彼岸の月に裂くは、華か、炎か
ハッと気づいたら、そこは、世界だった。
現実の、世界。色があって、彼岸花が満開に咲いていて、月光があって。
みつが居て。
さっきとあんまり変わらない構成だけど、私は、確かにここが現実だとわかったのだ。
上体をバッと起こしたせいだろうか、げほげほと咳が止まらない。優しい手に背中をさすられる。
「かおちゃん、大丈夫? 息をゆっくり吸って、吐いて」
咳き込みがら、みつのいう通りにする。すると、何回目かでようやく呼吸が元通りになり、落ち着く自分を感じた。
ふぅ、と大きく息を吐く。
「良かった!」
横から、何かにぎゅっと抱きしめられた感覚がした。柔らかい感触。これは、みつか。
確かめるように横を見ると、みつの顔がどアップであった。でも、何らおかしいと思わなかった。
「みつ」
「うん!」
「ここは?」
「ここ? えっと、夢の中で見た場所と、同じ所、かな」
「えっ?」
まさか、まだあの悪夢が続いているというのか。驚いた顔の私を見て、みつがかぶりをふった。
「大丈夫。あそことは違うよ。あの場所の元になった場所、とでも言えばいいのかな。ここは、ちゃんと現実だよ」
その言葉は自分にも言い聞かせているようだった。もう一度、ぎゅっと抱きしめられる。ふしぎ。誰かに抱きしめられるって、こんなに、安心する事だったのか。
「とりあえずの危機は去ったけど、村人が来たら面倒な事になる。立ち上がれる? かおちゃん。こんな所からはさっさとおさらばしよう」
みつの真剣な声に、素直に頷き、寝かされていた板の上から降りた。自分の足で立ち上がる。
足元には、真っ赤な彼岸花。真っ赤が見えるのは、満月で明るいというのと、どうやら広場の四隅に、大き目の松明が置かれているせいらしかった。あの夢のように、視界が明るいが、理由がわかっているのでそこまで怖いとは思わなかった。
私が今まで寝かされていのは、どうやら、この広場にポツンとしつらえられた……祭壇、だろうか? 木で組んだ低い枠の上に薄い板が置かれ、その上に寝かされていたようだ。どれだけ寝てたのだろう、身体がバッキバキだ。ああ、これも、現実だから、痛いんだ。
ふと、隣にも同じようにしてしつらえられた祭壇のようなものが、視界の端に見えた。誰か、寝てる。いや、起きている。細長い、男性だ。目が見開かれているが、どこも、見ていない、ような?
「みつ、この人は?」
「……嶺川の、探してた人」
「えっ、そうなの。なら、一緒に逃げないと……」
「まだ、還ってきてない。ぐずぐずしてたら危ないんだよ、かおちゃん。早く逃げよう」
「でも」
みつは、この男性を置いて逃げよう、と言う。かえってきてない、がどういう事なのか良くわからないけど、すぐ横で話している私達になんの反応も示さないのを見て、なんとなく察した。
でも、だからと言って、こんな変な所に置いていけないのが人情だと思う。みつは、困ったように眉を下げていた。
「あの、大丈夫ですか」
とりあえず、男性に近づき、肩を揺らしてみる。
反応は、無い。
「かおちゃーん。その人は、還ってこないかもしれないんだよぅ。早く逃げようよー」
「でも、もうちょっとだけ、お願い」
みつがソワソワと周囲を見回す。みつの焦りも、なんとなくわかるので、次反応しなかったら、仕方ない。みつの言う通り逃げよう。
そう思って、より深くかがみ、両手でその人の両肩を揺すろうと、掴む。すると、スルリと胸ポケットから何かが落ちた。
お守り、だった。あの一万円の。正直、あの夢の中で仔犬になっていなくなったから、もう無いものだと思っていた。が、まだあった。考えてみれば当たり前の事だが、何故か不思議に思った。
お守りが、その男性の上に、落ちる。
あっと、思った次の瞬間、
「……っは!」
「きゃっ」
男性が、大きく咳き込み、上体を勢いよく起こした。反動で、尻もちをつきそうになった。が、みつが支えてくれたおかげで、倒れずに済んだ。後ろにいるみつに礼を言うと、みつは驚いたような顔で、男性を見ていた。
「驚いたな……戻ってこれるなんて」
そう呟くみつ。
男性は、荒く息をしていたが、咳き込む事はなくなった。と、私達に気づいたようだ。
「……ああ、無事、戻れたんだ。良かった」
それは、明らかに私達を見て、私達に向けた安堵の言葉だった。いったい、この人は、何だろう。
「あなたもね。じゃあ、みんなでサッサと逃げようよ。村人に見つかったら、面倒だ」
みつの言葉に、男性はゆっくり周囲を見回し、また私達を見た。その目は、何故か、赤みを帯びた、金色に、なっていて。
「俺は、まだやる事がある。アンタたちは、先に行ってくれ」
男性が目をこちらに向けたのは一瞬で、別の場所を睨んでいるようだった。
「あなたその目……。せっかく還ってきたのに、戻らないつもり?」
みつは何か知っているのか、目を細めたあと、呆れたように肩を竦めた。
男性はみつの言葉に、驚いたようにハッと見たが、何か納得したようだった。
「わかるのか。ああ、そうだ。やるべきことがある」
「ふぅん」
「止めないでくれ」
「止めないよ。私達に関係ないし。ただ、あなたを探してるっていう依頼人は、悲しむだろうね」
みつの素っ気ない言葉に、男性は動揺したようだった。が、ふと顔を伏せたあと、真剣そうにみつを見返した。
「忘れてくれと、伝えてくれ。俺は、もう、戻れない。この恨みの焔を、背負った業を燃やすには、今、この時しか無いようだから」
「……そう。わかった。じゃあ、これは、餞別」
みつは、あくまで素っ気なくそう言った。と思うと、手と指を複雑に絡ませ、
「のうまく さんまんだ ぼだなん あぎゃなうえぃ そわか」
そう、唱えた。みつが手を男性に向けると、男性が、火に、炎に、包まれた。
「みつ?!」
慌てて消そうと近寄ったが、男性は驚いていたが、平気そうにしてた。みつも、平然としている。
確かに、熱く、ない。だとしたら、この男性を包み込んでいる火は、光は、本物では無いのだろうか?
「これは……」
「消せない焔があるなら、消えるまで燃やし尽くせばいい。でしょ? じゃあ、私達は逃げるから」
男性は自分の手を見て、驚いたようだったが、みつの言葉に頷いた。そして、
「ありがとう」
そう、満足げに、言った。
みつは応えず、夢の中より強い力で、私の腕をひっぱった。それに思わず足を動かし、走り出す。
私は何も言えなくて、みつに手を引かれながら、後ろを、男性を振り返った。
男性は、その祭壇のような物の上で、マジマジと自分の手を、まだ見ていた。
そして、上を見上げた。
私も、上を見上げる。雲一つない夜空に、煌々と満月が輝いている。
ふと、上に気をそらした次の瞬間。
うぉーおーおーーー
獣の、遠吠えが聞こえた。それは、夢の中で聞いたような、音。
振り返っても、大丈夫なのだろうか。まだ、夢の中のあの緊迫感が、消えない。
みつに手を引かれながら、後ろを振り返ろうか迷っていると、後ろから、ボッと何か音が聞こえた。
ついで、ナニかが爆ぜ、燃える音。
さすがに驚いて振り返ると、炎が、立ち上っていた。
あの、彼が、私が居た所から。
炎は凄い勢いで燃え盛り、煙を吐き、上空に立ち上っていた。まるで、映画でも見ているかのような、冗談みたいな火柱だった。ガソリンもまかずに、あんなに炎が立ち上るものだろうか。
ここまで、煙の匂いと、熱気がくる。
あれは、では、本物なのだろうか。
まるで、枯れ草か何かのように、彼岸花はその赤い花弁を炎に絡めてゆく。火に舞い上げられ、踊る。その、恐ろしくも美しい赤い光景に、目がはなせない。
「み、みつ! 燃えてる!」
「ああ、うん。そうだね」
驚いてみつに話しかけると、みつは振り返りもせず、足も緩めず、私の手を引いた。
「みつ、あの人は……」
「これは、あの人が望んだ事だよ」
「でも」
みつの素っ気ない言葉に、それでも私が声をかけると、ようやくみつは振り返り、困ったような顔をしていた。あの、眉を下げたレトリーバーのような顔で。
「みつ達に、あの人の願いを阻む事は出来ないよ。本人が、あの炎で燃やし尽くす事を決めたんだから」
みつの言ってる事は全く理解できなかったが、私達が何も、手出しできないことは、わかった。……助けることも。
後ろを振り返って、少しだけ、黙祷を捧げる。
少しだけしか知らないけれど、何かを願い、自身を犠牲にしてまでも何かを成し遂げようとしている男性に向けて。
炎は今だなお燃え盛り、彼岸花の花弁を巻き上げている。
空に浮かぶ月だけが、その緋色の吹雪を見下ろしていた。
みつが唱えた言葉は、火天の真言




