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土塀の町でわたしは兄の親友に恋をした。凍る国からの帰還兵はメープルホテルで出会う。  作者: レモン


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第16話  メープルホテルの誕生 1

その当時、土塀の町の内外には、庭園のある大きな屋敷がいくつもあり、その中には洋館もあった。


屋敷や洋館にはそれぞれ、もみじ、梅など様々な樹々、花々が庭師によって美しく植えられている。


遥佳の家は、戦前、港町近くの高台に建てられた洋館のひとつだ。


港のある中心部には、外国の商社の支店がいくつかあった。そして、その人々の住まいが周囲に点在していた。


遥佳の家は、もとはオーストラリア人が建てたものだった。

戦争が噂されるようになってきて、オーストラリア人はやむを得ず、その洋館を売って、本国へ戻ることになったという。


貿易の仕事をしていた遥佳の父は、縁あってその家を買い取り、遥佳と弟、父母の一家4人で住むことになった。


道路に面した敷地の入り口には、大きな石柱のゲートがあり、そこから木立の中へ、馬車でも車でも通れるくらい広い、なだらかな坂になった道が、建物のある上の敷地まで続いている。


木立に囲まれたその道を抜けると、突然、広々とした空が開け、広い敷地に点在する大きなもみじの樹々と、その奥にある赤みがかった煉瓦の洋館が現われる。


レンガで造られた建物のアプローチから玄関に入ると、吹き抜けの広いホールになっていて、2階・3階へと続く螺旋階段がある。


居間や各居室には暖炉があった。

メインダイニングは天井が高く、10数人が座れるような、大きなテーブルなどがそのまま残されていた。


厨房は、何十人分の料理を作るのだろうかというほど広い。

大きなオーブンが2つもあり、料理好きな母はとても喜んで、パンやクッキーを焼いてくれた。


木漏れ日が、庭に差し込む晩秋の日、学校から帰ると、


「庭が真っ赤になってる」


と思うほど、大きなもみじの枝の紅葉と、庭全体に舞った落葉で、辺りが朱色に染まっている。煉瓦色の洋館の外壁が映えて美しい。


前の家にいた時から通ってくれていたお手伝いさんのほか、庭仕事やその他を手伝ってくれるおじさんが、週5日位来て、草を刈ったり、落ち葉を集めたり、管理をしてくれている。



その後間もなくして、本当に戦争が始まった。


その洋館の居間には、家具だけでなく、マホガニーの美しいグランドピアノも置いてあった。遥佳が、そのピアノで練習していると、音が外に流れたのか、憲兵がやってきた。


木立に囲まれた道の奥にあるので、通りからはあまり目立たないし、音が漏れるとも思えない。

きっと、巡回しながら、敷地の中まで来ていたのだろう。


玄関横の大きなもみじの木の下で、母と話している憲兵の姿を、遥佳は窓から見ていた。


幸い憲兵は、割と穏やかな人で、こんな時なので・・・と、簡単な注意をし、ほっとしたという感じで、最後は母と世間話をして帰って行ってくれた。


それからピアノは、誰もうっかり弾いたり、触ったりしないように、上に白い布がかけられて、戦争が終わるまで音を出すことはなかった。


遥佳の父は、港町の岸壁に、大きな倉庫を沢山持っていたが、それも軍の物資用に接収され、父の会社も閉鎖した。

そうした時代を、家族は洋館の木立の中で、目立たぬように暮らしていた。



その後、終戦になって間もなくのことだった。


「私はここで、ホテルを始めるわ」


遥佳の母が突然、その洋館でホテルを始めることを宣言して、周囲をびっくりさせた。


母はそれまでずっと家庭人であり、仕事を始めることなど、誰も予想していなかった。遥佳達も、母から、特に何かをやってみたいなどという話を、今まで聞いたことがない。


しかし、母はすでに、始めるための算段を付けていたようだ。


まず、当時空襲や戦地で夫を亡くした、いわゆる戦争未亡人の女性達が、母の周囲に何人もいた。

母は彼女達を、新しいホテルの従業員として雇用するつもりにしている。


またその頃、街の中心地では、鉄道会社資本の大きなホテルや、以前からあった旅館などの宿泊施設は、空襲で壊されていて、まともな宿泊施設はない状態だった。


遥佳の家では、戦争が終わったものの、父はすでに会社をたたんでいる。

遥佳と弟はまだ学生だ。そうしたことも、母がホテルを始めるきっかけになったのだろう。


「建物は立派だし、食事の用意と、宿泊のお世話なら、わたし達にも何とかできると思う」


事業を始めるために必要な手続きや改装は、父が手伝って行った。

遥佳達は、この洋館の前に住んでいた屋敷に戻り、洋館の改装工事が進められた。


母は戦争未亡人の女性たちを雇い入れ、素人ながら、ホテルの運営を始めた。


庭に大きなもみじの木があったことから、母は自分のホテルを


《メープルホテル》


と名付けた。


初夏は、もみじの若葉が涼しい日陰を作り、晩秋には、紅葉したもみじの葉が絨毯のように緋色に庭を美しく埋め尽くした。


オーストラリア人の残していった広いキッチンは、小さなホテルの立派な厨房になった。


備え付けられていた大きなオーブンで、毎日パンが焼かれ、ローストビーフやビーフシチューなど、当時の地方では珍しかった料理を、母親は作ってお客に供した。


憲兵に注意されたメープルホテルのサロンにあるピアノも、戦争が終わり、白い布を外され、遥佳は再びピアノの練習を始めていた。


メープルホテルには、宿泊客だけではなく、地元の人たちも、食事やお茶に訪れるようになった。


1階の玄関横の、天井の高い、大きな食堂と居間が、ゲストのために開放された。


もみじの木のある庭にも、ベンチやテーブルが置かれ、食事や宿泊に来た人々はそこでお茶の時間を楽しんだ。


遥佳は、隣のS市にある女子大へ、通い始めている。


でも学校が休みの日には、遥佳も手伝いで、庭のテーブルに紅茶や、母達が焼いた、お菓子を運んだ。

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