さくら 咲く
「わかった。玉葉、この桜を満開にして。出来る?」
「もちろんだよ! 任せて。この人達を、送るんだね」
みつの言葉に、玉葉くんは力強く頷き、先ほどと同じように桜の樹の幹に近寄った。そして、くるっと振り向き男性と女性を見、そしてそっと鼻先を幹に押し当てた。
「わぁあ」
すると、どうだろう。予想していた事だが、桜は蕾を急速に開花させてゆき、やがて、少しもしない間に満開になっていった。
私は声も出せず、桜が開花してゆくのを見つめていたのだが、横からみつの声で何かが聞こえてきた。
ふと気になり、横にいるみつを振り向く。すると、
「 」
聞き取りずらい言葉で、何かを一心に唱えていた。それは古い日本語のような、全く知らない言葉のようでもあった。
桜が満開になった所で、玉葉くんが鼻先を幹から離していた。桜は満開になり、そして散り始めていた。風がそよりと吹くたびに、自身の重さに耐え兼ねたように、ひらりと。
そして、桜の樹である彼女も、急速に大人の女性になっていた。先ほどまでは、美しいがどこか少女を秘めたような見た目だったのが、もはや私達さえ超えた、大人の女性に。
彼女はひらりと浮き上がると、男性の首吊りをしたロープの根本に立った。
男性はみつの唱える何か、に呼応するように、光っていた。うっすらと、内からこぼれるような、光を。
女性が枝の上で男性を見守っていると、男性の内の光に照らされた彼の首へと繋がるロープが、光を放ちはじけた。彼をそこに縛るものは、もう何もなかった。
風が強く吹いた。目を開けていられないぐらい、強い風が。咄嗟に目を閉じると、頬に何か小さく軽いものが当たる感覚があった。
突風が落ち着き、恐る恐る目を開けると、そこには。
「ああ、君が、桜だったんだね」
「やっと、会えた。やっと、気付いてくれた。ずっと見てたの、あなたの事」
大量の桜吹雪が舞い上がり、その中心に、そして桜の樹の真上で、見つめあう男女の姿。
女性は、あの桜色の女性。男性は、服装からしてあの人だった。あんな顔だったんだな、とはじめて男性の顔を見た。みつは、まだ唱えている。
玉葉くんが、私の側で座って男女を見上げていた。
「やっと見えたんだね」
玉葉くんの無邪気な言葉に、男女が私達の方を見た。
「ありがとう」
「ありがとう、本当に、彼女は居たんだね。そして、こんなにも、桜の樹の如く、美しい」
その愛おしそうな、満ち足りたような顔に、私は声をかけられなかった。胸がいっぱいで、言葉が出なかったのだ。よかった。それだけしか浮かんでこなかった。
さぁっと、また風が吹いた。まるで、彼らの周りを囲むように、上空に向かって舞う桜の花びら。
彼女が、彼を見た。彼もまた、彼女を見た。
「いきましょう」
「ああ。お願いするよ。きみとなら、どこまででも、一緒にいける気がするよ」
みつの、唱える声がひと際大きくなった。それに呼応するように、男性の身体は光り輝き、さらに桜吹雪にまじりあう花びらが増えた。それは、百とも千とも、万ともわからない程。風に舞う花びらは落ちる事なく、上空に向かって、舞い続ける。
二人は、手を取り合った。見える事も、交わる事も無かった心が、こうして触れる事ができるようになった。その事に、緩んでいた涙腺が、耐え切れなかった。頬に伝う水。何故、これほど涙が溢れるのかわからなかったが、これは、悲しい涙ではない。それがまた、何故か嬉しかった。
二人が、心を通わせる事が出来たのが、嬉しかった。
浮いた二人は、手を固く取り合った。そして、上を見た。と思ったが、こちらを振り返った。
何も言えずに泣いている私を、唱え続けているみつを、お利巧に座って見守っている玉葉くんを。そして、口を開いた。
「ありがとう。こんな素敵な最後を」
「ありがとう。こんな素敵な時を」
それは、愛おしそうな声。何か言おうと思ったけど、やっぱり言葉にならなかった。ただただ、涙が頬を伝っていた。二人はそんな私達を見て、微笑んでいたようだった。
が、次の瞬間。
突然の強風が、桜吹雪が、再び私の視界を隠す。目を開けていられず思わず閉じた。
次に目を開けた時、二人の姿は無くなっていた。
ただただ、風に舞った花びらが、視界を桜色に埋めていた。
空は、鮮やかな水色に輝いていた。
その水色の中をふわりひらりと、華憐な欠片が舞っている。
喜んでいるように、楽しんでいるように、ふわり、ひらりと。
もう、上にはいかず、風が遊ぶままに地面に向かい、ふわり、ひらりと。
みつを見る。何を唱え終わり、ふんと鼻で息を吐いていたが、空を見上げて満足そうに笑っていた。
玉葉くんを見る。玉葉くんも、目を細めて空を見上げていた。
空は優しく晴れ渡っている。
本格的は春は、もうすぐだ。
終わり
これにて桜の話はおしまいですが、後日談、あり〼




