豊穣の庭
足を一歩踏み入れると、一気にざわめきが大きくなった。それと同時に、背筋にゾワゾワと上る鳥肌。この鳥肌が何によって引き起こされているのか、自分では知覚できない。
ただ、目の前のざわめきや人々?は、夜祭の騒動そのままに見えた。あの、楽しそうなさざめきや、少しの興奮、子供の笑い声や、ささやきあう人々。
ああ、良いなぁ。
ふとそう思った時、右手が痛くなった。なんでだろうと思って手を見ると、手を繋いでいた。
ハッとした。
そうだった。わたし達、いま、かみさまにあいに行く途中なんだった。
気を、しっかり保たないと。
みつを見ると、頷いていた。私も、頷く。
そうやって、落ち着いてよくよく見てみると、おかしい事に気づく。あるはずのない、耳、角、尻尾、あり得ない身長、多い手足。
そうか。ここは、常の世界じゃないんだ。
ちょっとびっくりして、みつの手を握りしめる。みつが、笑った気配がした。
わりと賑わっている露店が並ぶ道を歩き続ける。店で何を売ってるか、怖くて見れなくなった……。
でも、不思議。
夜店のワクワク感とか、周りの楽しそうなざわめきとかは、私達と一緒に感じるのに、見える景色は違う。違ってても、一緒のところもあるのかなあ。
「おい。地狐が地狐をつれてるぜ」
私が、この非日常にぼんやり考え事をしていると、不意に、近くから男性の声が聞こえた。
「本当だ。よくも神聖なる新嘗祭後祭りに、ここを歩けるよなあ」
「全くだ。俺だったら恐れ多くて歩けないぜ」
「地狐ってのは、本当恥知らずだな」
ゲラゲラと、馬鹿にするような声が複数聞こえる。
思わずそっちを見ると、人混みの向こうに、白い狐面を被った、玉葉くんと同じような着物を着た青年たちが、四、五人立っていた。仮面をつけていてもわかる、こちらを見て笑っている気配。おそらく、良くない笑いだ。
「……いいの? 言わせといて」
同じようにソレを見ていたみつが、玉葉くんに問いかける。私達を先導するように歩いていた玉葉くんは、ちょっと振り返り、
「いつもの、ことだから」
そう弱弱しく言うと、また前を見て歩き始めた。
うぅ、口を出せないのが辛い。悔しくて、みつを見る。みつは肩を竦めて、仕方ない、とでもいう風に首を振った。
「地狐は、群れたらむさっくるしいなあ。優雅さや気品が感じられねーわ」
「そうそう。特にあのちびの狐、本当美しくないよな」
「アイツらなんでここに入れたのか、全く意味不明だぜ。大人しくさっさと帰ればいいのに」
「俺達がわからせてやろうか。ここには相応しくないってよぉ」
「あ”ぁ”? テメーら調子乗って、誰に喧嘩売ってんのかわかってんのか?! その尻尾引きちぎって狼の餌にでもしてやろうか!」
彼らの、おそらくこの中で一番背の低い私に向けた罵倒を聞き流していたら、不意に横から、輩のようなセリフが聞こえた。
ビックリした。
みつだった。
思わずみつに声をかけそうになったが、気づいて、繋いでいる手をグイグイ引いた。
ここで、面倒事は、まずいのではないか。
玉葉くんもビックリした様子で、どうして良いかわからずあわあわしていた。
が、構わずみつはその狐たちを睨みつけていた。
みつの挑発を受けたその白い狐面の青年たちは、色めき立っていた。まさか、こんな風に口答えされるとは思ってもなかったのだろう。……ちょっとだけ、あのお姉さんが、なんであんなにキツイのか、というのを考えてしまった。まあ、生来の気質かもしれないけど。
「ね、ねぇちょっと。うか様に会う前に、揉め事は……」
玉葉くんが、みつの袖を引きながらそう言うと、彼らは何かに恐れをなしたらしい。なぜか、口汚く捨て台詞を吐いて、人ごみに紛れて去っていった。
な、なんだったの?
みつは、執念深く、彼らが去った方を見つめ続けていた。なんかよくわからないけど、めちゃくちゃ怒っているみたい。
「そ、そろそろ、行こう?」
玉葉くんが袖を引き、私も繋いでいる手を引き、みつはようやく、後ろ姿を追うのをやめた。
私を見て、肩を竦める。私も、肩を竦める。玉葉くんがホッとしたように、
「じゃあ、行こう。こっち」
そう言って、露店が続く道の奥、階段の上に鎮座する、神社のようなところを指さした。
人混みをかきわけ、神社に近づくほどに、人はまばらになっていった。
二十段ほどの階段を上り切ると、そこにはもう、お祭り目当ての人は見当たらなくなっていた。
いかにもラスボスが待っていそうな、荘厳な建物が奥にあった。
立派なかやぶき屋根。豪華で色とりどりの装飾。
狛犬は見当たらないが、普段なら銅像が鎮座している場所に、同じく狐の仮面をかぶった、七五三の少女のような着物を着た小さな子が、左右それぞれの土台の上に座っていた。草履をプラプラさせて、暇しているようだ。
その子たちは、私達に気づくと、
「おかえりーたまはー」
「たまはーおかえりー」
そう、同時に声をかけてきた。幼い子特有の、男女ともつかない高い声。面から出ている髪形も、同じように赤い紐でくくっているおかっぱなので、外見だけで男女を見分けるのは難しそうだった。
「はい、戻りました。うか様は、ご機嫌麗しいですか」
玉葉くんが、丁寧に彼女ら?彼ら?に返事をする。すると二人は、それぞれ首を反対に傾けた。
「さあ、どうだろうな?」
「どうであろうな、さて?」
その声は、どこか楽しそうだ。玉葉くんは、ちょっと肩を落として、
「わかりました。ありがとうございます」
そう言って、前に一歩進んだ。私達もそれにならい前に行こうとすると、
「まてい」
「またれよ」
そう、土台の上から声をかけられた。あの幼子たちだ。驚いて、そっちを見る。みつも立ち止まり、二人を見ていた。
「ちがうにおいがするな、おまえたち」
「おまえたち、においがちがうな」
その声は、どこか面白がっているようだが、どうしよう。
玉葉くんを見ると、慌てたように戻ってきてくれた。
「左近さま、右近さま。この方たちは、僕がお世話になっている人達です。うか様が、あいたいとおっしゃったので、お連れしたのです」
そう、説明するように二人に言うと、二人は玉葉くんの方を見て、また私達を見た。なぜか、その面の奥、見えないはずの目が、にんまりした気がした。
「うまそうなにおいじゃ」
「かぐわしいにおいじゃ」
みつが、私の手をぎゅと握った。それで、はじめて私は自分が震えていることに気づいた。
にんまり笑うその四つの目から、目が離せない。直感的に、離してはいけないと感じた。まるで、蛇ににらまれた蛙のように。
みつが、私をかばうように、前に立つ。そして何かを言いかけた時、
「じょうだんじゃ。きをわるくさせてしもうたの」
「ざれごとよ。ほんきにとらないでくれ」
そう言って、二人は同時にコロコロと笑いだした。えっと、からかわれた、のかな?
みつは結局何も言わず、ペコリと頭を下げた。ので、私も頭を下げた。そして、
「よう参られた、客人よ」
「この先に進むのを、許そう」
二人がそう言うと、石畳の奥にある豪奢な建物の扉が、ひとりでに、開いた。まるで、私達を招き入れるように。
みつは、覚悟したように一歩踏み出す。
私も、それに続く。
一歩先にいた玉葉くんが、ホッとしたように息を吐いた。
クスクスという笑い声を両脇からかけられて、私達はその石畳を、奥へ歩いていく。
霧のような、もやのようなものが出てきた。
大きな神社のようなその建物の全貌は、白く薄くかかる靄でわからない。
玉葉くんが、扉の前で待っている。
ここまできたのだ。行くしか、ない。
みつの手をきゅっと握る。みつも、握り返してくる。
前を見て、扉を、くぐった。




