交流
私たちはゆっくりその桜の樹に近づいた。
桜の樹は、最近の陽気ですこしずつ蕾をほころばせていた。二分咲き、ぐらいだろうか。
首吊り男は、最初見えた時と同じように、風に吹かれるようにぷらんぷらんしていた。……風も無いのに。
みつが先頭に立っているのだが、みつが何かアクションを起こすより先に、男性の声が聞こえた。声?
「やぁ。君たちも肝試しかい。こんな日中に酔狂だねぇ」
……ん?
みつを見るとみつも、ん? という顔をしていた。玉葉くんだけがぶれない。
「違うよ! 花見だよ! あ、でも桜満開じゃないから、花見じゃないか。ねえ、こんな時なんていうの?」
玉葉くんが、無邪気に私を振り返る。その行動にびっくりしたのは、私だけではなかったようだ。
「えっ! 狐が喋ってる!」
驚いたような男性の声がした。……今この場で、玉葉くん以外の男性の声がするハズがない。するなら、それは。
「し、喋ってる」
私が男性の方を見てあわあわしていると、首吊り男性が、ぐりんと動いた。急に動かないで! 怖いから!!
「失礼な。狐がしゃべるより自然……あれ、君たち僕の声が聞こえるんだね」
男性の声は落ち着いており、たぶん枝野さん達よりさらに年上の声に聞こえる。顔がうつむいているから、実際の所はわからないが、わからないままでいい。
「そーだねー。聞こえるし、見えるよ」
みつが、肩をすくめながら返事をする。興味なさそうな、全く驚いていないその態度に、男性の方が驚いたようだ。どこで見てるんだ。
「おお! 霊能力者ってやつかい。あ!じゃあ、僕は除霊されてしまうのかな…」
男性ははしゃいだように言った後、少し落ち込んでいた。だが、どこかホッしたようでもあり、複雑な声音だった。
「いや、別に除霊してくれって依頼じゃなかったから、しないけど……してほしいの?」
「僕にもわからないんだ。長い事ここにいるような気もするし、まだここに居たい気もする」
「ふぅん? なんでもいいけど。私たち、アレについて知りたいんだけど、何か知らない?」
男性の答えには全く興味を示さず、みつは枝の上にいる女性を指さした。私たちが近寄ったからだろう。ぼんやりしていた女性の姿が、はっきり見えるようになった。彼女は、淡い白を基調とした着物とは少し違う昔の中国のような服を着て、綺麗な顔を心配そうに歪め男性を見ていた。長い長い袖と裾は先になるにつれ桜色のグラデーションになっており、ふわりと垂れている。髪も淡い桜色をしており、ヒトではないのだと知れた。
だが男性は、
「なんだい? 何かそこに居るのかい? まさかね、ここに居るのは僕だけだ」
本当に何もしらないようだった。幽霊になっても、見えないものがあるのか。この世もあの世も奥が深い。
「何を言ってるの? そこにいるじゃない、桜の化身が」
玉葉くんが、また無邪気に言う。玉葉くんもしっかり彼女を見ている。男性は、また玉葉くんがしゃべったことに驚いたようだ。
「わっ! また喋った!」
「……話が進まないよ。ねえ! あんた、この桜なんでしょう! ちょっと下りてきてよ。話が聞きたいんだけど」
二人のやり取りを見て、みつが苛立ったように、枝の上の彼女を見て言った。彼女は今まで、私たちの会話などまるで聞こえていないのように不動だったが、みつのその言葉に反応した。静かに、こちらを見る。
「だぁれ? わたしは、まだおりられないわ」
舌足らずな幼女のような口調で、鈴のような声が聞こえた。落ちついたその声音は、妙齢の女性の姿をして若いとも年経ているとも判断がつかない。彼女の年齢もだが、一つだけわかった事がある。口が、動いていない。目も桜色の黒目だが瞳孔だかが同化しており、見ているのかどうかハッキリわからない。何を考えているかわからない表情をした不思議な存在だったが、怖いとは思わなかった。いやむしろ、綺麗だと思った。
みつは動じた様子もなく、肩をすくめた。
「まあ、話ができるならそこで良いよ。私は探偵。あなたは、何をしてるの?」
みつの問いかけに彼女は顔をそらし、また男性を見つめた。
「みてる。……ずっと」
「その男性を?」
「そう」
「なんで?」
みつの絶え間ない問いに、ふと解答が途切れた。辛抱強く、次を待つ。
「とっても、いいひと。だから、ずっと、みてる」
的を得ない解答に、みつがうんざりした顔をした。
「……あんたの声を聞いたって人がいる。助けてあげて、って何のこと」
みつのイラついた声に応える女性は、だがこちらを見なかった。
「きこえたの、そう。……このひとを、たすけてあげて」
その声からは感情があまり読み取れなかったが、悲しそうだという事だけは、わかった。
みつはうんざりした顔のまま、彼女と話すのをいったん止めた。上に向けていた顔を、男性に向ける。男性は、私たちが上を見て話し始めると、黙ってしまっていた。これは、たぶん、気味悪がっているのだろう。幽霊に気味悪がられるとか、どれだけだよ。
「ねえ。何か困ってんの?」
みつがぞんざいに男性に話しかけた。気味悪がっているが、男性は身体をぷらぷら揺らしながらも応えてくれた。
「いやぁ、そう聞かれると、困るね」
困らせてしまったようだ。何に困っているか、彼女が助けてあげてという理由を聞きたかったのに、こっちも困ってしまう。
みつは、さっきからうんざりした顔のままだ。これは、面倒くさいと言い出すかもしれない。言い出したら、さくっとこの男性を消して帰りそうだ。それは止めないと。
「あの、あなたはなぜここにいるんですか? 成仏? できない理由があるんですか?」
よくわからないままに話しかける。突然話しかけた私にも、男性は応えてくれる。ああ、生前は良い人だったのかもな、と私も思った。
「それが、僕にもわからないんだよ。確かに、ここで自殺した時は恨んでたしどうしようも無い感情に突き動かされてたハズだったんだ。だがこうなってしまってからは、もう何もわからないんだ。このままどうしようもなく、何度も桜が咲いて、散っていったよ」
顔が見えないが、多分ふつうの顔だったら、遠い目をしていた事だろう。その声は落ち着いていて、諦めのようなものがあるようだった。
「そうだね、成仏できるならしたいし、消されるならそれも良いかもしれない。こんな状態は、望んでなったものではない」
今度はハッキリと、諦めた声が聞こえた。少し、彼女の助けてあげて、の意味がわかったかもしれない。まあ、私の勝手な感情なので、全然違うかもしれないけれど。
「ずっと、ここにいるんですね」
「そうだね。時の流れというものが、この桜の満ち欠けでしかわからなくなってしまった。だが、もうそれも終わりかもしれないね」
「えっ、どういう事ですか」
私の驚いた声に、男性は悲しそうに言葉をつづけた。
「この樹は、もうだいぶ老齢だ。私が生きていた時からそうだったから、あともう何回も咲けないだろう。この桜が咲かなくなってしまったら、僕はどうしたら良いのだろう」
そう、だったのか。確かにこんな立派な樹になるには、相当な年月がかかるだろう。だが、樹が死ぬというのは中々想像つかない。あんな華憐な女性の姿をしているのに。
つい私が彼女を見上げると、なんと彼女と目が合った。黒目がないから、本当に私を見ているのか定かではないが。思わず、言葉が漏れる。
「あなた、死んじゃうの……?」
独り言のような言葉。だが、驚いた事に声が聞こえた。
「そう。つぎたくさんさいたら、おわり。だから、そのまえに、このひとをたすけてあげてほしい」
びっくりした。声が返ってきた事にも、その内容にも。察しているのか、死期を。それは、恐ろしい悲しい事ではないのか。だが彼女の顔からは、何も読み取れなかった。
面倒くさそうにいままで黙っていたみつが、ふと顔を上げて彼女を見た。
「ねえ、あんたアッチに行くならさあ、この人連れて行ってあげたら?」
そうだそれが良いと、名案でも閃いたようにみつが言うが、彼女は首をかしげていた。




