味悪がっていたようなので、少しでも違う可能性が示されれば気が済むかと思って……。不破さんを余所者だと思って、油断していました」
「余所者が一番危ないだろう」
「そうだ、現に今違う輩も入っていたと言うではないか。全く、総領が聞いて呆れる」
「申し訳ありません」
女将と、地域の有力者達の話に、みつが飽き飽きとしてきた時、ピクッと何かを感じた。臭いはしない。だが、嫌な感じがする。
今は薫を部屋に一人残してしまっている。しまった、護符置いてくるの忘れてた。すぐ戻ると思ってたから--と、みつが悔やんだその瞬間。
パキッ
音がした。幽かにだが、しかしみつには確実に聞き取れた。これは、もしかしたら。
みつが立ち上がろうとした瞬間、近くの男に腕をつかまれた。
「どこに行こうというのだね、不破さん。あんたにはここに居てもらわにゃ困る」
「困るって言われてもねえ」
みつが、どうしようかと思案している間にも、音は大きくなるが、内輪もめで忙しい彼らには聞こえないらしい。騒霊ぐらいならすぐに除霊できるか、と思って余裕で構えていたが。
「おい、何か聞こえないか?」
「なんだよ、変な事言うなよ」
「ほら何か折れる音が…」
「お、おい、湯のみが浮いてる!!」
それから後は、ただただパニックになった。
霊障に慣れていない彼らでは、対応できないだろう。そんな騒乱の中、みつはひとり不思議に思っていた。本体が、見えないのだ。雑魚霊ばかりだが、これはいったいどうした事だ。
そのとき、近くの部屋から悲鳴が聞こえた。瞬間、ハッと気づいた。というより、身体が勝手に動いていた。
男の手を振り払い、その部屋の襖を乱暴に開け、廊下を駆け出した。
思った通り、宿の中は騒乱と化していた。
いたる所で、軽いものも、重いものも、浮いたり落ちたり。ポルターガイストでこれだけ広い場所に影響があらわれるなんて、思ってもみなかった。この宿は特に霊道でもないし、そんなに大きなナニかがくる様子もなかった。ではこれは、人為的なものか。
心では冷静に考えながらも、身体は必死に薫の居る部屋を探していた。あの広間から、宿泊している部屋は離れているようで、なかなかたどり着けなかった。もどかしい思いがみつの足をさらに速める。
どこをどう曲がったか覚えていないが、見覚えのある廊下に出た。
自分の部屋の戸をあけた、瞬間。
ドサッ
立っていた薫と目が合う寸前、薫の頭部に電気ポットが当たり、薫が、倒れた。
「--っぁ!」
悲鳴にならない悲鳴を上げ、みつは薫に駆け寄った。
薫の頭をそっと抱え起こす。ポットが当たったであろう頭部を触ると、こぶになっていたが、血は出てない。一時的な脳震盪だろう。
とりあえず脈が正常な事を確認すると、安堵のため息を吐き薫をそっと横たえた。
見下ろす顔には、憤怒。いつものみつからは想像もできないほどの、怒りが全身からたちのぼっていた。
「ひふみよ いつむな や ここのたり ふるべ ゆらゆらと ふるべ ふるべ ゆらゆらと ふるべ」
薫を横たえた体勢のまま、みつは怒りの表情とは裏腹に、静かに同じ単語を繰り返していた。何回か繰り返した後、最後とばかりに右手の数珠のような石をはめたブレスレットを振ると、りぃん、と幽かに音がして、部屋の全ての浮き動いていた物が、落ちた。
湯のみも、ポットも、座布団や布団さえも、ばらばらに落ち、それ以降は動かなくなった。
落ちているものを確認し、みつは薫に落ちてきた掛布団をかぶせ、顔を撫でた。顔は安らかで、苦しんでいる風はない。
良かった。せめて、苦しんでなくて。
でも、
「絶っ対に許さない。かおちゃんに傷を負わせた事、死ぬまで後悔させてやる」
みつは、冷たい目をしたまま窓の外を睨んだ。
とりあえず、薫を寝かせた周りを円を描くように、不思議なステップでみつは歩いた。反ばいという、地を清める特殊な歩行法だ。九字を切り、更にカバンからまっさらな板を取り出すと、さらさらと筆ペンで何かを描き薫の枕元に置いた。即席の護符だった。
ここまで守りを強固にし、ようやく満足したらしい。
みつは、まだ心配そうに薫を見ていたが、やらなければいけない事があると、立ち上がった。後ろ髪を引かれたように薫を振り返ったが、思い切ってバッと廊下にでた。
廊下は、散々な状態であった。だが、もう物は浮いていない。当たり前だ。消してやったのだから。
みつはつかつかと早足で、先ほどは走った廊下を逆に戻り、あの広間まで戻ってきた。
広間の襖を勢い良く開けると、中では先ほどまで偉そうに座っていた人達が、ほうぼうの体で畳の上に転がっていた。浮いている物から逃げていたのだろう。
その惨状を横目で見つつ、みつは女将につかつかと近寄った。女将も、なすすべもなく肩で息をしていたが、みつが近づいて来たのに気づいて、顔を上げた。
ハッとした。
先ほどまでの悠々とした彼女とは、まるで違う。そう、これは、怒っているのか。
「場所を教えろ。玉の在り処だ。奴らは絶対にソコに来る」
女将の前に横柄にしゃがんだ彼女は、先ほどまでの彼女と本当に同一人物なのだろうか。つかさが言うところの、キレている、という状態なのだろうか。あまりに冷たい目に、恐ろしいと、とっさに思った。
あまりの豹変ぶりに、女将が口を開けないでいると、一人の壮年の男がみつの肩を掴んだ。
「おい、女将になんて口の聞き方…」
「煩い。お前が知っているのか?」
みつは、肩にかかった手を振り払っただけでなく、その男の方を振り返ると、胸倉をグッと掴んだ。咄嗟の事に対応が出来ないでいると、どんどん男の首が絞まってきた。
「教えろ。いいから早く。この男の首が絞まるよ?」
みつの言葉通り、どんどん男の顔が青ざめていく。けして、みつより体格が劣っているわけではない男が、みつの両腕によってギリギリギリと締め上げられていくその様は、なんとも異様であった。
「は、林のお地蔵様のところよ」
女将が、ようやく我を取り戻して、声を発した。その言葉に、周りの異様な光景に呑まれていた男達が、ざわざわし始めた。
「お、女将、しかし」
「それを言ってしまっては…」
「言ったのだから、旦那を離してっ」
どうやら、締め上げていたのは女将の旦那だったらしい。みつは女将を見下ろしたあと、男の胸倉を掴んでいた手を離すと同時に、乱暴に男を投げた。男は、げほげほと咳をし、肩で息をしていた。近くにいた男が心配そうに近寄る。
「詳しい場所は?」
みつの詰問調の言葉に、女将が観念したようにその場所を教えてくれた。
なんとそこは、はじめみつと薫がこの場所に到着した時に迷った場所であった。そこから少し離れた場所に、宝玉を安置している地蔵堂があるという。
みつは、部屋の中の一同をチラッと見渡しただけで、無言でまた襖を勢い良く開け放ち、廊下に出た。
地元の男達は、その一連の行動を、すすべなく見ている事しかできなかった。
玄関に出ると、つかさが居た。
つかさもどうやら、先ほどのポルターガイストのせいで、怪我をしたらしい。頭を抑えている。
「あれ、おネーさん外に出るの? 危ないよ!」
「この、ポルターガイストを起こした奴らを倒しに行ってくる」
女将達と話しているときよりは柔らかい口調だが、それでもここ数日のみつとは様子が違う。つかさはちょっとひるんだ。いつもは優しげに見えるたれ目には、強い怒りが宿っていた。
「でも」
「大丈夫、私は強いから。そこどいてくれる?」
あの、ふにゃふにゃした喋り方は跡形も無かった。つかさは、無意識にみつに道を譲っていた。と、
「そっ、外は危ないよ! はい、これ」
そう言ってつかさが差し出したのは、少し古い大きめの懐中電灯だった。単一電池で動きそうな懐かしい形だ。
みつはちょっと驚いたような顔をしたあと、その懐中電灯を受け取りふっと笑った。
「ありがとう。傷、冷やしなよ」
そう言うと、さっさと靴に履き替え、外に飛び出して行った。
つかさは、その後姿を呆然と見ていた。と、母親がこちらに来るのが見えた。心配そうな顔。つかさも、心配そうに母親に近寄って行った。
みつは二重人格ではなく、どっちもみつです。過保護が発動した時にだけ他人には別人に見えますw




