第四話 トラウマの克服
「こんなもんか」
二人はあれから更に追加で魔石を収集し、ワゴンへと積み込んだ。
「そうね。これだけあれば十分だと思うわ。空模様がどんどん悪くなっているし、もう行きましょう」
天気は悪化の一途をたどっている。
暗い雲が集落にたどり着いた時点と比べて大分増えていた。
あと少しの道のりとはいえ、そろそろ集落から出ないと、通行が出来なくなってしまうかもしれない。
「じゃあ、行くわよ」
光が運転席に腰を掛け、エンジンをかけたその瞬間、
『ギャァァァァァ助けてぇぇぇぇぇ』
車の外、集落を囲む林の奥から若干高いが男性のものと思われる悲鳴が耳に入った。
「なんだ?」
空模様は悪いが、まだ雨は降っていないし、風も吹いていない。
誰かが落石や土砂崩れに巻き込まれて発した悲鳴ではないだろう。
だとすれば……ゴブリンに襲われているのだろう。
それはつまり、
――あの林の奥に、ゴブリンがいる。
身体が固まっていくのを感じる。
恒星はゴブリンに襲われた時のことがトラウマとなっていた。
無理もないだろう。死にかけたのだ。
もしも光に助けられなければ、恒星は死んでいたかもしれない。
「恒星、大丈夫?」
恒星の様子を心配していてか、光が名前を呼ぶと同時に恒星はあることに気付く。
――ここで助けに行かなかったら、あの人はどうなる。
もしも、自分がここで怖気づいたまま突っ立っていたら間違いなく悲鳴を上げた人は連れ去られる、或いは、殺されてしまうだろう。
考えてみれば、恒星が光に助けてもらった時。
光は悲鳴を聞いた段階では、誰のものかは分からなかったはずだ。それが結果的に恒星のものだった、というだけ。
つまり、光は誰のものかすら分からない悲鳴を聞いて、ゴブリンという危険を顧みず助けに来てくれたのだ。
それなのに自分だけ悲鳴が聞こえたけれど無視、なんてことはできない。
恒星は軽く息を吸い込んで声を発する。
「光は先に行って。俺も直ぐ行く」
「分かったわ」
声の大きさからして、さほど距離は離れていないはずだ。
恒星は一時的にワゴンの座席に置いていた銃を乱暴に掴み、深呼吸を挟んで、竦む足を叩き、光の後を追って走った。
悲鳴が聞こえてきた場所に到着すると、そこでは二〇匹程度のゴブリンが群れを成してどこかに向かって歩いていた。
二人はゴブリンに気付かれないよう慎重に、それぞれ隣接した別の木陰に身を潜める。
「光、あれじゃない?」
そこから半身になってゴブリンの群れをよく見ると、群れの中央部で二体のゴブリンが中学生くらいの男の子を左右抱えしていることに気付いた。
光曰く、ゴブリンは人間をゴブリンゲートに連れ去って誘拐すると言っていた。
ならば眼前に見えるゴブリン達はあの男の子をゴブリンゲートへ運んでいるところなのだろう。
だがここで、恒星は違和感を持った。
――何か、様相が違う。
恒星が襲われた時はこっちに来いと言っているが如く手招きをされただけで、あのように無理やり左右抱えで運ばれたりはしなかった。
だが、気のせいだ、と言われれば同意する他ない。
ゴブリンの気まぐれだということもあるだろう。
光曰くゴブリンは不明瞭な点が多いのだ。
恒星は一旦、違和感を無視することに決めた。
そんなことを考えていた恒星の隣で、光は静かに銃を構える。
恒星も光に倣い、先ほど教えてもらった通りに銃を構えようとする。
だが、緊張のせいか手に思うように力が入らず、終いには銃を地面に落としてしまった。
そうこうしている内に、光がゴブリン目掛け銃の引き金を引いた。
その瞬間、べちゃりという普通の銃の発砲音とは違う銃声が耳に残る。
恒星は弾丸を受けたゴブリンに目をやると、奴は頭から文字通り溶けるようにその場から姿を消した。
瞬間、ゴブリンの群れの動きがピタリと止まる。
恒星はその光景に唖然としていると、光から声をかけられた。
「ほら、ボーっとしてないで。来たなら恒星も手伝って」
「う、うん」
恒星はハッと我に返り、地面に横たわる銃を拾い上げる。
現在、ゴブリン達は突然仲間が死んだことに動揺しているのか、歩みを止めている。絶好のチャンスだ。
恒星は一番近くのゴブリンに銃の照準をそっと合わせた。
身体中の至る所から汗がダラダラと流れる。
心臓がバクバクと音を鳴らし、今にもはち切れそうだ。
震える指を引き金にかける。
もう一度、ゆっくり、慎重に照準を合わせて大きく息を吸う。
「ゴブリン、くたばれぇぇぇぇぇ」
恒星はゴブリンに対して怨嗟の言葉を発すると同時に銃の引き金を引いた。
刹那、べちゃりと光と同じ銃声が山に響くと共に、恒星の標的となった一体のゴブリンが溶けるように姿を消した。
「はぁ、はぁ、はぁ、やったぞ」
恒星の身体からスゥーと緊張が抜けていく。
いつの間にか額に溜まっていた汗がぽたりと零れ落ち、恒星の手の平を濡らした。
「すごいじゃん、恒星。その銃、命中させるのはWGSPの団員でも難しいのに、一発でなんて……。やっぱバトルナイト得意だからよ」
「それはあんまり関係ないと思うんだけど……」
恒星は光に褒められ、思わず頬がほころぶ。
だが、浮かれている場合ではない。
今の攻撃でゴブリンに居場所がバレてしまったようだ。
恒星がゴブリンを倒した直後、一斉に残った他のゴブリンがこちらを向いてきたのが何よりの証左だ。
先程のような緊張はもう無い。
恒星は再び一匹のゴブリンに照準を合わせ、銃を構える。
だが、恒星が引き金を引く前に、光が口を開いた。
「恒星、囮を頼める?」
「囮?」
囮……あの囮だろうか。
敵を引き付けたりする……あの。
「そう。私はあの子を助けてくるからさ、その間ゴブリンを遠くへ引き付けておいてよ」
「え?」
恒星には光が何を言っているか、理解できなかった。
いや、正確に言えば理解することを脳が拒絶したと言う方が正しいだろう。
普通に考えれば、今しがた人生で初めて銃を扱ったばかりのド初心者に危険極まれりな囮役なんて任せるわけがない。
弾丸がゴブリンに命中したのもきっと偶然だろう。
だが、確かに囮役が必要なのも事実。
なぜなら現在、ゴブリンの数は恒星と光が一体づつ倒したものの、まだ残り一八体もいる。
この銃はリロードや弾丸の装填に時間を要するため、ちまちま一体づつ倒しているとその間の少年の身が危ない。
以上から一刻も早く少年を無事に救出するためには囮役が必要なことも頷ける。
それにしたって、明らかに恒星には荷が重すぎる。
まだ、少年を救出する役目のほうがマシだ。
「大丈夫よ。あの子を助け終わったらすぐ駆けつけるから。それまで耐えるだけ」
「いやいやいや無理無理無理」
また光の強引なところが出たな、と思いながら拒否の意を明確に示す。
だが、光には通じなかったようで頑張ってとだけ声を掛けると光は走り去ってしまった。
正面を向けば、いつの間にか眼前に迫るゴブリンの鋭い眼と目が合う。
だが、もう怖気づいたりはしない。
「こうなりゃ……やるしかないか」
直後、恒星はゴブリンに背を向け、全力で林を駆けた。
「はぁ、はぁ、はぁ、死ぬところだったぜ」
あの後、恒星はゴブリンの群れを引き付けその場を離れることには成功した。
そう、成功したまではよかったのだが、ゴブリンは恒星の予想していた以上に足が速かった。
ゴブリンの速力は車には遠く及ばないものの、運動不足の恒星の全力疾走に匹敵する程度は持ち合わせていたのだ。
以上から、集落全体を使った命を懸けた壮絶な鬼ごっこが開催されることとなった。
鬼ごっこの最中、瓦礫を踏んで転倒したり、振りかぶられた棍棒をギリギリで交わしたり、ゴブリンは意図していないだろうが挟み撃ちにされたり、と幾度となく死にそうな目にあった。
だが、恒星はそれでも何とか光の助けが来るまでどうにか時間を稼いでいった。
そしてその後暫くして、光が少年の救出を完遂し、ワゴンを運転して恒星を助けに来たことで鬼ごっこは幕を閉じた。
「お疲れ様」
肩で息をする恒星に光は労いの言葉をかけながら、車を走らせる。
「もうあんな無茶ぶりは勘弁願いたいです」
「はいはい」
運転席に座る光の視線が助手席に座る恒星から、後部座席に座る少年へと移る。
恒星も光に倣い、視線を少年に向ける。
このワゴンはウォークスルー式のものであるため、半身を乗り出せば簡単に後部座席のほうを見ることが可能だ。
少年の様子は、恒星が乗車する前から激しく咽び泣いている。
無理もないだろう。二〇体の緑の化け物に襲われたのだ。
恒星と同様にトラウマとなっていても何ら不思議ではない。
恒星と光は一旦、少年には何も声をかけず、落ち着くまでは放っておくことにした。
「……あの」
数分後、少年はか細い声を発した。
恒星は呼応するように男の子の様子を再度確認する。
男の子は目が真っ赤に腫れていたものの、涙は収まっていた。
ポケットにでも入っていたのか、手には小さなハンカチが握られている。
「大丈夫か?」
「はい……あの、お二人とも、ありがとうございます」
「どういたしまして」
「無事でよかったわ」
男の子の身体には、多少の掠り傷や切り傷はあれど、命に関わるような怪我はなかった。
無事だと言ってもいいだろう。
「君は……どうしてあんな所に?」
恒星は気になっていたことを訊く。
天気も荒れ始めている中、何故この子は山に居たのか分からなかったからだ。
尤も、ゴブリンが家から引きずりだしただけの可能性も否めないが。
「それは……」
男の子は語る。
曰く、男の子は集落から少し離れた山奥に両親と三人で住んでいる。
男の子は基本的に自給自足で生活しているのだが、どうしても足りないものがある時は、両親が集落に買い出しに行く。
そして今日、両親が買い出しに行ったのだが、普段と比べて帰りが遅く、様子を見に行ったところをゴブリンに襲われた。
そういうことだそうだ。
「あなた方は……」
男の子は恒星と光の顔を交互に眺めながら小さく言う。
「私は終夜光。十七歳。WGSPっていう組織の日本基地副基地長をしているわ。こっちは……」
「俺は恒星、夜光恒星だ。同じく十七歳。これという肩書は何もないが広島で高校生をしている。よろしく」
男の子はまだ酷く怯えているようだ。
体をぶるぶると震わせている。
「君の名前は?」
恒星はなるべく優しい声を意識して訊く。
「……空風救宇。こう見えても二〇歳です」
「「二〇歳!?」」
恒星と光の驚きを孕んだ声が車内に響き渡る。
一五〇センチもないであろう低い身長、セットを何もしていないであろう無造作な黒髪、あどけなさが全面的に残る童顔。
更には、中学生くらいの子が着がちな、何て書いてあるのかがまるで分からない謎の英文が綴られた灰色のTシャツ。
救宇の外見は誰がどうみても中学生にしか見えなかったのだ。
既に成人済みだとは誰が予想できようか。
「そうか、年上だったんだ……ごめんね」
光が苦笑を交えた声をかける。
「普通に中学生くらいかと思ったぜ。すまんな」
敬語で話すべきか迷ったが、光がタメ口なので合わせておく。
「いいんですよ、慣れているので。それより……」
救宇は一呼吸置くと、言葉を紡いだ。
「あの緑の化け物について、教えてください」
「そんな……」
恒星と光はゴブリンのこと以外にも、今までのことを全て包み隠ず救宇に話した。
ゴブリンがゴブリンゲートから現れ、人々を誘拐していってること。WGSPという組織のこと。光が恒星を助けたこと。二人は今、WGSP日本基地に向かっていて、道中、偶然救宇を助けたこと。もし日本基地がダメならモンゴルにある本部へと向かうこと。これら全て。
説明を終えると、救宇は再び目に涙を浮かべた。
先程のように慟哭と言えるほど強く泣き出す様子はないが、救宇の周りには分かりやすく哀愁が漂っている。
「僕の両親も……ゴブリンに連れ去られたんですか?」
「「……」」
静寂の来訪。
ザーザーと降り始めた雨の音が車内を包み始める。
この問いに、どう返せばいいのだろうか。
現実を言ったら救宇はまた、咽び泣いてしまうのではないだろうか。
でも、言わないわけにもいかない。もしもこれから救宇も同行するなら、虚言を吐いたところで遅かれ早かれバレる。
そっと光の顔に視線を合わせる。
やはり彼女も、返答に困っているようだ。
眉間に皺を寄せ、難しい顔を浮かべている。
……言うしかないか。
これ以上、光に負担をかけるわけにはいかない。
そう思い、恒星が先に口火を切ろうとした……その瞬間。
「多分……そうね……」
――言わせてしまった……。
「――そう、ですか……」
救宇から意外にもあっさりとした返事が返ってくる。
泣き出しては……いないようだ。
「でも安心して。WGSPの団員として私が絶対、救宇の両親も恒星の両親も私の両親も、みんな助けるから」
光が車を止めて立ち上がり、宣言する。
その言葉を聞いた救宇は右手で目頭を押さえながら、静かに涙を頬に垂らした。
「……すみません。ありがとうございます。……僕も頑張るので、必ず、助けに……」
『ドーン』
救宇が次の言葉を紡ごうとしたその瞬間、直ぐ近くで雷鳴が轟いた。
どうやら救宇を助けていたことで予定より時間が遅れ、天気が悪くなってきてしまったようだ。
無論、こんなこと口が裂けても救宇には言えない。
「うそ、いつの間にこんなに天気が……。まずいわね。思ったよりやばいわ」
光はそう呟きながら運転席に戻って車を走らせる。
「大丈夫なのか」
「分かんない……でも行くしかないわ」
もしも更に天気が悪化して車で進めなくなれば、山道で立ち往生することになる。
光もそれを分かっているのだろう。光は強めにアクセルを踏み込む。
だが、その瞬間、
「うわっ」
大きく揺れる車体。
前後に揺さぶられる身体。
どうやら泥か何かで車が大きくスリップしたようだ。
「クソッ。これ以上は危険だわ」
光はハンドルから手をバンと放してそう呟いた。
「てことは……」
「ここで立ち往生ね」
現在地は山の中腹。右手は崖で、下を覗けば目指していた山道の出口が見えるところだ。
「ごめんね……運転に自信あるって言ったのに」
「いや、仕方ないよ」
もしも予定通りなら、先ほど少し停車していたこと時間があったことを考慮しても、今頃山道を抜けられていたはずだ。
こうなっているのは救宇を助けるというイレギュラーがあったからであって光のせいではない。無論、救宇のせいでもない。
「あの……」
どしゃどしゃという強烈な雨音と断続的に雷鳴が轟くことを抜けば暫くの間シーンとしていた車内。
恒星と光は二人して呆然と窓の外を眺めていると、救宇が小さく口を開いた。
「僕の家、この悪天候の最中でも、ここから歩いて行けるぐらい近いので、よかったら行きませんか?」
「ここです」
あの後、恒星と光は車をその場に置いて、強烈な雨風を身を寄せ合いながらどうにかして耐えながら、救宇の先導で、救宇の家へと向かった。
救宇の家は一個前の細い脇道に入って直ぐのところに存在していた。本当に、歩いて行けるくらい近かった。
案内された家は外から見ても結構な豪邸であった。
木造二階建て庭ありテラスあり。
某山奥にポツンとある家を取材する番組で見るような家々と同等かそれ以上の大きさはある。
「「お邪魔します」」
恒星と光は救宇に導かれるまま玄関を抜けて家の中へと入る。
救宇が徐に壁に取り付けられたスイッチを押すと、なんと付かないはずの照明が付き、廊下を照らした。
「すごい、付いたわ」
「ゴブリン達にそういう設備はやられたんじゃ?」
「そうなんですか? だとしてもうちは、太陽光発電なので暫くは持つと思います」
「なるほどな」
少なくとも一〇メートルはある長い廊下には色々なものが飾ってあった。
「この写真に写っているのは救宇の両親と……お姉さん?」
光が木製の大きな額縁に飾られた写真を指さしながら言う。
写真には今よりも少し幼い救宇らしき男性、その後ろには両親らしき四〇歳くらいの男女が横並んでいて、更に救宇の右隣には、写真の救宇より少し年上くらいの女性が写っていた。
「僕は一人っ子なので姉はいません。写っているのは……昔の友達です」
「そうなのね」
救宇はどこか哀愁を帯びた声で言った。
その昔の友達との間で何かあったのだろうか。
将又、写真を見たことで連れ去られたと思われる両親に対して、何かしら思ったのだろうか。
「この銃は?」
少し悪くなってしまった空気を喚起するために、恒星は壁に掛けられた墨色の銃を指さして話題を変えた。
銃身が長く、スコープが付いているため、スナイパーライフルなのだろう。
――でも一体、なんで救宇の家にこんなものが……。
そんな恒星の疑問は、直ぐに救宇の口によって解消された。
「僕の家は猟師なんで、これはその猟銃です」
「そうなのか。なんかカッコいいな」
「まぁ……行きましょう」
救宇はそう言うとさっさと残りの廊下を進み、奥の部屋のドアを開けて入っていった。
恒星と光も直ぐに後を追って廊下を抜けた。
「広いわねー」
奥の部屋、改めリビングに入った光が、全体をぐるりと見渡しながら呟く。
リビングは立派な家の外観に負けず劣らずの広さがあった。
ドアを出て左手、二面が大きな窓に囲まれたそこには、フローリングで構成された床の上に、趣のある大きな木製のダイニングテーブル、六人は座れそうな巨大なソファ、それに向かい合う形で設置されている巨大なテレビ、更に冬には炬燵として使うであろう小さめの第二の机、その下には黄緑色のカーペットが設置されていた。
それらが設置されているにも関わらず、リビングは物の少なさに起因する寂しさを感じるほどに広い。
更に、ドアを出て右手には奇麗な大理石で構成された全人類憧れのアイランドキッチンがあった。
家電なども使い古されてはいるが、しっかりと揃っていた。
「どうぞ」
恒星と光は救宇に促されるまま、ダイニングテーブルに着いた。
椅子の数は救宇の家族数と同数の三席。内訳は手前に二席、机を挟んで奥側に一席だ。
恒星と光は手前の席に横並びで着席し、キッチンから人数分の水入りのグラスと体を拭くタオルを持って後から来た救宇は、残った奥側の席には着かず、テーブルの脇に立った。
「この水、美味しいわね」
光はタオルで軽く身体を拭き、差し出された水をグイっと飲み切るとそう零した。
「山の湧水を引いて濾過したものです。おかわりいりますか?」
「ありがとう。お願いするわ」
救宇は光から空のグラスを受け取ると、スタスタとキッチンへと向かっていった。
「これからどうする?」
恒星も光と同様にタオルで軽く体を拭きながら、言う。
「どうするも何も……うーん。取り敢えず、この夜はここに泊めてもらって、明日、なるべく早起きをして日本基地に向かうしかないわね」
「そうだよなぁ……」
到着が一日遅れるのは痛いが、仕方がないだろう。
「冷たくてうまいな」
恒星は水を少しだけ口に入れて、そう呟く。
「ね。広島の水道水とは全然違った感じだわ。同じ水なのに不思議ね」
「恒星さんもおかわりをどうぞ。風呂の準備をしてくるので、少し待っていてください」
キッチンから戻った救宇は二杯の水の入ったグラスを恒星と光に渡す。
「風呂があるの?」
光が明らかに声のトーンを上げ、目の前にある救宇の顔を見つめながら問いかける。
光の目はどこかキラキラと光り輝いているように見えた。
「えぇ、まぁ。うちは湧水が使える上、ガスはプロパンで、それでかつ太陽光発電だから給湯器が使えるので、色々な設備がやられていても、暖かいお湯が出ますよ。ですが、流石に湯舟までやってしまうと電力が持つか分からないので、シャワーでお願いします」
「ほんと凄いわ。ありがとう」
実はゴブリンにやられたのは電力と通信設備だけではない。
日本中の人々が連れ去られているのだから当然と言えば当然だが、水道や都市ガスもだ。
故に、光は入浴を諦めていたのだろうが……それが叶うと知って、欣喜雀々の様子だ。
短時間ではあるが、傘もなしに酷い雨風を受けたのも関係しているだろう。
「恒星さんも入りますよね」
「あぁ。助かる」
「その間に僕は夕食の準備をしておきます」
「すまんな。ありがとう」
救宇はそれだけ言うと、風呂の準備をしに向かったのか、先程のドアからリビングを出て行った。
「救宇、さっきまで泣いてばっかだったのに、急に様子が変わったわね。不気味なぐらいにめっちゃ気が利くわ」
光はそれを確認すると先程に比べて小さな声で言う。
「なんかな。まぁ、少し回復したようでよかったよ」
「そうね。にしても、シャワーあるの最高すぎるわね」
「そうだな。ほんと、助かるぜ。救宇様様だな」
「恒星、風呂嫌いじゃなかった?」
「身体濡れたし、汗もかいたし、今日は別だ」
恒星はそのズボラな性格も相まって風呂があまり好きではない。というか、嫌いだ。
故に、普段から週に一、二回しか入浴をすることはない。
だが、流石に今日は例外だ。
タオルで軽く拭いただけで、まだ全身に微妙な濡れ感があり、何と言うか……気持ちが悪い。
「私は救宇に訊いて着替えとか準備してくるから、恒星は……家の探検でもしてたら?」
「俺はそんな子供じゃねぇよ」
恒星のツッコミに光はくすっと笑った。
「冗談よ。恒星はゴブリンに見つからないように、家中のカーテンを閉めておいてくれる?」
「分かった。……ってそれ結局俺、家中を回ることになるじゃねぇかよ」
光はくすくすと大きく笑い、言った。
「やっぱり恒星は変わらないわね」
「光もだ」
二人は互いの顔を見つめ合い、ゲラゲラと笑った。




