~再会~ 冷たい朝食
古びたログハウスには冷え切った空気が張り詰めて、瑞々しさと透明感が肺の中を満たす。
懐かしい木の香と朝露の残り香が鼻をくすぐると、気持ちはゆったりとした。
柾、フォノは結子を招き入れて、土間兼調理場を渡る。朝日が煌びやかに差し込んだ作業場には巨大な調理台、大窯、運び込んだ小麦粉の詰まった麻袋が隅っこに積まれている。他にも調理道具一式が綺麗に整頓され置かれ、光を反射させて光る。
「…………」
「あ。ここね、今お世話になってる人の調理場。わたしたち以外にも住んでる子もいるわ」
「そう、なんだ……」
フォノの説明に、結子はぽつりと返事する。
ここには柾たちを含めて数人の子供たちが暮らしている。商業ギルドのキャラバンや家族での放浪の結果、取り残されしまった子たちが共同生活をしている。この時間帯は教会の勉強会に参加していることで、子供たちの活気ある声は聞こえない。
先行する柾が廊下をかけて、角の部屋を覗き込んだ。そこはダイニングとなっており、縦長のテーブルがスペースを陣取っている。
そこには、一人の女性が木製の食器を用意してる最中だった。
「ミトさん、ただいま」
「あら、今日は早いじゃない? 教会には届けたの?」
顔を上げて、柾を見る女性は驚いたように姿勢を正す。
ディアンドルという土地伝来の衣服に身を包み、頭にはバンダナをして短い髪を隠している。まだ若い。二十代前半くらいで、身体のメリハリがはっきりとしている。彼女こそ柾たちの親代わりをする存在だ。
ミト・ハルルスタン。それが彼女の名前。
柾がひと足先にダイニングに入ると、続いてフォノと結子が入室する。
ミトは素早く結子の存在を確認すると、近寄ってくる柾を見下ろす。
「お客さん?」
「うん。小さい時からの友達。ミトさんには、前に話したことあると思うけど?」
「あ。もしかして、結子って子?」
ミトが興味津々な顔を結子に向ける。
結子はさっと視線を逸らして、フォノの陰に隠れる。自分の名前を知っていることがどうにも違和感を拭いきれない。
柾はその様子を見て、変わってないなといった表情を浮かべる。
「ああいう子だから、朝市のパンも買えなかったの。だから、朝ごはんを一緒に食べようと思って。話もいっぱいしたいし」
「そうなの…………。てことは、教会へは行ってないわね?」
柾はミトの呆れた視線が刺されて、うっと息が詰まる。彼女の眼力は容赦ない。長い時間を過ごしただけあって些細なこともばれてしまう。
怒鳴られる、と覚悟する柾だったが、ミトはため息ひとつして残りの食器をテーブルに置く。
「あとでちゃんと届けるのよ? ちょっと待ってて。すぐ朝ごはんの用意するから」
結子は優しく諭すミトの方を見て小さく頷く。
ミトが一つ頷くと隣のキッチンへと移動し始める。
「あ……」
結子は思わず声を漏らして、彼女の歩く姿を見た。右足を引きずるようにして、ゆっくりと進んでいく。それが当たり前なのだろう。表情には何も後ろめたいものはない。
柾が手伝おうと一緒にキッチンに向かおうとすると、ミトに座ってなさいと言いつけられて不承不承にテーブルの席につく。
「結子も座りましょう」
フォノが柔らかく言いって柾の方へ回り込んでいく。
結子は引っ掛かりを覚えながら彼女の後に続き、柾たちに挟まれる形で座った。
「あの人、足……」
「ん? ああ……」
柾がテーブルに置かれた食器を配りながら言いよどむ。
その様子を見たフォノが小声で結子に囁く。
「昔、事故にあってそれ以来足が不自由なの。詳しいことはわたしたちでも知らないの」
「そういうこと、聞いちゃダメだからね」
結子は二人の忠告を聞いて頷くと、目の前に置かれた木製の皿を眺めた。その横にスプーンとフォークが置かれ、朝食の準備が整えられていく。
背中に当たる日差しが寒い室内でも幾分か暖かくしているが、隙間風が足元を過ぎるたびにコートを膝に寄せる。外にいる時とは違い、温度差があると夏明けの空気は冷たいと感じるのだ。
「はーい。朝食よ」
隣のキッチンから出てきたミトが朝食を持ってくる。切り分けたバケット、サラダ、自家製のジャム、薄切りのハムなどの燻製に、チーズ、バターなどの加工品。典型的な朝食のラインナップだ。
次々と運び込まれる食事に結子は生唾を飲みこむ。久々に充実した食事を目の前にして、お腹がきゅうっと嘶く。
「紅茶でいい?」
「あ、はい……」
ミトの問いかけに結子がびっくりして答える。顔を真っ赤にして、空腹なのがばれたのかと焦ったが彼女は微笑んで了解する。
「あ。あたし、コーヒーがいい」
「はいはい」
柾の注文にも応えるとミトはゆっくりとキッチンへの往復に戻る。
結子がその後ろ姿を見ていると、フォノが手前の食器の位置を整えていた。お皿を中心にして、左右にスプーンとフォーク。右上にカップを配置すると、戻ってきたミトが紅茶を注いだ。
「あ、ありがとう」
結子のカップにも紅茶が注がれて、彼女は軽く会釈する。
いいえ、とミトがやんわりと言ってポットをパンが並ぶ中心へ置く。沸き立つ芳醇な紅茶の香。鼻をすっと抜けていく香の中に少し土っぽい匂いが混ざっていた。自家製だろうか。
それからミトは柾のコーヒーと砂糖の詰まったビンやミルクの入った水指を置いた。
その間、ずっと柾もフォノも食事に手を付けない。じっとミトが席に着くのを待っていた。特にフォノは瞑想するように膝元で手を組んで、瞳を閉じていた。
結子にはそれがノード教における朝食のお祈りだとすぐにわかった。
「さ、食べましょうか」
「うんっ」
席に着いたミトの声に、柾が元気よく答えるとようやく朝食に手を伸ばすことが許される。
結子は様子を窺いながら、視線を右往左往させる。ミトと柾が切り取ったパンや燻製に手を伸ばしていくのを視界に入れつつ、隣で何事かつぶやくフォノが気になった。そのつぶやきは感謝と謝辞を神様に述べるもの。彼女は短く言って、それから目を開けるとゆったりとした手つきで食事に手を伸ばし始めた。
それを合図に結子もようやく朝食へと手を動かすことができた。
「うんっ。おいしい」
「おそまつさま」
柾がパンにサラダと燻製を乗せたものを頬張りながら微笑んだ。上座に座るミトも紅茶を一口すすってほっと息をついた。
結子もパンにバターを塗って、サラダをのせて噛り付く。濃厚な味わいとシャキシャキした食感に舌鼓を打ちながら、ゆっくりと嚥下する。懐かし味。今日まで様々な土地を転々として、ビン詰の脂っこいものばかりだった。
「ねぇ。結子はどうしてここに来たの?」
「え……」
柾が上機嫌い尋ねくる。
結子は言葉に詰まって、一度パンをお皿に置く。
「えっと……。色々、仕事の関係、かも?」
「仕事って————、オジサンの?」
柾が訝しんだ表情を見せる。彼女の言うオジサンは、叔父にあたる人物。幼いころに両親を亡くした彼女を養っていた人だ。
同時に結子たち家族を使役していた支配人だ。
結子は小さく首を振って、言いにくそうに言葉を紡ぎだす。
「ううん。今は別のところで、働かせてもらってる。今日は、その、ちょっと立ち寄っただけ……」
「じゃあ、すぐにもこの町から出て行っちゃうの?」
柾の残念な声音に、結子は気難しい顔して頷く。
そこに、静かに食事をしていたミトがやんわりと割って入る。
「仕方ないでしょ。この子にだって都合があるんだから」
「でもぉ……」
「柾、困らせちゃダメだよ。結子はこういうの気にしちゃうから」
フォノはティースプーンで掬ったジャムを紅茶に混ぜながら咎める。
フォノも久々に会った友人にどう話を切り出していいのか少し迷っている。幼少のころとは違い、今のユイコは着ているものからして怪しい雰囲気があった。もともと労働者である彼女がきめ細かい衣服を着て、自由に闊歩しているところからして不思議でならない。
フォノの不審そうな視線に気づいたのか、結子はパンを齧り目を伏せる。
「むぅ…………、あ! それじゃぁ、この後時間ある?」
不満顔だった柾がぱっと嬉々とした表情を浮かべる。
それにはフォノも結子も、ミトも注目した。元気な彼女には変に考え込むよりも、行動で示すことが多い。論より行動という単純な原理が働いているのだ。
結子はもくもくとパンを咀嚼しながら頷いた。
「よしっ! いいもの見せてあげる。フォノにも見せたかったんだ」
「わたし? でも、猟友会の集まりが……」
「そんなの、オジサンたちに任せればいいじゃん」
柾はこともなげに言い切った。
「でも……」
対して、フォノは気まずそうな顔をして声が尻すぼみになっていく。
彼女はこの町一番の射手だ。秋ともなれば冬に備えて、猟友会が狩りに出かける。近場の森へ赴いては鹿や猪を狩って保存食にする。その量も決められており、生態系への影響を加味しての行いだ。だが一方で、危険な存在、熊や狼、キツネなどの害獣を処分するときもある。
そのことに罪悪や背徳を感じることはない。人が生きるためにはそうした糧が必要なのだし、文明の利器を使わなければ人はあまりにも弱い。教会の教えでも、狩猟それ自体はご法度としていない。
フォノはその多くに携わり、若くして危険な熊をも仕留めた。猟友会はほとんど彼女の腕前で保っているようなもの。要するにフォノ以外の会員はお世辞にも上手とは言えないのだ。
紅茶を啜って一息入れるミトもその体たらくを知っているから、フォノの優しさが輝いて見えた。
「そうね。どうせ、今後の計画を立てるだけでしょう? 猟友会へはわたしから言っておくから、今日は三人で楽しみなさい」
「いいの、かしら?」
フォノが不安そうに首をかしげる。
「予定を立てるくらい男だけでもできるでしょう。あんまり血なまぐさいことしてると、お婿さんが来ないわよ?」
「お婿さんか……」
「来年で十五になるしょ? そろそろ、服も考えないとね」
ミトが言うのは元服のことだ。
柾とフォノは今年で十五歳になる。そうなれば、大人の仲間入りだ。冬にはその祝典もあって衣装の準備もしなければならない。貧しいなどと理由をつけて、衣装をおろそかにできない。
それは子供を持つ親なら一生に一度の晴れ舞台くらい、我が子を主役にしてやりたいものだ。
フォノはジャムで酸味の増した紅茶を一口すすって気恥ずかしさを紛らわす。その隣では結子が羨ましげな視線を向けていた。
「それじゃ、決まりっ! これ食べたら、すぐに行こう」
柾はそんな先のことなどはどうでもよく、予定が決まったことに喜んだ。
と、ミトがくぎを刺すように鋭い視線を向けた。
「その前に、教会へ配達ね」
その一言を聞いて、柾たちは返事をすると朝食に戻った。