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土塀の町でわたしは兄の親友に恋をした。凍る国からの帰還兵はメープルホテルで出会う。  作者: レモン


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第19話  碧伊の結婚 

碧伊は、早く家を出たかった。


出なければならないと思っている。


戦争が終わり、兄が戦地から戻り、拠点は遠方であるが、時々こちらへ帰省してくるからだった。


以前から、兄が帰省することがあると、碧伊は2人きりにならないように、心掛けていた。

でも前回、帰省した兄と廊下ですれ違った時に、いきなり手首を掴まれた。


兄がぐっと顔を近づけて、


「碧伊は、俺の嫁になれ」


耳元付近でそう言われ、碧伊は声が出なかった。


いずれ実家は兄が継ぐだろうし、兄と結婚しないのであれば、一般的にも、自分がずっとこの先、家に居るのは無理がある。


「碧伊はここに、ずっと居ていいんだぞ。俺の嫁になれ。自分たちは血が繋がっていないから、結婚できる」


そう義兄は言った。


血の繋がりのない兄と自分が結婚することは、兄の言う通り問題はないし、むしろ、そういう例だってある。家族はまとまり、両親も反対しないだろう。


逆に、波風を立てないように断ることの方が、兄の性格を考えると難しい。

彼は父の実の息子なので、兄のことを頭から拒否しづらかった。


碧伊は、戦争の最中に、娘時代を過ごしてきたので、すでに世間的な結婚適齢期としては遅い方かもしれない。


妹の翠もいるし、順番で言えば、早く長女の自分から、動かなければとわかっている。


母のもとに、親戚などからも、縁談を色々持ち込まれているのを知っている。

だったら、兄が正式に動く前に、碧伊は自分で自分の今後を決めようと決心した。


そんな時だった。茶道の先生からある縁談を紹介されたのは。碧伊は初めて、会ってみることにした。


紹介された男性は、もとはこの町の出身だが、父親の仕事の都合で、子供の頃から、遠方の都会で育ち、そのまま都会で仕事をしている。

仕事の関係で、名古屋や東京で暮らすことになる。彼は次男でもあり、結婚したら二人だけで、勤務地で暮らすことになるという。


写真で見ると、頭が良さそうで、整った感じの人だと思った。


「この方に会ってみたいと思います」


と伝えた。


碧伊は、母が心配していた千代乃姉さんとは違って、はるかに物事を深く考える、現実的な娘になっている。


周囲でよく言われる《家柄が良い》は、ともすれば、人を縛り付けることになったりする。


周囲の人間関係が苦手な自分を知っている。


その人物の持つ環境は、しがらみが少なく、碧伊にとっては、より自由でいられる機会が訪れる感じがした。


義兄の自分への執着を完全に断ち切りたかったし、自分がこの家から居なくなれば、家族をギクシャクとした不協和音に巻き込まなくて済むだろう。


碧伊が会うことを承諾すると、早速、その機会が設けられた。


場所に選ばれたのは、新しくできたメープルホテルで、メインダイニングのそばにある、プライベートに使える応接室だった。


暖炉があり、その上には、絵画が飾られている。

それは、木立の中にある、この洋館を描いたものだ。

作者は、この街出身の著名な画伯である。


応接間のソファに、碧伊が紹介者と母と共に座っていると、ホテルのスタッフに案内されて、相手の人々が入ってきた。


先方の人々は、部屋に入ってきて、立ち上がった碧伊を見ると、息を呑んでいた。


「お話には伺ってたけど、こんなに綺麗な方とは」


と言った。


相手の人物は、会ってみると、碧伊より5歳年上で、洗練された立派な男性だった。

その部屋で、お茶とケーキを出されて、歓談したあと、双方の連れの人たちは帰っていった。


「あとは、どうぞお二人で、ゆっくりお互いにお話しをなさって」

ということだった。


その後、その人とは、メープルホテルのもみじのある庭を、2人で歩いた。


夕食にも誘われて、しっかり話をすることができた。


名古屋に戻るので、すぐにはまた会えないからだ。


そして彼は言った。


「碧伊さん、僕はあなたに幸せでいてもらうために、僕ができる限りのことをするつもりです。だから、良かったら一緒に来てもらえませんか?」


彼はそう言った。


碧伊は決心して


「はい」


と答えた。


これまで、彼女は、異性の好意を得るために、努力をしたことはなかった。

何もしなくても、好意はそこらじゅうにあった。彼女が気が進まず、受け入れて来なかったが。


彼女が受け入れれば、話は驚くほど滑らかに進む。

彼は碧伊を家まで送ってくれて、翌日には名古屋へ発っていった。


碧伊は、結納や結婚式などについて、母や仲人に「お任せします」と言った。


兄に邪魔されるのではないかと、不安だったので、なるべく早く次の自分の人生に踏み出し、自分の居場所を手に入れたかった。


結婚式をこちらで挙げた後、碧伊も一緒に、名古屋に行く予定だ。


母と仲人になる人が、喜んで、すべては順調に進めてくれて、あっという間に結納、結婚式の日取りや段取りまでが決まった。


碧伊は母に、兄が自分との結婚を仄めかしたことを打ち明けて、穏便に済ませるため、ぎりぎりまで兄には結婚のことを言わないように頼んだ。


「お父様には話しているのだから、お任せしましょう」


と母は言った。

父は、滅多に兄に連絡などしないので、暫くは伝わらないはずだ。


そして、碧伊は結婚までの間、母の遠縁の割烹旅館に行くことにした。


表向きは、本格的に料理を習ったり、いわゆる花嫁修行のためだと言ってある。


「あの娘は、まだ甘いし、家から出たことがないから、世間の勉強もさせませんと。手際よく何でもできるように」


母には、父などにそう説明してもらった。


翠は、


「お姉ちゃん寂しくなる。そんなに遠くまで、花嫁修行なんて行かなくても」


翠は割烹旅館の手伝いは、きっと大変だと言っていた。


確かに、旅館の朝は早いし、夜も片付けなど遅くまでかかることもある。

でも、実家で義兄に怯えてるより、ずっと気楽だった。


式が近くなって、戻る時も家には泊まらず、前日までメープルホテルに宿泊するようにしていた。

そして式が終われば、そのまま夫と発つ予定だ。


割烹旅館の親戚は、


「あんな美人がいるって、碧伊ちゃんが来てくれて評判よ。


ずっと居て、ここを継いでくれてもいいのよ」


と喜んでいた。親戚の娘と聞いて、縁談まで寄せられているとも言っていた。


確かに、もし結婚することを決めていなければ、家を出て、ここに身を寄せることも考えられたな、と碧伊は思った。


あっという間に日は経ってゆく。


そして、結婚式の前日になった。


遠方に住んでいる従姉妹たちが、結婚式に出席するために、メープルホテルに前泊し、碧伊も久しぶりに会う彼らと、ホテルで食事をしていた。


式は明日、神社で挙げて、その横の有名な料亭で、披露宴を行う予定になっている。


その後、碧伊は新婚の夫と、彼の赴任地へすぐに旅立つ。


碧伊が、従姉妹たちと食事をしていると、向こうから食事を終えて、出口へ向かう客がいた。それは、見覚えのある、よく知っているご夫婦だった。


夫人の方は、碧伊に気が付いたようで、会釈をして、こちらへ近づいてくる。


そう言えば、家も近くなのに、最近ずっと会っていなかったし、久しぶりに会うような気がする。


夫妻は、和史の両親だ。


食事に来ていたのだろう。


二人は、息子の子供の頃からの友人の、碧伊のことは、もちろんよく知っているし、碧伊も可愛がってもらった。優しい人たちだった。


「碧伊さん、お久しぶり。今日は、お食事会か何か?」


「はい、ご無沙汰しています。そんなところです」


碧伊は言った。


近所でもあるので、そのうちに、自分が結婚して去ったことは伝わるとは思ったが、今ここで、明日、自分の結婚式だとは言えなかった。


幼馴染みは、まだ戦争から戻って来ていないのだ。

夫妻の心痛はよく知っている。


でも、こうして会うと、話題にせずにはいられない。


「・・あの、和史君のその後のことは・・・」


何か少しでも、進展があったのかと尋ねた。


「いえ、まったく。終戦になって何年も経つのに、まだ生死もわからないんです」


「そうですか……でも……」


と碧伊は、呟くように言った。それから


「私、和史君はきっと無事で、戻って来るとずっと思ってるんです。一度も疑ったことがなくて。何故だかわからないけれど。和史君はそういう人です」


と言った。それは碧伊の本心だった。


「ありがとう、碧伊さん。いつも、あなたそう言ってたわね。あなたが言うのなら、きっとほんとね」


和史の母親は言った。


碧伊の方からも、終戦後、和史の姉や母親に、訊ねたこともある。 

しかし、全くわからなかったし、辛そうな顔を見るうちに、訊ねるのは止めた。

家も近くなので、和史が帰還すれば、すぐわかるはずである。

朗らかな幼馴染みが居てくれれば、話したいことが沢山ある、どうしているだろう、そう思ったことは何度もある。


「碧伊さん、お会いできて良かった。お元気でね」


和史の母はそう言って、辛そうではあったけれど、優しく言って立ち去った。


夫人の顔には、和史と同じ面影がある、とその時初めて思った。


彼の母親に会ったことで、碧伊は、何年も前のことを、再び思い出した。


和史は、生死もわからないという。

多分、戦死したと考えるのが普通だという人もいた。

もし、そうなら・・・

彼はどのように戦地で生き、最後のときを迎えたのだろう。


いや、そんなことはない。

碧伊は何故か、和史が戦死するといった考えは全く思い浮かばなかった。

彼は、どこかで、彼らしく生き延びていると思う。


和史に


「手紙を書いてね」


と言えば良かったのか、と思ってみたりした。


少なくとも、途中までの足跡がわかったかもしれない。


いつものように、言葉少なく、本当に淡々と再会を誓った、びわ色の道が思い出された。


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