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第八話『 幸福なひと時…… 』

 

 この作品は、舞さんのホームページ、Arcadiaにも投稿しております。

 http://www.mai-net.net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=original&all=21573&n=0&count=1



 


 さて、夜もどっぷりとふけて、月が天の頂上に腰を据えたそのとき……。

 宮殿にほど近い街の一角から、色のついた煙のように音楽が立ち上り、華やかな服装に身を包んだ一団が汚れた石畳みの上をやってきました。

 行列の先頭を行くのは、真っ白な馬に乗り、黄金虫のように着飾った貴族のお役人。

 その後ろを走るのは、黒と茶色の馬に乗った岩のように厳つい体をした二人の兵士。

 兵士たちの背後には金と漆の馬車、馬車の後ろにはまた兵士や楽師たちが長い列を作っていました。


 一行はまどろみかけた住人たちの眼を覚ましながら、老医師の屋敷を目指して城下街を走り抜け、お屋敷の前で音楽と足をぴたりと止めました。

 召使いの手を借りて、白馬の背中から降りたお役人は、屋敷の門が枠ごと壊されていること、また老医師が壊れた扉の前に立って自分たちを待っていたことに気付きました。

 でっぷりと肥えた腹を揺らしながら、お役人は痩せた医師に歩み寄り、偉そうに言いました。


「我らはペルラさまを迎えに参った。姫さまはいずこにおわすか?」


 老医師は黙ったまま、紙で出来た器をお役人に差し出しました。

 器を受け取ったお役人は、それをじろじろと眺めた後、わけがわかぬと言いたげに医師の方を睨みました。


「その器に水を充たし、一滴もこぼすことなく宮殿と我が屋を往復できるか?」医師は静かな声で言いました。

「面妖なことをおっしゃる……そのようなことができるはずもない」

「ならば、ペルラさまをお渡しすることはできんのう。姫さまはついさっき、生死の峠を越えらればかり。そのお身体は弱り、紙の器のごとく脆くなっておられる。無理を押して、馬車に乗せれば、器の中身、すなわち姫君のお命がこぼれることになるやもしれん」

「なぜ、お主にそのようなことがわかる!」むっとした顔でお役人。

「なぜと問われれば、このわしが医者だから、と答える。さあ、お城へ戻り、わしの言ったことをそのまま、女王とお母上に伝えることじゃな」


 お役人は紙の器を石畳みの上に叩きつけ、それをめちゃくちゃ踏みにじりました。

 手を挙げて合図すると、後ろで控えていた兵士たちが恐ろしげな筋肉を見せびらかしながら、医師に詰め寄りました。


「我らは王妃さまの命令で参ったのだ! 手ぶらで帰ることはできん。いくら、お主が先王のおぼえめでたき身とは言え、邪魔をするならただでは済まさぬぞ」

「ならば、二階におるあやつにも、同じことを申し上げるのじゃな」


 医師は意外にも、あっさりと門の前から退きました。

 と、その時、屋敷の一階と二階を繋ぐ階段から、夜の化身である怪物が降りてきました。

 ちょうど門の敷居を跨ごうとしていたお役人と兵士たちは、真っ青な顔で凍りつきました。


「うるさいぞ、お前ら! ペルラがゆっくり休めないだろうが!」


 怪物は不機嫌な顔をして、人間たちの目の前で爪と牙を閃かせました。

 月の明かりを受けたその切っ先が、ぎらりと凶悪な輝きを放ちました。

 青を通りこして、真っ白になったお役人たちは、半ば転がり、半ば這いずりながらお屋敷の門から離れました。


 そして、怪物に怯えて泣く哀れな馬たちの背中にしがみついて、自分たちを置いてさっさと逃げてしまった後続の馬車や楽師たちのあとを追いかけ、走り去りました。

 老医師は遠ざかって行くお役人たちの背中に、からからと笑い声を投げかけていましたが、突然ぴしゃりと禿げた額を叩いて呻きました。


「おっといかん! わしとしたことが、門の修理を頼むのを忘れておったわい」

 

 しかし、老医師の心配は杞憂に終わりました。

 翌日、宮殿から腕利きの大工たちが、七つ道具を抱えてやってきました。

 大工以外にも、ペルラの乳母、身の回りの品々やたくさんの衣装を携えた召使いが、次々に老医師の屋敷の中に入り込んできました。


 あまりにその数が多かったので、老医師は屋敷に入りきれなかった家具や召使いを何人も宮殿に返さなくてはいけませんでした。

 しかし、召使い以外には宮殿からペルラを見舞いに来る者はいませんでした。

 王妃もお大臣も、貴族たちも騎士たちも、姫に会うため、わざわざ汚れた平民の町へ足を踏み入れようとしなかったのです。

 たった一人を除いて……。


 ペルラの妹であるアンブラ女王は、姉姫に会うために毎日のように宮殿の城壁に猛烈な攻撃をかけていました。

 気の毒なのは、城壁の警備に当たっていた兵隊たちです。

 長い王国の歴史を通してみても、この兵隊たちほど奇妙な運命に翻弄された者はいないでしょう。

 何しろ、彼らは城壁の外ではなく内を守るために、敵ではなく自分たちの女王と戦わなければならなかったのですから。


 しかも、いくら手ごわくても、五人力の怪力の持ち主であっても、相手は女王です。

 武器を使うのはもちろんのこと、傷つけることもご法度でした。

 気の毒な兵士たちは、女王がやってくるたびに、殴られたり蹴られたり踏まれたり、接着剤で壁にくっつけられたり、油の罠で足を滑らせて背中や腰を打ったりしていました。

 それでも、働き者の兵士たちは、最後には小さな女王を捕まえ、宮殿で待つ母上のもとに連れ返しました。


 アンブラが起こす毎度の大騒ぎを除いては、宮殿はつんとすました顔を保っていました。

 まるで、ペルラ姫が城を抜け出したことも、彼女が太陽の光を浴びて死にかけたことも、自分たちの責任ではないと言いたげに……。

 

 

  

   ◆  ◆  ◆

 

  

 

 一方、宮殿を離れたペルラは、老医師の家で満ち足りた生活を送っていました。

 外に出られないことは、塔にいた頃と同じでしたが、ペルラはもう孤独ではありませんでした。

 老医師は毎日、自分のところにやってきた患者の何人かをペルラのもとに送り、彼女に診察を任せました。

 経験豊かな医師は、時にはベッドよりも適度な運動が、静寂よりも会話が病んだ者にとって、何よりの妙薬になることがよくわかっていたのです。


 そして実際に(乳母は眼をひそめましたが)患者たちの世話を見る内に、ペルラ自身の体調もどんどん良くなっていきました。

 泣いている子供たちをあやし、老人たちの何気ない世間話に付き合い、患者たちのために薬を調合しているうちに、姫は自分の身体の中にたまった孤独や失望が、朝日を浴びた霜のように溶けていくのを感じました。


 そして日が沈んで、夜の帳が下りると、今度は怪物が姫を訪ねてきました。

 最初の頃、怪物は夜も昼もペルラの側にいて、一時も離れようとはしませんでした。

 そのせいで、患者が一人も寄り付かなくなり、姫にたしなめられた怪物は仕方なく、今まで通り昼間は寝床に帰り、真夜中になってから姫のもとを訪れるようにしたのです。


 ペルラの部屋にやってくるたびに、怪物は森から綺麗な羽根をした鳥やふわふわもこもこした小さな動物、珍しい花などを手土産に持ってきました。

 可哀相だったので、ペルラは小さな生き物たちは放しましたが、怪物の爪で手折られた花だけは手元に置いておきました。

 毎晩、姫は硝子の花瓶に入れた花を窓辺に飾り、月の明かりを空かして光るその花弁を見つめながら、怪物が新しい花を持ってくるのを待っていました。


 怪物と姫がどんな言葉を交わしていたのかは、誰にもわかりません。

 ペルラはそのことを決して話しませんでしたし、二人の会話を盗み聞きする者もいませんでした。

 ただ老医師の召使によれば、姫君の窓にはいつも夜遅くまで明かりが点っていたそうです。

 或いは、それはペルラにとって始めて味わう、幸福なひと時だったのかもしれません。


 月は順調に齢を重ね、ペルラが始めて老医師の屋敷に来てから三十日が過ぎました。

 姫の包帯を取り去った医師は、太陽の狼藉の跡がほとんど消えていることを認めました。

 哀しげにため息を吐くと、医師は白い鳩にも似た手紙を一枚、宮殿に送りました。


 その晩、きらびやかに着飾った一団が、再び屋敷の前の道を埋め尽くしました。

 医師は花嫁の父のように、自らペルラの手を引き、彼女を馬車へと導きました。

 口を開きかけては声に詰まり、言葉の代わりに潤んだ老いた瞳で別れを告げました。


 馬車の椅子に腰を下ろした時、姫も泣きこそしませんでしたが、その肩は微かに震えていました。

 一度宮殿に戻れば、機嫌を損ねた王妃が二度と外に出してくれないことを、姫も老医師も良く分かっていたのです。

 これで見納めとなる街の様子をもう一度目に焼き付けておこうと、顔を上げた時、姫の唇から驚きの声が漏れました。

 

 暗い街角に、オレンジ色に光る果実が実りました。

 一つ、一つ、また一つとその光は増えていきました。

 果実の正体は、手に大小様々な明かりを持った街の住人たちでした。


 ペルラが背中をさすってあげた老人がいました。

 泣いているのをあやしてあげた子供がいました。

 老医師のもとで姫が癒し、また姫を癒してくれたたくさんの、たくさんの人々がいました。

  

 誰一人口を開きませんでしたが、どんな言葉よりも能弁な沈黙が辺りに満ちていました。

 みんなペルラと過ごした時間を懐かしみ、姫との別れを惜しんでいました。

 時を追うごとに明かりは増えていき、最後には遥かな闇の向こうを照らす、長い長い列になりました。

 その明りの道に導かれるように、ペルラを乗せた馬車は、宮殿への道をひた走りました。


 長いようで短かった道を越え、馬車は再び王の城へ入りました。

 とたん、世界は再び、その彩りを変えました。

 空には花火が咲き乱れ、地上では音楽が空気を震わせました。

 

 絹や宝石に身を包んだ公達たちが、手を叩いて、ペルラを迎えたのです。

 突然の歓待に呆然としているペルラの前に、華やかな貴族の中でもひときわ目立つ王妃が姿を現しました。

 王妃は姫の両腕を痛いほど掴むと、その頬に二度口づけを落としました。


「良く戻ったね。待っていたよ」


 王妃の唇と言葉はまるで、そのお顔のように硬く冷たいものでした。

 王妃の後に続いて飛び出したのは、小さなアンブラ女王。

 ペルラの妹は鋭い歯で破れそうなほど唇をかみしめ、両目いっぱいに涙をためて、姫の腕の中に飛び込みました。

 その勢いがあまりに強かったために、ペルラはもう少しで押し倒されそうになりました。

 姉姫の腰を抱きしめると、アンブラは一カ月の間、押し殺していた声を上げて泣き出しました。


 妹の頭を撫でて慰めながら、ペルラは再び、自分を囲む人々を見渡しました。

 貴族たちは、皆顔に笑顔を浮かべ、その言葉はまるで口に砂糖を含んだかのよう。

 もちろん、何故抜け出したのかと姫を責め、叱るものは一人もいません。

 

 ペルラは自分を見送ってくれた明かりの道のことを思い出しました。

 あのとき、誰も口を開きませんでしたが、彼らの想いははっきりと伝わってきました。

 しかし今、姫の前にいるこの人たちは、老いも若きも様々な言葉を口にしていますが、その中身は空っぽで、心は靄に覆われたように隠されています。

 

 ペルラは口やかましい老医師のいるあの家が、急に恋しくてたまらなくなりました。

 

 

 


 第九話『 変わりゆく世界 』へ続く。 


 


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