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第4話

 ルーカスが扉を開けると、戸口に立っていたのは一人の老婆でした。

 白いブラウスに深い緑色のスカート、そして臙脂色の毛糸のケープを肩からかけた老婆は、腰がひどく曲がっていて、木の枝を削って作ったような杖をついていました。

 老婆はルーカスを見ると、深くお辞儀をして言いました。


「事情があって魔女にお会いしたくやってまいりましたが、どこに行けばお会いできるのかも分からず、森で迷ってしまいました。どうか、一杯のお茶を恵んでいただけませんか」

「どうぞお入りになって、ゆっくりなさってください」


 ルーカスは訪ねてきた老婆を快く迎え入れると、暖炉の傍の椅子を老婆に勧めました。


「もし伺ってもよろしければ、どうして魔女を訪ねていらしたのですか?」


 ルーカスはあの不思議なお茶を老婆に出すと、老婆の隣の椅子に座り、そう問いかけました。

 老婆は白髪が交じって白っぽくなったブラウンの纏め髪のほつれにそっと手をやると、静かな声で話し始めました。


 ――老婆の名前はマリアと言いました。マリアは農家の長女として生まれ、同じ農家の家の青年と結婚し、一男四女に恵まれました。農家の仕事は朝早くから始まり、家事に子どもの世話と忙しく、貧しくも幸せな毎日を送っておりました。四人の娘たちはそれぞれ良縁に恵まれ、一人の息子もお嫁さんを迎えました。マリアは夫に先立たれた後も、夫の畑を守り孫の世話をして幸せでした。

 そんなある日、隣の国から運ばれた安価な農作物が大量に市に並ぶようになりました。マリアの畑の野菜は全く売れなくなってしまいました。

 そんな大変な時に、マリアは病気になり畑の世話をする事が出来なくなってしましました。

 病気を治す為には高価な薬が必要でした。マリアの息子は、もともと農家の仕事はあまり好きではありませんでしたので、街に出て仕事をすると言って家族を連れ街に出て行ってしまいました。始めこそは薬代にと幾ばくかの金貨を送って来た息子でしたが、自身の生活も決して楽なものではないのでしょう。次第に仕送りは途絶えて行ってしまいました。

 そして、マリアは一人きりになってしまいました――。


 老婆は淡々と身の上話をすると、喉が渇いたのかカップを手に取り、お茶を飲もうとしました。

 王女はその様子を、籐の籠の目からそっと息を殺して見ていましたが、老婆がお茶を飲もうとした姿に慌てました。王女は小さな鉤爪で籠の目を必死に登り、籠と目隠し布の隙間から這い出すと、老婆に向かって叫びました。


「お婆さん! そのお茶を飲んではいけません! 呪いにかかってしまいます!」


 突然現れたオレンジ色のトカゲが人の言葉を話したので、老婆は驚いて目を丸くしましたが、一呼吸おいて王女に真っ直ぐ視線を合わせると、目を細めて穏やかに言いました。


「ありがとう、トカゲさん。でも私はいいのよ。もう腰も曲がって膝も痛くて、畑仕事も出来やしない。息子や娘の負担にはなりたくないんですよ。顔も見せに来ないあの子たちでも、幸せに暮らしていて欲しいんです。……そう、貴方が魔法使いだったんですね」


 お婆さんの目にキラリとしたものが光りました。

 そして、お婆さんはそのお茶をゆっくりと飲み干したのでした。

 するとお婆さんは、大きなふくろうに姿を変えてしまいました。


 ルーカスがそのふくろうを腕にとまらせると、ふくろうはホウホウと鳴きました。

 ルーカスが扉を押して森へ出ると、ふくろうはルーカスの腕からさっと飛び立ち、頭の上でくるりと輪を描くと、森の中に消えていきました。


 王女は食卓テーブルの上でうなだれておりましたが、ルーカスは何も言わず冷めてしまった王女のスープを温め直すのでした。

 ルーカスが温かな湯気の立ったスープを王女の前に置いても、王女はまだ元気がありませんでした。ルーカスはスプーンを手に取り、王女に小さな口でも飲みやすいようにスープと掬って王女に差し出しながら、誰に向けてと言うでなく呟きました。


「幸せというものは、自分のものさしでしか測れません。あのお婆さんはこの森に死を求めてやって来たのですよ。でも、僕には人の命を奪う事は出来ません。何故かこの森にはそんな哀しい人たちが時々訪れるのです」


 静かに微笑むルーカスが、王女には老婆を助けられず落ち込んでいた自分よりも傷付いて見えました。

 そこで、王女は躊躇いがちにルーカスの手から、一口スープを飲みました。

 すると、王女の目にはルーカスが少し元気になったように見えましたので、勧められるままにルーカスが掬ってくれたスプーンからスープを飲みました。


「もう少し森を見てみたいのですけれど、案内して頂けますか」

「ええ、いいですよ。貴女のお望みのままに」


 ルーカスは籠を用意しましたが、王女はルーカスの腕から駆け上がり、その肩に座りました。ルーカスはそれを気にする事もなく、籠を持って森へと入って行きました。

 王女にはルーカスがどこに向かっているのか分かりませんでした。太陽は天頂に昇り、その光は森の隅々にまで届いておりました。しばらく行くと、森の木々がキラキラと輝いている場所がありました。ルーカスがその場所に近づいていくと、そこには泉がありました。キラキラと光っていたのは、水面に当たった太陽の光が反射して、鏡の様に周りの木々の葉を明るく輝かせていたのでした。

 王女はルーカスの肩から降りて、泉の縁に立ちました。

 泉の水は底の方まで澄んでいて、底の石もキラキラと輝いているのが見えました。

 とても冷たくて美味しそうでした。王女は水を一口飲もうと顔を近づけました。そして、水面に映った自分の姿を見付けました。


「醜い姿……。あのお婆さんはふくろうになってしまったのに、どうして私はこんな醜い姿になってしまったのでしょう」


 ポタンと一滴の涙が泉の水面に波紋を描きます。

 

「あなたが本当の幸せを見付ける事ができたら、その呪いは月の光に溶けて消えてしまいます」


 王女が泉に落ちてしまわないように、後ろでそっと見守っていたルーカスは、水面に映った姿を見て涙を流している王女にそう告げました。


「本当の幸せ?」


 王女は振り返って聞き返しました。ルーカスは王女の目にどこか寂しそうな表情に見えました。


「ええ。貴女にとっての本当の幸せです」

「わたくしの望む幸せは……素敵な方と出会って結婚することかしら」

「真実の愛が見つかるといいですね」

「こんなトカゲの姿では、100年経っても見つからない気がするわ」

「真実の愛の相手とは、どんな姿で出会っても惹かれ合うものですよ」


 王女は一国の王籍に身を置くものとして、政略結婚の覚悟はありましたが、物語の様な素敵な結婚にいつも憧れておりました。

 いつか美丈夫と名高い隣国の王子の許へお嫁に行くのだと夢見ていたのです。


 ルーカスは微笑んで、王女をそっと手の平の上に乗せました。


「泉の傍に美味しい木苺が生っていますよ。これを摘んで、ジャムを作りませんか」


 木苺と聞いて、王女の胸が躍りました。木苺のジャムは王女の大好物だったからです。ただ、木に生っているところは見た事がありませんでした。ルーカスに案内されたその場所は、王女が想像していたものとは大きく違っていました。木と呼べるほど高いものではなく、どちらかと言うと草の様な低い背丈の植物が葉を広げてこんもりと茂っており、艶やかなルビーの様な赤い実やオニキスの宝石のように輝く黒い実がたわわに実っていました。

 王女は嬉しくなって、その実を摘んでは籠に入れていきました。

 ルーカスはそんな王女の姿を静かに微笑んで見守っていました。


「木苺の木には棘がありますから気をつけてくださいね」


 醜いと思っていた全身の鱗は木苺の棘から王女を守ってくれましたし、茂みの中にも木苺はたくさん実っていたので、王女はルーカスの忠告を軽く聞き流し、頭からその茂みに突っ込んでは木苺の実を摘むのにすっかり夢中になってしまいました。

 王女が両手にいっぱいの木苺を抱えて茂みから顔を出しますと、ルーカスの前に二人の子どもが立っていました。王女はそのまま三人の前に出て行って良いのか悩みましたが、茂みの下に佇む王女を見付けたルーカスは、王女を抱き上げ肩に乗せると、二人の子供に言いました。


「今から木苺のジャムを作ってパンケーキを焼きますが、良かったら貴方達も一緒に食べませんか」


 二人の子どもは兄妹かもしれないと王女は思いました。

 質素で薄汚れたシャツの袖と継ぎ接ぎだらけのパンツの裾から出ているのは、今にも折れそうな程細い手足。妹の方はしっかりと兄の手を握って、怯えきった表情をしています。兄の方は、妹を守るために気丈に振舞っている様子が窺い知れました。

 パンケーキと聞いて、二人のお腹がきゅうと鳴りました。

 そして王女を肩に乗せたルーカスの後を、しっかり手を握り合った兄妹はトボトボと森の中の小さな家まで付いてきたのでした。


二人の子ども達は何故ここに……?

次話に続きます。

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