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決断

長いです

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「遅いわね~」


 思わず、独り言が出てしまった。

 みつ達が行ってしまってから、どれだけ過ぎたのだろう。私は一人、ぼんやり空を眺めていた。低かった太陽が、すでに中天に近づきつつある。

 私の体力は戻っただろうか。今からでも、みんなの後を追った方が良いのかな。でも、そうしたら下りて来たみんなとすれ違ってしまうかもしれない。

 一人でもんもんと悩む。せめて、みつが最初に言っていた中腹まで行った方が良いかな。

 そうは思うが、何かが変だと自分のカンが告げて、動けないでいた。

 中腹の少し先に玉葉くんが居ると、みつは言っていた。何もないなら、皆もう着いていてもおかしくない。いやむしろ、玉葉くんを見つけて下りて来てても良さそうなものだ。だから、おかしい。こんなに遅いのは、たぶん何かあったのだ。

 ならば、やっぱり動かない方が良いのだろうか。幸い、ここは正規ルートからそんなに離れていないし、通る人がいたらこちらも気づける位置に居る。まあ、もっとも、こんな平日にこんな山に登る人はおらず、さっきから人っ子一人通らないのだけれど。


「みんな無事かな……」


 また、独り言がもれた。ダメね、一人暮らしをしていると独り言が増えるというけれど、本当のようだ。唯一の幸いは、ここには誰もおらず、独り言をつぶやいても聞かれない、という事だ。じゃあ、もうちょっと独り言言ってても大丈夫かな。

 

「みんなどうしたのかなあ。見に行こうかなあ。でも面倒だしなあ。あ、でも玉葉くんはしんぱ……」

「神凪さん!!」

「ん?!」


 安心しきって独り言を言っていたら、思いがけない方向から急に声が、そしてガサガサっという音と、足音が聞こえた。誰かが走ってこちらに来ているようだ。誰か? それはもちろん、


「玉葉くん! どうしたの、みつは……」


 独り言を聞かれたかもしれないと思って、全力でごまかすような事を言いながらその方向を見る。上から走って下りてくる玉葉くんは、あの年上の男性の姿をしており、少年を一人肩に担ぎ、誰かの手を引っ張って急いだ様子であった。ただ事ではない。私でも瞬時に理解できた。


「不破さんはまだ上だよ。とりあえず、この子達連れて逃げてきたよっ」


 玉葉くんは私の所まで走ってくると、私がいまだ広げているレジャーシートの上に、ぐったりした少年を降ろして横たえた。それを追ってレジャーシートの上に膝をついて心配そうに見つめている少年、鷹也。


「鷹也くんも、無事だったのね。良かった。いったい、何があったの?」


 息すら切らしていない玉葉くんとは対照的に、肩で息をし疲れ果てている様子の鷹也に、水筒のお茶を()いで渡す。鷹也は動揺した後、黙ってコップを受け取った。膝立ちだったが、登山リュックと腰を下ろし口をつけたのを見届けて、玉葉くんを見た。 

 玉葉くんはそんな二人と私を見て、悲しそうな目をした。


「主が、この子を見つけたんだ。それでこの子が取られそうな所を、不破さんとあの人が主をひきつけて、僕らを逃がしてくれたんだ」

「みつとよしのさんが!? 大丈夫なの?」

「わからない」


 玉葉くんが首を振る。こんな時でもイケメンなので、色んな意味でドキドキする。そんな場合じゃないのにっ。


「た、玉葉くん。とりあえず、人型のままで大丈夫? 狐に戻らない?」

「ああ、そうだね」


 玉葉くんは私の心拍数などどこ吹く風で、素直に狐の姿に戻ってくれた。事務所で見るより、少し大きめの狐姿に。いつも通り、まるでコマ落ちのように突然に変化した玉葉くんを、何気なく振り返った鷹也が見てしまった。先ほどまでいた壮年の男性がいつの間にか消え、狐しかいない。驚いて目を見開いている彼に、いったいなんと説明して良いのかわからない。こんな時、みつならうまく誤魔化してくれるのだけれど。どうしよう。


「いったい何があったのか、だったよね。僕がわかるのは、神凪さんたちが探していただろうその子を、主が食べようと襲って来た事ぐらい。詳しい事は、本人に直接聞いてみたら良いんじゃないかなあ」


 硬直する鷹也と私を見て、玉葉くんが気を聞かせて喋りかけた。出来た子だ。


「そうなのね。鷹也くん、この子が探していた弟の優斗くん、で間違いないのね?」


 玉葉くんの言葉を受け、いまだ横に寝かされ安らかな吐息をたてる小さな男の子を見て、鷹也を見た。こんなに心配そうに、愛おしそうに見ているから間違いは無いだろうが、確認の意味も込めて聞く。鷹也は案の定、すぐにこくりと頷いた。


「ああ、間違いない。優斗だ。……でも」

「でも?」

「さっきの、優斗は、知らない……」


 そう言ったきり、鷹也は何かを思い出して思いつめたような顔をした。何が何やらさっぱりわからないので、救いを求めるように玉葉くんを見る。玉葉くんは首を傾げた。


「さっきって、主の所に行こうとしてた事? この子には何かの暗示がかけられてるみたいだし、だからじゃないかなあ? 主のいない所では効果ないみたいだけど」


 あっさりと言ってのけるが、その意味する事の本当の所までは私にはわからない。鷹也も、不思議そうに玉葉くんを見た。というか、不思議だろうそうだろう。だって、狐がしゃべってるんだもの。だが、鷹也は拒絶してはいない。もしかして、しゃべってる玉葉くんを一回見てるのかしら。それなら、私が下手なフォローをするまでもないだろう。話を戻す。


「暗示って……例えば、主に逆らえないようにするってこと?」

「たぶん。あと、逃げ出さないようにするためじゃないかなあ。……えっ、なに? みのたん。……うんうん。へえー? ……ふぅん、そうなんだあ」


 私の言葉に玉葉くんはまた首を傾げた後、いきなり自分の背中を見つめ、一人で喋りだした。……なんだろう。これ、既視感(みたこと)があるぞ。--そうだ。たまに、みつがするやつだ。私には見えない何かと、喋っている時。こんな風に、置いていかれた気持ちになる。ただ黙って、そのやりとりを見えないまま見つめるしかない。

 何かと話し込んでいたようだが終わったようで、玉葉くんは私の方を向いた。


「あのね、みのたん……この山の精が言うにはね、主の毒で言う事を聞くようにしてるんだって。でも、主の力自体が弱まっているから、主の言葉を聞かないと効かないから、心配いらないって」


 ふふんとちょっと自慢気に、そう教えてくれた。しかし話していたのは、みのたんという山の精?なのか。何というか、私も人の事言えないけど、ネーミングセンスが微妙だなと思った。どうでもいいんだけれど。鷹也の不安が心配なさそうでよかった。


「良かったわね、鷹也くん。心配いらないそうよ」

「で、でも毒って……あんな、あんな大きな蛇の」

「命、に関わってくる毒じゃないって。精神、に関わってくる毒だって。……昔は、生贄が逃げる事もあったから、だって」


 玉葉くんが、感情が読めない瞳で教えてくれる。その言葉に、ぞわっとしたものが背を走り抜けていった。瀬尾の話を聞いていた時と同じ、恐怖。生贄というシステムとそれを是とする化け物と人間、両方に恐怖を感じる。何故だろう。なんでここまで、身につまされて、怖いのだろう……?


「じゃあ、ここから、主から遠ざかれば、何も起きないのか?」

「たぶんね。現にこの子は、この山にいながら見つけ出される事もなく、微弱な山の精に(かくま)われ隠され続けていた。だから、主にさえ近づかなければ大丈夫なんじゃないかな」


 私が恐怖に慄いている間。鷹也が玉葉くんと話していた。一応、玉葉くんの言葉に安心したような顔の鷹也だったが、急にハッとした。


「じゃあ、主が居る限り、弟は神隠しに遭うかもしれないのか?」


 鷹也の言葉に、玉葉くんが首を傾げ、また自分の背中を見た。何かと話しているようだ。だんだんと、顔が怪訝そうになっていく。その顔のまま、玉葉くんは鷹也を見た。


「主は、取って無い、って。その子が最初に、山に居たって」

「?」


 鷹也も私も、意味が分からず玉葉くんを見つめる事しかできない。見られた玉葉くんも戸惑っているようで、何とかその山の精とやらの言葉を私たちに届けようとする。


「えっとね、主が目を付けたから、この山に来たんじゃないって。その子が山に居たから、主が生贄だと思ったって」

「なんだって? じゃあ、優斗が、勝手にこの山に来たっていうのか? 七歳の子供がっ?」


 鷹也が、思わず声を荒げる。言われた玉葉くんは、耳をしょんぼりさせて困ったような顔をした。


「僕に言われても、困る」


 玉葉くんのその言葉と態度に、ハッとしたように鷹也が口を紡ぐ。そして、ばつの悪そうな顔をして、ごめん、と呟いた。


「よくわからないけど、優斗くんは最初から神隠しに遭っていたわけではないのね?」


 空気を読まず私が聞くと、玉葉くんはそれにも首を傾げた。


(ヌシ)は、(カミ)じゃないよ?」

「えーと、うん、そうじゃなくて……そうなんだけど…」


 うまい事説明できない自分が悔しい。


「ええと、だから、優斗くんを連れていったのは、主じゃない、のね?」


 私のしどろもどろの言葉に玉葉くんは一度自分の背を見て、ついで私を見て、頷いた。そうか。ならば、次の疑問が出てくる。

 誰が、なんの為に、だ。

 先ほど鷹也が言ったように、大人でも辟易(へきえき)する程の距離がある此処に、七歳の優斗が一人で来たとは考えにくい。では、誰かに連れられて来たのだ。誰に? なんのために?

 何か心当たりがないかと、鷹也を見る。鷹也は、呆然と口を半開きにしたまま、虚空を見ていた。


「鷹也くん?」

「え? あっ……」


 ハッと、合わなかった焦点を私に合わせた。わかりやすいほどに、動揺している。


「何か、心当たりが?」


 恐る恐る聞いてみると、鷹也はせわしなく目をキョロキョロさせていた。何か、聞いてはいけない事を聞いてしまったのだろうか。ここは大人として、余裕を持って接しなければ。


「大丈夫よ。ゆっくり、落ち着いて話してみて。話したくないなら、無理強いはしないわ」


 なるべく、優しく語り掛ける。すると、鷹也はこわごわと私を見て、優斗を見た。優斗をみる鷹也の目は、泣きそうだ。


「……帰ると」

「うん?」

「俺が帰ると、いつも、優斗は独りで待ってた」


 何を話そうとしているのか予測がつかないが、遮ることはせず、黙って続きを促した。鷹也は、優斗の柔らかく細い髪を撫でた。


「オジサンとオバサンは、いっつも家にいなかった。優斗は、小学校が終わると、独りで俺を待ってるんだ。でも」


 口を引き締め、何かを耐えながら、優斗の髪を撫で続ける鷹也。


「あの日。はじめて優斗がカミカクシ、いや、はじめていなくなった日。オジサンとオバサンが、家に居た。優斗は、って聞くと、居なくなった、って。探しもせず、まるで他人事のように。俺が必死こいて近所の人とかに聞いてると、恥ずかしいから止めろって。カミカクシに遭ったんだ、諦めろって。あの時俺ははじめて、人を殺したいって思った。気が狂ったように優斗を探して……気が付いたら、警察に保護されてた。弟が居なくなったから探してくれって言ったら、戸惑いながらも手続きしてくれて。その何日か後に、連絡が入ったんだ。優斗が見つかった、って。見つかった優斗は何も覚えてなくて。本人は一日ぐらいしか記憶が無いって言ってて、一週間も失踪してたにしては元気そうだったから、誘拐の線で警察も捜査してくれたんだけど、結局真相はわからなかった」


 絶句して、合いの手すら入れらなかった。鷹也はこちらを見ず、ひたすら優斗の髪を優しく撫でていた。


「オジサンとオバサンは、めちゃくちゃ驚いていた。でも、帰ってきたから良かったって言ってて。それを、信じた。信じてたんだ。あんなロクデナシ共でも人の心はあるんだって。

 そしたら、数か月後ぐらいに、また突然優斗がいなくなった。その日も、オジサンとオバサンは家に居た。嫌な予感がして、優斗は、って聞くと、まだ帰ってきてないって。いてもたってもいられなくてまた探してたら、迷惑だから止めろって。あいつら、優斗の心配じゃなくて、自分達の体裁の為にやめろって! 俺はその時、初めて大人を殴った。その後俺の方がたくさん殴られたけど、優斗がいなくなってた事の方が心配だった。

 警察に行って、前回親切に話を聞いてくれた警官に話を聞いてもらって、また探してもらったんだ。でもその日は見つからなくて。前居た加賀士神社も探してもらったけどいなくて、また、一週間ぐらいして見つかったって連絡が入った。加賀士神社に、居たって。また優斗は覚えてなかった。警察の人も流石に気味悪がって……。三回目は、その人にも頼れなくなって。だから、変な看板を見たって人のツテであのタンテーさんの事務所を探して、行ったんだ」


 そこで、鷹也は私を見た。その眼には既に涙が(たた)えられ、溢れ落ちそうだ。


「優斗を、見つけてくれて、本当にありがとう」


 鷹也が、私に、玉葉くんに頭を下げた。涙が、つられてこぼれ落ちた。私も泣きそうだと思ったが、自分が今から言おうとしている事の酷さに、涙が引っ込んだ。


「鷹也くんは」


 頭を下げたまま、顔を上げない鷹也。


「オジサンとオバサンを、疑っているのね」


 沈黙。

 しばしの後に、微かな嗚咽が、漏れる。必死に泣くまいと耐える少年。

 そんな鷹也を心配そうに見ていた玉葉くんが、狐姿のまますり寄る。

 ああ、その毛皮が私以外の人も癒せたら良いのだけど。悲しい気持ちで見つめていると、鷹也はすり寄ってきた狐に、その素晴らしい毛皮に気づき、さらに触らせてくれる事に気づき、ギュッと抱きしめた。そして、毛皮に顔をうずめて、泣いた。私に、優斗に見られないように顔を隠して、泣いていた。


「お、俺っ、俺! 早く、あいつらの所から出たくて! 優斗を引き取りたくて! バイトをしてたっ。優斗がさみしがっても、仕方ないって。その居ない間に、あいつらにはいくらでも時間があったんだ! あいつらは車を持ってる! どこにだって行ける! あいつらがやったんだ! あいつらが優斗を……!」


 咆えるように泣く鷹也。

 その声に反応したように、ピクリと優斗の瞼が動いた。顔を埋めて泣いている鷹也は気づかない。

 少しして、優斗はゆっくり目を覚ました。その可愛らしい瞳は、鷹也と同じ色をしていた。緩慢に上半身を起こす。


「……にいちゃ?」


 優斗の声に、ハッとしたように鷹也が顔を上げた。そして、急いで眼の周りをゴシゴシぬぐい、優斗の方を見た。


「優斗起きたのかっ。どこか具合悪くないか? 大丈夫か?」


 優斗は兄を見て安心した後、私と周りを見て、ビクッとした。そうよね。いきなり知らない所で目を覚まして知らない人がいたら、怖いよね。なるべく怖がらせないように、静かに語り掛ける。


「こんにちは、優斗くん。私は神凪。お兄ちゃんの知り合いよ」


 鷹也に同意を求めるように見ると、鷹也は私の意思が通じたのか、頷いてくれた。


「このお姉さんたちが、お前を見つけるの手伝ってくれたんだ。礼を言って」

「そうなの? ありがとう、お姉さん」


 鷹也の言葉に、首を傾げながらも、優斗は素直にペコリと頭を下げた。鷹也を見てそうかもと思ってたが、良い子兄弟だわ、やっぱり。ジーンと心があったかくなる。


「狐さんが言ってた、探してくれてた人って、お姉さんたち?」


 優斗が、何かに気づいたように玉葉くんを見た。玉葉くんはニンマリ笑って、頷いた。


「そうだったんだぁ。あ、お姉さんが狐さんの毛皮が好きな方の人? 眼鏡かけてる方だもんねっ」


 何を話してるの、玉葉くん?! 恥ずかしさでいっぱいだ…。


「ええ、そうよ……」


 諦めたように認めると、玉葉くんは何故か誇らしげに鼻を鳴らした。まあ、優斗が笑ってくれてるから良いけど、この恥ずかしさどうしたら良いのだろう。

 と、その時、


 グゥー!!


 盛大に、空腹の虫が鳴いた。

 あたりを見回す。私はそこまでおなか減ってない。玉葉くんはおなかが減るというシステムすらない。という事は、鷹也か優斗だが。


「あ、ごめんなさい……」


 優斗が悲しそうに顔を伏せた。鷹也が慌てて自分が下ろした登山リュックのチャックを開けた。私も、慌てて水筒にお茶を注いだ。そうだ。この子は、少なくとも一週間は山に居たのだ。むしろ、なんで今まで気づかなかったのだろう。暖かいお茶を差し出すと、優斗はにっこりと笑って、ありがとうと言った。良い子。

 鷹也は、リュックの中からチョコレートと、カロリーバーのようなものを見つけて、優斗に差し出した。


「これ、食べて良いの?」

「ああ。後で言えば大丈夫だから、食べな」


 鷹也がチラリと私を見たので、力強く頷いた。たぶん、あのリュックの中身はみつが鷹也の為に用意したものだろうから、問題無いハズだ。違ってても、ここで拒否するのは人としてどうかと思う。

 鷹也の言葉に、優斗が安心したように目を輝かせ、チョコレートを齧った。とっても美味しそうに、勢いよく。口の周りにチョコがついても気にしない。


「美味しい! 昨日から何も食べてないから、おなかペコペコだったんだ!」


 昨日? 今、優斗は昨日と言った?

 少なくとも一週間は行方不明だったはずだ。だが確かに、良く見てみると優斗の血色はそんなに悪くない。人間、食料無しなら一週間、水無しなら三日が生きられる限度だと聞いた事がある。大人よりさらに小さい優斗の場合、さらにその日数は短くなるだろう。にしては、元気そうだ。専門ではないから良くはわからないが、確かに、昨日一晩居ないぐらいなら、こんな感じなのだろうか、と思わせる容体だ。鷹也の話にもあったが、優斗は一日ぐらいしか記憶にないらしい。いったい、どういう事なのだろうか。

 混乱したまま玉葉くんを見ると、私の動揺に気づいたように玉葉くんが見返してきた。


「稀に、人の時間と、その域に流れる時間が、違う場所があるよ。前に僕と姉さんが会って居た所とか。この山は、そういった狭間になりやすいみたい?」


 最後の疑問形は、玉葉くんにもはっきりとはわからないからだろうか。狭間(はざま)。そういえば、みつも以前言っていたっけ。この世は、幾多もの層が重なり合ってできてる、と。いまだによくわからないのだけれど、時間の流れが違う層があって、そこに迷い込んでしまうとズレる、という事なのだろうか。

 まあなんにせよ、優斗が味わった心細さや空腹が一日だけであるとするなら、それは救いだ。優斗にとっても、私の心にとっても。


「そう。でも、心配ね。一応病院で見てもらわないと……。みつ達はまだかな。早く引き上げたいんだけれど」


 鷹也と優斗を見つめる私の言葉に、玉葉くんが目を細めた。


「難しいと思うよ。あの主は恐ろしいし、執念深い。どちらかが消滅しなければ、いや、主が残った時はその子を喰らわなければ、治まらないと思うよ」


 ゾッとした。玉葉くんの言葉にもだが、玉葉くんにも、正直ゾッとした。そうか、やはりこの子もヒトとは違う存在なのだと、瀬尾の時と同じくゾッとした。ただ、それで嫌いになったり恐ろしく思ったりしないのは、知った存在だからだろうか。

 玉葉くんの言葉に、鷹也の顔が青ざめる。優斗はいまだ、空腹のためにカロリーバーをむしゃむしゃ食べている。そんな二人を横目で見ながら、玉葉くんの前にかがみこんで聞いた。


「みつでも、危なそう?」

「うん。だから、早くこの山を降りて街に入った方が良いと思うよ。まあ、前に街まで追いかけてきてたけど、さすがに不破さん達とやりあって無傷じゃいられないだろうから、ここよりは少しはマシだと思う」


 感情の読めない瞳で、淡々と喋る玉葉くん。と、不意に顔を上げて、あたりを、いや頂上付近を見上げた。

 何事かと、私もつられて顔を上げた。

 すると、どうした事だろう。

 ザワザワと風もないのに木々がざわめきだし、異様な雰囲気があたりに漂う。何かが、起きようとしている、不穏な空気。主、とやらだろうか。不安にかられ辺りを見回すと、何が起こっているのだろう。紅葉(こうよう)が、迫ってくる。文字通り、私たちに向かって、いや、私たちすら追い越して、紅葉が、進んでいく。なんの変哲もなかった木々の葉が、早送りのように色づき、染まり、落ちていく。もみじが、いちょうが、名も知らぬ木の葉達が、次々に緑や黄緑から色を変え、そして私たちに降り注ぐ。

 いったい、何が起きているのか、理解を超えていた。鷹也も呆然と見ているが、優斗だけは楽しそうにきゃっきゃっと舞い落ちる木の葉を捕まえようと手を伸ばしていた。もしかして、前にもこの光景を見た事が…?

 ハッと玉葉くんに振り向くと、玉葉くんは警戒したように紅葉が進んできた大本の方を睨んでいた。


「た、玉葉くん……」

「気を付けて、神凪さん。これは多分、この山の主の力のせいだ。みのたんも衰弱してる。急いで山を下りた方が良い」


 決断を、迫られているようだ。


 一つ。ここでみつ達の勝利を信じて、待つ。

 二つ。みつ達が負けた時の事を考えて、下山する。

 三つ。みつ達を助けに行く。


 三は、無いな。私が行ったところでどうにもなりはしないし、逆に約束した足手まといにはならない、を破ってしまう。

 一も、玉葉くんの言葉を聞き、今の人知の及ばない現象を見てしまっては、現実味が薄い。みつを信じていないわけではない。むしろ信じたい。だが、それは私だけの問題だ。

 この子達を巻き込む事を考えると、大人として、しなければならない決断が、見える。


「……下山、しましょう」

「え?! あのタンテーさんを置いていくのか!?」


 鷹也が、驚いたように私を見た。私は今、眉に力が入っているため、結構な怖い顔になっているだろう自覚がある。


「みつは、大丈夫。それよりも、鷹也くんと、衰弱している優斗くん、私は今二人の命を預かってる。あなた達の安全を確保するのが、私の、大人の役目。だから、下山します」


 私の有無を言わせない言葉に、鷹也がうろたえる。心配するように山の上の方、自分たちが下りて来た方を見上げた。恐ろしい現象で木の葉が舞い落ち、幾分か先が見通しやすくなっているが、もちろんみつ達が見えるはずもなく。鷹也は何か言いたげに私を見るが、優斗を見て、その言葉をグッと飲み込んだ。この子も、十分大人だ。だが、まだ早い。


「このまま山を下りて、麓の加賀士神社まで戻りましょう。もし夕刻までにみつ達が戻らなかったり、

危機が迫ったら、街に帰ります。いいわね」


 私の言葉に、鷹也はグッと口をつぐんで、無言で頭を下げた。それが、優斗にとって一番安全なのを、理解しているから。その為に、みつを見捨てる事になったとしても。

 鷹也が頷いたのを見て、私は立ち上がった。

 鷹也も、綺麗な葉っぱを何枚か拾い上げ吟味している優斗に、優しく立ち上がるよう促した。


「優斗、帰ろう。麓の神社でもうちょっと休憩してからだけど」


 兄の言葉に優斗は顔を見上げ、ついで不安そうな顔をした。何も言わない優斗の何かを察したのだろう、鷹也は優しい顔のまま、


「大丈夫。オジサンとオバサンには言わない」


 そう言った。優斗はパァっと顔を明るくさせて、残っていたお茶を飲み干した。

 先ほどの、鷹也の言葉と疑惑。それを何も言わない優斗の行動が裏付けているようで、胸が締め付けられた。頭が、痛い。なんでだろう。

 だが、今はそんな感傷に浸っている場合ではない。

 素早く水筒とレジャーシートを片づけると、鷹也が背負っていた登山リュックを背負う。鷹也がそれを止めようとしたので、鷹也には優斗を見ててほしいと告げると、少し逡巡した後、頷いて優斗の手を握った。


 登山リュックを背負いなおし、玉葉くんを見る。玉葉くんは、ジッと私を見返した。


「玉葉くん」

「なぁに?」

「無理な、お願いをしても良いかな」

「いいよ」


 私が言いたい事がわかっているのか、玉葉くんは鼻を持ち上げて、かがんだ私の頬にくっつけた。


「みつを、助けてあげてくれないかな」

「いいよ」


 長い鼻を離すと、玉葉くんはニッコリと笑った。

 みつが危なくなるほど、強い主。このように山全体に不思議で恐ろしい影響を与えられる存在に対峙し、加勢をしても勝てる見込みはわからない。それなのに行って欲しいという私の願いを、玉葉くんは即刻頷いて了承してくれた。

 ギュッとその金の身体を抱く。


「玉葉くんも、気を付けるのよ。怪我しないでね。……ちゃんと、無事にみつと戻ってくるのよ。待ってるから」

「うん。行ってきます」


 私が腕を離すと、玉葉くんは振り返る事なく、金の四肢で山を駆け上がって行った。金の、残像が見えるよう。

 それを少しだけ見送って、私は二人の子供を振り返った。


「さあ、帰りましょう」


 私たちは、麓に向かって、紅の絨毯の上を歩き出した。

大人として子供を守る決断ができる薫ですが、出番は終わりました()

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