A Love Story ~かいぶつのころしかた~ 第一話
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一つの貝より生まれた七つの宝珠を携えて、その姫君は海辺の小さな国から、平原の大国へ嫁ぎました。
姫君の髪は夜明けの海の青を留め、唇は珊瑚の紅、お顔は贈り物の真珠のごとく白く、美しさに輝かんばかりでした。
姫君を迎えた王は一目で恋に落ち、お城の宝物庫さながらに、王妃となった姫の人生をさまざまな幸福で満たしました。
姫君が嫁いだ国は大きく、強く、そして豊かでした。
食事のたびに、山や海から選りすぐったごちそうがテーブルを埋め尽くし、タンスには眼もくらむような鮮やかなドレスが並び、国の隅々から集められ、積み上げられた宝石箱はまるで山のよう。
海のそばで生まれた王妃のために、王宮の中に海を模した池が作られ、池の中には小さな島がいくつも浮かび、船をこいで遊びに行けるようになっていました。
王はまた、四つの季節に合わせた、四つの宮殿を新しく作り、そこに宝石のような小鳥を放ち、小鳥のように美しく歌う娘たちを付き人として王妃に与えました。
しかし、婚礼から一年経ち、二年経ち、三年が過ぎる内に、月のように満ち足りていた王妃の幸せにも陰りが差し始めるようになりました。
いくら待っても、王との間に、お世継ぎが授からなかったのです。
口の悪いお城の老人たちは、王や王妃の聞こえないところで、このように噂し始めました。
「うちのお妃さまは海の貝のように美しいが、これほど待ってもお世継ぎが授からんとは、あの貝殻の中には何が入っているんだろうねえ?」と。
どんなに上手く隠しても、かげ口は何時か、本人の耳に入るものです。
噂を知った王妃は、その言葉の鋭さゆえに、深く傷つきました。
そして、何としても王のお子を授かろうとして、偉人や賢人を求めて、方々を訪ね歩きました。
まず、王妃は国で一番大きな寺院へ行きました。
そこでは、金色の法衣を来た大僧正が王妃に言いました。
「お世継ぎが欲しいのでしたら、黄金を神に捧げ、子宝を祈るのです」
王妃は言われた通りにしましたが、子供は授かりませんでした。
すると大僧正は声を上げ「信心が足りぬ!」と王妃を叱りつけました。
次に、王妃は国で一番かしこいと言う学者の所へ行きました。
宝石をはめ込んだ本を片手に、学者は王妃に言いました。
「お世継ぎが欲しいのでしたら、このお薬を飲みなさい。お代はルビー四つほどで結構です」
王妃は薬を飲んでお腹を壊しましたが、子供は授かりませんでした。
すると学者は肩を竦め、「お薬が体にあわなかったのでしょう。次はこの薬を試してみてください。お代はサファイア五個です」と言って、新しい薬を差し出しました。
神に祈っても甲斐はなく、知恵に頼っても実りはなく。
困り果てた王妃は、最後に王国で一番風変わりな聖者を訪ねることにしました。
この聖者は黄金も宝石もまとわず、数人のしもべと一緒に山奥に住み、そこでやってくる病人の治療や瞑想をなりわいにしておりました。
聖者の住む山は、高く険しいものでした。
王妃は輿に乗って山を登りましたが、山道は狭まり、やがてとうとう輿では昇れないところまで来てしまいました。
すると王妃は輿から降り、ドレスが汚れるのもかまわず、お供のものたちが止めるのも聞かずに、山道を登り始めました。
王が一目で恋の深淵に沈んだように、王妃もまた夫を愛していました。
そして、心の底から、王にお世継ぎを差し上げたいと願っていました。
そのためには、どんな苦労も厭わないと決心していたのです。
しかし、ときは真夏。
天から降る太陽の光は容赦なく、お妃の白い肌を焼き、汗を吸ったドレスはまるで鉛を詰めた荷物のように身体にのしかかります。
ほどなく眼がかすみ、足元がふらつきはじめました。
もうあと二、三歩で倒れそうになったとき、山の上から降りてくる人影が目に入りました。
その人影は女性で、夜の闇を凝らしたような黒い服だけを着ていました。
女性の顔は青ざめ、唇は瑠璃色の上薬を塗った二つの陶器、片眼は途方もない暗黒をたたえた井戸でした。
片目だけ?
そう、とても(王妃に劣らぬか、あるいはそれ以上に)美しい顔立ちをしていたのに、そのご婦人は顔の半分を漆黒のベールで隠していたのです。
人影が一歩足を踏み下ろすたびに、夏の暑さや日の光が、蛇に怯えたネズミのように退いて行くのが感じられました。
淡く、輪郭を失った風景の中で、その女性の姿だけが、ナイフで刻まれた傷のように黒々と浮かび上がっていたのです。
これこそ、求めていたお人に違いない!
そう思った王妃は、そのご婦人の足元に身を投げ出し、
「この山に住む聖者様とお見受けいたします」額を地面に押し付けて言いました。「なにとぞ、王のお世継ぎを授かる方法を教えてください! もし、お子が生まれたときは、名付け親となってその子をお守りください!」
黒衣の婦人は、跪く王妃を無言で眺めたあとに口を開きました。
「王妃よ。生に関わることを妾に頼むことは、賢明とはいえぬ」青い唇が紡ぐ言葉を耳にしたとたん、背筋が怪しく震えるのを感じました。「だが、このように丁寧に頼まれたのは、始めてゆえ、問いに答えてつかわそう。しかり。汝は王の子を孕むであろう。しかし、その代償は、金銀では購えぬものであると知るがよい」
答えの意味を知ろうと、王妃は顔を上げました。
そして、気付きました。
ご婦人が身につけていなかったのは、指輪や首飾りだけではありません。
土の上には木の葉や草の影が記されていましたが、黒衣の婦人の影だけはどこにもありませんでした。
血管の中で、血が一滴残らず泡立つのを感じながら、王妃は聖者を、聖者と思ったその人の顔を見つめました。
そのとき、婦人のベールが風もないのにはためき、その下に隠されていた顔の半分を明らかにしました。
ベールの下には、何もありませんでした。少なくとも人の顔と呼べるようなものは。
そこにあったのは底知れない闇、そしてその闇の中に浮かぶ白い髑髏だけだったのです。
王妃は悲鳴を上げて、気を失いました。
それから、どれほど経ったことでしょう。
気を取り戻した王妃は、自分が木陰の下に横たえられ、お供のものたちの介抱を受けていることに気付きました。
まだうっすらと霧のかかった眼で周りを見渡しながら、聞きました。
「……私は、どうしてここに?」
「どうぞ、お静かに!」侍女の一人が、王妃の口に水を運びながら言いました。「お妃さまは、山登りをしている途中に、気を失われたのです。私たちは、あなたさまをここに運び、日の当たらぬように世話をしていたのです」
「では、聖者さまは? 聖者様はどこへ?」王妃はぼんやりと聞きました。
「それでしたら、男の召使に呼びにいかせました。ほら、見てください。もう戻ってきました」
侍女の指差した方向に目を向けると、ちょうど男の召使が一人の老人を連れて山道を降りてくる所でした。
赤く泣きはらした眼をした老人は、王妃の前に連れだされると、深々と頭を下げて言いました。
「わしは、この山に住む聖者さまのしもべです。お妃さま、ようこそ我が家へお越しになりました。しかし……しかし、たいへん申し上げにくいことですが、お探しの聖者さまは先ほど、身罷られたばかりなのです」
「聖者さまはお亡くなりになったと……では、私が見たあのご婦人は……」
「ご婦人ですと?」不思議な顔をして老人が言いました。「いま、お妃さまたちを除いて、この山にご婦人は一人もおりませんが?」
老人の答えを聞いて、王妃は再び気が遠くなるのを感じました。
◆ ◆ ◆
王妃は、聖者の山で見たことを誰にも話しませんでした。
しかし、たとえ話したとしても、一体誰が信じたことでしょう。
『死』その人と言葉を交わし、助けを求めたなどと言う途方もない話を。
それから間もなく、預言の通り、王妃は子供を身ごもりました。
始めは、王妃も黒衣の女性から授けられた不吉な言葉を恐れていました。
しかし、ときが経ち、腹の中で愛の果実が熟れていくにつれ、いつしか恐怖の記憶は新しい幸福の波に押し流されてしまいました。
お大臣も、騎士も、侍女も、召使たちも、国の人々はこぞって王妃の懐妊を祝いました。
そして、王は国の誰よりも、我が子の誕生を喜び、待ち望んでいました。
十月十日のあいだ、赤子は王妃のお腹の中で何千、何万もの祝福を受け、そしてついに生まれ出るそのときを迎えました。
出産は王妃にとって、未だかつてない試練となりました。
その苦しみはまるで、お腹の中に鍛冶屋の工房が一つ出来たかのよう。
大男の鍛冶屋が槌を金床に打ち付けるたびに、痛みの火花が頭いっぱいに飛び散ります。
しかし、王妃は耐えました。
祝ってくれた国民のため、愛する王のため、なにより我が子のために耐えました。
血が出るほど歯を食いしばり、お腹の中の鍛冶屋が、最高の贈り物を作り上げるそのときを待ちました。
そしてひと際大きな金槌の一撃のあとに、弱弱しい産声が上がりました。
続いて響いたのは、産婆とお付きの侍女たちの賛美の声でした。
「おお、ご覧ください、お妃さま! なんという美しい子でしょう。わたしは何百と言う赤子を取り上げてきましたが、こんなに麗しいお子は見たことがありません。ああ、まるで象牙のお人形さんのよう!」
「速く! 速く、その子をこちらへ……」
王妃は、我が子を迎え、最初の抱擁を与えようと手を差し出しました。
しかし、その指が触れたのは産婆の手でも、柔らかな我が子の肌でもありませんでした。
王妃の手に触れ、掴みかえしてきたのは滑らかな骨の指。
顔を上げ、出産の痛みでかすむ視界に、黒いベールに覆われた顔と、自分を覗き込む深淵の井戸をとらえたとき、王妃ははじめて黒衣の婦人の言葉を理解しました。
黄金では決して購えない代償の意味を知ったのです。
喜びに花開いた王宮を、つぎに包み込んだのは大いなる悲しみの帳でした。
生きている間、王妃を喜ばせるために、金銀を惜しまなかった王は、彼女が亡くなったあとも大いに宝物庫を開き、かつてないほど豪華な葬儀で妻を送りました。
しかし、華やかな儀式も、荘厳な僧侶たちの祈りも、死の喪失が刻み込んだ痛みを癒す薬にはなりませんでした。
生まれたばかりの我が子を抱きながら、しょう然と立ち尽くす王の耳元に青く透き通った唇が囁きかけました。
その言葉は冷たい雲となり、王の耳を通って、頭の中でしばしとぐろを巻くと、やがて喉と唇を経て、生まれたばかりの赤子の上に降り注ぎました。
その言葉は『ペルラ』。
貝の命と引き換えに、この世に生れ出る、美しくも悲しい宝石の名前でした。
第二話に続く。