みつの焦り
あの蔵は、あちらの方向だっただろう。
そうアタリを付けて、みつは走った。
いくつか建っている蔵の間を抜け、奥に行くと、最奥の蔵の前で嶺川とあの男性が座っていた。
夕焼けが淡く、二人を照らしている。が、薄い着物を着た男性の姿は違和感しかなかった。着物は裾に薄い柄が入っている、彼岸花の模様だ。それを着た手足の細長い男性。全く似合っていなかった。違和感は、そのちぐはぐさから来ているようだ。
だが、今は、そんな事どうでもいい。
「嶺川!」
「はいっ、なんですか不破さん。いきなり走り出したと思ったら……」
「この家の車は、動かせるか? 祭りの会場はわかる?」
みつのただならぬ様子に気づいたのだろう、嶺川はすぐ顔を引き締め、真面目に頷いた。
「この家のキーの所在が変わってなければ。会場までは、案内できますよ」
「でかした。すぐ頼む。かおちゃんが、……攫われた」
「なんだって!」
驚いた事に、みつの言葉に反応したのは、細長い男性だった。
みつも嶺川も、驚いた顔で男性を見る。
「あいつら、まだそんな事を……。頼む、俺も連れていってくれ」
男性の声は思い詰めており、強い意志を持っていた。ここに男性を一人置いていく事もできないだろう。みつと嶺川はちらりと目線を合わせただけで、頷いた。
「狼谷さんは、祭りの会場に行くとまずい事になりますので、不破さんを送った後は、僕と車内で待機になります。大丈夫ですよ、この人はさっき見たように、こういった事の専門家です。どうにかなりますよ」
嶺川の言葉に、狼谷呼ばれた男性は、みつを見た。その顔には戸惑いがありありと浮かんでおり、信じていいのかどうか迷っているようだった。
「とりあえず、議論してる暇はない。嶺川、車だして」
「はいはい。少しお待ちください。人はいませんでした?」
「誰も居ない」
「りょーかいでっす」
嶺川はそれを聞くと、ダッと走り出した。あとは、嶺川が車をこちらに回してくるまで待つだけだ。確信を持って、嶺川を見送った。
ふと、みつは後ろを見た。あの、なんでも見透かすような、瞳で。
「……ねえ。あなた、狼の匂いがするね」
蔵の前に座り、うなだれている男性に向かい、唐突に言葉をかけるみつ。その言葉の意味を、一瞬では理解できず、男性は何秒か固まっていた。が、やがて、
「俺の、先祖が、昔、狼を信仰してたそうだ。なんで、わかるんだ?」
そう、少し恐ろしいものを見るように答えた。
「別に、そうである、っていう事実がわかるだけ。それをどう解釈するかは、あなた次第だよ」
みつは、男性、狼谷を見返して、肩を竦めてそう言った。その言葉をどう受け止めたか定かではないが、男性は、ゆっくり頷いた。
「そうか。俺からは、狼の匂いが、するんだな」
みつは、狼谷の言葉に、確信を持ったように頷いた。
狼谷は、ちょっとホッとしたような表情を浮かべた。が、すぐ顔を引き締めた。
「俺は、するべき事というのが、ようやく、わかった気がする」
その男性の瞳は、固い決意に満ちていた。
「あなた、もしかして……」
みつが何か言いかけたそこへ、ブップー! と車のクラクションの音がした。
「お待たせしました、不破さん。行きましょう!」
嶺川が運転する車からだった。
みつと狼谷は嶺川の言葉を聞くと、急いでその車に近寄った。五人乗りの特徴のない普通車だ。
みつは助手席、狼谷は後部座席に乗り込んだ。
二人がドアを閉めたのを確認し、車は発進した。
「祭りの会場は、あの彼岸寺の裏手、観光地として開放している場所の奥にあるようでした。狼谷さん、間違いないですよね」
「ああ、そこで間違いない。今はまだ夕方だ。会場に人が居るだろう。乗り込むなら、日が落ちてからが良い」
長い痩躯を窮屈そうに折りたたんだ狼谷が、後部座席から嶺川の問いに答える。
「そうですね、確かに姿を見られるとまずいですね。あ、そういえば不破さん、ケータイって持ってます? オーナーに連絡しないと」
嶺川は後ろからのアドバイスに素直に頷くと、不意にみつを見た。一瞬見ただけですぐ前を向いたが、みつが肩を竦めたのは見えたようだ。
「残念ながら、私、ケータイ類って持ってないんだよね。かおちゃんに全部お願いしてたから。かおちゃんの持ち物も全部回収されてたから、無理だね」
そう、素っ気なく答えた後、みつは少し意地悪そうににやぁと笑って嶺川に、
「柿森さん、めっちゃくちゃ心配してたよぉ~。その柿森さんに依頼されてぇ、みつ達来たんだも~ん」
そう、告げた。
嶺川は、えっ! と大声を上げたあと、またチラリとみつを見た。
「オーナーが不破さん達に依頼したんですか? 不思議な力で俺のピンチがわかったとかじゃくて? っていうか俺、今、そういう事に巻き込まれてるんスか?」
嶺川自体は、そういう認識では無かったらしい。まあ、あの縛られて放置された恰好を見るに、人の手によって拉致られており、超常現象とは関係無かったのだろう。
縛られていたにしてはピンピンしている嶺川を見て、みつはそう思った。元気そうなので、とりあえず柿森さんの心配は杞憂だったようだ。間に合ったようで何よりだ。かおちゃんが攫われたのは最大の誤算だったけど。
お化けより人が怖いとは、よく言ったものだ。
「まあ、そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。どうなるかはその儀式しだい、かな。なんたって、人身御供、を要求する神がいる地だからねぇ~」
みつは意地悪そうな笑顔のまま、バックミラーで後ろの狼谷を見た。狼谷は、少し目を伏せ、具合悪そうにしていた。
「……この地は、確かに、おかしい。離れて、ハッキリわかった。戻りたく、なかった」
「だーいじょうぶですよ、狼谷さん! すぐ街に戻れますって! 助手さんを取り返したら、すぐに帰りましょう。彼女さんが待ってますよ」
暗い声の狼谷を、嶺川はわざと明るい声ではげました。彼女、の言葉に少しだけ目を輝かせたが、すぐまた暗い表情に戻った。
「……本当に、あそこから出られるとは思わなかった。ありがとう。だけど、咲良には、俺は死んだと伝えてくれ。頼む」
ガタガタガタっと、車体が大きく揺れた。未舗装の山道に入ったようだ。
「もう少し先に行くと会場に着くんですが、見られたら不味いので、このまま山道を走り遠回りします。で、なんでそんな事言うんですか、狼谷さん」
嶺川はスピードを落としながら、状況説明をする。車の運転に集中するのかと思ったら、しっかり狼谷のフォローをする。腐っても柿森さんの所の探偵なんだなあ、とみつは少し感心した。
狼谷は、嶺川の言葉には答えず、沈黙した。嶺川も、運転でそれどころでは無く、車内はしばらく沈黙に包まれた。
辺りが、オレンジ色の光に照らされはじめた。
背の高い木々に囲まれたこの道では、すぐに暗闇が押し寄せてくるだろう。ライトを点灯させながら走れば、見つかる確率も高まる。
どうするのだろうと、みつが嶺川を見ると、嶺川はみつの言いたい事を察したようだった。
「そろそろ、会場の裏手に着きますよ。着いたら、夜まで待って、助手さんを助けに行きましょう。ここから会場までは、少し崖のようになっているので、用心して降りる事になると思います」
「それなら、私、一人で行く。嶺川は、嶺川の依頼人を保護してて」
えっ、という顔で嶺川がまたみつを振り向いた。ちょっとハンドルをとられて危なかったが、すぐハンドルを戻し、事無きを得た。
「そんな、危ないですよ、不破さん」
「怪我人二人も、面倒みきれない。で、まだ着かないの」
嶺川は、みつの言葉のすぐ後、ゆっくりブレーキを踏んだ。車が完全に停止する。
ちょっと困惑気味に、今度はしっかりとみつを見る嶺川。
「まあ、足手まといになりそうな事は否定できませんけど。でも、人手があった方が良くないですか」
「いらない。それより嶺川、道祖神の、村の入り口の方向はわかる?」
「わかりますけど……」
急に話の方向が変わり、戸惑いながらも嶺川はみつの言葉に答えた。その様子を見て、みつは満足そうに頷いた。
次の瞬間には、しごく真面目な顔で、嶺川を見ていた。
「なら。嶺川、かおちゃんがここまで来たら、有無を言わさず車を発進させて。なるべく早く。村の入り口の、あの小さいお地蔵さんみたいな石碑の外まで行けば、たぶん、村人は追ってこない」
みつの、真面目な雰囲気に押されたような嶺川だったが、怪訝そうな顔をした。
「……二人一緒ではないので?」
「とりあえず、かおちゃんが来たら、発進していい。私を待つことはない」
その言葉の意図を素早く察した嶺川が、珍しく怒ったような顔をした。
「そんなこと出来るわけ無いじゃないですかっ。オーナー、悲しみますよ」
そんな言葉が返ってくるとは思って無かったのか、みつは一瞬驚いたような顔をした後、苦々しげに、まるで柿森に相対した時のような表情で、彼を見た。
何か言おうとして口を開きかけた、が、何も言わず、バッと助手席側のドアを開け、素早く外に出ると崖に向かって走り出した。
一瞬、あっけにとられた嶺川だったが、すぐ、走り去るその後ろ姿に向かって、
「待ってますから! 二人で戻ってくるのを!」
そう、叫んだ。
走り去る細い背中は、その言葉に応えず、ただ薄暗くなる道を走り、やがて見えなくなった。
その後ろ姿を見ながら、チッと嶺川が舌打ちをし、後部座席を振り返ろうとすると、後ろから、ガチャッと、音がした。




