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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第一章
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~再会~ 旧友の来訪

 (マサキ)とフォノは広場の朝市で、焼き立てのパンを売っていた。

 

 日の出とともに活動し始める町人たちにとって、朝市が一番最初の仕事。売り手も買い手も買い物を始めなければ、一日を始められない。


「はいはい。ちょっと待ってください」

「まいどありー。次の方どうぞ~」


 会計台を挟んだ向こうには長蛇の列ができていた。村で唯一のパン屋ともあって、連日買い求めてくる人が多い。


 二人が買い物客から注文を受けると彼らが持参した籠を預かり、保温装置からパンを入れていく。保温装置の扉が開かれるたび、香ばしい匂いが溢れだす。


 朝靄が晴れて広場は活気づいていく。山の合間から流れ込んでくる冷たい空気も、顔出し始めた朝日を浴びれば少しは和らいだ。


「ありがとうございました」


 フォノはお客にパンの詰まった籠と代金を交換して、頭を下げる。


 続いてきたお客にも愛想よく挨拶をして注文を待った。腰を曲げた老婆で、厚手の服装に杖を突いている。だが、その手にはパンをいれる籠らしいものは見当たらない。


「ああ、フォノちゃん」

「はい? 何でしょう?」


 フォノは老婆に優しく答えつつ、嫌な予感を禁じ得なかった。


「これを教会の神父様に」


 老婆が差し出したのは、折り畳まれた紙片だ。


 フォノは隣で忙しそうに会計を続ける(マサキ)を一瞥して、老婆に向き直る。彼女が差し出しているものが金封であることはすぐにわかった。熱心なノード教の信奉者で、寄進したいのだろう。


「わたしは教会のシスターではありませんでの……。罰が当たります」


 彼女も教義は心得ているので、あまり代行したくはない。そもそも寄進制度が領地への納税義務のようなもので、教会が管理していない町ではお布施でしかない。


 老婆にはそんな細やかな政治事情を飲み込んだ様子はなく、ただ神様にお供えをしたいだけ。その枯れたのどから怒気を含んだ声を出す。


「何言ってんだい。教会の孤児院にいるなら、こんくらいのこともできないのかい? あたしゃぁ、腰がね……」


 老婆は無理やりにフォノの手に紙片を無理やり握らせると、そそくさと立ち去ってしまった。


「あの……っ」


 フォノはくしゃくしゃになった紙片と立ち去る老婆を見比べて、仕方ないとエプロンのポケットにそれをしまった。


 (マサキ)が黄金色に焼けた丸いパン、ブールを二つ入れたお客の籠を相手に渡す。


「フォノ、仕方ないよ。教会にも宅配に行くし、渡してあげよ」

「う、うん……」


 フォノは浮かない顔をしつつ、お客の注文を受ける。


 些細な頼まれごとかもしれないが、彼女にとって気難しい問題だ。幼くしてノード教の教えを受けていたのだから、金封を預かるというのは一信徒がしていいことではないことはよく知っている。少なくとも神父のような教会を運営している立場でなければならない。


 田舎では教義に対して緩い部分がある。フォノから見れば、教会のありようが歪んでいるとしか思えない。


 すると今度は(マサキ)にパンを受け取った壮年の男が言った。


「あのよ、(マサキ)ちゃん。またウチのランプを直してくれねぇか? どうやってもつかねぇんだ

「いいよ。詳しいことは今日の…………、夕方でいい?」

「ああ構わねぇ。さすがは技術士。頼りになるよ」

「はいはい。夜に明かりがないのは不安だもんね」


 壮年の男は満足そうに手を振って、(マサキ)から離れていく。


 技術士は、機械技術に優れた人間のことを言う。しかし、大衆化していない秘匿的なもので一般人が独学でどうにかできるものではない。家柄が左右するもので世襲的な継承によって、自分のものにできる。


 (マサキ)・カイリはそうした家柄の末裔でもあるが、そのことを知る者は少ない。

 

 やがて、日は山間から顔出して羽衣のような雲が蒼穹に浮かび上がる。鮮麗な町の色が目に移り、子供たちが家を飛び出して丘の上へと駆け出していく。


「ありがとうございましたー」


 (マサキ)は最後のお客の会計を済ませて、バイン・アウトーの保温装置の扉を開いて中を確認する。


「うん、今日も盛況。あとは、教会にお届けするだけね」

「みんな、ちゃんと勉強してるかしら?」


 フォノがお金が詰まったケースを施錠しながら、駆けていく町の子供たちを見てつぶやいた。懐かしさに口元がほころぶ。


 (マサキ)は苦い表情を浮かべて、会計台にかけてあるクロスをたたみ始める。他の露店はもう少し粘るようだが、同じように片づけを始めているところもちらほらと見える。


「お祭りのことで頭がいっぱいかもよ?」


 この町の人々は朝に買い物を済ませて、あとは仕事に打ち込む。露店をしている人たちも、この後には家畜の世話や畑の手入れがある。


 季節は実りの秋を迎えて、涼しい夏が忘れ去れようとしている。


 育てた穀物の収穫やささやかな収穫祭の準備。この地に感謝をしながら、みんなで祝杯を上げるのは(マサキ)たちの町の風物詩だ。加えて収穫祭では商人ギルドや旅人からの収入も期待できるために、盛り上げなければ冬を越せない。


「ああ、神父様。困ってなければいいのだけれど……」

「あの人は優しいからね。こんな辺境にわざわざ布教だなんて、さ」


 (マサキ)は村はずれの丘を見て、目を細める。


 ちょうど彼女たちが暮らしているログハウスがある方向で、その後ろに小山を背にするようにして小さな教会が佇んでいる。広場からだと、とんがり帽子をかぶった木製の小屋にしか見えない。


 フォノはお金の詰まったケースを降着しているバイン・アウトーのパニアに入れる。その表情は不安そうでため息が漏れていた。


「北の方の町だもの。人なんてめったに来ないじゃない? 神父様は素晴らしい方だと思う」

「フォノ。まだ神様を信じてるの?」

「それは…………」


 (マサキ)の固い声に、フォノも口籠ってしまう。


 神様を信じる、信じないも自由なことだ。同時に世界の秩序の基盤であるからこそ、無視してはいけないことではある。


 教会は秩序の守り手であると認識していても、そこに払われる犠牲が人為的であることを忘れない。でなければ、彼女たちがこの僻地に来ることもなかったのだから。


 と、片付けがおろそかになっていると誰かが会計台の前に立った。


「パンを一つ、くださいな……」

「あ、すみません。もうかんば————」


 (マサキ)はハッとなって、その人物へと体を向ける。


 その姿を見た瞬間、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。フォノも同じで、目を皿のように見開いて会計台を挟んで立つ人物を見つめる。


 一陣の風が吹いて、小さなお客のコートがはためいた。


 お客である彼女もまた徐々に目を見開いて、固唾をのんでいた。


結子(ユイコ)? 結子(ユイコ)、だよね?」


 (マサキ)が昂る鼓動を感じながら、ひょいと会計台を飛び越えてコートのお客に詰め寄った。


 彼女もまた口元に手を当てて、首を横に振る。否定ではない。信じられないものを目の当たりにしている時の驚きの表情だった。


 フォノもまたゆっくりと(マサキ)の隣に躊躇うようにして近づく。


「あたし、(マサキ)だよ! ほら、リンドルゥの町の」


 (マサキ)は感無量でコートのお客の手を取って、まじまじと顔を覗き込んだ。


 戸惑った瞳で見つめ返してくる彼女は、間違いなく結子(ユイコ)だ。ふっくらした頬や黒い瞳、何より髪をまとめたリボンは八年前と変わらない。


 コートのお客、結子(ユイコ)は視線を泳がせながら、だんだんと俯いていく。


「あ、あの……」

結子(ユイコ)、なの? 久しぶり」


 そこにフォノもよって、やっぱりといった顔で話しかける。


 ますます困惑する結子(ユイコ)(マサキ)の手を振り払って、数歩後退る。


「どうしたの?」

「…………」


 (マサキ)が一歩詰め寄ると、結子(ユイコ)は一歩下がる。


 どうして怯えたような顔をするのだろうか。(マサキ)とフォノは一度顔を見合わせて、小首をかしげる。まるで初めて会った時のように、深い溝が彼女たちの間に横たわる。


 すると、結子(ユイコ)は口元をもごもごさせて視線を合わせる。潤んだ瞳が真摯に見つめてくる。


 (マサキ)は息を飲んで、彼女の癖を思い出した。切羽詰まると視線を合わせるが、何も言えない。どうしたらいいのか、わからないサインだ。


 その反応は(マサキ)たちをも困らせる。


(マサキ)、とりあえず家に帰りましょう? 結子(ユイコ)も朝ごはん、まだでしょ?」


 フォノが気を利かせて提案する。


 小さく頷く結子(ユイコ)


 三人ともこの七年でどんなことがあって、どうして北方の田舎町へ来たのか、話したいことは山ほどある。しかし、旧友は急な再会に戸惑い、混乱している様子だ。


 (マサキ)はそっと手を差し出して、結子(ユイコ)にほほ笑みかける。


「ほら、お腹すいたでしょ? 話はその時にでもしよ。色々あったと思うし」

「……うん」


 結子(ユイコ)がようやく返事をして、歩み寄り握手を交わす。

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