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内臓もぐもぐ結婚 上

グロに注意してください。内臓を食べる描写があります。

 妹は兄のサンドバッグになるためにこの世に生まれる。鬼瓦京介は本気でそう思っていた。


 昼間だというのにカーテンを閉め切り薄暗い部屋の中、肉を靴で蹴る音が鈍く響いていた。四畳半の薄汚れた畳には、一人の少女が身体をくの字に曲げて横たわっている。


「立ってくださいよ一人では立てないんですかそれなら俺が立たせてやるよこの豚」


 もう何十回と繰り返した蹴りを再び、妹の蛇子の腹に打ち込む。みぞおちに当たったのだろうか、蛇子は身体を虫のように痙攣させ、口から唾を吹きだした。京介は喘ぐ蛇子の首筋を無理やり引きずり上げる。互いの額が触れ合うまで持ち上げて、蛇子の両目をのぞきこんだ。


 蛇子は涙目になって京介を見つめていた。まるで兄の罪を咎めるかのように。


「なにか文句があるんですか? さっさと出すもん出さないお前が悪いだろうが」


 京介は蛇子の視線を毛ほども意に介さず、無造作に蛇子を放り投げた。壁に背を打ち付けた蛇子はそれっきり動かなくなった。


 京介は蛇子の服を探る。ポケットから小さな鍵を見つけ出すとにやりと口をゆがめた。


「ようやく手にしましたぜ、蛇子ちゃんのお宝の鍵。今日はいくら入っているのかにゃにゃ?」


 そう言うと、京介は蛇子からすでに奪っていた直方体の箱を取り出した。四方に施された銀の装飾は、かつて値の張るものであったという証しを残しているが、今や黒ずんでいて(かね)にならない。


 この箱は京介と蛇子の母親が唯一残していったものである。


 京介が鍵を開けると中には千円札が二枚収まっている。わしづかみ、箱と鍵を気絶している蛇子にぶつけた。


「また明日もがんばってくれよ」


 京介はいろいろ知っている。自分の家が貧しいということも、それで父母がどこかへ逃げたことも、それで蛇子が学校へ行かずホームレスから金を掏っていることも承知しながらどぉでもよい。

 

 いつも通り足はさっそくパチンコに行きたがっていた。妹の稼いだ金を使っているのかと思うと、惜しくもないのでじゃんじゃんつぎこめるのだ。京介は鼻歌を口ずさみつつ、玄関戸に手をかける。

 

 すると、背後から突き刺すような視線を感じた。いや、視線でなく殺気と言うのが適切かもしれない。蛇子がここ数日、京介を刺すように睨みつけていることを京介は知っている。自分を殺したがっていることくらいとっくに知っている。


――けど、七歳児になにができるってんだよ――


 ニシシ、と京介は歯をむき出して笑う。蛇子が京介を殺せるようになる前に、京介は家を出ていくつもりだ。いつまでも腐りかけた三文アパートに留まるつもりはない。自分の住むべき場所はもっと華やかで、優雅で、美しい、エレガントな場所に決まっている。そうでなければ、この世に生まれてきた甲斐がない。


――上京するためにはよぉ、今日こそ一発当てねえとだよな――

 立てつけの悪い玄関戸を勢いよく締め付けると、京介は薄汚い路地を歩いて行った。


 兄がいなくなった室内。四畳一間に丸ちゃぶ台が転がるだけのさみしい空間に、蛇子は一人転がっていた。


「……(にい)に」


 息絶え絶えに、ぽちっとつぶやく。兄はどこかへ行ってしまった。自分を置いて。しかし、蛇子は知っている。兄はいずれ帰ってくる。両親とは違う。いずれまた、金をせびりに帰ってくる。殴られる。ちょっと痛い。だけど。嬉しい。


 いやむしろ。だから嬉しい。


 蛇子はそっと触る。兄に付けられたお腹の傷。頭の傷。触れるとジクッと痛い。紫色。皮の下で血が出ている。


 痛いけど、嬉しい。触れるたび兄を感じる。自分は一人じゃない。

 傷はそのうち膿んできて――


「なんと、かわいそうなお姿」


 どこからともなく声が聞こえてきた。


 薄暗い室内。日漏れるカーテンのそばに黒い影が立っている。空間に黒い染みが浮かぶようにして、黒い影が揺らいでいるのだ。


 影はもそもそと動くと、

「お久しぶりです」

 と恭しい声で言った。


「蛇子様、私は悪魔です。蛇子様をお迎えに上がりました」

「あく、ま? なんであたしを迎えに来たの?」

「あなた様は大魔王で在らせられます。だから、下級悪魔の私が参上したわけです」


 蛇子は、痛む体をくねらせて膝立ちになる。いぶかしげに眉をひそめ、影を見る。


「ためしに何か私に命令してください」


 そう悪魔は申し出た。蛇子は薄い唇を開け、舌たらずの声で命令した。


「姿を見せて」


 影は渦巻き、形を変えていき、下方にとぐろを巻いた。霧散するように黒い粒子が消えると、そこには巻角を生やす男児が跪いていた。

 黒い燕尾服、赤蝶ネクタイにドレスシャツを身に付ける正式な服装だ。しかし、服に着られている感はなく、壮麗な顔立ち、鈍く光る巻角は少年自身の神秘的な魅力を香わせていた。彼はじっと蛇子を見つめている。


 蛇子は恥ずかしくて少し顔が赤くなった。


「悪魔さんは、男の子なの?」


「いいえ。悪魔に性別はありません。これは仮の姿です。幼い異性の方が蛇子様も話しやすいかと思いました。私が悪魔ということの証明はもうよろしいですか」


 蛇子は首を傾げて悪魔の少年を見た。


「あたしが大魔王ってどうゆうこと?」


「世界終焉の日が近く、大魔王様は本当に世界を終わらせていいものか、地上に偵察に行きました。その生まれたお姿が蛇子様なのです。そして蛇子様が満五歳、五か月になった日に、迎えに来るようにと、我々悪魔に申し付けられたのです。さあ、世界終焉の是非はいかにされましたか?」


 少年は瞳の虹彩を金色に光らせて尋ねた。彼の顔には喜悦が浮かんでいる。

 蛇子は困ってしまい、眉根のしわを深くした。


「世界しゅうえんって、よく分かんないよ」

「終わらせるのです。蛇子様が一言、我々に命じてくださるだけで、我々は地上を一瞬で焼き尽くします。そうした後、悪魔が地上で暮らせるようになるのです」


 蛇子は胸がぎゅぎゅぎゅと鳴った。


「それって、人間が死んじゃうんじゃない?」

「死ねばいいのです。地上の明け渡しは、神話の時代よりの、人と神と悪魔の約束なのです」


 悪魔の少年は口角の牙を光らせた。蛇子は知る。彼は人間ではない。人間を殺すことになんの躊躇もない。

 蛇子が手をそわそわ動かし、ためらう様子を見て、少年は悲しげに顔を歪めた。


「どうして私に地上を焼くよう命令してくださらないのですか? 地上が思いの他よいことが偵察で分かったからですか? それとも、死ぬのが怖いのですか? 蛇子様は焼けた死後の灰から大魔王様として再生することができるので安心してください」

「ううん、あたしはね、死ぬのは怖くないの……。痛いのも我慢できる」

「ならば、私に命令してください。さあ、早く」

「ちょっと待ってね」


 蛇子は頭に手を当てて、蛇子なりにこの世界の是非を考え始めた。

 五歳児の蛇子にとって判断材料はあまりに少ない。家の畳が日に焼けて変色していたり、頭にしらみがたかっていたり、ホームレスの叔父さんになでなでされながらお金を盗んだり、そんなことしか近頃、体験してない。


 もう一つあるとしたら、兄にぶたれることだ。蛇子の顔がにやりと溶けた。


「兄に……」


 目が蕩け、傷口がずきずきと痛気持ち良く鳴き出す。胸がにやにやしてお腹いっぱいになった。

 蛇子はお兄ちゃんが大好きだ。

 母も父も物心つくころにはいなかった。そんな中、近所に子どももいない中、自分という存在を認識させてくれるのは兄だけだった。


 兄に蹴られるたびに、殴られるたびに、罵倒されるたびに、自己同一性の花が蛇子の中で咲いていく。人は他人の存在なしには自己を認識できない。痛みは生を教えてくれる。傷は死を教えてくれるのだ。


 悪魔の少年は、蛇子の変容に目を細めた。


「兄に? 蛇子様のお兄さんのことでしょうか」

「うん」

「……好きなのですね」

「うん、大好きなの」


 少年は悲痛なため息をついた。


「困りました。仕方ないので様子を見ましょう。我らは数万年の時を待ったのです。今さら幾数日待つことは何の障害にもなりません」

「ね、ね、世界を「しゅうえん」させてもいいの。だけど、その前に、あたしは兄ににお返ししたいんだ」


 蛇子はよろよろと立ち上がると、少年に近づき手を取った。


「兄にもね、あたしのことがすごく好きなんだよ。いつもかわいがってくれるの。だけどね、あたしは一度も兄にに好きだよってしたことないんだ」


 蛇子は邪気のない笑みを浮かべた。


「だから、兄にをぐちょぐちょに『いぢめ』てあげるんだ!」


 蛇子は一つの誤解をしていた。

 人間は好きな人をいぢめることで愛を伝える。彼女の中ではそう定義されていた。

 

 蛇子は兄が大好きだ。よって、兄も蛇子のことが大好きに違いないと幼心に決めつけ、その兄が自分をいぢめてくるのは自分のことが大好きだからに違いないと解釈し、だから人間は好きな人には鞭で応えるものと導き出していた。

 蛇子は普通の家庭の普通の子の普通の愛され方をされなかった。誤解が生ずるのも仕方のないことだった。

 

 彼女の顔は喜悦でほころび始めていた。兄に仕掛けるべき拷問の案が頭の中から溢れ出して止まらない。ついでに涎もこぼれ始める。


「えへへ、最後に兄にと結婚するの。そしたら「しゅうえん」していいよ」

「仰せのままに」


 悪魔の少年は左手を胸の前にかざし、深々とこうべを垂れた。





 


 出が悪かった。

 京介はパチンコに負け、裏路地を辛気臭い面持ちで歩いていた。


「釘のしまりがきついんだよ。全額すっちまった。あのパチンコ屋には二度と言ってやるか」


 日没が近く、頭上でカラスがガアガア鳴く。血のように赤い夕陽が辺りに差し込み、路地裏のゴミをあぶっていた。

 京介は家に帰ってからすることを考えるが、酒を飲んで、蛇子を殴って寝ることくらいしか思いつかない。むしゃくしゃする憂さを晴らしたい気分だった。

 突如、京介の携帯電話が鳴り出す。彼は黒い財布みたいなそれを開け、電話に出た。


「誰だよ?」

『きょぅすけ氏。僕だお、尾宅(おたく)()だお。久しぶりだおぉ……ブヒッ』

「話すことなんてねえよ、じゃあな」

『まっ待って……』


 京介はすぐさま電話を切ってしまいたかった。尾宅良は小学校時代の腐れ縁の友人である。「う」の発音が人を馬鹿にしたように上に上がり、いつも京介を「きょぅすけ氏」と呼ぶ。


「てめえ、まだニートやってんだろ。いい加減自殺しろよ」

『ブヒっ、ひどいなあ、きょぅすけ氏、相変わらずのツンデレっぷりでござるおぉ。僕のパパは社長だからね、僕は働かなくたっていいんだおー。それより本題なんだけどさ、今日、へぴこタンに会いに行っていい?』

「あ? ヘリコプター?」

『蛇子ちゃんのことでござる!』


 その時、京介は背後に気配を感じた。通話をしながら振り向く。

 柄の悪い不良が五人、手に手に凶器を持って、物陰から歩き出してきた。獲物は、ナイフもあれば、スタンガンもある。顔には見覚えがあった。数日前、ゲームセンターでぶらぶらしていた時、京介にかつあげをかましてきたのでぼこぼこにした連中だ。


 集団の中から一人、筋骨隆々としたスキンヘッドが歩み出て、手に持つバットを京介に向けた。アメリカンなダサい服を着ている。


「先日の礼をさせてもらうぜ。五対一だ。てめえに勝ち目はねえ」


 京介は呆けたように、五人の顔を見つめていたが、突如その顔に、バターをあぶって溶かしたような笑みが浮かんでいく。


「ククッ、いい感じにむしゃくしゃしてるときに、いい感じの雑魚が現れてくれたねえ」

『きょぅすけ氏、どうしたの?』

「尾宅良、なんも問題ねえ。用件を続けろ」


「舐めやがって」


 五人は一斉に京介に向けて動き出した。

 先頭のスキンヘッドがバットを振りかぶり、京介めがけて振り下ろす。


『僕の今、プレーしているゲームに「へぴこ」って女の子が出てくるんだけどさ、その子が蛇子ちゃんに瓜二つなんだお』

「へぇ」


 京介は相槌を打ちつつ、振り下ろされたバットを足で受け止めた。くぐもった金属音が響く。直後、不良の後続の二人がスタンガンを構えて、京介の側面から迫ってきた。

 彼は両足をバットに絡ませて前屈する。勢いを付けてバットの上に立ちあがった。


『「へぴこ」は僕の三十一人目の二次元嫁なのさ、ゲヘヘ、ブヒブヒッ。みんないい子なかわい子ちゃんだけど、僕はそろそろリアル嫁も味わってみたいんだお』


 側面から来た二人は、人間離れした京介の動きに一瞬足を止めた。その呆けた顔へ、京介は電光石火の速度でけりを叩き込む。眼球がつぶれるように、しっかり目を狙って。

 軸足はバットの上でしっかりバランスを取っている。


『三次元へぴこタンを僕に貸してくれないかなぁ?』

「だめだねえ、蛇子は俺の稼ぎなんだぜ」

『むむぅ、条件を出そう』


 眼球を抑えてうめく不良二人を尻目に、ナイフと包丁を持った不良二人が続く。刃を上側に向けた包丁が、バットの上の京介を突き上げる。

 彼はそれを左手の指で挟んで受けた。

 右手には携帯を持つ。京介の両手がふさがった。今度はナイフが京介の顔に向けて投げつけられた。

彼はナイフを歯で喰い締め、受け止めた。

 化け物じみた防御に不良たちの顔が恐怖に歪んだ。 


『百万円出そう。三次元へぴこタンを売ってくれ』


 ――百万円だって!


 すぐさま是の返事を出したかったが、残念ながら口が塞がっている。口から器用にナイフを吹き出して、包丁を持っている不良の眼に指した。

 包丁を持つ不良の絶叫が上がる。手放された包丁を、今度はナイフを持つ男に投げ返してやる。眉間を狙って放つ。


『ブヒヒヒヒッ、悲鳴を上げるくらいきょぅすけ氏に喜んでもらえたのかな?』

「ちげぇよ。あの声は俺のじゃない」


 包丁が眉間に刺さった男は声も上げずに倒れた。京介は最後、バットを持つ筋骨隆々のスキンヘッドの首に飛びつくと、股で挟んで締め上げていく。


「がぁぁっ。た、たすけ……」

「なんだ、いまさら命乞いか。仲間と一緒に死ねよ」


 ごきりと嫌な音がした。

 首があり得ない角度に曲がった不良が倒れる。京介は足をほどくと立ち上がり、首をゴキゴキと鳴らした。汗一つかかず余裕な笑みを浮かべている。


「クわぁー、いい感じの運動になったわ」

「きょぅすけ氏、なんだかボクボク音がしていたけど大丈夫でござる?」

「けけけ、俺をどうにかできる奴なんていねえんだよ」


 京介の住む裏街は治安が悪く、昔から喧嘩が日常茶飯事に起こる。彼も幼少時から護身術、ひいては殺陣まで身に付けることで、裏街を生き抜いてきたのだった。

 京介は自分が最強だと思っている。喧嘩のセンスもあるし、反射神経も鋭い。殴り合いをさせたら、その辺の人間が束になっても敵わないだろう。

 

 唾を不良たちの残骸に吐き、彼はその場を去っていく。まるで何事もなかったかのように通話をしながら。殺し合いさえ日常の延長線にあるのだ。


「なあ、金で解決っつうのはいい考えだけどよ、金が足りねえんだよ」


 涎を垂らさんばかりに口を裂け、毒毒しく光る眼を歪める。電話越しに豚の苦痛なうめきが聞こえてくる。


 ――尾宅良からはもっと絞れる。蛇子が本当にいい金づるだぜ。


「じゃあな、用意ができたら電話かけろ」


 一方的に通話を断ち、忍び笑いを漏らした。

 パチンコで失敗したときは思いもしなかったが、今日はなかなか良い一日になりそうだった。


 一陣の風が吹いていく。夕日は落ち切り、底冷えのする闇が霧状に立ち込める。

 

 京介の背にぞくりと寒気が走った。まるで開けた冷凍庫にゴキブリがみっちり詰まっていたかのような悪寒が背筋を駆け抜ける。突如、足下の地面に紫光のスペクトルが描かれた。線は文字を編み、文を綴る。


 読めない。だが、京介は吐き気を覚えた。字を見るだけで頭を針金で締め付けるような激痛が苛む。彼の足が生存本能で後ろに跳ねる。

 

 黒い触手が文字の中から飛び出す。ぬらぬら光り、獲物を求めて鎌首をもたげている。太さは大人の腕ほどもある。直上に伸び、上端は電柱にも達した。

 触手の壁が道路の端から端まで波打ち、京介の行く手を遮っているのだ。


「……なんだってンだよ」


 超常現象にしても馬鹿げている。京介の心臓が、握りつぶされる寸前のようにドクドクと鼓動する。全身の細胞が死の予感を告げていた。

 京介へ触手の束が濁流のように押し寄せる。


「クソッ!」


 逃げようと背後を向く。だが、足が止まる。


 そこでは、倒したはずの不良たちが立ち上がっていた。目は虚ろで、眼窩から血を流す者、首が折れ曲がる者も区別なく、いたって平常な顔をしていた。額には、地面に浮かぶのと同じように紫光の文字が刻まれている。

 死体を見慣れる京介さえ、逃げ出したくなるおぞましい光景だった。死体を見慣れるからこそ、何が死体で何が死体でないかくらい京介にも分かり、目の前の彼らは明らかに前者であったからだ。


 足が触手にとられる。悲鳴を上げる間もなく、次々と四肢が触手にとられ、縛られ、京介は逆さで宙吊りにさせられた。


「くそっ、離せ!」


 触手を引きちぎろうともがくが、ゴムのような伸張性を持ちまったく歯が立たない。表面から臭い滑液が分泌され、それが肌から京介の体に染み込んでいくにつれ、彼は痺れていった。 

 

 コツコツと硬質の音が道路に響く。不良ゾンビの群れの後ろから、少年が歩み出してきた。巻き角を生やし、黒い燕尾服を着こなしている。彼は京介の目の前まで歩み寄ると、深々と礼をした。


「お迎えに上がりました。鬼瓦京介さん」

「なんだ、てめえは」


 京介は少年に唾を吐きかけた。ピシャリっと彼の眼に唾が当たるが、彼は瞼一つ動かさない。  


 一方、京介の体に紫光の文字が書き連ねられる。ベシュッと水風船が破裂するような音がし、全身の汗腺脂腺胃腺唾液腺、ありとあらゆる外分泌腺から血が噴き出した。


「あぁあ、ぁぁうがぁ……ぁ、ぎゃあああぁぁっ!」


 激痛に耐えかね、京介は絶叫し、体を弓なりに反らせて何度も痙攣した。穴をふんだんに空けた水風船のように、勢いよく血柱が立つ。

 目に放たれた唾が頬に垂れるころ、少年は口を開いた。


「舐めるなよ、猿」


 突如、血の噴出が止む。涙腺から血を流して泣く京介は、ぼやける視界に無表情の少年が見えた。


「私はお前を殺せる。いつでも、どこでも、何回でも。生き返らせることさえできる」


 京介の皮膚に再び紫の文字が浮かび上がっていく。全身の傷が癒え、痛みが消えた。

逆さになった視界の先、少年はにこりともせずに京介を見下していた。冷血な目であった。


「蛇子様がお前を愛しておられるから、私はお前に礼を示すだけだ、勘違いするな。悪魔は世界のすべての方程式を知っている。それを描くことであらゆる事象を操作できる。まあそんなことはどうでもいい。蛇子様がお待ちかねだ。急がなくては」


 少年は京介の顎に手をかける。紫スペクトルが浮かび上がり、下顎の骨が破砕する。


「フグ、フギュシュゥゥッ!」

「少し眠ってもらおうか」


 無くなった下顎から透明な液体をだくだくと口の中に注がれる。液体は生きたスライムのように食道を上り、胃を満たしていく。催眠作用があるのか顎の痛みが消え、徐々に京介の意識が闇へと沈んでいった。




挿入詩【婚】 

 

 教会に逆十字を飾れ

 祭壇には棺を安置せよ

 

 花嫁の衣装は飛びきりの白で

 花婿の衣装は飛びきりの黒で

 

 賓客はいらない 神父に悪魔を据え

 初の共同作業で二を一に変え

 新世界は此処より始まる


――挿入詩【婚】終












 


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