表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
::カケラの物置::  作者: 苫古。
トワの奏弦士
1/2

手伝いにきたよ!

「手伝いに来たよ!」



 唐突にやって来た彼女がそう宣ったのは、初夏の早朝。

「手伝うって……何を?」

「もー、決まってるでしょ? 引越しだよ、引っ越し!」

「……え」

「やっぱりね、まだ全然片付いてないじゃない。どうせ、箱から本を出す度に読み入ちゃってたんでしょ。ルカって、自分の部屋を片付ける時はいつもそうだもんね」

 全くもう、とぶー垂れつつ、床に散乱している本を集め始めたマーセルに視線をやったまま、ルカイスは手元の本を閉じた。

 窓が少ないせいで薄暗い礼拝堂。開けたままの扉から差し込む白い光が、宙を舞う埃をきらきらと映す。

 その中でテキパキと働き始めた少女の姿を、ルカイスは何とも不思議な思いで見つめていた。





 ――― この小神殿に引っ越して、はや三週間。



 長らく無人で放置されていたために、朽ち果てていたこの場所も、粗方の修繕を終えた。

 職人を手配しようとしてくれた義父の申し出を断ったせいで、思っていたよりも時間が掛ってしまったのだけれど……まあ、それも仕方がない。

 今回のこの一人暮らしは、ルカイス自身の我儘なのだから。


 ルカイスは、聖地を治める4つの氏族――― 四聖家の、その清らかなる血筋に永久の繁栄をもたらす為に糧とされる、秘すべき存在。

 その〈柱〉である彼が、聖地内とはいえ大神殿の敷地の外に身を置くと決まった際の、他の三聖家からの反発はかなりのものであったという。

 しかし、聖家の当主であり、このエルヴェルクの利益を最も重要視すべき公師の立場にありながら、アルザスはルカイスの望みを押し通してくれた。

 一時は諦めようとしたルカイスに、険しい印象の目元を少しだけ綻ばせて「親に甘えるのも子の仕事だ」と、まるで本当の我が子のように頭を撫でていった養父。

 数日後、ルカイスの希望は叶えられた。

 その代償として、アルザスが最終的にゴートガード家に不利益な要項をいくつか呑んだのだと、人伝に知らされたのは、それからしばらく後のこと。

 ……これ以上、多忙なアルザスの手を煩わせるわけにはいかない。

 そう決心して、新居の整備も自分でやろうと思い立ったのはいいが、いかんせん素人のすることだ。

 ルカイスの場合、反則技に近いが、壁の崩れや亀裂などの大きな老朽部位は、〈力〉を使ってあっという間に直せた。だが、細々とした部分の修理はそうもいかない。

 そこまで精密な能力の制御を行うには、彼はまだまだ未熟だった。

 慣れない手付きで、壁の掛けた部分に漆喰を塗り、木椅子を修理し、床を磨く。

 まだまだ修繕すべきところは残っているし、素人技で不格好な部分はある。早々と運んでしまった荷物は全く片付いていないので、建物の中は雑然としていて、お世辞にも綺麗とは言えない。

 けれど、ルカイスはこの神殿で迎える朝の光景が、わりと気に入っていた。




「わっ!」

 急に悲鳴を上げたマーセルが、ごほごほと咳込みながら立ち上がった。

 見れば、何やら濛々と立ち込めた埃の霧と、必死に戦っている。

 たぶん、荷物を入れたまま放置していた木箱を、埃が積っていた場所にでも移動させてしまったんだろう。

 ルカイスは肩で息を吐いて彼女の傍に行くと、予備に用意していた木綿布を手渡した。

 受け取ってしばらく、じっと観察するように布を凝視していたマーセルだったが、何のために使うのか皆目見当もつきません、といった様子で見上げてきた。

「それ、口元に巻きなよ。埃吸わないようにさ」

 四角く広げた布を三角に折り、口元に当てるよう指示すると、

「あ、なるほど。ルカ、かしこいねー」

 感心を越え、感動に煌めく瞳で見上げられ、ルカイスはたじろきながら身を引いた。

 ……いや、誰でもこれくらいのこと知ってると思うんだけど。

 かなり呆れ気味にそう考えたが、

「ここ、片づけだけじゃなくて、掃除もしなきゃだね。わたし、片づけは得意なんだけど、お掃除はしたことないから、良くわからないかも……ルカ、遣り方知ってる?」

 小首を傾げて問う姿に、ああ、それもそうだろうなと思い至った。

 彼女は純然たる箱入り娘――― しかも、天下の聖地を統べる由緒正しき一族の、神子姫まで務めている惣領姫だった。

 そんな彼女に、誰が掃除なんかさせたりするものか。

 母親代わりのレミナですら、そんなことは思いもしなかったはず。ルカイスだって、こんな風に手伝わせる事態に陥るなんて、思いもしなかった。

 ――― と、いうか………、

「マーセル、何でここに?」

 そうだ、何故ここに彼女が来ているんだ。

 一人で街に出ていることに関しては、もはや驚きはしない。ルカイス自身、幼い頃から彼女に唆されて何度も遊びに出掛けていた。

 その都度、神殿関係者が陰ながら護衛していたのは間違いないだろうから、今回もそうだろう。

 それに関してはいい――― しかし、

「今日、わたし久々の安息日なの。だからだよ?」

「いや、そういう意味じゃなくて」

 問われて一瞬きょとんとした後、的外れな回答を元気に返してきた彼女に、ルカイスは少しむっつりした口調で、改めて尋ね直した。

「あの時、すごく怒ってたじゃないか、君…………“もう知らない”って」






 ――― ルカなんか、もう知らないっ!


 屋敷を出ると告げた日、ルカイスにその台詞を叩きつけて、マーセルは部屋に閉じこもってしまった。



 引越しのことを伝えたのは春――― 春の大祭典が終わった日の夜だった。

「なんで教えてくれなかったの!? わたしだけ何も聞いてないなんて酷いよ!」

 一人で暮らす許可を得たのは、数か月も前の、冬の始まり頃。

 アルザスは勿論のこと、レミナも従姉妹のルシアも、みんなが知っていた。ただ一人、マーセルを除いて。

「お嬢様は、今年初めて華鏡姫の大役を頂いたのだもの。このことは、祭典が終わるまで伏せておきましょうね」

 正式に許可が下された日のこと。諭すように告げられたレミナの言葉に、ルカイスも頷いた。

 マーセルの晴れの舞台。

〈柱〉である彼は、〈華鏡の儀式〉を公に観覧しに行くことは出来ないけれど、今まで必死に鍛錬を重ねてきた彼女の姿を見てきたのだ。無事に成功して欲しい。

 だから、要らぬ不安で心にさざ波を立てて欲しくなくて、屋敷を出ることを伏せていたのだが―――……。

「わたしのことがどうでもいいなら、最期まで黙って行っちゃえば良かったじゃないっ。ルカなんか、もう知らないっ!」

 行っちゃ嫌だと言う彼女に、どうしてもこれだけは覆さないと告げた瞬間、見開かれた蒼い目が色を失った。

 次いで、白い頬をポロポロと濡らし始めたものを目にして、完全に固まってしまったルカイスに放たれたその台詞が、彼を完全に凍らせてしまい……。


 ルカイスは、自分の部屋に掛け込むその後ろ姿を、止めることが出来なかった。






「あのね、ルカ。わたし、今日は安息日なの」


 さっきと同じ言葉を繰り返し、目の前に立つマーセル。

「ほんと、三週間振り。ルシアってば、その間にお休みを一日もくれなかったのよ。酷いでしょ?」

 久々に会った、幼馴染の少女。

 ほとんど背の高さが変わらない彼女が、伏せて斜めに逸らされたルカイスの眼線に合わせるように、顔を覗き込んで来た。

 その表情は――― いつもの笑顔。

 悪戯を叱られた子供が見せる、少し拗ねたような、照れくさいような、そんな感情を含んだ陽だまりの笑顔。

「ほんとはね、もっと早くここに来たかったの。でも、わたし今年から神子姫になっちゃったでしょ? 祭典の後も、外地からいらっしゃったお客様への挨拶や小さな式典がたっくさんあって、なかなか抜けられなくて。そのせいか、その後ちょっとだけ熱出して寝込んじゃったの」

 珍しいよね、わたし、健康だけが取り柄なのに、と彼女は笑う。

「熱って……休んでなくて大丈夫なの? 折角とれた休みなのに、もっと良く身体を休めた方が」

「んーん、もう平気。でも、わたしが熱出すのって珍しいと思わない? 多分、すっごく小さい頃振りだったと思うんだけど」

 確かにそうだ。

 ルカイスの記憶では、彼女が最後に寝込んだのは、7歳の時。初めて屋敷を抜け出し、祭典の祭りに繰り出した日の夜だったはず。昼間興奮しすぎて、夕方から熱を出してしまったのだ。

 その記憶を掘り起こした拍子に、夜中こっそりと彼女を見舞ったことも一緒に思い出してしまい、ルカイスは長い前髪ごと額を抑えた。

「初めてのことばかりで、疲れが溜まったんだろ。仕方ないよ」

「うん、そうだね」

「………」

「だから、ごめんね、ルカ」

 何が、と問う前に握られた手。

 反射的にきつく唇を噛み、素早く視線を上げると、その先にははにかんだ少女の笑み。


「“もう知らない”なんて言ってごめんね、って…… 言いに来るのが遅くなっちゃって、ごめん」


「………」

「許して、くれる?」

 懇願が込められたその問いに、ルカイスは声でなく、縦に微かに頷くことで応えた。

 ――― 胸が、苦しい。

 熱い大きな塊を呑みこんだような、そんな息苦しさと痛みを喉と胸の間に感じながら、ルカイスは奥から込み上がりそうになる何かを、俯くことで必死に堪えた。


 安堵。


 胸の内に一気に広がった、体中を軽くしていくその感情。それがもたらした変化の大きさに、自分でも不思議なほど戸惑う。

 そんな彼の心情も知らず、幼馴染の少女は先ほどまでのしおっとした態度は何処へやら、元気に顔を輝かせて続けた。

「でも、もうこれ以上は謝らないよ? もともとルカが悪いんだから。わたしに内緒でこんなことしちゃって」

「ご、ごめん」

「うん。仕方ないから、赦してあげる」

 腰に手を置き、胸を張って彼女は笑う。

 ……おかしい。謝られていたはずなのに、いつの間にか謝罪させられている。

 ルカイスは、何か釈然としないものを感じながらも、ごめんと口にしたことで、さらに全身が軽くなったような、そんな気がした。

「さあ、片づけちゃおうよ! 掃除の仕方、しっかり教えてね、先生」

「うん」

 まずは埃除けの口覆いの付け方からだと、ルカイスは真剣に教えを請う姿勢のマーセルに、懇切丁寧な説明を始めた。






 ――― それから6日後。

 二人の力で、なんとか修繕と引越しの片づけを終えたのだが……。


 マーセルが誤って水洗いしてしまった寝具。

 まだ夜は肌寒い季節の中、生乾きのそれで眠ったせいでルカイスが風邪で寝込むはめになったのは、また別のお話。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ