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土塀の町でわたしは兄の親友に恋をした。凍る国からの帰還兵はメープルホテルで出会う。  作者: レモン


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第8話  碧伊は勘違いをした

女学校を卒業した碧伊は、洋裁学校に通っている。


もともと碧伊の母が着道楽だったこと、娘たちにも色々装わせてきたことも、

影響したようで、碧伊も服飾には興味があった。


しかし、今の時代は、そういう華美や贅沢が通用する情勢ではないので、おしゃれな母は嘆いていた。


碧伊の通う洋裁学校でも、情勢に合った動き易い服や、奉仕目的の衣類などを製作することが多い。


碧伊は、以前から、洋裁学校が午前中で終わる土曜日の午後は、門前町の修道館に行って、弓道の稽古をしていた。


子供から学生、社会人までそれぞれの部がある。


土曜日の午後は、碧伊の入っている女子部の練習と入れ替わるようにして、上級者の稽古が行われていた。


その中に、上背のある目立つ青年がいた。

彼は上級者のなかでも、称号者として、師範の代わりに、指導してくれることもあった。


初心者や、上手に出来ない者にも、子供にも社会人にも、全く変わらぬ態度で同じように公平に接し、分かりやすく適切な指導をし、余分な話は、ほとんどしない。


そういう態度に、碧伊も他の部員と同じように、好感を持って一目置いていた。

真っ直ぐな姿勢とキリッとした目元。

「美丈夫」という言葉がぴったりだったが、彼自身は、そんなことには気付いてもいないようだった。


彼は、「隼人」と呼ばれている。


道場では、皆入口で出会ったら、お互いに挨拶をする。

彼は、出会えば、真っ直ぐに碧伊の目を見て挨拶をした。

しかし、それは、他の人々にもしていることだ。


彼は碧伊を見ても、その視線には、全く何の感情の揺らぎもなく、ましてや他の青年たちのように、赤くなったりすることなどは皆無だった。


それが、碧伊には清々しく感じられ、姿勢の良い彼の立ち姿をいつも見ていた。


ある日練習が終わり、着替えた碧伊が道場から出てくると、待っていたかのように、その青年が真っ直ぐ歩いてきて、碧伊を呼び止めたのだった。


ふと見ると、近くには、小柄な中学生くらいの女の子もついてきている。

その子は、碧伊を見ると、頭を下げた。


《あら、あれは、あのお茶屋さんの、妹の女の子。時々お店で見かけるけど、どうして一緒に?》


お茶を買いに行くと、その子は店にいることがあった。


青年は、近くに来ると、いつものように、まっすぐに碧伊を見て、ためらうこともなく、淡々と言った。


「実は、今度開港祭があるんだけど、その日の、特別招待券を、さくら茶舗の人から預かってるんだ。良かったら、一緒にどうか、と」


《えっと……さくら茶舗の人が、開港祭の特別招待券をこの人に渡していて、この人が、私も一緒に行かないかと、誘ってくれている》


と、碧伊は理解した。


このように、呼び止められたり、手紙を渡されたり、話しかけられたりするのは、知らない内に、自分でも慣れていた。


それでも、特別招待客の催しが、あの立派な建物で、紳士淑女が集まって行われるのは知っていた。すごいな、思う。


「それは、いつ?」


と、自分でも思わず尋ねた。


「次の日曜日。来年は、もうないかもしれないらしいよ」


隼人が言った。


彼は、まだ稽古着に着替えていなかったが、間近で見ると、背の高い碧伊が、見上げるほど背が高い。

男らしく、整った顔立ちに、まっすぐな瞳が印象的な美丈夫だった。


性格もさっぱりしているらしく、碧伊に対して、全く平然としているので、逆にいつも誘われたり、告白されたりする時に感じる、居心地の悪さや負担を感じなかった。


「そうね、ありがとう。……行ってみようかな」


碧伊は、思わず言っていた。確かに、なかなか行く機会がないものだった。


行きたいからと言って、誰でも招待されるわけではない。

おそらく、この地方での誘いとしては、とても上等なものだった。


「良かった」


と、彼はとても明るい表情になった。そして躊躇うこともなくまっすぐ封筒を渡して、碧伊に言った。


「じゃあ、その封筒の中に、時間とか書いてあるから、確認して」


碧伊には、今まで差し出されたどの手紙も、重くて、湿り気を帯びていた。

けれど、彼の差し出した封筒だけは、空のように乾いて、潔い。


碧伊は、ごく自然にそれを手に取った。

手紙を渡されるのにも、いつの間にか慣れている。


封筒の中の、手紙を開く。


え? そこには時間と場所のほか、別の知り合いの青年の名前が書かれている。


「えっと、これさくら茶舗の陸さんから?」


「うん。お店に来た時じゃ遅くなるから、道場のある日なら早く渡せると思って、俺が預かったんだ」


隼人は、友だちの手紙を預かって、彼女に渡しに来たのだった。


だから、碧伊に対して、淡々としているはずだ。


「そう、あの」


「?」


誘ってくれた、さくら茶舗の青年が嫌いなわけではない。しかし………。


「私、やっぱり、もしかしたら、行けないかも知れない。」


碧伊がそう言うと


「え?」


急に、成り行きが変わったので、青年は、ちょっとショックを受けた様子だった。

彼が友人のために、使命を果たしたかったのだということがよくわかる。


「だから、あの、一応、返しておいた方が。ごめんなさい。どうもありがとう」


碧伊は、申し訳ないと思いつつ言った。


当惑したらしく、彼は、質問してきた。


「あの、もしかして、和史が何か言う?」


和史と自分が親しいので、そのことを言っているのだろう。


碧伊は首を振った。


「和史くんは、何も言わない。そういう人じゃない。すごくいい友だちだから」


それは、本当のことだった。


「ほんとにごめんなさい。せっかくなんだけど。さくら茶舗の人にありがとうって言ってね。

また、お茶を買いに行きます」


碧伊は、封筒を返しながら、隼人がまだ解せず、納得の行かない顔をしているのを見た。同じ道場での門下生の一人としての、信頼感を損ないたくはない。

碧伊は正直に、理由を言った。


「あの、私、あなたが誘ってくれたのかと、勘違いしていたので」


「は?」


青年は、また驚いたようだった。


離れたところに立っている女の子についても納得した。


これは、さくら茶舗からの招待だったのだ。だから、あの子は付いてきていたのだ。


碧伊は、彼にも、少し離れて成り行きを見ていた陸の妹にも小さく会釈をして、帰ることにした。


《あの人なら、行ってみても良いと思ったなんて》


碧伊は、初めて、少し残念に思った自分に気が付いた。


好きな異性にときめいたり、自分を誘ってくる男の子たちの気持ちが、少しわかるような気がした。


離れて見守っていた美夜は、封筒が碧伊から返されたのを見て、心の中で呟いていた。


《陸兄さん……》


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