信じる
「それは駄目だよ。咲けるうちは、咲かせてあげたいじゃないか」
ぷらんぷらん揺れながら真面目な事を言うので、つい目を背けてしまった……みつみたいに強くないの。
ふと、目を背けた先に桜色の女性がいた。女性は、首吊り男を見つめていた。その感情が分かりにくいと思っていたその顔でも、明らかに男性の事を気にかけている事がわかった。いや、ハッキリ言おう。その顔は、まるで恋した女の子のような、華憐で、美しい表情だった。
見ていた、と言った。ずっと、見ていたと。そして、男性を気に掛ける発言。この女性は、どれだけこの男性を見つめ、見つめ返されない時を重ねてきたのだろう。恋した相手に気づいてもらえないのは、辛いものなのではないのだろうか。片想い、と言えば聞こえはいいが、愛の反対は無関心、という。相手がずっと無関心なのは、声も姿も見えないから。愛おしい存在が自分の側に常にいるのに、相手は無関心のまま。変化しない時の中で、彼女はいったい何を思い、彼を見続けていたのだろう。
少し、涙腺が緩んだ気がした。自分が勝手に想像しただけなのに、彼女に、同情する自分がいた。彼女は何も言わず、ただただ愛おしそうに、彼を見ていた。
「……みつ、どうにかして、二人を会わせてあげられないかしら」
みつが、難しい顔をした。いまだみつの手を止めている彼女は、ふるふると首を振った。
「いいの」
「なあ、さっきからずっと話してる、見えない何か……桜の化身、とか言ったか。本当に、そこに、いるのか?」
「いるよ! なんで見えないの? ずっとあなたを見てたって言ってるよ。良かったね!」
玉葉くんの無邪気には、たまに本当に驚かされる。私たち二人がどうしようか考えあぐねていた言葉を、いともたやすく言ってしまうのだから。
「え、僕を見てるって? ずっと?」
「うん、ずっとだって。ね」
玉葉くんが、桜色の彼女を振り返る。
男性は、見えないだろうに、その視線の先を、追った。
そこには、彼女がいた。彼女は一瞬パッと顔を輝かせたが、その男性の視線がさまよっているのを見て、また、あの感情の読み取れない顔になった。
「あの、あなたには見えないかもしれないけれど、本当にいるの。あなたを、心配している女性が。自分が咲かなくなる事を知って、あなたの先を思って、心配している。だから、一緒に、行ってはどうかなって思うんだけど……」
私の、うまくまとめられない言葉にも、男性は耳を貸してくれた。そして、しばらく考え込んでいたようだ(多分)
「……この桜は、咲かなくなってしまうのか」
「ええ。次にたくさん咲いたら、終わりだと」
「そうか」
男性は、しばらく落ち込んでいる様子だったが、
「僕はここで、自分の感傷だけでこの桜の樹の下で自殺してしまった。それは、この桜の樹にとっては迷惑な事だったろうと思っていた。だけど、その桜自身が、僕の事を心配してそんな事を言ってくれている……こんなに嬉しかった事はないよ。この桜と一緒にいけるなら、このこが最後だというなら、喜んで一緒にいこう」
男性の声は、明るかった。表情はわからないけれど、たぶん見えていたら、泣きながら笑っていただろうと、思う。口調は明るいが、声が、震えていたから。見えない何かを、そして知り合ったばかりの私たちを、信じてくれた。その事に、また少し涙腺が緩んだ。まだ、泣かない。まだ大丈夫。
「僕だって、生きてる人たちからは見えないんだ。僕に見えなくても、居るという人がいるなら、それを信じるよ。なんてったて、この桜の事だから」
少し歪んできた視界で彼女を見ると、彼女はうっすら微笑んでいた。それは、嬉しさだろうか、喜びだろうか……愛しさだろうか。私にはわからないけれど、微笑んでいたのだ。
「それじゃあ、信じた所でさっそくとりかかりたいんだけど」
みつが、無感情にそう言った。もうちょっと空気読んで欲しいけど、みつは面倒臭そうな顔ではなく、真面目な顔をしていたから、思う所があったのかもしれない。
「わかった。けど、どうやって一緒にいけるんだい?」
「この桜は、咲き終わったらいくと言ってる。だから、あんたもそれに一緒にいけるように少しだけ手伝ってあげる。今日を逃すと、今度はいつになるのかわからない。だから……この桜は日死ぬ事になる」
男性の問いに、みつは真面目な顔をして答えた。いつ咲くかわからなくて面倒だと言っていた気がするが、玉葉くんの力を見て、思い直したのだろう。正直私はもう少し先、この桜が自然に咲くに任せてはどうだろうと思ったのだが、みつにも考えがあるのだろう。みつは黙って彼らの答えを待っていた。
彼は、しばらく考えていたようだ。彼女は、みつの問いにすぐに頷いていた。
「……最後まで、私のエゴで巻き込んでしまう事、桜は怒っていないかい」
「大丈夫。一緒にいけるのが嬉しい……ってさ」
みつが、彼女の言葉を代弁する。ああ、何故彼には見えないのだろう。彼女の、あの満足そうな笑顔が。
「そうか、なら良かった。本当は、こんな僕を終わらせてくれるのを待っていたのかもしれない。それが、この桜なら、僕が生きてきた事も、ほんの少しだけ報われたのかな」
苦笑するような声が聞こえた後、彼は、
「よろしく、お願いするよ」
決意したように、そう言った。
見えないものを信じる強さ。最後まで桜の事を思う




