第二話 邂逅
『ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピピッ、ピッ』
機械音が静寂と暗黒に包まれていた部屋で自己主張をするかの如く鳴り響く。
夜光恒星は眠い目を擦り、乱雑に目覚まし時計のボタンを押し込んで、ベッドから体を起こす。
未だ空間が暗黒の支配下にある中、手探りで照明のリモコンを探し、それらしきもののボタンを押す。
だが、空間は暗黒の支配下から逃れることはできなかった。
「停電か?」
恒星は仕方がない、と言わんばかりに枕元に置いてあるスマホのライトをつけると、空間に少量の明かりが来訪した。
その瞬間、不意に箪笥の上に置かれた一枚の写真が目に入った。
中学の頃、恒星と元カノ、その二人の共通の友人とで撮ったものだ。
その直ぐ横の壁には、元カノからクリスマスに貰ったマフラーと、明後日に二重丸の印が付けられたカレンダーが掛けられている。
恒星は現在高校三年生。大した年月は経過していないものの、妙な懐かしさと悲しみが襲ってくる。
恒星は朝食(実はもう昼食の時間)を摂るべく、スマホのライトを頼りに、慎重に階段を降りてリビングに向かう。
リビングには大きな窓があり、かつ日当たりもいい。
日中はカーテンさて開ければ照明いらずで、ここならスマホの明かりは必要ないだろう。
そう踏んで向かったのだが、生憎、今日は天気が芳しくないのか、カーテンを開けてもスマホのライトとさほど変わらないほどの明るさにしかならなかった。
そういえば昨日、ニュース番組でアナウンサーが明日の夜は台風だ、と話していたことを思い出した。
停電もその余波なのだろうか。
取り敢えず、スマホのライトは無くても周囲は見えるため消しておく。
「母さん。居る?」
停電の影響で料理が出来ないため、朝食をどうするか話し合うべく母親を呼ぶ。
今日は日曜日だから母親の仕事は休みで家にいるはずだ。
天気が悪いなら、尚更だろう。
だが、幾ら待てども返事は帰ってこなかった。
「出かけたのか?」
天気の芳しくない中で外出するとは考えにくいが、声をかけても反応がないというからにはそうなのだろう。
「しゃあねぇ腹減ったし、天気がマシな内にどっか食い行くか」
母親が外出している、その事実から予想するに今はそこまで天気が荒れていないのだろう。
急いで行って、急いで帰ってくれば大丈夫。恒星はそう考えると、直ぐに準備を整え、最後に薄いパーカーを羽織って、玄関のドアを開いた。
ドアを開き数歩進むと微かに降る雨が恒星の頬を濡らすと共に、どこから現れたのか棍棒を持った『緑の生物』が恒星の周囲を囲んだ。
『緑の生物』は百七〇センチ弱の恒星よりもランドセル一つ分ほど小さい。
額には赤い石のようなものが埋め込まれていて、手には妙にリアルな棍棒が握られている。まるで恒星が好きな異世界系のアニメに出てくるゴブリンそのもののようだ。
「なんだ?」
だが、残念ながら現実世界にゴブリンなんぞいるわけがない。
どうせ、良くできた子供の悪戯とかだろう。
取り敢えず、声をかけてみるが、待てども返答はなかった。
「用がないならいくぞ」
そう言い捨て、場を去ろうとした次の瞬間、数体の『緑の生物』が恒星の前に立ち塞がり、その中の一体が手招きのジェスチャをしてきた。
着いてこい、ということなのだろうか。
だが、生憎、恒星は急いでいる。
あまりのんびりしていると、天気が荒れ始めてしまうからだ。
残念ながら子供のお遊びに付き合っている時間は存在しなかった。
「ごめん、もう行くな。もう直ぐ天気が荒れてくるだろうから、早く家に帰るんだぞ」
再び声をかけ、去ろうとしたその時、『緑の生物』の内の一人が恒星の頭の上まで跳躍し、その手に握る棍棒を振り上げてきた。
「嘘だろっ」
恒星は考える前に反射的に身を屈め、両手で頭を抱えて衝撃に備える。
だが、待てどもその棍棒が恒星に当たることはなかった。
暫くして、顔を上げた恒星の頭の中で一つの疑問が巡った。
――あの跳躍力はなんだ?
あの小さな体躯で百七〇センチ弱の身長がある恒星の頭より高く飛ぶのは普通でない。
少なくとも、オリンピック選手でもない限り不可能な芸当であろう。
とても人間とは思えない。
昔、見たことがある。
海外でゴブリンが発生し、人間を誘拐してどこかに消えた。そのような見出しの記事を。
その時はフェイクニュースだと判断しスクロールしたのだが、もしかして……。
恒星は眼前に佇む『緑の生物』を凝視する。
話しかけても応答がない様子。妙にリアルな棍棒。人間離れした跳躍。
それら全ての要素がその考えを裏付けた。
恒星の頭の中は一瞬で恐怖に包まれた。
体から一気に血の気が失せていくのを感じる。
「いやだ……」
先程まで中身は子供だと思っていた眼前に佇む『緑の生物』から、恒星は尻餅を突きながら後退りをする。
――兎に角、距離をとらなければ。
「死にたくない」
だが、恒星は周囲を囲まれている。
後退りを続けていくと、直ぐに別の『緑の生物』に背中が接触した。
「ヒィィ」
恒星は急いで離れ、『緑の生物』の顔を見上げる。
「こいつらは、子供の悪戯なんかじゃない。本物の……ゴブリンだ」
恒星は息を吸い込み、叫んだ。
『誰かぁぁぁ助けてくれぇぇぇぇぇ』
例えゴブリンがアニメの中では最弱の魔物でも、ひとたび現実に現れれば人間にとって最大の脅威となる。
怒り狂った熊、いや、それ以上の怖さがヤツにはある。
「母さん、父さん……誰か、助けて……」
ゴブリンは再び、着いてくるよう手招きをしてくる。
こいつらが本物のゴブリンと分かった以上、大人しく着いていくのが賢明なのだろう。
だが、腰が抜けてしまい、立ち上がることができない。
暫くそうしていると、ゴブリンも痺れを切らしたのか再び棍棒を振り上げてきた。
――今度こそ……殺される。
脳裏に『死』の文字が浮かび、思わず目を瞑ったその時。
「大丈夫?」
女性の声だ。
何故か聞き覚えのある、アルト的な勝気の強い女性の声。
恐る恐る目を開けると、そこには恒星に向かって手を伸ばす年若い一人の女性とその背後には大きなワゴン車があり、代わりにゴブリンは姿を消していた。
――助かった……のか?
「あぁああ」
声にもならない声を出すと女性は恒星の不安を感じ取ったのか柔らかな声で言った。
「大丈夫。ゴブリンは倒した。早く乗って」
恒星は言われるがままに女性の手をとり、車の後部座席に乗り込んだ。
「にしても、よく無事だったわね」
女性は淡々とそう言いながら車を走らせる。
「まぁ、はい。助けていただきありがとうございます」
恒星はこの女性に救助されたことを悟り、感謝を伝えた。
「あいつらは……」
恒星は気になっていたことをぼそりと訊く。
「本物のゴブリンよ」
女性は当然だというようにそう答えると、ゴブリンについて語り始めた。
女性の説明をまとめると、
ゴブリンは二年ほど昔に初めてアメリカで発生して以降、不定期で世界中に発生するようになった。
ゴブリンは多くの個体が体長一メートルほどで大人の人間よりも小さく、緑の固い表皮に体が包まれていて、額には魔石と呼ばれる小さな赤い石がついている。また、全ての個体が棍棒を所持し、振り回して人間を襲う。女性曰く深夜アニメに出てくるものと似たようなもの。
ゴブリンは『ゴブリンゲート』と呼ばれるゲートから出現する。また、襲った人間をそこに連れ込み誘拐する。『ゴブリンゲート』は某四角い世界のゲームで別のディメンションに行く際に使用するものと酷似しているらしい。女性自身、自分の目で見たことはないという。
ゴブリンには不明瞭な点が多く、生態、発生原因、『ゴブリンゲート』の内部、人間を誘拐する目的、これら全てが分っていない。
最後に、女性はこう締め括った。
「そんな危険なゴブリンに立ち向かうべく、WGSP(対ゴブリン組織)が生まれたの。WGSPはWorld(世界)、Goblin、Surveillance(監視)、Protect(防衛)の頭文字を合わせて名付けられたわ。私も団員の一人よ」
女性はどこか誇らしさを孕んだ声音でそう言う。
WGSP……一度も見聞きしたことのない名前だ。
「窓の外を見て」
女性の言う通りに窓へ視線を動かすと、驚きの光景が広がっていた。
「なんだ……これ」
思わず呟いた恒星の瞳に映る広島の町は、見るも無残な姿に変貌していた。
民家は元の形もわからないほどに崩壊し、電柱は根元から倒れ、街路樹を巻き沿いにして歩道に倒れていた。
道路もところどころにひび割れが発生している。この車の性能がいいからか気付かなかった。
それに、人が誰一人として歩いていなかった。
確実に昨日はこんな状態でなかったはずだ。
「これ、全部ゴブリンの仕業なのか……?」
「えぇ、そうよ」
あまりにも信じられない光景に頬を抓ってみるも、しっかりと痛い。
「なぁ、俺の両親は?」
恒星の両親は家に居なかった。
ということは……。
「恐らく、奴らに連れ去られたわ」
「生きてはいるんだよな?」
「えぇ、多分……」
女性は咳ばらいを一つすると、言葉を続けた。
「あなたの両親だけじゃない。町のみんな、いえ、日本中、世界中の殆どの人がヤツらに連れ去られたわ。私の両親もね。もう、残っている人は余程の山奥でない限りいないと思うわ」
その言葉には哀愁が纏わりついていた。
女性はWGSPの団員だと言った。こうなる前にどうにか出来なかったことを悔やんでいるのだろうか。
暫時、車内が静寂に包まれる。
取り敢えず、恒星は女性が言うには両親が生きているということを聞いて一安心した。
だが、連れ去ったのがゴブリンであるのなら、両親は『ゴブリンゲート』の中にいるのだろう。
女性曰く『ゴブリンゲート』の内部は不明。
手放しで喜べる状況でないことは火を見るより明らかだ。
それに女性は「多分」と言った。嫌な想像をしてしまう。
「君の名前は?」
恒星は気を紛らわそうと、女性に自己紹介を求める。
それに、先程から気になっていることがある。
「私はWGSP日本基地副基地長のhikaru。副基地長と言っても、日本基地の担当は私と基地長のみなんだけどね」
「そうか。俺は恒星、夜光恒星だ。肩書という肩書は何もないが……広島で高校生をしている」
恒星が自己紹介をした直後、突然車が止まり、hikaruがこちらに振り向いてきた。
顔には驚愕の二文字が浮かんで見える。
「ちょっと待って……あの恒星?」
hikaruの顔を見た同時に、恒星は何故か女性の声に聞き覚えがあった理由を理解した。
「光?」
光、もとい終夜光は、恒星が中学生の時に付き合っていた唯一の元カノである。
久しぶりに見るその姿は中学生の時と大きな変化はない。
目鼻立ちの整った、思わず見惚れてしまう美人系の顔つき。
スラっとした長身を誇り、それを修飾する腰まで延ばされた奇麗な茶髪。
まな板と平坦さで勝負できるほどに小さな胸。
むしろ、少しは変わっていて欲しかったかもしれない。
そう思ってしまうほどに昔と変わっていなかった。
なぜ直ぐに気付けなかったのか。
答えは明白だ。
恒星が後部座席に座っていて姿が見えなかったこと。
それから、恒星はゴブリンのことで気が動転しており、そのことに気付く余裕がなかったから。
この二点だろう。
「恒星、アンタ全然変わってないわね……」
「そんなことないよ。身長だって一センチ伸びたし」
「そんなの分かんないわよ。ボサボサの髪。折角のかっこいい顔を台無しにする無情髭。夏のくせにパーカーを着るとかいうイカれてる季節感覚。あの頃と全然変わっていない、紛れもなくあの恒星だわ……」
「それ褒めてんの?」
「当然よ。なんで気付けなかったのかしら……」
いつの間にか、涙が溢れてきていた。
それは光も同じようだ。付き合っていた頃でも、恒星が一度も見たことがない光の涙。
それは、安心感によるものなのか、乃至は再開の喜びに起因するものなのか。
愛し合った過去を持つ二人は、気付けば抱擁を交わしていた。
・・・・・・
恒星と光は中学生時代に付き合っていた。
キッカケは入学時、出席番号が近かったことが故に、席が隣だったことだ。
授業等でペアを組み、少しずつ関わり合っていく内に二人は仲を深め、紆余曲折ありながらも中一の冬に晴れてカップルとなった。
中三の頃に訳あって別れたものの、それまでは校内でラブラブカップルと揶揄されるほどにお熱い状態だった。
・・・・・・
「懐かしいわね」
「あぁ」
「確か、当時星夏と三人でよく遊んだわよね」
「そうだったな。星夏、確か卒業の少し前から学校に来なくなったんだよな」
「確かそうだったわね。今こんな状況だし、せめて生きてればいいけど……」
二人は思い出話に花を咲かせた後、今後のことについての話題へと移る。
「この後は福岡にあるWGSP日本基地へ向かおうと思うの。今、ゴブリンに通信設備がやられたのか、WGSP本部と連絡が取れない状態だから、そこで通信できるか試してみようと思って。ダメ元だけど」
「なぁ、通信がやられたってことは電気も……」
「えぇ、当然やられているわ。太陽光発電とかじゃない限り電気は使えないわ」
「部屋の照明が付かなかったのもそれが原因か。台風が原因だと思ってた」
「ううん、奴らのせい」
恒星はずっとただの停電だと思ってたが故に、少し驚く。
「でね、もし日本基地でも本部と通信ができないようなら、本部基地のあるモンゴルまで行くわ」
「モンゴル!?」
恒星は声を張り上げた。
「えぇ、遠いわよね。どうやって行くのかは考え中だわ。でも、安心して。私が責任もって送り届けるから」
溜め息混じりにそう話す光へ恒星は一言。
「モンゴルって、どこだ?」
その瞬間、光は思い出した。
「そういや恒星……めっちゃバカだったわね」




