第五話『 名前のない怪物 』
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それにしても、ペルラ姫と怪物はなんと違って見えたことでしょう。
姫君の瞳は銀の水盤でしたが、怪物の眼は黄金の火鉢でした。
姫君の髪と肌は月光にはえる白でしたが、怪物の毛皮は全ての光を吸い取る黒でした。
まるで、鏡で映したように正反対な一人と一匹なのでした。
後ろ脚で立ちあがりながら、怪物は部屋の中に入ってきました。
星明かりで縁取られたその背中には翼の影、窓をくぐる際に牛のような角が見えました。
一言も放ちませんでしたが、怪物の姿は言葉よりも能弁に、その意思を伝えていました。
すなわち、恐れよ、怖がれ、そして俺を憎めと……。
しかし、ペルラ姫は静かに立ち上がると、消えた蝋燭に火を点しました。
そして、まだ影の中に留まっている怪物に向かって言いました。
「どうぞ、明かりの中へ。このままでは、お顔がよく見えません」
少しずつ姫との距離を詰めていた怪物は、不意を衝かれたように動きをとめました。
怪物はいつも、自分が食べる生贄たちの反応を楽しんできました。
ある者は泣きわめいて命乞いをし、死の瞬間を一秒でも引き延ばそうとしました。
またある者は隠し持った武器を取り出し、最後の、激しくも無駄な抵抗を始めました。
しかも、こんな風に静かに語りかけてきた者は、一人もいませんでした。
躊躇いながら、怪物はゆっくりと明かりの輪の中に入っていきました。
蝋燭の火が照らされた怪物の顔は白く、男のようにも、また女のようにも見えました。
しかし、その体は夜のように黒く、たくさんの獣を掛け合わせたような形をしていました。
怪物は身体を揺らしながら、ペルラに近づきました。
姫の周りを歩き、ネズミをなぶる猫のような声で言いました。
「お前が今夜の生贄か? なんて痩せているんだ。その手についているのは、骨と皮か。肉はどこへ行った?」顔を近づけ、臭いをかいで「うへえ、なんだこの匂いは? お前、薬臭いぞ!」
怪物はペルラの顔を覗き込み、そこに嫌悪や恐怖の色が浮かぶことを期待しました。
この時、少しでも悲鳴を上げるか、目をそらせば、姫は怪物に食べられていたことでしょう。
しかし、ペルラは怪物の眼を見つめ返すと、おもむろに手を伸ばし、その顔に触れ、
「聞いていたほど、怖いお顔ではありませんね。まるで人間みたい……」
「な、なに?」
予想外の言葉に面喰った怪物は、一瞬どうしたら良いのか、解らなくなりました。
ペルラは立ちあがると、怪物が凍りついているのを良いことに、
「ああ、前足は鷲に似ていますね」体のあちこちを観察し「鬣はまるでライオン」触ったり「でも、お身体は豹に似て」抱きついたり「背中に生えているのは歪んでいるけど翼かしら?」つねったり「尻尾には鱗、まるで蛇のよう」引っ張ったりしました。
これには怪物もたまったものじゃありません。
「おい、よせ!」とか、「触るんじゃない!」とか、「羽を引っ張るな!」とか、抗議をしてみたのですが、夢中になっているペルラの耳にはまったく届きません。
とうとう、我慢できなくなった怪物は、「尻尾はくすぐったいからやめろ」と叫んで、蛇の尾を掴んでいた姫を振りほどきました。
ペルラにさんざん弄くられた怪物は、もう戸惑うやら、恥ずかしいやら。
とにかく何とかして相手を驚かそうと、大口を開けて、血も凍るような雄叫びを姫に浴びせました。
ところが、ペルラは怯えるどころか、自分から怪物の口の中に頭を突っ込み、「まあなんて、鋭い歯!」と嬉しそうな声を上げました。
びっくりした怪物は、雄叫びを悲鳴に変えて、飛び退きました。
そして水を被った猫みたいに蝋燭の明かりの外に逃げ出すと、気味悪そうにペルラの方を見ました。
「な、何なんだ、お前はっ?」
「私はペルラ。この国の先の王の長女にして、今の王妃の義理の娘、そしてあなたの今宵の生贄です」姫は平然と答え「そうやって私を何かと問う、あなたこそ何者なのですか?」逆に聞き返しました。
「俺はこの世で一番でっかくて、おそろしい怪物だ!」怪物は胸を張って言いました。
「それはあなたのお名前じゃないでしょ? 私は人間ですが、人間は私の名前ではありませんよ?」ペルラはさらに問い掛けます。
「お、俺に名前はない!」怪物は少しうんざりし始めました。
「あなたはどこから来たのですか? この国に来る前は? 生まれた時はどこにいましたか?」
「昔のことなんか覚えていない!」
「では、お父さまは? お母さまは? あなたを生んだ人たちも、やっぱり怪物だったのですか?」
「俺に親なんかいない! 生まれた時から一人っきりだ!」
この言葉を聞いた途端、ペルラはからからと笑い出しました。
笑われることに馴れていない怪物は、いらいらしながら、怒鳴りました。
「何がおかしい!」
「だって、あなたの言っていること、矛盾しているんですもの」
「む、矛盾とはなんだ?」
「辻褄の合わないことですよ」
「俺の話のどころが、辻褄が合わないと言うんだっ?」
「では、昔のことを何も覚えていないのなら、何故ご自分に親がいないと言いきることが出来るんですか?」
言われてみれば、確かにその通りです。
思わず納得してしまった怪物は、ぬぬぬっと唸ったきり、何も言えなくなりました。
そこへ、ペルラ姫は畳みかけるように、質問を重ねていきました。
「あなたは、人間しか食べないそうですね」
「そうだ!」
「その理由は何ですか?」
「そ、それは……」
「他にも食べ物は一杯ありますよね?」
「それがどうした……」
「別に、人間じゃなくて魚や野菜を食べても良いですよね?」
怪物の顔は、恥ずかしさと腹立たしさで、もう真っ赤です。
頭から湯気は出ていますが、口からは言葉がさっぱり出てきません。
何とかペルラに言い返そうと、日ごろ全く使わない脳みそを必死に回転させました。
その時、怪物は突然閃きました。
これなら、この生意気な娘も言い返せまい!
「おい、お前は矛盾しているぞ! さっき、お前は俺の牙が、とても鋭いと言っていただろ! それなら、俺の牙が人間を食べるために、出来ていると言うことになるじゃないか?」
「なるほど、そういう考え方もありますね……」
ペルラが考え込んだのを見て、怪物は心の中で喝采を叫びました。
ざまぁみろ!
余計なことを言われる前に、こいつを頭からバリバリ食べてやろう、そう思って、怪物は大口を開けて、姫に近づきました。
しかし、ペルラはすぐに頭を上げると、
「でも、熊も鋭い牙をしているけど、肉よりも木の実や山菜をたくさん食べますよね。猫も肉ばっかり食べるわけじゃないし、宮殿で飼っている猫たちは、みんな蜂蜜につけた胡桃が大好物でしたよ?」
「ぐぐぐぅ……」と怪物は、また返事に困りました。
「それに肉と言っても、豚や牛の肉もありますよね? なぜ、人間の肉じゃないといけないのですか?」
「うがががっ!」
混乱して頭を引っ掻いたり、身体の毛を引き抜いたりしている怪物を見る内に、ペルラは何だか怪物のことが可哀相になってきました。
「あのひょっとして……あなた、自分のことを何もご存じないのですか?」
ペルラに悪気は全くなかったのですが……。
この一言は、怪物のプライドにとって致命傷になりました。
限界に達した怪物は、うがああっと雄叫びをあげると、自分の腹の肉を噛んで丸まり、ごろごろと転がり出しました。
そして部屋の片隅にぶつかると、そこで横になってふて寝を始めました。
ペルラは立ちあがり、怪物の後ろを追うように部屋の隅に向かって歩き出しました。
大きな毛玉になって寝っ転がっている怪物のそばに、ちょこんと腰を下ろすと、
「ねえもし、あなたは自分が何者なのか、興味はありませんか?」
返事は、大きな嘘のいびきでした。
ペルラは我慢強く、怪物のそばで話し続けました。
「私はたくさんの本を持っています。もし、私を召し上がるのを待ってもらえるのでしたら、その本の中から、あなたの正体を探してあげましょうか?」
怪物はまだ寝たふりをしています。
でも、山猫のように尖った耳が、ぴくぴくと動いていました。
「人間よりも、あなたの口に合うような食べ物があるどうか、調べてあげることもできますし、そうしたら美味しいものも一杯食べられますし……」
怪物は薄目を開けて、ちらちらとこっちの方を盗み見るようになりました。
蛇の尻尾が、犬みたいに右に左に落ち着きなく動き始めました。
ペルラはもうひと押しだと思いました。
「また私のような女の子に出自を聞かれて、答えられないのはお嫌でしょ? ご自分の正体がわかれば、もうこんな嫌な思いはしなくて済みますよ」
とうとう、怪物は寝たふりをやめて、ごろりと転がって姫の方を向きました。
握りこぶしのように大きな二つの眼で、興味深そうにペルラのことを見つめていました。
「お前の腹はわかっているぞ、ペルラよ、王の娘よ……昔、砂漠で食べた詩人の男から、こんな話を聞いたことがあったなぁ」
鋭い前足の爪で、ぽりぽりとお腹を掻きながら言いました。
怪物の声は低く、恐ろしく、脅すような響きを秘めていました。
「昔、ある国に、王妃を娶っては、一晩過ごした後に殺す王さまがいたそうだ。一人の賢い娘がこの王さまに嫁いだのだが、その娘は毎夜一つ面白い話を王さまに語り聞かせては、一日分の命を買い取ったそうな。そうして一日が十日になり、十日は百日、百日が千日となって、その娘はついに一生分の時間を手に買い戻したとか……。今日は、お前の口車に乗ってやろうが、俺はその王さまのように気が長くないぞ。もし、お前やお前の持ってくる食べ物に飽きたら……」
「ええわかっております」にっこり笑って、ペルラはうなずきました。「その時は、どうぞ私をお召し上がりください」
第六話『 奇妙な朝、ペルラの決断 』に続く。