第九話 盗み食い
見えない何者かに口を押さえられるというあまりの恐怖にティルロットは涙目になる。何も考えられないほどのパニック状態に、今にも魔力が暴走しそうだった。
「すまない、グレージアさん! 驚かせて悪かった。お願いだから落ち着いて」
「……え、シェザード王子?」
パッと口元から手を離されて喋れるようになったかと思えば、先程まで透明だったそこからシェザードが現れる。
なぜこんなところに、というか何でここにいるの、急に現れたの何、もしや幻覚? とティルロットはわけがわからず困惑していると、「驚くのも無理はないよね。本当にごめん」と謝られる。
「いや、えっと……? 何で、シェザード王子がここに?」
「あー、えーっと。それを話すと長くなるんだけど……とりあえず、このまま立った状態でいるのもなんだし、席に座ろうか。そのあとにどうして僕がここにいるのかとか話すよ。あぁ、よければグレージアさんが作ったものを運ばせてもらってもいいかな?」
「え? あ、じゃあ、お願いします?」
「ありがとう」
シェザードはなぜか機嫌よさそうに先程ティルロットが作っていた料理を運んでいく。
(どういう状況?)
目の前の出来事に頭が追いついていかない。
とにもかくにも、シェザードの話を聞かないことには何もわからない状況だった。
「席はここでいいかな」
「え? あ、はい」
混乱しつつも、シェザードに促されるまま彼が料理を置いたスペースにティルロットが腰かける。それに合わせてシェザードも、なぜかティルロットの隣の席についた。
(なぜ隣……?)
こういうときは向かい合わせなんじゃないか、と心の中で思いながらも席を移動する勇気はなく、大人しくシェザードの隣で彼の話を聞くことにしたのだった。
◇
「ということはつまり、シェザード王子は夜な夜な透過魔法を使って姿を消して寮室を抜け出して、食堂に盗み食いをしに来てたと」
「恥ずかしながら、あけすけに言うとそうなるね」
(王子がまさかの盗み食い)
まさかのことに驚きを隠せない。ティルロットが呆れているのを悟ってか、「ちゃ、ちゃんとお金はおいているよ!」と必死でフォローし始めるシェザード。
そういえば、ジーナが時々奇妙なことが起きるとか言っていたなと思い出す。
「ジェラルド……僕の護衛が口煩いのは先日の日中の出来事でご存知の通りだと思うけど、彼のイメージで僕の食事量や食事内容が制限されてしまうんだよ。僕は今食べ盛りだから本当はもっとたくさん食べたいんだけど、全然食べさせてもらえなくて」
「なら、王子のほうが偉いんだし、僕の言うこと聞けって言えるのでは?」
「それが言えたら苦労しないよ。ジェラルドは僕のためだ、両親から管理するように厳命されてるんだ、って理由つけて節制してくるんだ。僕が抗ったところで力でも魔力でも勝てないから、結局大人しく言うことを聞くしかなくてね」
「なるほど」
(確かに、あの護衛は一筋縄じゃいかなそうだしなぁ)
ジェラルドの言動から察するに、彼は自分が正しいと思い込んでいる節があった。あぁいうタイプは人の意見を聞かないから厄介だ。自分の意見を曲げることもしないから、周りが振り回される。シェザードは気が強いほうでもなさそうだし、あのジェラルドに立ち向かえというのは無理な話だろう。
「でも、食べないとやっぱりお腹は空くわけで。いつもグレージアさんの食べっぷりを見ては、ずっと僕もグレージアさんみたいにめいいっぱい食べたいって思ってたんだ」
「え、私が食べてるとこ見てたんですか?」
「あ、いや、もちろんまじまじとは見てないよ! でも、グレージアさん、いつも美味しそうにいっぱい食べるから、つい見ちゃって……気を悪くしたなら申し訳ない」
「いや、別に……気を悪くとかそういうんじゃないですけど」
ただ単に恥ずかしい。まさか見られてたとは思わず、今更ながら羞恥心が込み上げる。
「それならよかった。グレージアさんに嫌われてしまったらどうしようかと」
「これくらいで嫌うってことはないですよ」
「本当かい? でも先日もジェラルドがキミに無礼を働いただろう? だから、気を悪くしてないかずっと心残りだったんだ」
「あー……慣れてるんで、そういうの気にしないですから。安心してください。というか、いいんです? 私と話してたらまた怒られるんじゃ……」
「ジェラルドは今ここにいないし、大丈夫だよ。あくまで彼が個人的によく思ってないだけだから。むしろ僕としてはグレージアさんともっとたくさん話したいと思ってるんだ」
まっすぐに見つめられて戸惑うティルロット。普段このように話しかけてくる人などいなかった上に、相手が王子という身分もあってどう反応したらいいのかわからなかった。
__ぐぎゅるるるるる〜!
困惑してるティルロットの思考を遮るようにけたたましく鳴る腹の虫。先程よりも大きなそれに、シェザードの顔が真っ赤に染まる。
目の前に食事があるのに待てをされた状態では、空腹が限界になるというのはティルロットも身に覚えがあった。
「もしよければ、食べます?」
「え!? いいのかい?」
「今更ですけど、冷めたらもったいないですし。それに、一人で食べるにはちょっと作りすぎちゃった自覚もありますし。あと、単純に一人で食べるのは寂しいので」
実際誰かと一緒に食べたかったのは事実だ。
まさかこんな形で一緒に誰かと食べるとは思わなかったが、ティルロットとしてもシェザードが一緒に食事をとってくれるなら都合がよかった。
「では、ありがたくいただかせてもらうよ」
「はい。あ、できれば感想をいただけると嬉しいです。一応新作メニューの試作として作ってみたので」
「そんなのお安い御用だよ。というか、グレージアさん僕と同級生なんだからタメ口でいいよ。それから僕のことはシェザードと呼んでくれ」
「えぇ……でも、王子様にタメ口とかは……」
不敬でしょっぴかれたら困るし、ジェラルドや取り巻きの女子生徒たちに咎められても面倒だし、と態度を濁すティルロット。
実際、これ以上苛烈な攻撃を受けるのはまっぴらごめんだった。
「でも、マシュリーとは敬語じゃなく接しているだろう?」
「それは、マシュは親友ですし……」
「だったら二人きりのときだけでいいから。それと、僕もグレージアさんじゃなくてティルロットって呼びたいんだけど、ダメかな?」
「別に、ダメじゃないですけど……」
「やった! よかった。嬉しい。ありがとう、ティルロット」
今すぐハグしそうな勢いで喜ぶシェザード。
何がそんなに嬉しいんだろうと思いながらもティルロットも悪い気はしなかった。