第10話 天使とびわ色の道
物語は中盤になります! ここから、色々動きがありますので、引き続き目を通していただければ嬉しいです。
フィクションではありますが、元にあるのは、実際に当時あったこと、がきっかけになっています。
ある日、和史の家の近くに、天使というか天女のような、碧伊という女の子が越してきた。
何かの経緯で、彼の家族と彼女の家族が知り合いだったため、双方の家を行き来して、まるで家族のように親しくなった。
生まれ年は、碧伊の方が早かったけれど、和史が早生まれだったので、学年は同じになった。
同級生になって、小学校の行き帰りも、一緒にするようになった。
小さい頃は、碧伊の方が生まれ月も早く、背が高くて、和史の方が弟のような
感じだった。
いずれにしろ、仲良しの幼馴染みが、誰しもが瞠目するような美少女だということは、和史にとっては全くの偶然に過ぎなかった。
しかし、横には、いつもきれいな顔があることは、楽しい偶然として、羨ましがられた。
彼女が女学校に行き、別々になっても、近くの図書館で顔を合わせるので、閉館時間まで、勉強したり、本を読んだりして、一緒に帰ることが多かった。
特に夏休みに入ると、彼女は、兄が大学から戻ってきているので、家に居たくない、と言っていた。
碧伊の妹の翠とは、一緒になって遊んでいたが、碧伊の兄は学年も離れていたので、和史もあまり話したことはない。
その碧伊の兄と同学年の和史の姉は、
「あまり喋らないし、何を考えているのかわからない。えらそうにしてて、好きじゃない」
と言っていた。
思春期になると、碧伊は、異性からの人間関係にも、時々巻き込まれて困っていた。
碧伊は、外見の華やかさとは裏腹で、生真面目で人見知りで、あまり要領の良い性格ではなかったのだ。
碧伊が、何となく不安そうだったり、困っているように思える時、和史はなるべく、碧伊のそばにいるようになっていた。
「和史君……」
と、碧伊も、何でもない話をしたりする。その中で、和史が
「大丈夫だよ」
「気にしなくてもいいよ」
と笑って言うと、ほっとしたように彼女は笑顔に戻る。
そして、時々虫除け役(和史はそう思っていた)に、彼は駆り出されているとも思っている。
周囲は二人を幼馴染みで遠縁の間柄のように思って、見慣れているので、何も言わない。
でも和史自身は、それはそれで、気楽に楽しんでいた。
神社の近くには、土塀に囲まれて、レンガと木で造られた、西洋建築のこじんまりとした図書館がある。
碧伊は、家がこの近くなので、よく図書館に来ていた。
和史も碧伊の近くなので、やはり、図書館に来ていることが多かった。
2人は、小学校には一緒に行っていたし、彼らの両親も昔から知り合いで、お互いの家によく遊びに行っていた。
幼馴染の2人は、小学校を卒業しても、変わらず、図書館で顔を合わせた。
新聞も月刊誌も、雑誌もある。
ここで、勉強をしたり、本を借りて読んだり、展示室を見たり、中庭に面した談話室で近況を話したりした。
もっと大きくなっても、2人はここで、幼馴染みに戻り、他愛ない話をして、気楽な時間を過ごすことができた。
入口の棟は、洋風木造建築だった。木の床で、正面が事務室になっている。
1階の中央の扉が開き、誰かが入ってくると、板張りの廊下を歩く音が、閲覧室にも聞こえてくる。
碧伊が入ってくると、その軽やかな靴音が響き、部屋に居た人々は、彼女が来たことがいつも分かった。
彼女が部屋に入ってくると、空気が変る。
彼女の周りは、いつも、何となく相対的に明るく感じられる。
そして、そこに居る人たちの視線は、みんな碧伊に向けられる。
だから和史も、自分か先に来ている時は、
《あ、碧伊がきたな……》
と、すぐにわかるのだった。
ただ、どんなことにも、どんな時間にも終わりは来るものだ。
ある日彼は、美しい幼馴染みと、いつものように、図書館からの帰途についていた。
碧伊と和史にとって、それが、ふたりで図書館から続くこの通りを歩く最後になる。少なくともしばらくの間。
その頃は、まだ道は舗装されていなくて、練塀が続き、二人の歩く道は、厚い土壁の中に、周りの音が吸収されたかのような、静かで明るい陽射しの中の、びわ色の道だった。
その陽だまりの中で、時間は止まっているけれど、外の世界を流れる時間は激変し、急激に戦時色を強めていた。
そして、和史は、その後激しくなってきた戦争に、召集されることになっていた。
「じゃあ、またね」
いつも二人は、そう言って別れて帰っていた。
小さな頃から繰り返していた言葉だった。
和史にとって、多分今日が、戦争が終わらない限り、図書館に来る最後だろう。
しかし、彼自身はこの練塀に囲まれた町に、きっと戻ってくると信じていたので、その日も
「さようなら」
とは、決して言いたくなかった。
碧伊も、和史に何と言って良いのかわからないでいた。
「和史君、今までありがとう」の言葉も、「楽しかったね」という、本心から思う感謝の言葉も、口にすれば、何か終わりを告げる言葉のような気がしたからだ。
目の前の、いつもそばに居てくれた、爽やかな、少年の面影を残す青年が、いなくなってしまうことなど想像できないし、戦争で命を落とすことなど、絶対ないと、なぜか碧伊には思われる。
和史君は、きっと彼なりの方法で、生き延びるだろうし、絶対に死んだりしない。
碧伊は、固く信じている。
碧伊の義兄も、すでに召集されていたし、この情勢の中で、こうしたことは、もはや特別なことではなくなっていた。
そして、碧伊は、涙ぐむこともなく、はっきりこう言った。
「和史君、元気で」
「来週とか、来月とかは無理だけど、半年後とか、1年後とか、いつか戦争は終ると思うから。それまでだと思ってるね。
私、和史君は、絶対無事で戻ってくるって思う」
「うん、僕もそう思う」
和史も碧伊を見て、全くその通りだというように、その言葉に頷いた。
そして2人は、いつものように、
「碧伊も元気で」
「じゃあ、またね」
「うん。またね」
そう言って別れた。
ずっと永い時間を経てきた、静謐な練塀の道と、もみじの樹々だけが、彼らの静かな別れを記憶していた。




