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よびだし

狐のはなし



 あの村から帰り、夏が終わって、秋も深まっていた。

 昼間でも、肌を撫でる風がすこし身に沁みるようになったが、気持ちの良い季節だ。もうじきやってくる冬を感じさせる。

 少し身震いし、ズレていたストールを羽織り直した。

 そんな時期になっても、玉葉くんは、戻ってこない。

 溜息が漏れる。


「かおちゃ~ん、お茶~」

「はいはい」


 ぼんやりカレンダーを眺めていると、みつから声がかかった。適当に相槌を打ち、ご所望の緑茶をみつの机の上に置く。ありがとう、と言いながら、みつは気遣うように私を見た。


「また玉葉のこと~? 便りが無いのが元気の証だよ~。なんかあったら、あの怖い姉が言ってくるって~」

「そうよね……」


 このやり取りを、帰ってきてからもう何回も繰り返しているのだが、心配なものは心配なのだ。仕方ない。

 まあ、確かに、あのお姉さんからクレームが来てないから、大丈夫だと思うんだけど。また、無意識のうちに溜息がもれた。みつが苦笑する。


「なんかあったら、言ってくるって~。あっちは時間の流れも違うっぽいし、気長に待とうよ~」

「そうね」


 みつから目を離し、窓の外を見る。

 今日も良い天気で、世の中すべてことも無し、だ。








 次の日。

 いつも通り出社すると、扉が開いていた。稀に良くある、みつの気まぐれ(早起き)だろうか。


「おはようございます。今日は早いです、ね? って、どうしたのみつ? 顔が真っ青よ」


 いつものようにカランコロンとベルを鳴らして事務所に入ると、いつもは気怠くも挨拶をしてくれるみつが、無反応だった。

 驚いてみつの方を見ると、いつもの所長用の机の上で、真っ青な顔をして両手を握りしめていた。

 ビックリした。

 はじめてレベルで見るみつの、どうしよう……、という顔と、その怯えように。

 何かまずい事があったのだろうか。それか、フジさんとかにめちゃくちゃ怒られて絶交を言い渡されたのだろうか。

 とりあえず、異常事態のようなので鞄を置きトレンチコートをかけ、みつの側に寄った。

 私が側に来たのがわかったのだろう、今まで真っ青な顔で下を向いていたみつが、顔を上げた。それは、困ったレトリーバーというより、飼い主に怒られる数秒前のレトリーバー、のようだった。


「……あぁ。かおちゃん。おはよう」


 声にもいつもの元気がない。いや、いつも元気いっぱいかと言われれば違うとしか言いようがないが、とりあえず、元気が無かった。


「どうしたの? みつ。何かまずい事でもあったの?」


 私の心配そうにかけた言葉に、みつは目線をキョロキョロ動かし、逡巡していた。どう言おうか迷っているようだ。

 みつが迷っている間に、お茶を淹れてくる、と言って離れ、給湯室に向かう。


 さて、みつがこんなにも困って、しかも怯えているという異常事態に、私は何ができるだろう。何をしてあげられるだろう。

 ……無さそう。

 超常現象ならもちろん無力だし、みつの大切な人とのトラブルなら、少しは手助けできるかもしれないけど、それも結局解決するのは当人同士だ。

 私は、何も、できない。

 自分の無力さに溜息を吐きつつ、みつのもとにお茶を運ぶ。

 出されたお茶に、弱弱しくありがとう、と言ってみつはそのお茶を啜った。

 

 しばらく、みつが言い出すのを無言で待つ。

 お茶を半分飲んだ所で、湯呑を机の上に戻すみつ。ちょっとだけ、指先が震えてる。可哀想。純粋にそう思った。


「か……」

「か?」


 不意に、みつが口を開いた。聞こえなくて聞き返すと、みつは何かを決意したような悲壮な表情で、私を見上げた。


「かみに、よびだしを、うけた」


 一言一言、区切るように、みつが言う。


「……え?」


 が、私はその簡単な言葉さえ、理解できない。

 みつが、ちょっとブルブルしながら、口を開いた。


「た、玉葉が昨日、私の夢を通じて現れたの。あいつも泣きそうな顔をして、どうかこちらに顔を出してほしい。少しだけで良いから。うか様が、対面をご所望で、僕じゃもう止められないんだ、お願い、って」


 ベラベラベラと、みつにしては珍しく、早口でまくし立てる。

 玉葉、という単語をとっかかりにして理解しようとしたが、無理だった。


「……えっ?」

「告げられたあちらに行く方法は、限定的に玉葉が力を貸すからできるけど、できるからこそ、行きたくない。行きたくないよかおちゃん! だって相手は、玉葉を溺愛してるかもしれない、かみだよ? かみにうってだけでも、もう私のキャパを超えてる。現代日本にいて、まさかそんな事できるとは思ってもなかった! しかも狐関係で!」


 みつはそこまで一息でまくし立てると、机に突っ伏して、わーんと喚きだした。

 大の大人が何をしているんだ、といういつもの突っ込みはさすがに言えなかった。

       

「……ねえ。色々な事に蓋をして聞くけど、もし、その呼び出しを無視したら…?」


 恐る恐る、今一番できそうな事を聞いてみると、みつは机からゆっくり顔を引きはがし、土気色の表情で、右頬をちょっと引きつらせて笑った。


「……おそらく、祟られる。か、神罰が下る」


 その笑顔は全てを諦めたような、悟ったような表情で、逆に事の重大さを思い知らされた。色々な事に蓋をしてこれだから、みつはマジでビビッているのだろう。少しだけ、わかる。わかりたくなかった。


「……行くしか、無いのよね」

 

 みつは、私の言葉には応えず、またわーんと喚きながら机に突っ伏した。


 しばらくそんな様子のみつを見守っていたが、いい加減。飽きてきた。みつは、いつも傲岸不遜で、やる気が無くて、へらりと笑ってる。

 こんなみつ、見続けるの、飽きた。私にできる事って、ほとんど無いけど、一個だけ、あった。


「行きましょう、みつ。その、かみさまとやらに、会いに。私も一緒に行くし、何かあったら囮にでも使ってくれて構わないわ」


 できるだけ、冷静に言ったつもりだったが、少しだけ声が震えたのは、仕方ないだろう。

 私の言葉にみつは驚いたようにバッと顔をあげ、今度は泣きそうな顔になった。な、なんで?

 口をパクパクして、何か言おうとしていたが、やがて、


「だ、だめ。かおちゃんは、だめっ。……わかった。行ってくるよ。みつが、ってくる…」


 悲壮な顔をして、そう、言った。

 なんでそうなるの?! 私の、必死の覚悟を、みつはいともたやすく拒否する。それが、無性に腹立たしかった。私にしては珍しく、口答えしてしまった。


「なんでそんな事言うんですか? 私が、何もわからない一般人だからですか? 足手まといだからですか? 私だって、あなたの事が心配なんですよっ」


 勢いに任せすぎて、口が滑った。しまった、と思って口をふさいだが、遅かった。

 みつが、本当に鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして(人間本当にこんな顔するんだ、と変な所で感心した)私を見ていた。口が、あんぐり開いたままになっている。が、その口がわなわな動き、怒られるかと思ったら、なんだか、嬉しそうな表情に変化していくようだった。

 みつも、自分の表情の変化に気づいたのか、バッと顔を背けて、両手で顔を覆った。……乙女か!!


「みつ?」

「ひえぇ。あ、あ、あの、ちょっと、待ってぇ」

「?」


 みつの動揺が収まらないようなので、言われた通り、待つ。

 しばらくプルプルしていたが、ようやく、落ち着いたようだ。

 何度か深呼吸をして、バッと私の方を見た。唇を、噛みしめて。見間違いでなければ、笑うのをこらえるような感じで。


「か、かおちゃんには、た、待機を」

「嫌です。一緒に行きます」

「なっ、なんでぇ」

「なんででもっ。玉葉くんも心配だし、迎えに行けるなら、一緒に行きましょうよ。それで怒られるなら、一緒に怒られてあげるわ。だって、三人の事務所じゃない」


 最後の人数は、人で良かったのか匹が良かったのかわからなかったが、とりあえず、みつに向かって言い切った。恥ずかしいとか言ってたら、いつまでたっても言えないし、役にも立てない。

 みつは何故か、私を危険から遠ざけることに必死だ。

 そこまで足手まといだと思われていたら、こっちだって、ちょっと反発したくなる時もあるわ。

 毅然とした態度でみつに意見すると、


「ひぇ」


 そう一言発し、両手で顔を覆ってしまった。手からもれた耳は、真っ赤っか。……なんで?? え、意味わかんないんだけど? なんで??


「みつ?」


 今度は、待っても何も言わないまま、深呼吸しはじめたみつ。仕方ないので、そのまま待ってみる。

 ……落ち込んでるみつを見たくないとは言ったが、かわりに気持ち悪いみつを見たいとは言って無いんだけど。


「で、でも、やっぱり、危ない、よ」


 ようやく落ち着いたみつが、とぎれとぎれにそう言う。全く強情だ。でも、なんとなく糸口が、わかってきたぞ。


「みつが一緒だから、大丈夫でしょ。ね?」


 信頼しているようにそう言うと、みつは目線をまたキョロキョロさせはじめ、迷っているようだった。そして泣きそうな顔をしたあと、泣きそうな顔をしたまま、笑った。

 今度は、逡巡は早く終わった。

 軽く溜息を吐き、私を見上げるその顔は、仕方ないなあ、とでもいう風に綻んでいた。


「かおちゃんには、敵わないなぁ」

「そんな事ありませんよ。で、いつ行くんですか? 明日? それとも、もっと先?」


 ようやく話しが先に進む。そう安堵しながらみつに聞くと、みつは真剣な顔で、


「今晩」


 そう、一言だけ呟いた。


「今晩? 今晩?! 早くないですかっ」

「……神ってのは、そういうものなんだよ、たぶん」


 私の驚きの声に、みつは諦観したように肩を竦めた。そして、伺うように私を見て、


「……いく?」


 そう、聞いた。さっきまでの勢いは、完全にそがれていたが、今更後には引けない。引かない。


「いくわ」


 決意を込めた瞳でみつを見ると、みつは困ったような顔をしていたが、やがて、困った顔のまま、笑った。


「いこうか」

「いきましょう」


 そういう事になった。

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